SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2005年8月27日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「海辺の生活」

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 今日は私、森下がAVANTIで働かせていただく最後の週末……と張り切ってお店に来たところ、なんでも最後にスタンさんの「卒業試験」があるのだそうです。落第して来週も、なんてことにならないよう頑張りますが……試験って言われるとつい緊張してしまいます。
 気の早い常連のお客さまは、私のお店が湘南の外れにできることから「海辺の生活」のお話で盛り上がっていらっしゃいます。今日はそのお話をここでご紹介させていただくことで、少しでも緊張をほぐしたいと思います。平常心、平常心。


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宮本亜門さん(演出家)の

『沖縄の生活』の話

 沖縄県民になってもう8年。沖縄本島の南の玉城(たまぐすく)村に住んでいる。その村は沖縄本島南部の中でも東側になる。西側は「ひめゆりの塔」などもある南部戦争の激しかった地域で、東側の知念・玉城は神々の里と呼ばれていた静かな場所。
 僕が住んでいる場所は入江になっていて、目の前は沖縄独特の琉球石灰岩が2kmも続く遠浅の海になっている。そこにはカニをはじめとしていろんな生き物がいて、干潮の時には2kmの“畑”となって姿を現す。
 特にそのあたりは沖縄の海苔「アーサー」の産地で、アーサーはみそ汁に入れても天ぷらにしてもすごく美味しい。このアーサーの時期になると、干潮の時間帯には入江全体がきれいな黄緑色の畑になる。そして満潮になると深い青い海に戻る。夜は夜で月の道がまっすぐこっちに向かってくる。本当に美しくて素晴らしい場所。
 ここに住むようになったきっかけが、自分でもよくわからない。あまりにも惚れ込み、突然土地を購入し、家を建てた。事務所からも「どうするんだお前は!」と反対された。いわば人生最大の衝動買いみたいなもの。
 今、僕の家が建っている場所に初めて立った時に、来たこともないのにすごく懐かしさを覚えた。「ここにいると自分が変わる!」と直感して、そこに住もうと思った。でもそれを人に言うのが恥ずかしくて何年か悩んで、それでも我慢しきれずに、そこに住むことにした。
 実は僕は銀座の生まれで、自然のことなんか何も知らない人間だった。それがずっとコンプレックスで、サーフィンをやってる真木蔵人に「亜門さん、海から陸を見なきゃダメだよ」なんて言われて、そういう生活に憧れていた。でもまさか本当にそういうところに住むとは思ってもみなかった。
 とにかく条件は「海の見える家」だった。家なんだけど半分外、みたいな家が理想。フランク・ロイド・ライトの「落水荘」みたいな、自然の中に溶け込んだ家にしたかった。
 ただ、とりあえず今までは何度かの台風を乗り越えたけど、すごいのが来たら間違いなく水が入ってくる。その時のために1階の床は全部石にしてある。地元の人には「普通はこんなところに建てないね、やっぱり大和人(やまとんちゅ)だねぇ、これはタイタニック邸だよ」と散々な不評。
 でも沖縄にいると台風は楽しいモノ。自分だけじゃなくて、みんな「大変だ」と言いながらも絶対ウキウキしてる。台風が来るという予報が出ると、電話が多くなって、みんなで集まって、停電になると大騒ぎして喜んでる。台風が来るとみんな童心に戻るみたい。もちろん僕もそんな1人。
 今は1年の半分以上をそこで過ごしている。明日からまた帰って、とりあえず雑草取り。沖縄の雑草はとにかく育つのが早くて、土があればどこでも観葉植物がひしめき合うように咲く。台風がそれを全部なぎ倒してくれるのはありがたい。
 そして台風で折れたブーゲンビリアの葉は、その後にものすごくきれいな新芽を出す。沖縄の葉っぱがあんなにツヤツヤしている理由はそれもあるような気がする。

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山口達也さん(タレント)の

『湘南の生活』の話

 僕は生まれは埼玉。もちろん海には縁がなくて、泳げなかったし、海は嫌いだった。でも今は海のすぐ近くに住んでいる。
 海辺の暮らしは、サーフィンをやる上では恵まれているけど、海風が吹くと塩が舞うから大変。134号線を車で走っているだけでフロントガラスが真っ白になるくらい。だから休みの日には窓拭きをしたり洗車をしたりしている。
 家からサーフ・スポットまでは歩いていける。鵠沼、辻堂、茅ヶ崎あたりは、砂浜があって防砂林があって住宅街という構造なので、海が見えない。でも七里ヶ浜、稲村ヶ崎、由比ヶ浜は町からすぐに海。その分、気持ちが良い。
 海を見て「今日は波がある、行かなきゃ!」と思った時に、マネージャーが迎えに来てたりするとガッカリ。でもマネージャーもサーフィンをやるので、気持ちはわかってくれる。仕事だからどうしようもないんだけど。
 地元のサーファーと遠くから来た人の間に起こる問題は永遠のテーマだと思う。海のルールやマナーもさることながら、路上駐車など地元の人が困るようなことをしても「オイオイ」と問題になる。地元のサーファーは波が無くても大きくても毎日海に入って、ビーチ・クリーンもしている。そこに遠くから車に乗ってサーファーがやってきて、そこら辺に路駐して、波が良い時だけ入って、たばこの吸い殻を捨て、挨拶もせずに帰るようだと、やっぱり問題になる。そこにはルールブックはないけれど、やっぱり最低限のルールというかマナーはある。それはサーフィン界うんぬんじゃなくて、人としてのルールやマナー。
 たとえばバーでも、いつも常連さんがカウンターに座ってマスターと喋っているお店があったとする。客がいてもいなくても、いつも来て1杯飲んで帰っていくような“常連”のお客さんがいる、そんなお店。そこへたまたま観光客が大勢入ってきて「おう、いい店じゃん」なんて言いながらカウンターを独占し、ゲラゲラ笑いながら飲んでいたら、さすがにマスターが「すみません、こちらの席は常連さんが来るので、こちらのテーブル席へお願いできますか?」と言うはず。それでも中には「いいじゃねぇかよ、空いてるんだから。こっちは客だぞ」なんていう人もいる。マナーを守らないサーファーもそんな感じ。
 逆に「あ、じゃあ常連さんが来たら僕たちどきますので、それまでスミマセン」と一言あれば、全然違う。常連さんだって「どきます」と言われれば「いいよいいよ、今日は俺たちこっちに座るから、そこで飲んでいきなよ」という話になる。サーフィンで言えば良い波が来た時に「行け行け」と言ってくれるとか。後でちゃんと「ありがとうございました」と挨拶をすれば「おう、いまの良かったじゃん」なんてコミュニケーションが生まれて「今度はこっちが向こうにいい波を譲ろう」という気にもなる。そうこうしている内に仲良くなって「今度、良い波が来たら教えるから電話番号教えてよ」なんて。
 こういう文化は世界で共通だと思う。

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長谷川理恵さん(モデル)の

『ハワイの魅力』の話

 初めてハワイに行ったのは、10年くらい前に『CanCam』の読者モデルとして最初に撮影に行った時だった。でもその後、ホノルルマラソンに出場するようになって、ハワイに対する意識やイメージが完全に変わった。
 ホノルルマラソンはハワイらしいコースというか、アップダウンがあって記録を狙うのは難しいけど、景色を楽しむことができる。それからクリスマス・シーズンに行われるので、アメリカらしい華やかな飾り付けがしてあって楽しい。
 そして何よりもハワイの人々の暖かさ。知り合いでも何でもないのに「Good Job!」「Great Job!!」なんて応援してくれる。しかもあの大会の運営はボランティアの人が支えている。去年の大会で印象深かったのが、給水ポイントに選手が来た時にボランティアの人たちが「俺が渡すんだ!」「私が渡すんだ!」みたいな感じで、彼ら自身もすごく楽しんでいたこと。そういう明るさがハワイらしいし、走る方としてもものすごく励みになる。走る人も応援する人も、全員が楽しめるという雰囲気が楽しくて、私はホノルルマラソンに参加し続けている。ちなみに今年で6度目のチャレンジ。
 今はサーフィンもやるようになったので、ハワイに行くと必ず寄るサーフショップができた。オアフ島の『Surf Garage』というお店で、日本人が経営しているお店。私の“ハワイのサーフィン”のコーチでもあるので、ハワイでサーフィンをやってみたいという人はこのお店へ行くと、安全で楽しいサーフィンを教えてくれる。
 マウイ島ならハナ・マウイというホテルが最高だった。コテージがいっぱいあって、気分は完全にセレブ。交通の便は良くないけど、だからこそ良い。お花がいっぱい咲いていて、海の水色、花の赤、土の茶色のイメージが強烈。
 ちなみにそのホテルの周りにはお店も全然ないんだけど、1軒だけ「ハセガワ・ストア」という古いお店がある。偶然かもしれないけど、たまたま私と同じ名字。私はきっと、ご先祖様にハワイの人がいたに違いない、なんてそのお店を見て信じている。

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川崎一平さん(東海大学海洋学部教授)の

『八重山諸島の現実』の話

 石垣島の人口は約4万人。その内の4000人程度が「幽霊人口」だと言われている。住民票も戸籍も石垣島になく、ただ石垣島で暮らしている人がそれだけいる。
 僕も昔から老後は石垣なんかで暮らしたいなぁなんて思っていたけど、甘かった。島の人たちは「大きな波(外から来る人)に打ち寄せられて、石(自分たち)がどんどん小さくなっている」と表現する。外から来る人というのは、老後を過ごすために来る人だけじゃない。若い人が片道切符で来るケースもある。そういう若い人たちは貝殻をアクセサリーにして観光客に売るところからはじめて、ダイビング・ショップの経営、そしてやがて土地を購入し……という出世街道がある。
 実際、去年の石垣島長者番付1位は本土の人だった。その人は元キャンパーで、リュック1つで石垣に来た人。結局、そんな風にして階層化が進んでいて、一番上は老後で別荘を持っている人、2番目は成り上がって成功した人、3番目がまだ成功していないけどダイビング・ショップを経営している人、地元の人はその道から外れて一番下にいる。
 いまや学校のPTAの会長や地元の寄合で発言する人はみんな本土から来た人になっているらしい。そういう島人(しまんちゅ)たちの本音は観光客にはなかなか見えないから、今回はその現実を知って大いに反省した。
 もちろん沖縄は観光立県なので、来ないで欲しいというわけじゃない。でもここ数年、沖縄を訪れる観光客の数は増えていても、落としていくお金の総額は変わっていないのだとか。お金を使わずに遊べるところ、たとえば石垣や八重山諸島が人気だからなのだろう。
 竹富島で三線(さんしん)を弾いて歌っているのは大和人(やまとんちゅ)の方が多い。島で生まれた子供たちはみんな「島には何もない」と言って出て行ってしまう。「島にも豊かな文化も自然もあるじゃない」と言われても、それでも出て行きたいと考える気持ちはわからなくもないけど。
 海は多様で、人間もいろんな人間がいる。だから海と人間の関わりもけっして一様じゃなくて、同じ海を見ていても人間が違えば海の現れ方は変わってくるし、その利用の仕方も変わってくる。
 この前も竹富島へ行ったんだけど、竹富島には西桟橋という夕陽の名所があって、観光客は必ずそこを訪れる。ところが地元の人は「なんであんな夕陽を見ておもしろいのかわからん、都会の人は疲れているから癒されたいのか……そっとしておいてあげよう」と心の中で思っているのだとか。
 地元の人にとっては、海は五穀豊穣をもたらす存在であり、その一方で厳しい環境も与える存在でもある。だから「海の神様」という考え方があるのだろう。その神様は人間を幸せにしてくれるかもしれないけど、同時に災いや不幸ももたらす。それで夕陽や海に向かって手をあわせる。
 小浜島の人に教えてもらった八重山の言葉で「なろうね」という表現がある。これは「そのままでいいじゃないか」という意味。新しい暮らしもやってくる、台風もやって来る、それで潰れるモノは潰れるし、残るモノは残る。それでいいじゃないか。海はそういう気持ちを育むらしい。

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平井幸二さん(『フラレア』編集長)の

『フラ』の話

 最近フラがブームになったわけじゃなくて、もともとやってる人はたくさんいた。ただ、インドアでレッスンしているから、みんな知らなかっただけ。前からやってる人はものすごく多かった。
 その数、実に約17万人と言われている。下手をすると、ハワイよりも多いかもしれない。ハワイの人が全員フラをやってるわけじゃないし。
 ハワイはアメリカの植民地になった時に、ハワイ語やフラが禁止された。その時期はサーフィンも禁止されている。でも隠れてフラをやっていた人もいて、その人たちのおかげで今もフラが伝わっている。そして1970年頃に「ハワイアン・ルネッサンス」という運動が起こって、「自分たちの言葉や文化を取り戻そう」という気運が盛り上がり、今に至っている。
 日本のフラの起源は1950〜1960年頃のハワイアン・ブーム。当時、各大学に必ずハワイアン・バンドが2つや3つはあった。でもその頃はあくまでバンドがメインで、フラダンサーは脇役だった。
 フラは、お婆ちゃんにはお婆ちゃんに合ったゆったりした踊りがあって、若い娘には若い娘向けの踊りがある。みんなが知ってるフラといえば「ムームーを着てウクレレやギターに合わせて踊る」というイメージだけど、あれは「アウアナ」と言って現代の踊り。一方、フラの古典には「カヒコ」という踊りもあって、こちらは太鼓に合わせて踊る迫力ある踊り。
 フラは民族舞踊。ハワイには文字を書いて残す文化がなかったので、節を付けて覚えて、それを後世に伝えていた。さらにハンドモーションや足の動きで「風が吹いて」「お花があって」なんて物語を補足した。振りがつけばなおさら忘れにくい、という利点もあったと思う。
 当時はウクレレもギターもなかったので、ひょうたんでできた太鼓に合わせて踊った。それがフラの始まり。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
10'12" Ainda Mais Lindo Marcos Valle EMI 829 370 2
21'30" Srufin' In Rio Sylvia Telles KAPP Records MVCJ-19209
29'08" Dream A Little Dream Of Me Teresa Bright Pioneer PICP-1109
43'01" Aruanda Wanda De Sah Capitol TOCP-50290
47'46" Under The Sea Bena Lobo Walt Disney 61313-7


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