消費税の導入で文庫のカバーが一斉に掛け替わった時に、売れない文庫本は一気に絶版になった。たとえば当時から僕が好きだった角川文庫の横溝正史の100冊シリーズは、いつでもどこでも本屋さんに並んでいるものだった。それを「今日はどれを買おうかな」なんて買って、家にたまっていくのが楽しみだった。
それが消費税の表記のために一度全部引き上げられた。そしてお金を使ってカバーを掛け替えても売れる見込みのないモノは、そのまま絶版に。どこの出版社もそれをやったので、ある日を境に横溝正史のシリーズがどこにも無くなった。それで「いつまでもあると思ってちゃいかんのだ」と気付いて、慌てて買い逃した横溝正史の作品を古本屋で探すようになった。
当時、森村誠一や高木彬光の小説がいっぱい映画になって、角川も個人全集を目指してみんな50冊とか100冊の文庫シリーズになっていた。それが5冊とか10冊を残して絶版になってしまった。
そんな事情で集めた文庫本の蔵書がウチには並んでいる。江戸川乱歩と横溝正史だけは専用の本棚を作って、それ以外は並べて綺麗なように出版社別になっている。横溝正史の代表作と言われるような作品だといろんな出版社から出ているので、手に入る限り集める。友達は版が替わると買っているくらい。さすがに僕はそこまではしないけど。
僕の友達には、本に負けた連中が山ほどいる。みんな布団の場所以外は全部本で埋まっていて、中にはベッドにまで本が積み上がっているせいで、どこにベッドがあるかわからない人もいる。だから寝る時は寝る場所を探して寝ている状態。
「あの本見せてくれ」と行って訪ねていくと「ごめん、奥だから出せないや」と言われる。結局、そのうち本人も書評を書かなくちゃいけなくなって、その本を持っているのに買いに行くハメになる。だから同じ本を何種類も持っている。
僕はそういうのが嫌で、必ず本の背が見えるように並べている。もし本棚に二重に並べるなら、後ろの本をちょっと上に上げて、必ず背は見えるようにする。その台にするのは本当に読まない本。
でも売っている本棚は、本好きな人が作っていないから無駄が多い。大抵、5段の棚あったら3段目あたりが固定してあって、ものすごく使いづらい。そこで「売っている本棚はダメだ!」という結論に達して、自分で金槌を持って釘を叩いて本棚を作るようになった。
自分で本棚を作ると、文庫がこれだけあるから文庫を8段にするとか、新書2段と文庫6段にするとか、持っている本に合わせて融通が利く。ただ本は重いので、30〜40cmくらいの幅にしておくのがコツ。これなら日曜大工の店で売ってる板と普通の釘で十分な本棚が作れる。
日曜大工のお店に行って、大きな板を買う。それをお店の電動ノコギリで切る。普通、そのノコギリは「1ノコギリ30円」などと値段が決まっている。そうすると、うまく図面を取れば5回で切れるのに、変な取り方をしたために10回になって、150円余計にかかってしまうと悔しくなる。その図面を考えるのもパズルみたいで楽しい。
そうやって作った本棚は、階段の下や窓の下のデッドスペースなど、家の隙間を有効に活用できる。
僕は古本屋で古本を買ってくると、新しい本を倉庫にしまう。それはどんどん部屋をくすませたいから。僕の部屋は窓を閉め切っていると古本屋の匂いがする。そんな入れ替えを繰り返している内に、部屋の中は戦前の本ばかりになってしまったから。
でも古本は僕の本であって、僕の本じゃない。古本の流通は誰かが死ぬから流通が成り立っている。ある日、神保町の専門店をのぞいてどっと古本が入荷しているのを見かけると「……誰か死んだんだ」と思う。そういったわけで、古本は僕の本であって僕の本じゃない。傷めないように大事にしなくてはいけない。
中には有名な作家の蔵書だったモノも混じっている。そういう古本にはいろんな作家からサイン入りで贈られたモノもあって、知らない名前が実は有名な作家の本名だった、なんてこともある。それでまた値段が付けられる。