SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2005年7月2日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「落語ブーム」

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 先日まで放送されていたドラマ『タイガー&ドラゴン』の影響で、若い人の間でちょっとした落語ブームになっているそうですね。実際、ドラマの舞台になった浅草演芸場は若いお客さんがずいぶん増えているのだそうです。
 私も落語と言えば『笑点』ぐらいしか知らなかったのですが、ドラマを見て少しだけ落語に興味を持ちました。すると当店にいらっしゃった落語家のお客さまや落語にお詳しいお客さまが、落語の魅力や奥深さを教えて下さったんです。
 せっかくですから、今週ははその「落語」のお話をこちらでもご紹介させていただくことに致します。


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高田文夫さん(放送作家)の

『お笑い芸』の話

 小学校5年生の時に林家三平を見たくて、友達と2人で新宿末廣亭に行った。どこにあるかもわからなくて、右往左往しながら見つけて中に入ったら、三平が出てきて「坊ちゃん、そこに座って」といきなり弄られた。小学生が2人で寄席にいるなんて珍しいから目についたのだろう。
 生で見る三平は本当におもしろくて、何度も寄席に通った。すると三平以外にも変なおじいさんが次から次へと出てきて、おもしろい話をする。それが今にして思うと志ん生だったり文楽だったり圓生だったりした。だから目と耳だけは本当に肥えている。
 ドラマ『タイガー&ドラゴン』で演じた役は宮藤官九郎が俺に当て書きで書いた、俺そのものの役。だからアドリブっぽい台詞も全部台本に書いてあった。俺に台詞を言わせるのが彼の夢、みたいな感じ。
 実は俺は宮藤官九郎が子供の時から知っている。もともとオールナイトニッポンにいつもハガキを送ってきていて、中学高校の頃からしょっちゅう俺のところに来ていた。そういう人間はけっこう多くて、ナンシー関、さくらももこなんかもそんな感じ。みんな弟子の弟子、みたいな感じ。
 そして3年前に「いつか落語を書いてくれ」と宮藤官九郎に言ったら、彼はああいう形で約束を守ってくれた。だから稽古の時は勝手に台詞を変えていたけど、本番は台本のままの台詞をちゃんと言った。それが親子の情、みたいなもの。
 もしその台詞がアドリブのように聞こえたとしたら、それが「腕」。昔の「アチャラカ喜劇」もちゃんと台本があって、アドリブのようでも稽古をした上での演技だった。もっとも三木のり平先生などはその稽古があった上で、さらにアドリブでふざけていたけど。そのさり気なさの極めつけが志ん生。みんな裏じゃいろんな事を勉強している。でもそれをさり気なくやるのが一番格好良い。
 噺家の技術というのは、その時点で一番上手い人が歴史上もっとも上手い人だと思う。江戸から明治にかけて「落語の神様」と呼ばれた三遊亭円朝という人がいたけど、今の昇太くんの方が上のはず。それは野球で昔の川上よりもイチローの方が絶対に上なのと同じ。大事なのは「今の現役のプレーヤー」。
 だから俺は志ん朝、談志はずっと最強だと思っているし、今は昇太くんの落語が一番おもしろい。三平さんの100万倍おもしろい。それがライブ(生きている芸)というもの。クレイジーキャッツよりもドリフターズ、ドリフターズよりもひょうきん族、その後もダウンタウン、今の若手芸人ブーム、その時その時で一番おもしろいものが歴史上一番おもしろい。
 笑いは時代の一番先端にあるもの。涙に流行はないけど、笑いは常に流行があって、常に時代の先端にいる。三平が「坊ちゃん、そこに座って」と高座から客席に話しかけるのも当時は新鮮だった。立ち上がって、アコーディオンを連れて、袴をめくって草履を客席に飛ばす、なんて革新的なことをした。それまではラジオしかなかったけど、テレビが現れてそういう笑いが求められた。コント55号や北野武も、みんなそういった革命児。
 その一方でちゃんと伝統を継承する人もいるのが落語の奥深さ。寄席に行けば、そんないろんな人が出てきて客を楽しませてくれる。文化というものにはそんな多様性も大事だと思う。

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春風亭昇太さん(落語家)の

『落語と落語家』の話

 新作の落語を書くのは前座の頃からやっていたけど、師匠から「前座の間は(お客さんの前で話すのは)やめろ」と止められていた。やっぱりそれくらい落語は難しい。脚本、演出、出演を1人で全部やらなくちゃいけないから、よっぽど才能のある人じゃないと時間が掛かる。
 ウチの師匠は新作をやっている人だったから、その師匠に止められたら仕方がない。師匠は具体的な事を言ってくれる人で「なんで新作やっちゃいけないんですか?」と聞いたら「お金にならないから」と。こう言われたら納得するしかなかった。
 覚えている落語の数は人によって差があるけど、僕の場合は古典が70〜80くらい。新作落語は200本くらい書いた。でも新作落語は時代に合わなくなったら捨てていくので、今持っているのは20本くらい。それ以外の180本は捨ててしまったから、累々と積み重なった新作落語の屍の上を歩いているような感じ。
 寄席では出演者しか決まってなくて、演目はどこにも書いてない。これが芝居と違うところ。芝居は演目を決めて、その稽古をして、舞台の上で演じる。客席は暗くなっていて、お客さんに「舞台の上で行われていることを見て下さい」というスタンス。ところが寄席は客席が明るい。これはお客さんの様子を見ながらネタを決めるため。
 そして寄席で一番最初に前座がなにか落語をやったら、次に出る人は違う傾向の話をしなくちゃいけない。さらに後の方の人は楽屋に用意された「ネタ帳」を見て、前の人がなにをやったかを見て、自分がなにをやるか決める。そんな風に、落語は「何をやるか」をあらかじめ決められない仕組みになっている。
 しかも高座に上がる時は、2〜3個の候補を頭に浮かべながら出て行く。そして「枕」と言われる導入部の話をしながら、お客さんの反応を見てどの話をするか決める。だからトリ(最後)の人が一番大変。よっぽどネタの数が多いか、本当に得意な話を持ってないと務まらない。
 だからネタ選びの段階から落語家同士の勝負が始まっている。中には本当に上手な人がいて、僕が本当にスゴイと思ったのは先代の雷門助六師匠だった。この人がネタの選択ミスをしているところを見たことがない。何年も寄席にいて、ウケなかった日を1回も見たことがない、というくらい。
 助六師匠はネタの数があまり多い人ではなかったし、途中で一度、お芝居の世界へ行って、また落語の世界に帰ってきた人なので、落語家としての評価はあまり高くない。だけど実践の落語の技術の見せ合いでは抜群に上手かった。

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立川志らくさん(落語家)の

『談志師匠』の話

 日大芸術学部4年生の11月に、大学を中退して談志師匠の元に弟子入りした。実は夏休みに落研の夏合宿があって、そこにOBの高田文夫さんが遊びに来て「お前、落語家になれよ」と言ってくれたのがきっかけ。こちらは最初からそのつもりだったので「談志師匠の弟子になりたいんですが……」と言ったら、高田さんが「俺もこの間、タケシさんと一緒に談志の弟子になったばかりなんだよ」と。それで高田さんに紹介してもらって、談志師匠の鞄持ちとして弟子入りした。
 当時の談志師匠は落語協会から飛び出して、小さん師匠に破門されて、立川流を作って……とまだ49歳ですごく元気だった頃。でも実は、僕は落語が好きになった頃は談志師匠に対して「テレビタレント・政治家」というイメージを持っていて、あまり好きじゃなかった。本当は寄席で馬生師匠の落語を聞いて「この人の弟子になりたい」と思っていた。でも寄席でそう思った10日後に、馬生師匠は亡くなってしまった。
 そして馬生師匠のお葬式に行った帰りに池袋演芸場に行ったら、談志師匠がトリで出演していた。そして師匠は落語もやらずに馬生師匠の思い出話ばかり語る。客が怒って「落語やれ!」と野次ると、いつもの調子で「てめえ!このやろう!」と怒鳴るのではなく、寂しそうな顔で「今夜は落語をやる気分じゃねぇんだよ」と言っていた。それがすごく格好良くて、談志師匠の落語をたくさん聞くようになり、最後には弟子入りした。
 ところが当時、師匠は落語協会から飛び出したばかりで、弟子も寄席に出入りできない。そこで弟子はみんな「人間修行しろ!」と築地へただ働きをしに行かされていた。そこに新弟子として来たのが自分で、兄弟子はみんな築地へ行ってしまっているし「高田文夫の紹介」という事情もあったので、着物の畳み方からなにから全部師匠に教えてもらって、鞄持ちをすることになった。
 それでも半年くらい経って、さすがに師匠も「お前だけえこひいきするわけにもいかないから、お前も築地に行け」と言い出した。そこで咄嗟に口から出たのが「イヤです」という言葉。これには師匠も面食らって「師匠の命令なんだ、イヤなら破門だ」と言う。そこで「破門も嫌です」と言ったら、師匠もよほど驚いたのか、しばらく黙って最後には「両方イヤならしょうがねぇや、いろよ」と言ってくれた。
 当時「イヤって言えばいいのなら俺も言ったよ」と言った人もいたけど、そういうことじゃないと思う。今にして思えば、師匠も「行けと言われて行くようじゃダメだ」というつもりだったのでは。最初から「イヤだ」と言えたから、師匠も「コイツは見込みがある」と考えてくれたのだと思う。
 落語は師匠から教わった。普通の稽古なら和室で着物を着て……というイメージだけど、談志師匠はジャージで書斎のテーブルに座っていた。自分が落語を話している途中なのに便所に行ってしまうこともあって、戻ってくるまで待とうとすると「聞いてるから続けろ!この野郎!」なんて怒鳴られて、便所に向かって話したりもした。
 落研の時にも散々いろんな落語をやったけど、談志師匠の元に弟子入りして、最初の稽古の時に「根本が違う」と思い知らされた。談志師匠は稽古の時に、淡々と落語を話す。目線を下げて、感情も入れず、お経のようにボソボソと話す。でもそれが「落語のリズム」だった。そのリズムが根底にあって、その上で感情を入れたりギャグを入れたりするのが落語。それをわからずギャグだけを入れたら、落語は聞けたものじゃない。

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木の実ナナさん(女優)の

『おんなの落語』の話

 今回『おんなの落語』というお芝居をやることになったけど、子供の頃はラジオからバンバン落語が流れていたし、落語は身に染み込んでいる。お昼も舞台に立ってきたばかりなので、つい江戸言葉が出てきてしまうほど。
 このお芝居は落語の6題、「品川心中」「文違い」「お直し」「駒長」「風呂敷」そして「芝浜」と、落語ファンとってはたまらないネタをベースにしたお話になっている。最初からいわゆる“郭(くるわ)話”なんだけど、自分が生まれ育った向島を思い出す。
 向島といえば、向島の芸者衆と波戸の町の赤線。子供だったからどういう商売をしているのかは知らなかったけど、いつもキレイなお姉さんが「町内の家族」として遊んでくれた。私はいじめられっ子だったから、それを助けてくれるのがいつも花柳界や赤線のお姉さんたちだった。
 子供にとってはたまらなく良い香りのするお姉さんが、ポツンと1人でいる私を「マリちゃん、お風呂に行こうか?」と銭湯へ連れて行ってくれる。銭湯へ行くと、子供が大人の背中を流すのが子供なりの仁義。お姉さんたちは休みの日に「マリちゃん借りていい?」と母に断って「1日お母さん」をするのが常だった。かわいいリボンを買ってくれたり、かわいいスカートを買ってくれたり、そんな思い出がいっぱいある。
 落語の世界もそうだけど、悪い人はいなかった。怠け者とかお調子者はいても、みんな「その日、1日が良ければいい」という人ばかり。だから「宵越しの銭は持たない」のが江戸っ子。いまだに私もそうだけど、そういう風に生きていると、朝、目が覚めた時が嬉しい。
 ある時期から突然、日本の家庭からちゃぶ台が消えてしまった。あんな便利なモノはなかったのに。ご飯を食べる時も使えるし、宿題をやる時も使えるし、寝る時には畳んで端に仕舞える。木のぬくもりがあって、子供の落書きもあったりして、いつまでもずっと使える。だからウチには今でも子供の頃から使い続けているちゃぶ台がある。
 それがいつしか鉄筋コンクリートの時代になって、ちゃぶ台が消え、コンクリートの角で怪我をしたらすぐに治療して、という風潮になってしまった。昔なんか「唾付けておけ」で済んだのに。
 今、落語ブームになっているのは、昔の「暖かみ」が欲しくなっているのでは。「隣の人がなにをやっているのか知らない」ではなく、「隣三件、両隣」のお付き合いが必要なのでは、と思う。

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松尾貴史さん(タレント)の

『上方落語』の話

 以前、関西でも落語家ブームがあった。
 たとえば月亭可朝さんという落語家も大人気だった。世間的には「ちょっとお下劣な芸風」というイメージだけど、落語をやるとすごく粋で格好良い。近年亡くなった古今亭志ん朝師匠のタンタンと畳み掛けるような江戸弁に匹敵する、本当に格好良い関西弁で落語を話す人。ご自身で封印しているのか、なかなか古典落語をやらないのがすごく残念。
 この人がテレビで一気に人気者になった時、僕はこの人が落語家だとは知らなかった。カンカン帽をかぶった和風な芸名のコメディアン、ぐらいに思っていた。
 僕は中学1年の時、テレビの前にカセットテープレコーダーを置いて、落語を録音することにはまった。自分の声や物音が入らないように笑いをこらえ、後でそのテープを何度も聴き直しては笑い転げていた。そして別に覚えるつもりはなかったけど、好きだからいつの間にか覚えていた。それで学校で友達に聞かせるようになって、中学で落研らしき団体を作ってしまった。
 その落研ではみんなで神戸の放送局へ行って、落語番組の収録を見学した。司会は桂三枝さんで、米朝師匠、文枝師匠、春団治師匠、仁鶴さん、鶴光さん、いろんな人が出演していて、こんなに楽しいものがあるか、というくらい好きで好きで、毎週水曜日の夜9時が楽しみで仕方がなかった。
 そんな子供の頃の刷り込みがあるので、今でも時間さえあれば落語を聞きに行く。もっとも最初が上方落語だったので、東京で落語を聞き始めた頃は「サービス精神に乏しいな」と感じた。どうも「聞きたくなかったら帰っていいんだぜ」というムードを持った人が目につく。もちろん逆の媚びた感じの芸風の人もいるんだけど。
 これは、江戸の落語の起こりが「屋敷や小屋で木戸銭を取ってじっくり聞かせる」というところから始まっていることに起因しているのではないかと思う。だからお客さんに対してあまり瞬発力を要求されず、人情話や怪談話でも受け入れられた。地味な話でもじっくり聞いてもらって「いい話だね」と評価してもらえた。
 ところが上方落語はほぼ大道芸に近い状態で、歩いている人を立ち止まらせる必要があった。だから話の途中に鳴り物が入って、ギャグを詰め込んで、見台(けんだい)、小拍子(こびょうし)、膝隠(ひざかくし)みたいな小道具も使った。そうでもしないと、お客さんは歩いて向こうに行ってしまったから。
 上方と江戸の芸風が違うのは、その名残が少しあるのかもしないと思っている。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
9'31" It's All Right With Me Peggy Lee Decca MVCJ-19195
18'43" When My Baby Smiles At Me Luis Prima & Keely Smith Jasmine JASCD 325
25'35" Just You, Just Me Jaye P. Morgan BMG BVCJ-2025
34'19" Like A Woman Rosemary Clooney & Parez Prado BMG BVCJ-7469
45'14" Day By Day Astrud Gilberto Verve POCJ-2559


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