チャールズ・ブロンソンのマネージャーに「男性コスメティックのCMに出演して欲しい」と言ったら、「悪い冗談だろう」と笑われた。「ウチには良い俳優がいっぱいいるから、わざわざブロンソンにしなくても」と言われたけど、「いや、彼が良いんだ」と言って引き受けてもらった。
そのCMの撮影が、2時間長引いてしまった。あと3カットで終わるんだけど、時間は1時間しか残っていない。1カットにだいたい1時間かかるので、2時間オーバーする見込み。でも相手はハリウッド・スターなので、契約上、時間の延長は不可能だった。
「時間がないから、あの辺で適当にアップを」ということも考えたけど、実はそのアップは、特殊なことをやろうと楽しみにしていた重要なカット。「それを撮らないのなら、今すぐ日本に帰してくれ」と芸術家肌なカメラマンも主張した。
そうなると、もう監督がチャールズ・ブロンソンに直接お願いするしかない。「チャーリー、契約時間はあと1時間で終わるけれど、カメラマンがどうしてもあと1時間(さすがに2時間とは言えなかった)欲しいと言っているんだ」とお願いした。すると彼は腕時計を指でいじりながら「うーん、ちょっと待ってくれ」と言った。そして、どうやら夕食の約束をしていたらしい奥さんのジル・アイランドへ電話を掛け「すまん、良い仕事になりそうだから、彼らに1時間をプレゼントしようと思うんだ」と言って電話を切った。
でもそれで問題が解決したわけじゃない。足りない時間は2時間で、もらった時間は1時間。そこでスタジオへ戻って、スタッフにこう言った。「ブロンソンにお願いしたら、彼は時計の針を1時間巻き戻して“君の時計は何時だい?僕の時計はまだ○時だよ”と言ってくれた」と。
これはもちろん僕の創作なんだけど、みんな涙を流さんばかりに感動した。なにせ当時、ハリウッドのスターがただで時間をくれるなんて考えられなかったから。それでみんな映画人として意気に感じて、本来なら2時間かかるところをぴったり1時間で撮り上げた。
後にブロンソンが偉くなって、彼の自伝が出る時に、ライターがホリプロの堀プロデューサーからこの話を聞いたらしい。ところが堀さんは僕の話に騙された人の1人だったので、僕の作り話がそのまま自伝に載ってしまった。まあ、我が師、ジョン・フォードの映画の中の名台詞に「人々が伝説を信じ始めたら、我々は伝説を選ぶべきだ」という言葉もあるので、それはそれで悪くないけど。
僕の親友のプロデューサーは、チャーリーに「君自身の出た映画で一番好きな映画はなに?」と聞いたら、「ちょっと待ってくれ」と言われ、こう説明された。「僕はチャールズ・ブロンソンとしてハリウッドで9時から5時まで働いて、ギャラをもらっている。しかし映画を見るのは僕のプライベートの時間だ。僕のプライベートな時間は妻や子供たちと過ごし、絵を描いたりするために費やすので、少なくとも“Mr. Charles Bronson”が出ているようなタイプの映画を見る時間は、僕の人生の時間の中には無い」と。
そして彼は、その論拠として「僕は最後のハリウッド・スターだからね」とも言っていた。たとえば彼と撮影している時に、僕がこんな説明をしたとする。「君の心の中には西部の男で、心の中には西部の夕焼けがある、けれど今は東部のビルの中にいて、西部を想っている……」すると彼は「オービー(OB=大林)、ちょっと待ってくれ、心の中は映画には映らないよね」と言う人だった。
彼に言わせれば「僕の心の中に西部の夕陽があると信じさせるのは、君の演出だろう?僕にできるのは、君に言われたスピードで走ったり、君が望むように飛び上がったりすることだけだ。だからアクションだけ教えてくれ。それを僕は誰よりもチャーミングに的確にやってみせる。それが“スター”の仕事だ。もし僕が“アクター”なら、カメラに映らない“心の中の夕陽”を思い浮かべて演技をするけど、僕は“ムービースター”だから、画面に映る影として動いたり立ち止まったりするのが仕事なんだ」ということだった。
だから僕は彼に「3歩あるいて、そう、そのスピード、そこでクルッと回って、そこはもっと速く、そこで椅子に座って、帽子を取ってキュッと投げる……」なんて演出をした。ハリウッドのスターというのは、そういうもの。
だから有名な『カサブランカ』のハンフリー・ボガードだって、そうやって演出されている。「ボギー、今日はそこに座って、ちょっと笑ってくれ。君の得意な唇を曲げたニヒルな笑いで……もうちょっとニヒルに……はい、カット!OK!」演じている本人は何をやっているかわからないけど、それが編集されて映画になると、フランス国歌が盛り上がっている大感動のシーンになっている。映画というのはそういうもの。