SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2006年6月10日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「引き際」

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 始まりがあれば、終わりがあるのが世のことわり。スポーツ選手でも会社員でも、あらゆる人にいつか「引き際」は訪れます。ボロボロになるまで続ける人もいれば、惜しまれつつもスパッと身を引く人もいますが、引き際を決めた時の本音というのは、なかなか伝わってこないものです。
 今日はそんな様々な「引き際」について、当店にいらっしゃったお客さまが語って下さったお話をここでご紹介させていただきます。そして惜しまれつつも退く決断をした皆さんには、心から「ありがとうございました」という言葉を贈りたいと思います。

 


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倉敷保雄さん(フリーアナウンサー)の

『ジダンの引き際』の話

 いよいよドイツW杯が始まった。でも数週間ほど前、日付で言えば4/25に、ジダン選手がフランスのTV局のインタビューに答え、このW杯で現役引退することを表明した。
 彼は17歳でプロとしてのキャリアをスタートさせた。そしてチームが変わるごとに彼は上手くなっていったし、所属したチームを必ず強くしてきた。それは多くのモノを多くの人に、多くのチームに与え続けてきたサッカー人生だったと言える。
 そんな彼が34歳で引退を決意したのは、他の人が考える34歳とは違うからなのだろう。彼には「ジダンだから」という言葉が常について回る。それはある時「ジダンなのに」という言葉にも変わる。だから自分が思い描いているプレーが出来なくなったら、そのプレーで人を納得させることが出来なくなったら、彼はやめようと思ったのだろう。
 ジダンの一番の良さはどこにあるか、現在イタリア代表監督を務めるリッピがこう言っていた。「とにかく人を使うことの上手さ、さらにチームを上昇させるために自分が犠牲になる精神、そこにジダンの一番の凄さがある」と。またプラティニはこう言っている。「彼はプリマドンナではなかった。常にフォア・ザ・チームの気持ちでチームを勝たせてきたタイプの人間だ」と。ジーコ監督も、彼の大ファンだったと言っている。「ジダンは次の世代にいろんなモノを手渡してあげられるプレイヤーだから、まだやれるはずだし、彼のプレーをもっと見たかった」と。
 サッカーというスポーツは、1人でフィールドを走るのは不可能な競技。必ず相手の選手がマークに付いて邪魔をする。ところがジダンの一番良い時は、目の前に誰も居ないかのようなスペースを創り出す魔法のような力を持っていた。そして磁石のS極とN極がボールと彼の足に入っているかのように、ピタッと足にボールが付いていた。
 「マルセイユ・ルーレット」という技も有名だった。足の裏を使ってボールをコントロールしながら、クルリと体を反転させてマーカーを振り切るテクニック。素晴らしい選手は皆、オリジナルの技を持っているけど、ジダンにとってはこのマルセイユ・ルーレットがその技だった。
 往年のレアル・マドリッドの名選手で、現在は名誉会長を務めるディステファーノという人は、ジダンをこう表現している。「彼はフィールドの中で絹の靴をはいてプレーしているようだ」と。またある選手は、たしかプラティニだったと思うけど、こうも言っている。「彼は最高のパサーであり、最高のドリブラーであり、最高のボール・コントローラーである」と。
 ジダンはあたかもバレエ・ダンサーのようなプレイヤーだった。ボールをコントロールする時は地球の重力を観客に意識させ、宙を舞って空中さえも自在に使う。印象的だったのはチャンピオンズ・リーグの決勝戦で、レバークーゼンというチームと戦った試合での出来事。ロベルト・カルロスが「なんとかして」と言わんばかりのフワッとした20mくらいのパスを、ゴール前にいたジダンに送った。するとジダンはそのボールを素晴らしいボレー・シュートでゴールに叩き込んだ。あのシーンを見た時の鳥肌の立つような興奮は今でも忘れられない。
 そんな風に、普段はチームのためにプレーしながら、いざという時は自分で決めることもできるのがジダンという選手。だからこそ若い頃から「プラティニの後継者」と呼ばれた。今回のW杯で引退してしまうジダンのプレーは、絶対に見逃せない。

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清水真人さん(日本経済新聞社)の

『小泉首相の引き際』の話

 私たちの職業では本来「予測」は危険だけど、小泉首相に関しては100%間違いなく辞めると思う。もし本人に続ける気があれば、去年の総選挙で大勝した時に「続けたい」と言えば、反対するのは難しかったはず。
 「小泉にオフレコ無し」と言われるくらい、昔から小泉さんは表裏のない人だった。ちょっと古風な大和魂的気風とでも言うのか、潔さや引き際の美学を大事にしている。桜はパッと散るから美しい、という考えの人。
 だから小泉さん本人が昔から言っていることだけど、「担がれる時は人に担がれるのは構わない、でも退く時は自分1人で決める」のだろう。その言葉の通り、総裁選に出馬する時は「出てくれ」という周囲の意見に耳を傾けて決断した。そして退く時は周囲がなんと言おうが、本人が辞めると決めたら変わることはないだろう。
 正直、小泉内閣がこんなに続くとは思わなかった。そして小泉内閣で印象的だったのが、内閣総理大臣の権力の強さ。良くも悪くも、あれだけ強烈な指導力を日本の総理大臣が発揮できるというのは驚きだった。
 これまでの総理大臣といえば、自民党の派閥の親分が権力を持っていて、総理はそのパワーバランスの上にフワッと乗っているだけ、誰がなってもあまり変わらない、とみんな思っていた。それが小泉さんになって急に変わったということではなくて、少しずつ変わっていったのだと思うけど、やっぱり「内閣総理大臣が中心となって物事が進んでいくのが日本の政治の仕組みじゃないんですか?」という問題提起をしたのが小泉さんだったと思う。
 閣僚の人事は誰にも相談しない、という小泉さんのやり方も、最初はずいぶんと驚かれた。「それって派閥が談合して、順番を決めて選ぶんじゃなかったっけ?」とみんな思ったけど、よく考えればそんなことは憲法にも法律にもどこにも書かれていない。総理大臣が任命するのも罷免するのも、法律的には小泉さんのやり方が当たり前。でもそれまでの惰性で、みんな談合が当たり前だと思っていた。小泉さんは自分の流儀を5年間やり続けたから、小泉さんの口癖通り「やればできる」ということだったのだろう。
 ちなみにこの小泉さんの口癖、愛媛県の済美高校が2004年頃に甲子園で優勝して、校歌の「♪やればできるは魔法の合い言葉」という一節が流れた時に、小泉首相が「コレだよ!」と膝を打ったのが最初だったらしい。まさに小泉首相の5年間は「やればできる」の日々だった。
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林家木久蔵さん(落語家)の

『円楽さんの引き際』の話

 本来、落語家に引退はない。たとえばウチの師匠も86歳で高座を務めていて、悪いところもないのに健康診断で病院に行ったところ、そのまま老衰で大往生したという「生涯現役」の人だった。円楽さんみたいに「辞める」と宣言する人はめったにいない。
 円楽さんの引退宣言を聞いて「もったいない」と止める人はずいぶん多かった。でも笑点の大喜利などでも、回答者の答えに対して洒落たことが言えないと悩んでいたらしい。それから人の名前が出てこないとも言っていた。こんなに付き合いの長い僕でさえ「黄色い人」と呼ぶこともあった。
 辞めるというのは実に潔いことで、後輩に道を譲るということでもある。『笑点』では歌丸さんが司会者に昇格して、昇太さんがメンバーに入った。自分が辞めることで、職場で後輩のために席を1つ空けるというのは、どんな仕事でもなかなかやれないもの。
 引き際をテレビでちゃんと見せたのも大したものだと思う。テレビに出られる人は、なかなか「今日で終わり」とは言えない。もちろん病気のこともあっただろうけど、潔く「辞める」と言ったのは立派だった。
 実は数年前から病気の兆候はあって、番組が始まって、まだ1問しかやってないのに「笑点はこれにてお開き」と言ってしまうことが時々あった。「師匠!師匠!2問目は?!」「わかってるよ、勝手にやりゃあ良いじゃないか」なんてやり取りも面白かったんだけど、今にして思えば本気だったのだろう。
 辞めると聞いて、メンバーは引き止めたりはしなかった。本人の判断は尊重してあげたいし、マジメなことを言えば半分は放送局のキャスティング的な判断という側面もあるわけだから。
 円楽さん自身からは、スタッフや出演者が揃っている場で「僕はもう見ている方が楽しいから」と淡々と説明された。「名前が出てこないったって1回か2回のことで、リハビリやればいいのに」と思ったのは事実。
 その後、実はウチのきくおなんかは円楽さんのところへ行って、落語の稽古をしてもらったりしている。だから円楽さんは落語をやめたつもりはないみたい。ただ、それを商売としてやるのは怖い、ということなのだろう。NHKから出した『円楽全集』というDVDがあるので「私の芸はそちらをご覧下さい」とも言っていた。
 その辺は円生師匠から伝わる完璧主義なのかもしれない。僕の落語などはアドリブが多いし、途中で切れても「ああ、忘れちゃった」で済ませられるけど、三遊派の落語はそうじゃない。落語の本道としてピシッとした落語を心掛けている。
 そんな次第で、一線は退いたけれど、円楽さんは今でも元気にしている。それは見事な引き際だったと思う。

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八木沼純子さん(プロフィギュアスケーター/スポーツコメンテーター)

『荒川静香さんのプロ転向』の話

 荒川静香さんは一番大きな大会で、誰もが夢見るオリンピックという舞台で、金メダルという一番上のメダルを獲った。ではその次に目指すものは……となったら、プロの世界で自分がどういうスケートを見せることができるか、という戦いに挑む決断をするだろうと思っていた。
 もちろん選手によって考え方は違う。ずっとアスリートとして競技会で活動していきたいと考える選手もいる。その一方で、荒川さんのように新しい方向へ進むことを選ぶ選手もいる。静香ちゃんの場合はオリンピックで金メダルを獲ったし、以前からショーの世界に憧れていたので、そちらへ行きたいという気持ちが強くなったのでは。
 今、私と一緒に練習をしているけど、実は彼女が大学生の時からずっと一緒なので、あまり何かが変わったという実感はない。よく「クール・ビューティー」なんて言われ方をするけど、素顔の彼女はすごく明るくて、よく喋るお茶目な女性。
 フィギュアスケートは見た目よりも体力を使うスポーツ。足だけの運動のように見えるけど本当は全身運動で、ジャンプを跳ぶためにも足の筋肉と上半身の力をバランス良く使わなくてはいけない。だからウエイトトレーニングもするし、バレエやダンスを習ったり、氷上以外の練習もけっこうする。
 だから競技からは引退しても、荒川静香さんの挑戦はまだまだ続く。

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高阪剛さん(格闘家)の

『格闘家の引き際』の話

 5/5に『PRIDE無差別級GP』でマーク・ハントと戦ったのは「勝負がしたかった」というのがその理由。マーク・ハントとの勝負もそうだけど、自分自身との勝負でもあった。
 あの試合、実は途中から記憶がない。ラウンドをまたいだことも後から聞かされて「あ、そういえば椅子に座ってたな」なんてことをボンヤリ思い出していた。
 パンチを喰らうと脳震盪を起こす。それが何回も重なるとだんだん目の前が暗くなってきて、体は動いているんだけど意識がないという状態になる。過去に2〜3回そういう経験はあったけど、今回は一番深かった。
 だから試合を止められた時に、なんで止められたのか全然わかっていなかった。セコンドの高橋さんに「俺、倒れたんですか?」と聞いて、「そうだよ」と教えられてやっと状況がわかった。あの試合はそんな試合だった。
 あの試合、家で録画するのを忘れていたので、まだ見ていない。試合前に録画なんてことに気が回るような精神状態じゃなかったとも言える。だから具体的にどんな試合だったかは、まだ知らない。
 引退することは、去年の年末くらいから決めていた。そしてその引退試合は『グランプリ』というトーナメントにしようと思っていた。ただ、そこに出場するには『PRIDE31』でマリオ・スペーヒーとの試合に勝たないと話にならなかった。そこで勝てたので、引退することを打ち明けた。
 そもそも僕は柔道から総合格闘技の世界へ入る時に、心に決めていたことがあった。試合というのは命をかけてやるものだから、その中でもちょっとでも引く自分が現れたら、もう試合をやる資格はない、と。
 その「引く自分」を初めて感じたのが去年の10月の試合だった。最初は負けたことが悔しくて仕方がない、という部分だけを感じていた。でもなぜそこまで自分が悔しがっているのか改めて考えてみたら、試合の最中に「嫌だなぁ」「ここでブレイクになってくれたら……」なんて少しだけ考えていた自分に気付いてしまった。そういう気持ちが負けにつながっていた。
 戦国時代の戦いなら、負けはすなわち死。だからそんな引いた気持ちで試合をするのは、自分で許せなかった。ただ、引いたまま終わるのは嫌だったので、最後にもう1回だけ前に出て終わりにしようと思った。そしてその最後の戦いは、世界から強い奴らが集まる『PRIDE無差別級GP』にすることにした。
 そんな経緯なので、最後の試合に負けたことは悔しいけど、試合を最後にしたことに関してはまったく後悔はない。

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■ 放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
9'18" There Will Never Be Another You Four Freshmen Capitol 72438-19175-2-7
19'18" Please Don't Talk About Me When I'm Gone Dean Martin Capitol CDP 7243 8 29389 2 7
30'06" The Glory Of Love Jackie & Roy KOCH KOC-CD-7927
40'29" Riding High Peggy Lee Capitol 7243 8 54543 25
47'08" Marie Steve Laurence Jasmine JASCD 600


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