SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2006年7月22日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「にわか名画鑑賞ブーム」

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 小説、そして映画にもなった『ダ・ヴィンチ・コード』のヒットで、書店には「名画の解説本」がたくさん並ぶようになりました。つまり今はちょっとした「名画鑑賞ブーム」というワケです。
 『モナリザ』『最後の晩餐』『ひまわり』『ヴィーナス誕生』『睡蓮』『踊り子』『落ち穂拾い』『ゲルニカ』『叫び』などなど、世に名画は尽きません。今日はそんな「名画」について、当店お客さまが教えて下さったお話をここで少しだけご紹介させていただきましょう。


皆神龍太郎さん(と学会運営委員)の

『ダ・ヴィンチ・コード』の話

 『ダ・ヴィンチ・コード』は本も映画も大ヒット。そこで私も『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』という本を書いて「本家の1%でも売れれば大儲けだ!」と思ったんだけど、0.1%にも届かなかった。
 たぶん『ダ・ヴィンチ・コード』の見方は、日本と欧米ではだいぶ違うと思う。アメリカとフランスでも違うらしい。たとえば、かつて『エクソシスト』というホラー映画があって、日本では単なるホラー映画だと思われていたけど、アメリカでは失神する人も出て社会問題になった。やっぱり向こうの人が持つ「アンチ・キリストに対する心の底からの恐怖」みたいなモノは、我々にはなかなか理解できない。
 だから『ダ・ヴィンチ・コード』のブームも、向こうとこっちでは雰囲気が違う。こっちでは教養書だと思っている困った人もいて、さらに教養書だと思ったまま人に勧めてしまうさらに困った人もいるくらい。
 ダ・ヴィンチ・コード(ダ・ヴィンチの暗号)とは「ダ・ヴィンチが自分の作品に、表立っては言えない秘密を隠した」というお話。その秘密とは「キリストには妻もいたし子もいて、その子孫もずっと続いている。そしてその子孫は、ダ・ヴィンチ自身も加わっている秘密結社が守っている」というモノ。
 たとえば「聖杯」も『ダ・ヴィンチ・コード』に登場する。これは、最後の晩餐の時にキリストがワインを飲むのに使った杯と言われていたり、キリストが磔にあって亡くなった時にキリストの流した血を受けた杯だとされているモノ。そして『ダ・ヴィンチ・コード』では「ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に、あるはずの聖杯が描かれていない」と指摘する。
 つまり、実は「キリストの血を受けたモノ」というのは、キリストの隣に描かれている女性がそうなのだ、と。その女性こそが、キリストの子を産んだ「マグダラのマリア」なのだ、というのが『ダ・ヴィンチ・コード』の説明。
 ところが、今はインターネットでも『最後の晩餐』は見ることができて、しかもけっこう拡大して見ることができる。そこでキリストの右手の前を確認すると、しっかり「杯」が置かれていたりする。ちゃんとワインも半分くらい注いである。それを「実は人間が……」と言ってしまうのはいかがなものか。
 そもそも「聖杯」が立派な金の杯だという思い込みがおかしい。たしかにそんな杯は『最後の晩餐』には描かれていない。でも当時、キリストたちは決して裕福な人々ではなかったので、そんな杯を使っているキリストたちを絵として描いたら、リアリティがなくなってしまう。だからリアリズムを大事にしたダ・ヴィンチは、あえて金の杯は描かなかった。
 それを勝手に「金の杯がない」とか言い出すのは、大発見でもなんでもない。それに世の中がアッと驚いているのも困ったモノ。

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中ザワヒデキさん(美術家)の

『レオナルド・ダ・ヴィンチ』の話

 レオナルド・ダ・ヴィンチは西洋絵画史の中で画期的な存在……というよりも、西洋絵画史そのもののスタートと言える。
 日本で言えば、工芸と美術は分離しないまま明治時代まで来ていた。実用品である襖などが芸術的な価値を認められてはいたけれど、実用を離れた芸術が追い求められることはなかった。しかし西洋では実用を離れて、芸術を芸術として鑑賞するという態度が早くから生まれた。その最初がダ・ヴィンチだった。
 西洋で言えば、中世に「神を描いた装飾品」で素晴らしい作品はたくさん生まれていた。でもそれらの品には作者の名前があまり残っていない。それは「作品」ではなく、あくまで職人の「仕事」として捉えられていたから。そこから脱却して芸術家という概念を創り出したのがダ・ヴィンチだった。
 ダ・ヴィンチが行った最大の発明は「絵画」。具体的には「キャンバス絵画」を発明した。それまでは壁に描かれていた絵画を壁から取り外して、持ち運びできるようにしたのがダ・ヴィンチだった。それによって「絵画を贈る」など、絵画が芸術品として流通できるようになった。
 実はダ・ヴィンチはけっこう描きかけの作品が多い。これはダ・ヴィンチが元祖オタクで、けっこう飽きっぽかったせい。でも逆にそれが良かった部分もあると思う。ある技術的な問題が解決して「このまま行けば描ける!」と思うところまでは仕事をするから。でもおそらくダ・ヴィンチは、そこで「あとはこのまま完成させるだけか」と思うと興味をなくしてしまっていたのだろう。そうなるとダ・ヴィンチは絵を完成させずに放り出してしまった。
 技術的な問題をクリアできなかった作品もたくさんある。それは主に絵の具の調合だった。絵の具の調合に失敗した絵で、完成はしたけれど後世に残っていない絵も、大作を含めてたくさんある。たとえば『アンギアーリの戦い』というフィレンツェ庁舎の壁画は、描いている側から絵の具が落ちていった。一応完成はしたものの、どんどん絵の具が落ちていき、フィレンツェ市民から「税金を返せ!」と裁判を起こされ、ダ・ヴィンチが負けたという記録も残っている。ダ・ヴィンチにまつわる逸話はそんなお話ばかり。
 絵の具の調合に失敗しかかりながらも、なんとか後世に残ったギリギリの作品が、あの有名な『最後の晩餐』。あの絵はつい最近修復されたけど、修復される前はまるで皮膚病のような画肌だった。
 ダ・ヴィンチの場合、とにかく絵を描くのが大変だったはず。普通は「この絵の具を使って」と考えるのに、ダ・ヴィンチは「今までの絵の具じゃダメだ!」と言い出す。これは大変な道のりだっただろう。
 その挑戦がたまたま全部うまく行ったのが『モナリザ』だった。むしろそれくらいしか全部うまく行った作品はない。それでも手の部分などは未完だと言われている。普通に考えれば十分に描かれているけど、見る人が見ればわかるらしい。

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石坂泰章さん(サザビーズ・ジャパン代表取締役)

『オークション』の話

 昨年、ピカソの絵が100億円くらいで落札されたり、3年前には120億円くらいで落札された絵もあった。だけど、そういうオークションは本当に特別な例。
 日常のオークションは、サザビーズだけでも世界で年間800回くらい催されている。大抵のオークションに出品されているモノは数十万〜数百万円ぐらいで、誰でも参加できる堅苦しくないもの。
 オークションに参加しようと思ったら、申込用紙にその名前やクレジットカードの番号を書くだけ。ただ、開催されているロンドン、ニューヨーク、香港などに行く必要はある。さすがに数億〜数十億円のモノが出品されるメイン・オークションに参加しようと思ったら、銀行の紹介などが必要になるけど。
 オークションに参加するなら実際に会場へ行くのが一番良いとは思うけど、電話での入札も可能。さらに電話でも都合がつかないときは書面での入札もできる。私も向こうへ行って、電話入札を受けてビットする役割を受け持ったことがある。緊張はしたけれど、100億円くらいの品でも3分くらいでパッパッと決まる。
 参加者は、自分が手を挙げていることを知られたくない時は、あらかじめ「メガネに手をかけている時は参加している」などと合図を決めておくこともできる。たとえばパウル・クレーの権威の画廊があったとすると、その画廊が堂々と手を挙げていたら「あの画廊が買うくらいなら良い絵に違いない」と値段が釣り上がってしまうことがある。そうならないよう、自分が参加していることを知られないための工夫もある。
 80年代末、日本人がオークションのセールに出ていた品物の半分以上を買っていた時期に、「一度手を挙げたら決して下げない」という意味で「ライジング・サン」と呼ばれた人がいた。最初は無謀に見えたけれど、その人が手を挙げると周りがすぐに下りるようになり、結果的に安く買えるようになったらしい。

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岩松是親さん(K.P.F.会長)の

『額縁』の話

 建物には昔、そんなに大きな窓はなかった。建物は壁で支えている部分もあるので、大きい窓を作るには柱を使う技術が必要だった。そして柱を中心にした建築構造が出てきて、窓が増えた代わりに、壁の面積が減った。
 そこで困ったのが宗教画。それまではキリスト様の絵を教会の壁に壁画として描いていたのが、壁の面積が減ってしまったのでそういうわけにもいかなくなった。そこで次に絵を描いたのが板だった。窓はステンドグラスになって、板に描かれた宗教画が祭壇にまつられた。
 宗教画が板になると「なにも教会だけじゃなくて、小型版を家に持ってきたらいいんじゃないか」と考えられるようになった。そこで額縁が必要になって、屋根が付いたような額縁が作られた。あれは「建物の中にキリスト様がいる」という設定で作られた額縁で、言ってみれば日本の仏壇のようなもの。そうやって「家に絵を飾る」という習慣が根付いていった。
 そもそも、絵画や額縁の出発はイタリア。ダ・ヴィンチなどが活躍したルネッサンス期に、額縁というものが工芸的に作られるようになった。そしてイタリアにいた職人達が各地に流れていって、各地で独自の文化を発展させていった。フランスなどはその典型で、イタリアから北へ流れていく職人はフランスを通過せざるを得ない。その時にフランスの王朝が「ちょっとここで作っていけ」なんて言っていたらしい。額縁に限らず、建築や絵画などもそういう風にして広まっていった。
 その額縁の文化がもっとも花開いたのは、フランスのルイ王朝期だった。当時の額縁は技術もスゴイし感性もスゴイ。おそらく、それだけのお金があったということなのだろう。なにせ額縁職人の地位が絵描き以上だった。
 ルネッサンス期の文献に、王様が絵画を発注した時の様子が残っている。絵描きと額縁屋が呼ばれて、王様が「大きさはこれくらいで、コレコレの絵を描いてくれ」と注文する。すると額縁屋は絵の構想を全部理解して、絵を描き上げる前に額縁を作ってしまっていたのだとか。
 画家から額縁屋に「こういう額縁を」と発注するようになったのは、美術という括りが出てきた最近の話。ルネッサンスの頃は絵と額縁が同時発注だった。だから様式というものがハッキリあった。

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早坂優子さん(視覚デザイン研究所編集長)

『絵画の見かた』の話

 多くの名画の解説本には「このように素晴らしい!」と書いてある。褒めてないことはまずない。ところが実際の画家には、けっこう好き嫌いがある。
 たとえばルノワールは、ロココ時代の絵が大好きで、自分も構図に取り入れたりしている。その一方で、バロック時代のちょっと暗い時代の絵は「こんなのはクソだ!」とけなしていたりする。人に読ませるための文章じゃないから、みんな好きに見て好きに感想を書き残している。それをまとめたのが『巨匠に教わる絵画の見かた』という本。
 この本の前に『マリアのウインク』『ヴィーナスの片思い』という本も作った。これはヨーロッパの絵のほとんどがキリスト教かギリシャ神話に由来していることを解説した本。たとえば羽が生えていれば天使かといえば、実はキューピッドという存在もいる。天使はキリスト教のモノだけど、キューピッドはギリシャ神話に登場する神様の1人。そういうことをまとめた本。
 ビーナスはキューピッドの母親で、片思いに悩んでいる。でもそれが旦那さんにバレて、そのシーンも絵の題材になっていたりする。裸の女性が1人と男性2人の絵だけど、そういう設定をわかって絵を見るのと、わからずに見るのとでは、受ける印象がだいぶ違うと思う。考えようによっては「浮気の現場を押さえた」という絵だし。
 ただ、実際は裸の女の人を描きたいがために、そういうテーマをいろいろこじつけて作っていたというのが本当のところだったらしい。当時は「ただの裸」じゃダメで、「実はコレはビーナスなんです」というお約束があればOKだったみたい。
 でもある時、マネという人が現れて、宗教や神話と無関係な生の裸を描いた。マネはもの凄く非難されたけど、そこから印象派が生まれ、新しい絵画の時代になっていった。そんな風に、昔から女性の裸は芸術とは切り離せないものだった。

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■ 放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
8'36" Bolinha De Papel Joao Gilberto World Pacific CDP 7 93891 2
18'40" Teach Me Tonight Elisa Fiorillo King KICJ 443
25'11" Too Darn Hot Stacey Kent Candid CDD 79797
33'57" Don't Be That Way Janet Seidel fab. MZCF-1006
45'56" I Just Found Out About Love John Pizzarelli Telarc UCCT-1111


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