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在日米人。少年の頃、音楽家である父親の仕事の関係で、長野県の松本市に数年間在住。その後、一度アメリカに帰るが、ベトナム戦争が激しくなった60年代後半、徴兵を嫌って上智大学国際学部に留学。そのまま日本に居つく。
大学時代、仙台坂下のアパートに住んでいた関係で、アヴァンティに通うようになり、学生の頃から店でアルバイト。前バーテンダーのジェイクから、カクテルのイロハの手ほどきを受ける。
卒業後は世界を放浪するが、81年から87年までの7年間、日本に戻って、ジェイクと共にアヴァンティのカウンターに立つ。
その後、15年間の放浪をはさんで、2002年5月、乞われて三たびアヴァンティに。これまでに就いた職業は、数知れず。日本航空の社員、TOKYOジャーナル(在日外国人向け雑誌)の編集、幼稚園の保父さん、建設作業員、作詞家(志穂美悦子主演の映画の主題歌の歌詞を書いたとの噂あり)、そしてもちろんバーテンダー。
21世紀を迎えて、放浪のボヘミアンもようやく腰を落ち着けた模様で、現在の最大の生き甲斐は、葉山の先の秋谷海岸に手に入れたボロ家を、自らの手で改修することだと言う。
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