世間では、催眠術は「対象者を眠らせて、意のままに操る」なんてイメージがあるけど、本当の催眠術は眠らせるわけでも、意識を飛ばすわけでもない。理性を静め、本能に身をゆだねるようなリラックスした状態にして、心の健全さを取り戻すための暗示を受け入れやすくする、心理療法の技術の1つ。
具体的には、たとえばカウンセリングの場では、こんな風に言う。「リラックスして座って下さい。目を閉じて下さい。肩の力を抜いて下さい。今から自分が思い浮かべた通りの行動を取って下さい。」こんな感じで「〜して下さい」と言って、自発的に行動してもらう。
だから「鳥になった気分で空を飛んで下さい」と言われた場合も、その通りにする。無意識にそうなるとかじゃなくて、そうするのがカウンセリングの一環だから。そうやって自由なイメージに乗って遊び、実際に体を動かすことによって、理性は静まる。音楽にのって踊るのにも同じ効果があって、体感的なところに意識が向いていくので、理性の意識水準が低下する。
人間の理性を低下させる方法には2つある。それは自律神経系の交感神経に訴える方法か、副交感神経に訴える方法。交感神経に訴えるのは緊張や運動で、踊りまくったり何かのスポーツに入れ込みまくれば理性は低下する。副交感神経の方は逆にリラクゼーション。森林浴やモーツァルトを聴いたりとか。まったく逆のようだけど、どちらもトランス状態にするという意味で、理性を低下させることができる。
人間の意識をたとえれば、卵のように理性(白身)が本能(黄身)を覆っている。もともと子供の頃には黄身しかなかったのに、大人になるに釣れてだんだん白身の部分が厚みを増す。だから「〜しなさい」などと言われた時に、本能へ届く前に理性の方が反発する。「なんでそんなことしなきゃいけないんだろう?」なんて事をつい考えてしまう。そこでトランス状態にして理性を静め、むき出しになった黄身に直接働きかけることで、心理療法を行う。この人為的にトランス状態を作るのが「催眠誘導(催眠術)」。
映画にも同じような技法が用いられている。緊張するシーンと弛緩するシーンを交互に繰り返す。しかも最初は現実に近い方向から入って、だんだん空想的な方向に向かう。これに人が付いてくる速度は、その人のトランス状態が深まっていく速度。催眠誘導も最初は「夏だと思って下さい」なんて一般的なところから入る。そしてトランス状態がかなり深くなってから「宇宙空間に漂っていると思って宇宙遊泳して下さい」と言えば、割と抵抗なく動けてしまう。
人によっては「あなたは赤ん坊です、お母さんがどこかに行ってしまいました、とても悲しい気持ちです」と言えば、本当に泣き出す。これはつまらない映画のラストのお涙頂戴な場面でもつい泣いたりしてしまうのとまったく同じ。そこまでの誘導さえ上手くいっていれば、理性が剥がれて泣いてしまうもの。
催眠誘導も2時間だし、映画も2時間。それくらいの時間が人をトランス状態にするのにちょうど良いのだろう。というか、映画は催眠誘導そのもの。観客は2時間座っているだけなのに、突然泣いたり笑ったりする。しかも監督なんて普段どんな生活を送っているかもわからないのに、素晴らしい人だと思いこんで信奉者になったりする。まさに催眠誘導であり、集団催眠。