SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2005年1月15日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「海外で活躍すると云うコト」

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 私、小穴にはそんな経験はありませんが、自分の生まれた国を離れ異国で活躍するというのは大変なことだというのは想像に難くありません。
 ジーコが「選手はもっと海外へ行くべきだ」と主張するのも、単純に技術的なレベルの高いところを指しているのではないのだそうです。言葉も通じず習慣も違う土地で苦労することで、人間として一皮も二皮もむけることを期待しての言葉らしいですね。
 今日は当店にいらっしゃった「海外で活躍する日本人」のみなさんのお話を、ここで少しだけご紹介させていただきます。


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大貫亜美さんと吉村由美さん(Puffy)

『Puffyのアニメ』の話

 『The Hi Hi Puffy AmiYumi Show』はアメリカのカートゥーン・ネットワークのアニメ。視聴率4.6%で155万世帯が見ていると言われても、今ひとつ実感がない。
 実はスタートの時に向こうに行っただけで、その後は行っていないので、向こうがどんな感じになっているかわからない。でも親を連れて行ってあげたら喜ぶかも。日本のツアーに呼んだだけでも感激していたくらいだから。
 アニメ番組だけど、番組の最初と最後には本人が出演している。アニメだけの放送だと子どもたちが「あのアニメのキャラが本当のアミ・ユミ」なんて勘違いしそうだし。そうじゃなくて、本物はもう30歳なんだぞ、とあらかじめ伝えておかないと。でも向こうでは10代ということで通ってたりして。そう質問されても「Yes.」って答えちゃってる。
 私(大貫さん)は第1回の放送が始まる時に、単に放送が見たくてニューヨークへ行くことにした。都合よく向こうでみんな集まるという話だったので、旅行ついでに仕事も兼ねて、盛り上げて来ようかな、と。ところが驚いたことに、普通に街を歩いているとバスの横に描かれた広告に自分たちがいて「なんだコレ?!」と思った。
 そのアニメ、今年中には日本でも放送を始めたい……ということらしいけど、ちょっと恥ずかしいと思ったりもして。
 やりたいことはいっぱいあって、日本でもライブをいっぱりやりたいし、アメリカでもライブをやりたい。でも今回はたまたま面白いことをできる状況がアメリカにあった、ということ。
 長く続けるためには、子供たちに夢を見せ続けることが肝心かも。となると、やっぱり現実のプロフィールは教えない方が良さそう。特にスリーサイズは絶対に変えないようにしないと。

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前田知洋さん(マジシャン)の

『海外でやるマジック』の話

 クロースアップ・マジックは西洋の文化。西洋の言葉が合うようなテンポやリズムになっている。日本でそのマジックをやろうと思ったら、日本用にちょっと修正する必要があった。
 たとえばトランプを使ったマジック。僕は必ず新品のトランプを用意して、お客さんの前で封を切る。そして「今日は大事なお客さまなので、新しいトランプを開けます」と言いながら、お客さんにその新品のトランプに触ってもらう。こういった行動は日本なら「お客さまをもてなす」行為として好意を持ってもらえる。ところがコレをアメリカでやると「単なる贅沢なヤツ」と受け止められてしまう。
 マジシャンはお客さんを騙したり、タネがわからないだろうと自慢しているわけではない。あくまで「お客さまをもてなす」のが目的なので、それをちゃんと伝えれば、お客さんもマジシャンを信頼してくれる。それは日本でも米国でも同じ。
 新渡戸稲造は著書『武士道』の中で「日本人と西洋人のやっていることはまったく逆だけど、本質は同じだ」と説いた。プレゼントを出す時に日本人なら「粗末な物ですが……」と言い、アメリカ人なら「この素晴らしい物は素晴らしい貴方にピッタリだと思う」と言う。でも日本人が「粗末な物」と言っているのは「素晴らしい貴方と較べれば粗末な物」という事だから、その意味するところはまったく一緒。
 だから新しいトランプの封を切る時も、アメリカだったら「日本でもお客さまをもてなす時は、常に新しい物を用意して、精神性を大事にするんです」と言えば「ああ、そういうものなのか」と感心してくれる。日本人が暮れに障子を貼り替えるような“紙の文化”を持っていることがアメリカでもけっこう再評価されているので、これはウケが良い。
 「日本は紙の国です、僕らは紙に対して非常に扱いに長けているので、あなた方アメリカ人よりも上手にできます」なんてセリフも面白いかも。そう言えばアメリカ人も「本当か?!」と興味を持ってくれそう。
 アメリカ人と同じことをするマジシャンでは、向こうだってわざわざ日本から呼ぶ意味がない。日本人がどういう風にマジックを扱うのか、日本人は何を考えているのか、アジアの文化とはどういうものかを前面に出して見せることが重要。でもそれはけっして着物を着てマジックをやるということではない。
 マジックの世界でも日本人が海外で活躍するのはなかなか難しい。大きな大会などでは、自分自身プレッシャーに負けて実力を発揮できなかったり、同じような日本人を見かける。これは日本人が“気合い”のタイプで、本番に向けて気合いを入れて頑張るぞ!と考える文化だから。それで肩に力が入って失敗してしまう。世界を見渡すとそういう文化の国は意外と珍しくて、「本番だからリラックスして挑戦しよう」と考える国が多い。
 そうだとわかってはいるんだけど、子供の頃からそういう文化に慣れ親しんでいると、なかなか肩の力は抜けないもの。この辺が難しい。

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村上隆さん(現代美術アーティスト)の

『世界で通じるアート』の話

 31〜32歳頃にアメリカへ渡ったのは、日本で生活していけなかったから。ようするにニューヨークへ逃げた。
 日本では驚くほどデビューが上手くいったんだけど、それにお金が全然ついてこなかった。ちょうどバブルが終わった時期だったこともあった。でも結果的にはそれが良かったと思う。もしバブルの頃に売れていたら、米国へ行こうなどとは考えなかっただろう。
 日本でデビューしたのは『美術手帖』という業界誌。どうやったら載れるかを計算して、作品を作って、実際に雑誌で取り上げてもらうことができた。ところがそのやり方では、あっという間に限界が来る。雑誌で取り上げられるために作ったものだから傾向と対策はバッチリ。でも型にはまってしまう。
 そんな作品を向こうで見せても、当然まったく受けなかった。向こうは本場で人数も多い。そんな作品は溢れている。そこで「何が大事なのか」をゼロから考えなくてはならなかった。
 日本人である僕、そしてここニューヨークに暮らしている中国人、韓国人、イスラエル人、様々な人間……この街で成功するのに一番大事なのは、自分の人種や自分自身をしっかり持つことだ、と気付いた。そういう人しか生き残っていなかった。
 僕に限らず日本人は、日本人であることを隠そうとする。英語が流暢に喋れたり、ニューヨークに友達がたくさんいることをアピールしようとする。でもそれでは弱い。そこで自分が好きだった日本文化のアニメや漫画を見直すために、ニューヨークの紀伊國屋書店へ行った。
 そこには能條純一さんの『月下の棋士』という漫画があった。そしてその漫画を立ち読みした僕は、不覚にも泣いてしまった。そこにガードマンが近づいてきて「立ち読みをするな」と注意するんだけど、泣いている僕を見て笑う。その瞬間に僕は「ああ、僕はやっぱり日本人なんだ」と実感した。
 そのガードマンになぜ僕が泣いているかを説明しようと思ったら、将棋のルールから説明しなくてはならない。しかもその漫画の主人公たちは無表情で、その心情は理解してもらえないだろう。その僕とガードマンの間にはそれくらい大きな断絶がある。だから日本文化をちゃんと説明しないと、自分が面白いと思ったり感動した気持ちは伝わらない、と思った。
 それからは、自分が影響を受けたり興味を持ったモノを説明するところから始めた。それが僕の場合はアニメーションだった。

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コシノジュンコさん(デザイナー)の

『メトロポリタン美術館のファッション・ショー』の話

 1990年にメトロポリタン美術館でファッション・ショーをした。でも当時は、そんなことは考えることさえおこがましいという感覚だった。
 もちろん前例はない。しかも何の紹介もない。それでも受付にいってボランティアのおばさんに「ここでファッションショーできないかしら?」とお願いしに行った。
 するとおばさんは「ちょっとお待ち下さい」と言って、キュレーターのところへ相談に行く。そしてなかなか帰ってこない。「これは忘れられたかな?」と思った頃に帰ってきて「お返事は2週間待って下さい」と言われた。
 正直、やれたら良いし、やれなくてもダメもと、ぐらいの感覚があった。でもアメリカではその「とりあえず言ってみよう」という感覚が良いみたい。
 そして2週間後に返事が来た。「貸し会場ではないので審査をします」という内容だった。さらに2週間が過ぎた頃に「OK」の返事がもらえた。どうやら“産業”なモノではだめで、“アート”だったら良いという基準だったらしい。
 ショー全体は、まずオーディトリアム・ホールでショーをやって、デンドゥール神殿でディナーをする、という構想だった。その構想自体はOKだったけど、条件は山ほど付けられた。
 まず使用料は“寄付”という形。寄付だから値段はいくらでも良い。一応、東京やパリでショーをやるときに掛かる金額を寄付することにした。
 大変だったのはセキュリティ。保険屋さんは全部降りられた。だからとにかくセキュリティにお金を掛けて、何百人もの私服ガードマンに警備してもらった。
 ディナーもすべてアートにしなくてはならない。そこで赤と黒の太極というテーマにして、漆器を日本から600kgも持っていった。さらに前日には盛りつけまですべてリハーサル。
 そんなこんなで、とにかく手間が掛かった。でもその苦労は報われて、ショーは大成功。「あんな素晴らしいことは夢にも思わなかった」なんてFAXを山ほどもらった。
 コネも根回しもなにもしなかったのは、向こうが「良いものは良い、ダメだったらしょうがない」とハッキリしているから。だから遠回しにやる必要はない。直接の方が早い。

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福島良一さん(MLB評論家)の

『メジャーで成功できる日本人選手』の話

 先発投手に関していえば、メジャーで成功するための第一条件はチェンジアップ。たとえばペドロ・マルチネスやグレッグ・マダックス。彼らはタイプこそ違えチェンジアップが武器になっている。野茂もフォークがチェンジアップのようなもの。同じフォーム、同じ腕の振りで違うボールが投げられる、というのが重要。
 石井一久が高く評価されているのはカーブ。彼のカーブは左腕から繰り出され、左打者の外角低めに決まる。これも一種のチェンジアップ。ネット裏でスカウトたちがピッチャーの急速を計っているのは、必ずしも早いボールのスピードを計っているのではなく、スピードの違いを計っている。
 打者の場合、基本的に日本人選手は向こうの選手に較べて非力。そこでアメリカのスカウトは日本人選手にまずスピードを求める。松井秀喜は例外的にパワーがあったけど、イチローや松井稼頭央のようなスピードと守備力のある選手の評価が高い。松井秀喜だってけっして悪い外野手ではない。レフトを守る選手としてはトップクラスの実力がある。
 レフトは「下手な外野手が守るポジション」というイメージがあったけど、それを変えたのがバリー・ボンズだった。レフト線に打球が飛んだ時に、俊敏に打球に追いつき、素早くセカンドへ送球する。これによって二塁打を単打に抑えることが可能になる。松井秀喜もこのレフト線の打球に対する動きや判断が非常に素早い。
 松井稼頭央は日本球界で歴史上No.1の肩の強さを誇るショート。ところがその松井稼頭央がメジャーに来たら「けっして肩は強くない」という評価になってしまった。それくらいメジャーのショートはレベルが高い。とはいえ、さすがに23個のエラーは気の毒だった。というのは昨年のメッツには本職の一塁手がいなかったから。捕手のピアッツァなども一塁を守っていたけど、松井稼頭央の送球をこぼした後に反射的にキャッチャーマスクを外す仕草もしていたほど。しかも本拠地のシェイ・スタジアムのコンディションも悪かったし、1シーズンで結論を出すのは早すぎるのでは。
 最近、メジャーリーグには左打ちの選手が多い。右利きの選手が左打ちも覚えてスイッチヒッターに転向するケースが非常に増えている。1960年代なんてレギュラークラスには3〜4人しかいなかったスイッチヒッターが、いまや100人ぐらいいる。ヤンキースの先発ラインナップを見ても、時には9人中5人がスイッチヒッターだったりする。松井稼頭央もスイッチヒッターであるところは評価されたはず。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
7'55" I'm Sitting On Top Of The World Jerry Lewis MCA RE 2079
18'08" You Brought A New Kind Of Love To Me Frank Sinatra Reprise WPCP-5793
24'09" Wild Is Love Shirley Horn Mercury PHCE-10029
33'47" Exactly Like You Pat Morrissey Mercury MG 20197
50'14" Knock Me A Kiss John Pizzarelli Stash PHCE-1023


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