SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2005年3月12日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「ちょいモテ男の銀座歩き」

image

 ここ10年以上続いた不況もやっと好転の兆しを見せて、銀座もずいぶん賑やかさを取り戻しているようですね。
 数々のブランド・ショップが並び、大きなデパートも軒を並べ、高級な飲食店がひしめき合う“大人の街”銀座。その魅力は、六本木や麻布界隈とはまた一味違うのだそうです。
 今日はそんな銀座から、元麻布の当店まで珍しく足を伸ばして下さったお客さまの“銀座話”を、少しだけここでご紹介させていただきましょう。


涼風真世さん(女優)の

『舞台と銀座』の話

 宝塚時代、東京宝塚劇場での公演のために上京する機会があった。当時は大阪が自分にとっての大都会だったから「東京に行ける!」というのは刺激的だった。
 とはいえ、当然公演の方がすごく忙しいので、劇場と寮を往復するだけ。それが退団公演『グランドホテル』の時に、知り合いの先生が「銀座の街に連れてってやる!」と言って、有名な順子ママのお店へ連れて行ってくれた。
 順子ママのお店は高級なお店なことで有名だけど、ご本人は本当に気さくな方だった。私はルイ・イカールという画家が大好きなんだけど、その本物の絵が順子ママのお店にいっぱい掛かっていて、もの凄く高いのに「卒業記念に1枚あげるわ」って。その絵はもうウチの家宝になっている。
 宝塚を退団した後も、帝国劇場、ル・テアトル銀座、芸術座などの銀座界隈の劇場に出演する機会があるので、銀座をウロウロすることもある。舞台がハネた後に食事をしたり飲みに行ったり、映画を見に行ったり。
 そんなある時、銀座で「亀すくい」をやっていたのには驚いた。友達が500円で亀を1匹すくって、「まぐろちゃん」と名付けて今でも飼っている。写真をもらうとビックリするほど大きくなってるけど。
 銀座は夜になると“いそべ焼き”の屋台が必ず出ている。大阪ならたこ焼きやイカ焼きだから、物珍しくて以前は必ず食べていた。
 そんな風に、高級という一面、庶民的な面もあるのが銀座。

【Hot Link !!】





image
杉山衛さん(銀座寿司幸本店)の

『銀座の寿司屋』の話

 銀座には寿司屋が多い。京都の割烹でお寿司を出すのが流行っても、銀座では寿司屋が多すぎて、ちょっと無理では。
 寿司屋のお客さんには「最初はつまみで」と言う方と「最初から握ってほしい」と言う方がいる。これはどっちでも構わないというか、お店としては両方のお客さんがいてほしいもの。みんながみんな「最初から握りって」と言われると、手が回らなくなってしまう。
 銀座の特徴は「もう1軒」が近所で済むこと。わざわざタクシーに乗って赤坂や六本木まで行かなくても、「オレの知ってる店がそこにあるから」で済む。そういった意味では、銀座は1つの郭(くるわ)と言える。寿司屋があって、割烹料理屋もあって、ラーメン屋もバーもスナックも高級クラブもある。僕らはその郭の構成員の1つ。そして「もう1軒行こう」と言った時に、いろんな選択肢があるのが銀座の醍醐味。
 15年前なら高級クラブのお姉さんを連れた、いわゆる「アフター」のお客さんが多かた。そのためのお店も多かったし、繁盛していた。今は少なくなってしまったけど。そういうお店には、お客さんが2〜3人のお姉さんを連れてお店にやってくる。そしてそのお客さんにとって、値段はもう問題じゃない。だからお店の方も心得たもので、メイチでヨイショ!それでお客さんは気持ちよく帰っていく……という寸法。これがアフターのお店の基本。
 銀座のバーや寿司屋のカウンターは大人の場所。だから最低限のマナーとして「隣のお客さんに迷惑を掛けない」というのがルール。たとえば酔っぱらって大声を出したりしない、なんていうのは当然としても、タバコに関してもお店から「禁煙」などとはわざわざ言わない。その場の様子を察して、迷惑を掛けないようにタバコを吸うのが大人というもの。
 そして出来れば“粋”にやってほしい。たとえば食事が終わってタバコを1本吸いたくなった時に、隣の人に「ゴメン、1本吸わせてね」と言って、さっと1本だけ吸って「ゴメンね」って挨拶するのが粋。隣の人も、本当は吸って欲しくなくても「一声掛けてくれたから1本くらいしょうがないか」と割り切る。実は最初の一言が「タバコ吸っても良いですか?」だと、Noと断られる可能性がある。これではタバコを吸いたい人と吸って欲しくない人の間に断絶が出来てしまう。だから「ゴメン、1本吸わせて!」と言って、申し訳なさそうにサッサと1本だけ吸うのが粋というもの。
 けっこう困るのは香水。実は銀座の女性は、お客さんが家に帰った時のことを考えて、香水はほとんど付けない。でも最近、外国帰りの女性で香水のキツイお客さんが時々いる。こういうお客さんが1人寿司屋に入ってきただけで、店中がその匂いになってしまう。タバコだったら「吸うな」、うるさかったら「静かにしろ」で済むけど、香水だけはいかんともしがたいのが困りもの。まさか「顔洗ってこい」とは言えないし。
 この間も香水のキツイお客さん1人来て、そのお客さんが帰った後に自分が他のお客さんに謝った。そうしたら他のお客さん達も「参ったな、今日は〜」ってみんな1つになれた。

【Hot Link !!】





image
菊地健容さん(久のや絲店)の

『銀座の文化』の話

 ウチのお店は6丁目。松坂屋の目の前にある。創業は天保8年(西暦1837年)ということで、今年で168年目に突入して、僕の代で8代目。
 ここ数年、銀座には次々といわゆる“ブランド”のお店がオープンしていると言われるけど、実は銀座は「来る者は拒まず、去る者は追わず」という街。だから昔からいろんなお店が入れ替わってきた。
 その昔、柳にチンチン電車という時代から銀座を見続けてきた。銀行や金融機関の店舗が多かったのも今はほとんど見かけなくなり、外資の店舗が多くなって、1つ裏通りに入れば新しいビルが立ち並ぶ。ウチの裏の交詢社ビルにもバーニーズが入った。銀座は古きに新しきがミックスされた、奥の深い街。
 僕らは“銀座フィルター”なんて言っているけど、銀座に合わないお店や場所は自然に淘汰されてしまう。子供っぽいことが合わないというか、ビジネスとしても採算が取れないのでは。
 銀座は昔から街作りが真剣に考えられていて、たとえば電柱はまったくない。全部地下に埋められている。それから歩道には昔ながらの都電の石を使っているし、ガードレールもない。そういうのは今までの諸先輩が頑張って創り上げてきた文化。もちろん事故も起きてない。
 だから銀座の人間は、銀座という街に育てられる部分が少なからずある。そこに集まるお客さんも、こだわりのあるうるさ型の人が多くて、その人たちから聞く話も勉強になる。資生堂パーラーでアイスコーヒーを頼むと、コーヒーを固めた氷を使っていて、氷が溶けても薄まらないだとか、昔は芸者さんのお客さんが多かったので、三味線を置く台も置いてあっただとか。そういうのはお客さんに教えられてお店が学んだこと。
 銀座には日が暮れてからの顔というものがある。僕も昔はそれなりに通ったものだけど、今でも“月謝”は払っている。そういうお店に行くと、なぜか短い時間ですぐ次の店へ移りたくなるもの。バーへ行って、一座りいくらというお店にも行って、別の店で反省して……今でも銀座に育てられている。

【Hot Link !!】





image
茂登山長市郎さん(「サンモトヤマ」代表取締役会長)の

『並木通り』の話

 サンモトヤマは今年で50周年。昭和30年(1955年)に有楽町にお店を出したのが最初だった。当時、有楽町は“アメリカ村”で、毎日新聞社の裏のGHQにはマッカーサーがいた時代。さらに朝日新聞、読売新聞もあって、日本の情報の中心でもあった。
 服部時計店はP.X.(POST EXCHANGE)だったし、帝国ホテルは高級将校の宿舎、東京宝塚劇場もアーニー・パイルという米兵向けの劇場、その他、お堀の前のビルはすべてアメリカ軍に接収されていた。
 そんな有楽町にお店を出したけれど、駅前でゴチャゴチャしていて、車を止める事もできない。もっと落ち着いたクラスのある場所を求めて、昭和34年に三信ビルに、そして昭和40年に並木通りに移った。
 ロンドンでもパリでもマドリッドでも、その国一番のショッピング・ストリートを歩くと、1つの法則がある。ロンドンならボンド・ストリート、パリならフォーブル・サントノーレ、ローマならコンドッティ、どこも道の幅、長さがすごく適切。長すぎる場合はだいたい2つに別れている。さらに近くには必ず“宮殿”がある。日本でその条件に当てはまるのが銀座。
 とはいえ、ウチが移った頃の並木通りは、特にショッピング・ストリートというわけではなかった。バーがあったり、新橋の芸妓さんの置屋があったり、洋装店、お寿司屋さんなんかがある、平凡な通りだった。その中に朝日新聞社のビルがあって、そこを借りることにした。決めた理由は並木通り。ここが10〜20年後、必ず世界に通用するショッピング・ストリートになるという確信があった。
 そしてその17年後の1981年、ルイ・ヴィトンの秦社長が、デパートには出店し尽くして、いよいよ銀座に路面店を出そうと考えた場所が並木通りだった。それを皮切りに、カルティエ、シャネル、さらにもっともクラスのあるジュエリーや画廊が次々にオープンしていった。
 先見の明があったなんて言うのはおこがましいけど、商人(あきんど)としての勘はちょっと自慢しても良いと思う。

【Hot Link !!】





image
澤井慶明さん(「セント・サワイ・オリオンズ」オーナーバーテンダー)の

『銀座のバー』の話

 今から50数年前、東京には駐留軍関係のクラブが多かった。僕はそのクラブの1つでアルバイトのつもりで働き始めたんだけど、語学ができるという事で重宝がられて、次第に自分自身もだんだん面白くなってきたこともあって、本格的にこの仕事をやるようになった。
 当時は普通のバーではなにも材料が手に入らなかった時代。ところが進駐軍の将校クラブなら何でも手に入った。だから他のバーでは絶対にできないモノでも、自由自在に作れてしまう。その楽しみで抜けられなくなった。どうせバーで働くなら優秀なバーテンダーになろう、そう思って努力していたら、知らない間に世界一になってしまった。
 自分のバーを銀座に開いたのは32年前。借金をして小さな店を開いたんだけど「ホテル出身のボンボンが銀座で店なんかできるわけがない」と散々言われた。ところが店を開けたら、その小さなお店に入りきらないほどお客さんが来てくれた。
 そしてそこで1年1ヶ月ほど営業したところで、今やっているお店の話が来た。ところがその場所に移ると広さが5〜6倍になってしまうから、お金も掛かる。そこにある銀行の人が「協力するよ」と言ってくれた。「担保になるモノがありません」と言ったら「アンタが担保だ」と。そういう時代だった。当時のお金で6700万円も貸してくれた。
 さらにそのお店の場所は「過去、誰がやってもダメだった」という曰く付きの場所だった。だからみんなに反対されたんだけど、自分はホテル・ニュージャパンのバーで修行をしたので広いお店の方が慣れているし、出来るという自信があったので、その場所を借りる契約をした。
 やるからには最高のお酒と最高の料理を出したかった。たとえば当時、ステーキを知っている人はいても、ローストビーフは誰も知らなかったので、それを料理のメインに。他の料理もちゃんとして、本格的にコックさんも呼んで、調理場も作って……というお店にした。
 やっぱりこの店も周りから「1年保たない」と言われたんだけど、いざ店を開けてみたら毎日大勢のお客さんに来てもらえた。その繁盛ぶりは“銀座の七不思議”と言われたほど。
 そんなこんなでホテル出身のバーテンダーも銀座で見直されるようになり、銀座にもホテル出身のバーテンダーのお店が増えたのは嬉しい限り。
 ウチのお店にはピアノがあるけど、12時前は静かに弾くだけ。ところが12時を過ぎるとお客さんも酔ってくるので、別のピアニストが来て大声で歌ったりしている。キレイなお姉さんやママさんも来たりするので、ちょっと目の保養をしようと思ったら12時過ぎがオススメ。

【Hot Link !!】







放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
7'57" Where The Street Where You Live Doris Day Columbia 475750-2
18'35" Guys and Dolls Sammy Davis Jr. Collector's Choice Music CCM-451
30'20" I Feel Pretty Annie Ross Pacific Jazz TOCJ-5349
41'13" Little White Lies Lita Roza DECCA UCCM-9149
48'12" How About You Lucy Ann V.S.O.P. #6CD


 Back