「古今東西のミステリーの中からベスト10を選ぶ」みたいな仕事の依頼fが時々来る。ところがこっちが「絶対にこの10冊だよな」と思っていても、「今の読者に伝える情報なので、手に入らない本はやめて下さい」と言われてしまうのが困りもの。名作なのに絶版になっている本はけっこうある。
そして今年『本の雑誌』が30周年を迎えて「過去30年のあらゆる本の中からベスト30を選ぶ」という大胆な企画が行われた。この1位に選ばれた本が、長らく絶版となって手に入らなくなっていた本だった。今はウチがNo.1に選んだので、再販されたけど。
その作品とはH.F.セイントの『透明人間の告白』。新潮文庫から上下2巻で出ている。後に映画化もされているので知っている人もいるかもしれない。
物語は主人公が突然、透明人間になってしまうところから始まる。100年以上前にH.G.ウェルズが『透明人間』という古典名作を書いた時は、透明人間が「自分はいったい何者なのか」というレゾンデートルを追求した。ところが現代の透明人間は「どうやって会社に行こう?」と考える。
透明人間では会社にも行けない。スーパーで買い物もできない。レストランで食事も出来ない。生活のあらゆる事を考えなくてはいけなくなる。
しかも、透明になった途端、街はいきなり危険な場所になる。横断歩道が青になったから渡ろうとしたら、無謀なドライバーが「誰も通ってないから」と突っ込んでくる。急いで走っている人が追突してくる。透明人間は前後左右、全部に注意しながら歩かなければいけない。
その透明人間のことを嗅ぎつけた情報機関が、なぜ透明人間になったのかを調べようと主人公を追い掛けてくる。もちろん主人公は実験材料にされたくないから逃げる。ニューヨークを舞台に、透明人間と情報機関のサバイバル・ゲームが始まる。
そんなアイデアとプロットが抜群に良い上に、心情的な表現も優れている。透明人間になってしまった主人公は、誰とも話ができずに寂しい思いする。そこで友達の家で行われているパーティーにこっそり入り込み、隅の方で懐かしい友人たちの声に耳を傾けている。このシーンはとても切ない。
なおかつ、後半には恋愛も関わってきて「透明人間はどうやって恋をするのか」という恋愛小説にもなる。上下2巻でけっこう長いけど、読み始めたら一気に読み終えてしまうはず。
この本は『本の雑誌』編集長の椎名誠、発行人の浜本茂、顧問の目黒考二、3人が揃って1位に挙げた、ぶっちぎりのNo.1だった。2位はライアル・ワトソンのノンフィクション『風の博物誌』。これは編集長の熱烈な推薦でランキング入り。3位は隆慶一郎の『影武者徳川家康』。これは「日本の歴史小説を変えた」と言われる大作。
隆慶一郎さんはもともと池田一朗という名前で脚本家として活躍していた人で、ずいぶん歳をとられてから時代小説家に転身して、たった5年の作家活動で亡くなられた。その隆慶一郎さんの最高傑作が『影武者徳川家康』。
徳川家康に影武者がいた、というのは昔からあった説。それをどういうドラマにするかが勝負で、隆慶一郎さんは網野善彦さんの中世研究を背景に「全国を放浪する芸人のような、最下層と考えられている人たちは、実は自由に生きた民だった」というお話にした。だから時代小説でありながら、徳川家康が主人公でありながら「自由を追求する」というお話になっている。人々が自由に生きるためにはどうしたらいいのか、そのために国をどう作ったらいいのか、そんな話。
骨太の歴史小説であると同時に、ものすごくドラマチックで肉感的。文章も上手いし、これも読み始めたら一気。