放送曲目リスト2008年の放送一覧

黒澤明
2008年1月26日放送分

 現在公開中の『椿三十郎』をはじめ、5月に公開予定の『隠し砦の三悪人』、さらに『用心棒』など、黒澤明監督の映画が次々にリメイクされています。そういえば昨年は『生きる』と『天国と地獄』がドラマ化されましたね。
 世界中の映画人の尊敬を集め「世界のクロサワ」と呼ばれた黒澤明監督が、いま再び注目を集めているようです。そこで本日は、当店にいらっしゃった黒澤監督に縁のある方のお話を、ここでご紹介させていただきます。



黒澤和子さん(映画衣装デザイナー)の
『父・黒澤明』の話
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 その昔、撮影が終わった後は、そのまま「黒澤組」のスタッフが家に来て飲んでいた。20〜30人なんてことは当たり前で、多い時には70人もいたりした。
 小さかった頃、私の役目はその宴会場にビールを運ぶことだった。そして大きくなるにつれて料理の手伝いをさせられるようになり、中学に上がる頃にはほぼ一通りの料理ができるようになっていた。
 だから父が亡くなった時に「一生分の料理を作ったなぁ」と思った。みんなで食べたり飲んだりしながら翌日の打ち合わせをすることで映画ができていく。それが私にも感じられたので、私もずっと料理をしていた。
 父は心から「いい映画を作りたい」と考えていたので、母は「そのために映画のこと以外を全部引き受ける」という姿勢だった。父が賞もらう時に「スタッフを代表して賞を受け取りに来ました」と言っていたけど、母や私もそのスタッフの1人だと思っていた。
 マスコミには「巨匠・黒澤明は怖い監督」みたいな言われ方をしたけど、実は現場では結構みんなを笑わせていた。もちろん怒る時もあったけど、スタッフの間ではそれは良い思い出になっているらしく、父のお通夜ではみんな「怒られた自慢」をしていた。
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児玉清さん(俳優)の
『悪い奴ほどよく眠る』の話
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 黒澤監督の『悪い奴ほどよく眠る』に新聞記者として出演した。と言っても、大勢いる新聞記者の1人でセリフはなし。それでも周囲の人からは「抜擢だ」と言われた。
 黒澤監督のスタジオはものすごい緊張感だった。でも僕は「黒澤監督だって同じ人間じゃないか」と思って、ことあるごとに反抗した。
 たとえば新聞記者たちが一斉に三船さんの方を向く、というシーン。僕は自分で考えたタイミングで振り向いていたら、監督に「なんで君だけ違うんだ!」と怒鳴られた。それで「このセリフでは振り向けません」と口答えをしたら「生意気なことを言うな!」と一喝された。
 万事がその調子だったので、若かった僕は頭に来て「黒澤監督を殴りたい」と友達に相談したくらい。さすがに実際にはやらなかったけど。
 ところがある時、助監督から「黒澤監督が〈児玉が10年あの心意気を持っていたらモノになるかもしれない〉と言っていた」と教えられた。それを聞いた瞬間、僕は天の啓示を聞いたような思いでヘナクチャになってしまった。
 ちなみにその映画の試写会では、脚本家の井手俊郎さんに「僕が監督なら君をクビにしてる」と言われた。やっぱり目立ちすぎだったらしい。
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清水節さん(編集者・映画ライター)の
『黒澤明とハリウッド』の話
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 60年代に『暴走機関車』で黒澤明がハリウッドに行くという話があった。結局、ソビエト出身のコンチャロフスキー監督がとんでもなくつまらない映画にしていたけど、本当は『刑事コロンボ』のピーター・フォークを主演に黒澤明が撮るはずだった。
 この話はもともと、50年代後半から日本映画が斜陽になってきたことに端を発する。黒澤明のように大予算で映画を撮る監督が映画会社にとって邪魔になり、黒澤明は自分たちでプロダクションを作ることになった。
 そして『用心棒』『椿三十郎』などの娯楽作品が大ヒットし、『赤ひげ』でピークを迎える。そうやって日本では予算的にもドラマ的にも極めたところで、海外から声が掛かった。
 ところが黒澤明とはいえ、当時のハリウッドではまだ「知る人ぞ知る」という存在。世界的な興行の監督を本当に任せられるのか、と思われてしまう。一方、黒澤明も「自分が撮りたいように撮れない」というジレンマがあって、最終的にこの話は流れてしまう。
 黒澤明は欧米映画の空気を取り込み、換骨奪胎して日本映画を作った人だけど、やはり当時の向こうの人から見れば「エキゾチックな雰囲気」の方が先に立っていたのかもしれない。
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小泉堯史さん(映画監督)の
『黒澤組』の話
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 黒澤組はよく御殿場にある黒澤さんの別荘に集まった。黒澤さん以下、カメラマンの斎藤さん、録音の矢野口さん、『ゴジラ』の監督の本多猪四郎さん、そして僕などが主な顔ぶれで、僕の役目は料理番。スペアリブやオックス・テールのスープなど、作り方は全部黒澤さんに教えてもらった。
 黒澤さんは映画の企画をいくつも持っていた。でもその中からどれを実際に映画にするのかは謎だった。「今度〈夢〉をやるよ」と言われた時も、脚本に「ひな壇の人形が躍る」なんて書かれていて、助監督としてどう準備していいかすごく悩んだ。
 黒澤さんは常に2〜3台のカメラを使いつつ、編集が頭にあったのがすごかった。そして黒澤さんはフレームの外側も大事にしていた。「監督は最前線の司令官だ」なんて言っていたけど、現場は司令官の下できちんと統一されていなければならない、ということだったのだろう。僕みたいな助監督は上手くできなくて、よく怒られたけど。
 3月公開の映画『明日への遺言』は、そんな黒澤さんが健在だった頃に脚本を書いた作品。岡田中将のことを知れば、黒澤さんのことをもっと理解できるかもしれない、そんな気持ちで書いていた。
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田草川弘さん(『黒澤明vs.ハリウッド』著者)の
『トラ・トラ・トラ!』の話
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 日本の映画界は監督中心主義なので、黒澤監督も『トラ・トラ・トラ!』はシナリオを書いて、演出もして、編集も自分でやるものだと思っていた。ところがハリウッドのやり方は違う。その考え方の違いが原因となって、黒澤監督は『トラ・トラ・トラ!』の監督を降板してしまった。
 シナリオや絵コンテなど、現在に残された資料から考えるに、黒澤監督の『トラ・トラ・トラ!』は、きっと『乱』や『影武者』のように、破滅に至る美学や、運命に翻弄されるもののふの姿を描いた作品になっただろうと思う。
 1931年、山本五十六は連合艦隊の司令長官に任命される。その山本五十六は、もともとハーバード大学で学んだ経歴を持ち、アメリカとの戦争に関しても「アメリカへ行って煙突の数を数えてみろ!」と反対する立場だった。
 しかし運命のいたずらか、山本五十六は1941年12月8日に真珠湾攻撃の指揮をする立場になってしまう。つまり山本五十六にとって晴れ舞台となったその日は、山本五十六の命運が尽きた日でもあった……。
 黒澤監督の『トラ・トラ・トラ!』は、きっとそんな視点の作品になったはず。しかしそれは永遠に見ることができなくなってしまった。
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■ 放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
11'54" I Believe In You Nancy Wilson Capitol 7243 5 33091 2 1
21'15" Just You, Just Me Nat King Cole Capitol CDP 7 48328 2
31'39" Call Me Irresponsible Bobby Darlin Capitol CDP 7243 8 53411 2 0
41'32" What A Difference A Day Made Beverly Kenney MCA MVCM-288