SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2006年11月25日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「ベスト・コニサー」

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 土曜日の夕方、当店「AVANTI」のウェイティングバーは大勢のお客様で賑わい、様々なお客さまがグラスを傾けながらお喋りを楽しんでおられます。
 そういったお客様たちこそが当店の自慢です。映画、音楽といった柔らかい話から、政治、科学のような堅い話、珍談奇談に、怪しげな噂話などなど、みなさんとても面白い話をして下さいます。
 誰が言い始めたのかは分かりませんが、常連のお客さまの間では、そんな面白い話をする方々を、敬意を込めて「コニサー」と呼ぶのです。なんでもフランス語で「目利き、玄人」という意味らしいのですが。
 お時間がございましたら、そのコニサーのお話に耳を傾けながら、素敵な夕方の一時を過ごしていきませんか?


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吹石一恵さん(女優)の

『食事』の話

 一人暮らしをするようになって6年が経つ。そして実は一人暮らしを始めて自炊をするようになって、すごく太った経験がある。
 自炊と言っても、煮るだけとか炒めるだけの簡単な料理ばかり。でもほとんど初めてだったので、自分の作ったモノが愛おしくて、残せずに全部食べていた。
 今にして思えば作る量を加減すれば良いんだけど、それも知らなかったので、たとえば「ナスとレンコンと豚肉の炒め物」を作る時でも、材料を全部使い切っていた。4本入りのナスでさえも全部使って、それを全部食べていたのだから、我ながら馬鹿だった。
 18歳で一人暮らしを始めて、20歳までそんな生活が続いた。でもさすがに20歳くらいで胃袋と相談するようになって、「まだ胃袋に何か残ってる……ということは、お腹が空いたんじゃなくて口寂しいだけ?」ということに気がついた。そういう時はガムを噛んだり水を飲んだりするようになって、やがて体重は元に戻っていった。
 10代の頃は本当によく食べた。朝起きて、ベッドから出る時にまずパンかおにぎりを食べないと動けなかったので、寝る前にセッティングしていたほど。仕事の現場に行けばサンドイッチとか用意してもらっているはずなんだけど、そこに辿り着くまでにまず食べておかないと着替えもできない。
 しかも毎食、ハイカロリーなモノばかり。オムライス、チャーハン、ハンバーガー、スパゲッティ……、そんなモノばかり食べていても胃もたれはしなかったし、ちゃんとお腹は空いていた。
 私は、プライベートでご飯を一緒に食べるということは、けっこう大変なことだと思っている。仕事絡みは別として、一緒にご飯を食べて「美味しいね」と言える関係って、私の中ではかなり親密。だから人とご飯を食べるよりは、一人の方が気楽で良い。
 初めての人と食べに行く時は、事前に話題を考えていくほど。「あの人と一緒に仕事をしたのは何年前のこの作品で、共通の知り合いは……」なんて傾向と対策を練ったり。一緒に仕事をしていた頃の日記を読み返して、どんなことを言っていたかも確認する。
 そして実際に食事の席になると、そんなものは取り越し苦労だったということに気付くし、それはもうわかっているんだけど、心配性というか、その癖はどうしても抜けない。

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箭内道彦さん(広告制作会社『風とロック』代表)

『42歳のロック・デビュー』の話

 42歳にしてロック・バンドを始めた。この前は下北沢のスタジオに5時間こもって、自分と同じく「初めてバンドをやる」という仲間たちと練習をしてきた。
 終わった後は反省会。その反省会が楽しみでやっているという面もある。そこで「オレタチ(というバンド名でもある)、カッコつけ過ぎなんじゃないか」という話が出た。
 そう言い出したのは最年長のメンバー「ジョニー」改め「ユパ」。ユパが言うには「ロード(道=道彦=箭内さん)はバンドを表面的にカッコ良くしようとしすぎてないか?もっと心の底から歌いたいこととか、本当に伝えたいことをやらないとダメなんじゃないか」と。
 そこでその日から、僕はエレキ・ギターをやめて、アコースティック・ギターにした。バンド自体もアコースティックな音楽に変わり、今はロックというよりはフォーク。どうも自分たちがやりたい音楽は、最初からそっちだったらしい。
 最初は歌いたい歌をコピーしようかと思っていた。たとえば吉田拓郎さんとか。でもやってみたら「これはオリジナルじゃなきゃダメだな」ということになった。
 なんでこんなに頑張っているかというと、ライブが決まっているから。それでバンドのメンバーはみんな焦っている。今は「もう自分をさらけ出すしかない」というところに行き着いて、ずっと曲作りに没頭している。
 僕はこう見えて作詞作曲の経験がある。たとえば「きっかけはフジテレビ」の時に水前寺清子さんが歌っていた『きっかけ音頭』は僕の作詞作曲。それから「UNO」のUNOバンドが歌っていた『No.1』という曲も僕の作詞。そんな実績があるのに、仕事の依頼は一度もない。
 とりあえず今はお酒を飲みながら自分たちの曲を作っている。その辺は「天賦の作曲家」みたいな形だけまず真似てやっている。それでも良い気分になるから「これだ!」という曲ができる。つい2〜3日前、そう思って作った曲を翌日に弾いてみたら、Puffyのデビュー曲そっくりだったけど。
 初めてやることはすごくビビるし、だいたいは失敗する。でもそのドキドキ感が好き。仕事でも「タワーレコードみたいな感じのポスターを作って下さい」なんて言われるのは一番つまらない。それよりも「ラジオのパーソナリティー」とか、初めてやることに挑戦したい。
 ロック・バンドは今まで最大の「初めて」。世間では40歳は「不惑」と言われるけど、僕は「惑々(ワクワク)」という感じ。

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渡部潤一さん(国立天文台)の

『冬の星座』の話

 「冬の大三角」は、おおいぬ座のシリウスが一番わかりやすい。オリオン座が上ってくるそのすぐ後を追いかけて見えてくる星で、白く輝く全天でもっとも明るい恒星。
 シリウスが上がってきて、オリオン座が南の空にかなり高くなってきた頃、シリウスと同時にこいぬ座のプロキオンという星も上がってくる。それからオリオン座の東側の肩にあたるベテルギウスという星。この3つの星が大きな正三角形に見えるところから「冬の大三角」と呼ばれている。
 全天でシリウスの次に明るい恒星はカノープスという星。この星はりゅうこつ座という南の低い位置の星座に含まれている。東京で見ようとすると、南の空にお月さま1〜2個分しか上ってこない。
 このカノープス、「一度見ると寿命が何十日か延びる」と言われていて、寿星とか長寿星という呼び名もある。シリウスがちょうど真南に来た頃に南の地平線付近を探すと見えることがある。
 ただ、カノープスを東京で見ようと思ったら至難の業。いくら空が晴れていても、地平線近くは曇っていることが多いし、何より水平線まで見渡せる場所が少ない。しかも季節的には真冬なので、逆に寿命が縮むんじゃないかと思うくらい寒い。
 私もカノープスが好きで、なるべく見ようと心掛けているけど、それでも見られるのは1シーズンに1〜2回。上ってから沈むまで1時間くらいなので、なかなか難しい。秋口だとまだ深夜過ぎだけど、1月くらいになれば夜の8〜9時頃なので、チャンスは増えると思う。東京の太平洋側は真冬ほど天気が良いので、それも好条件。
 カノープスは本来白い星だけど、夕焼けと同じ原理で真っ赤に見える。この赤い色が中国ではおめでたい色なので「長寿星」と呼ばれるようになった。実は七福神の「寿老人」はカノープスが神格化された神様だったりする。
 私はそのカノープスを見たいがために、高台で南の見晴らしが良いところを散々探して、家を建ててしまった。

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須田鷹雄さん(競馬評論家)の

『珍しいギャンブル』の話

 最近は中山競馬場の帰り道で「伝助(デンスケ)」を見かけなくなった。僕が高校生の頃には見かけたけど、あれは回っている棒がどこで止まるかに賭けるバクチ。でも実はいかさまで、2〜3回当たって調子に乗って張りを増やすと外れる仕組みになっている。
 23〜24歳の頃には錦糸町の駅前で「モヤ返し」というバクチも見かけた。タバコやキャラメルの箱が3つ用意してあって、その内の1つだけに印がつけてある。この3つの箱をトランプマンのような手つきでパッパッと入れ替え、どれが印の付いた箱でしょう?と当てさせるギャンブル。「よく見ていれば当たるじゃないか」と思っても、やっぱりイカサマが仕込んであってお金を巻き上げられる仕組みになっている。
 こういうバクチの種目は博物館みたいなところで殿堂入りさせても良いと思う。世界にはカジノ・マニアがいっぱいいて、打ったことのない種目がないと聞けば、世界のどこからでも駆けつけてくる。ただし客単価はそんなに高くないので、もし日本でカジノが成功して収益以外のところへ目を向ける余裕が出てきたら、そんな世界の珍しいギャンブルを保護してみては。
 マカオのカジノには「ファンタン」というギャンブルがある。貝で出来た小さなボタンみたいなモノがテーブルにいっぱい置かれていて、ディーラーはそれをお椀でザクッと取って蓋をする。その中に入っているボタンの数が、4で割っていくつ余るか……に賭けるギャンブル。もちろん「1」や「2」に賭けることもできるけど「1か3」とか「2ではない」など、賭け方のバリエーションがいろいろある。
 昔のマカオはオバちゃんのディーラーが「客には無愛想にしなきゃいけない法律でもあるのか?!」と思うほど無愛想な態度でやっていたけど、なぜかファンタンだけは男のディーラーが普通にシャッシャッと普通に働いていたので、けっこう気に入ってやっていた。ただ、時間が掛かるのでお金の回転が悪く、いずれなくなってしまう危険性がある。これも保護してほしい。
 スペイン原産でフロリダだけで行われている「ハイアライ」というゲームもある。ルールを説明すると長すぎるんだけど、大筋「体育館の舞台全部を使ってやるスカッシュ」みたいな競技。選手は8人もしくは2人1組で8組いて、1〜3位までを決めるので、その出目を当てるギャンブルになっている。
 このハイアライ、客層を見ても昔から来ている老人しかいないし、どう転んでもトレンディな競技ではない。しかもフロリダでは一部の競馬場などでスロットマシンが解禁され、ますます苦しくなっていくことが予想されるので、保護しておきたいところ。ちなみに英語では「Jai-alai」という変な綴りなので、ネットで検索すると動画を生中継しているサイトも見つかる。
 こういう「世界の珍しいギャンブル」をまとめた本もなかなか見かけないのは残念。でもそういう本を作るのは、旅とギャンブル、両方にお金が掛かるのですごく大変そう。

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クリスチャン・ボラーさん(『トゥールダルジャン』総支配人)

『トゥールダルジャンの歴史』の話

 トゥールダルジャンには400年以上の歴史がある。400年と言えばルネッサンスが始まった頃。日本で言えば豊臣秀吉が大阪城を造った1582年に、トゥールダルジャンは誕生した。
 このトゥールダルジャンが有名になったのは、ある時、王様のアンリ3世が立ち寄ったことがきっかけ。王様が狩りの帰りにトゥールダルジャンに立ち寄ったら、隣のテーブルにイタリア人が座って、なにやら珍しいモノを使っていた。王様があれは何かとお店の人に尋ねたら、それはイタリアの新しい道具「フォルケッタ」、つまりフォークだった。
 当時、フランスではまだ食事は指で食べるものだった。フォークの存在を知ったアンリ3世は感動して、宮廷での食事は必ずフォークを使うように命令した。そんな事件があったのがトゥールダルジャン。
 「ラ・トゥールダルジャン」という名前は「銀の塔」という意味。400年前はパリを囲む大きな城壁があり、セーヌ川のほとりには塔が建てられていた。その塔に付いていた小さなお店がトゥールダルジャンだった。
 そして王様がパリの町を出て狩りに行く時は、ちょうどそこが通り道だった。そこで王様が店に立ち寄り、素晴らしい店だと感動して「トゥールダルジャンと名乗りなさい」と言ったのが1582年だった。つまり厳密に言えば、お店はもっと前から営業していた。でも「トゥールダルジャン」が生まれたのは1582年ということになっている。
 当時の料理は今でも伝わっているものの、すでに絶滅してしまった鳥などを使っていることが多い。それにセーヌ川もキレイだったので、ウナギなども獲れていた。そういった素材はもう手に入らないので、再現不可能なことが多い。
 少し時を下ると、トゥールダルジャンのメニューに「鴨」が登場する。1890年からは鴨のナンバリングも行われ、トゥールダルジャンを代表するメニューになった。そのナンバーはパリの本店では4年前に100万を超え、東京では今ちょうど18万羽ぐらい。
 ただ、東京のお店のナンバリングは「1」から始まっているわけではない。昭和天皇が皇太子の時代にパリの本店へいらしゃって、鴨をお食べになった時のナンバーが「53211」だった。それにあやかって、東京店のナンバリングは53211をスタートとして、53212、53213……と数えている。
 つまり厳密に言えば、東京店で実際に消費された鴨の数は約13万。「1から数えるのでは味気ない」と考えたオーナーの発案でこうなった。

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■ 放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
9'06" I Want To Be Happy June Christy Capitol CDP 7243 4 95448 2 6
19'21" You Are My Lucky Star Jaye P. Morgan RCA BVCJ-2025
25'31" Quiet Night Of Quiet Star Nancy Wilson Capitol 0777 7 80409 2 7
35'27" Careless Love The Hi-Lo's DRG 5256
47'03" Toute Ma Joie The Blue Stars Emarcy PHCE-10004


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