3勝3敗で迎えた2003年日本シリーズ第7戦。9回表、2アウトランナーなしという状況で僕は代打として打席に立った。得点はすでに5-1。ダイエーの日本一まであと1アウトだったので、球場にはダイエーファンの「あと1人!」という大歓声が響いていた。
実は、僕は星野監督に「このシリーズを最後に引退します」と伝えてあった。そして星野監督も辞めることが決まっていた。その星野監督が「9回2アウトになったら、どんな状況でも打席に立て」と言ってくれた。それで実現した最後の打席だった。
ダイエーのマウンドに立っていたのは和田クン。先発して、そのまま1失点で9回まで投げてきた。疲れはあったかもしれないけど、あと1人で胴上げという状況ならアドレナリンが出て疲れなんか関係ない。
ダイエーのキャッチャー、城島クンも「三振を取るにはおあつらえ向きのバッターが出てきた」と考えたに違いない。三振を取って、マウンドに走り寄って、みんなで王監督を胴上げして……そんな青写真ができていたと思う。
そして投じられた第1球、内角のストレートを空振り。これは「初体験」と感じるくらい速かった。かつてヤクルトに石井一久というピッチャーがいて、今はメジャーで活躍しているけど、その石井の全盛期を思い起こさせる速さだった。打席で「これは金本も檜山も打てないわけだ」と思った。
続く2球目はチェンジアップ。このストライクからボールになるチェンジアップに、なぜか僕のバットは止まってボールになった。これでカウント1ストライク1ボール。
そこで僕が考えたのが「最後だから2回、バットを振ろう」ということだった。
3球目、城島が三振を取りに来ているらしく、またもやストライクからボールになるチェンジアップが来た。このチェンジアップは阪神のバッターがみんな空振りしてきた、キレのある変化球。ところがそのシリーズ、ずっと調子が悪かったはずの僕のバットがなぜか止まる。「振ろう」と思っているのに「ボールだ!」と思った瞬間、バットを引ける。
「これはうまくいけばバットに当たるぞ」そんな色気も出てきた4球目。2球続けてチェンジアップがボールになったから、次は初球に見たすごいストレートに違いない。そう考えてイチ、ニのサンでバットを振ろうとした。ところが城島はそれを見透かしたかのように、またチェンジアップ。
この変化球に普通ならクルッと回ってしまうところを、なぜか体が反応して、ボールにバットが当たった。そのときの感覚は「あ、当たった」という感じ。最後の打席だったからいろいろ考えることもあったし、打球の行方を見る余裕がなかった。
それでもバッターの習性として1塁に向かって走っていった。そして観客席を見ると、ボールを捕ろうとしているお客さんがいる。その瞬間に思い出した。「あ、あの当たりであの角度ならホームランだったな」と。
今まで何千打席と打ってきたけど、あれは本当に不思議な感覚だった。僕が打ったんじゃないような気がした。最後の打席にホームランで終われるなんて、それが日本シリーズの最年長ホームランだなんて、信じられない気持ちだった。
普通、引退が決まっている選手は消化試合で気を遣ってもらって、キャッチャーと「何がいいですか?」「真っ直ぐで」なんて小声で話して、それでヒットになってもアウトになっても家族に花束をもらって……なんていうのが良くある光景。でも僕の最後の打席は22歳の和田とのガチンコ勝負。しかもホームランだった。これは嬉しい。
実はあの日本シリーズ、第6戦まで家族が見ることになっていた。雨で1日順延していたので、月曜日になってしまう第7戦はさすがに無理なハズだった。でも女房が「どうしても見ていく」と言って、子供は中1と小5だったけど、学校を休んで見ていってくれた。
そして試合後、家族の泊まっているホテルへ行って、そこで初めて子供たちに「パパ、今日で野球をやめるから」と打ち明けた。ところが子供たちは僕が着くまでアニメを見ていたらしく、僕の言葉にも「うん、わかった」と気もそぞろ。僕の話が終わったら大急ぎでテレビの前に戻ってゲラゲラ笑っていた。
それを見て女房曰く「あんたがこういう風に育てたのよ」と。これには参った。