SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2005年1月8日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「ナベプロ・トリビュート」

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 ワタナベプロダクション―通称ナベプロは、日本の芸能プロダクションの草分け的な存在です。
 古くはザ・ピーナッツ、クレイジーキャッツ、沢田研二、キャンディーズなどが所属し、60年代には「売れっ子タレントはほとんどがナベプロ」と言われました。そして現在もネプチューン、青木さやか、波田陽区、RAG FAIRなど数多くのタレントが在籍しています。
 ナベプロの歴史は、そのまま日本の音楽ビジネスの歴史と言っても過言ではありません。今日は当店を訪れたその歴史の語り部のお話を、少しだけここでご紹介させていただきます。


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中尾ミエさん(歌手/女優)の

『ナベプロ時代』の話

 『ザ・ヒットパレード』には“今年の新人”として、レコードデビュー前から出演してた。私の他にも、弘田三枝子、伊東ゆかり、仲宗根美樹……いろんな人が出ていた。そして番組の中で何かきっかけがあって『可愛いベイビー』でレコードデビューすることになった。
 中学生の頃から私と伊東ゆかり、梓みちよの3人は社長の家に下宿していた。社長は「高校へ行け」と言ったんだけど、私が「私の人生に学問は必要ないと思う」と言って進学を止めさせてもらったのを覚えている。
 当時、社長の家でも電話は1本しかなかったので、女3人の下宿生に(奥さんの)美佐さんも加わって、みんなで電話の争奪戦をしたものだった。帰るなりダッシュで電話を自分のところに切り替えて、友達とお喋り。他の人に取られたら1時間くらいは電話が通じなかった。でもその電話が唯一の気晴らしだった。その内、梓みちよが出て行って、伊東ゆかりも出いていって、私が最後まで残ったんだけど、残る時の条件が「電話をもう1本引いてくれたら」だったくらい。
 下宿先の社長の家に帰ると、みんな寝間着に着替えた。お客さんが来ようが何をしようが、社長の家では寝間着が正装。そして毎日のようにTV関係者や音楽関係者のお客さんが来ていたから、暗い内に眠ることはなかった。お手伝いさんも3交替で24時間体制だった。
 下宿は社長の家の離れだったけど、門限なんてなかった。というのは遊びに行く暇なんてなかったから。文字通り24時間働いていた。でも下宿に戻った時は、社長を始め、みんなで家族のように過ごしていた。だから常に芸能界の裏側を見せられているというか、自分が今どういう立場にいるのか露骨にわかるので、すごく面白かった。
 そんな生活だとプライベートなんてあったものじゃないけど、私の場合はズルくて、ボーイフレンドができるとまず社長に紹介していた。最初にそう言ってしまったら社長もダメとは言いづらいし。下宿に遊びに来たら「社長、私はお風呂に入ってくるので、悪いけど彼の相手をしていて下さい」なんて。

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桜井センリさん(俳優/ミュージシャン)の

『クレイジーキャッツ』の話

 僕がクレイジーキャッツに入った頃は、それほど忙しくもなかった。テレビの仕事は『おとなの漫画』だけだったし、夜の仕事はジャズ喫茶が中心だった。
 音楽的な実力で言えば、クレイジーで飛び抜けていたのは谷啓。彼はクレイジーに入る前からトロンボーン奏者として有名で、本当にクレイジーに置いておくには惜しいくらいの才能だった。
 クレイジーに入ることになって渡辺プロダクションに所属することになったワケだけれども、あまり会社には顔を出さなかったので、会社に所属していたという意識は少なかった。ただ、いろんなマネージャーがクレイジーの担当になったけど、当時ナベプロのマネージャーは優秀な人が多かったみたいで、その後、独立して自分で会社を作った人がけっこういたらしい。たとえばホリプロの社長もそうだったみたい。
 噂で聞いたところによると、ナベプロは採用試験で文化系の人はあまり採用しなくて、体育会系の人を主に採っていたのだとか。理屈より行動力というか、明るい人を求めていたのかも。
 当時、給料制という仕組みは芸能界では珍しかったけど、僕たちは自然に受け入れられた。というのは、渡辺晋社長もバンド出身だったけど、バンドマンは月給制だったから。バンドの場合はバンマスが給料を決める立場で、月末になると手渡しで給料をくれたものだった。
 ちなみに優秀なプレイヤーなんて芸術家みたいなもので、バンス(前借り)が多かった。だから他のバンドの誰かを引っ張ろうとしたら、野球選手の契約金みたいにバンスの分を前払いしてやらないと身動きできなかった。そんなこんなでバンマスは大変だっただろうと思う。
 そういう苦労をしたからこそ、渡辺晋さんはちゃんとした会社でやろうと思い付いたのかもしれない。

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渡邊美佐さん(渡辺プロダクショングループ会長)

『渡邊晋さんとの出会い』の話

 私は横浜の家が空襲に遭って、仙台へ疎開した。仙台の生活も楽しかったけど、「このまま仙台にずっといるのは寂しい……」と思って、東京女子大学に進学した。
 両親は仙台で進駐軍にエンターテイメントを提供する仕事をしていた。もともと父は貿易商。ところが母が英語に堪能なのを進駐軍に目を付けられ、半ば強制的にその仕事をやるようになった。と言っても仙台にミュージシャンがたくさんいるわけでもなく、東京からミュージシャンなどを呼び寄せるのが中心だった。
 両親がそんな仕事をしている最中、私は東京女子大学に入学。当時はダンスが流行っていて、ダンスパーティーも数多く開かれていた。そしてそのパーティーに出席する内に、パーティーに出演していたバンドからマネージメントを頼まれるようになり、一時は4つくらいのバンドのマネージメントをしていた。別に両親の仕事を意識していたわけじゃないけど、どうやらバンドの方では「仙台の曲直瀬(まなせ/渡邊美佐さんの旧姓)の娘」という認識だったらしい。そんな縁で仕事がやりやすかったという側面はあった。
 後に夫になる渡邊晋と出会ったのも、女子大生マネージャーとして仕事をしていた時だった。彼は「渡辺晋とシックス・ジョーズ」というバンドをやっていて、出会う前から「横浜のザンジバルというクラブにジョージ・シアリング・スタイルの凄く良いバンドがいる」という噂だけは前から聞いていた。
 その内に銀座に「ハト」というお洒落なクラブができ、シックス・ジョーズはそのクラブと契約して入ることになった。そしてある時、ハトにジーン・クルーパー・トリオが来ることになり、私はそれを見に行った時に渡邊晋さんと会うことができた。実はハトで会う前にも、鎌倉で紹介だけはしてもらったことはあったのだけど。当時は由比ヶ浜がすごくお洒落な場所で、その真ん中にフルバンドが入るクラブ「リビエラ」があって、そこで挨拶だけはした面識はあった。
 とはいえ先方は人気No.1バンドのリーダー。どれだけ私のことが眼中にあったのかは定かではない。でも彼はバンドのマネージメントもしていたので、彼の企画するコンサートを手伝ってくれないか、という話を持ちかけてきた。そんな縁で私はシックスジョーズのマネージメントをするようになった。
 いま考えると、我ながらよく働いたものだと思う。古き良き時代だったからこそ可能だったのだけれども。

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渡邊美佐さん(渡辺プロダクショングループ会長)

『ナベプロ黎明期』の話

 ナベプロは最初から月給制だった。でも月給制にするには、それなりのお金が必要。そのお金は、実家に頭を下げに行った。もっとも、私にもそれなりに蓄えはあったけど。というのも、稼いでも稼いでも使う時間がなかったから。
 月給制なのにハナちゃん(ハナ肇さん)なんかはしょっちゅうお金を借りに来る。「ないわよ!」ってはねつけても、いつの間にか主人(渡邊晋さん)を味方に付けて、主人の方から「貸してあげなさい」って言わせてた。そう言われても無いものは無いから、仕方が無く3人で私の実家に頭を下げに行く。そこでハナちゃんが面白い話をしてご機嫌を取り、夜も更けてくたびれた頃に「実はお金を……」と切り出していた。
 ハナちゃんも植木(等)さんも、主人より年齢がほぼ同じか1つ上だった。だから同じ時代のジャズ・ミュージシャン仲間という付き合いだった。
 ザ・ピーナッツは名古屋の出身で、噂を聞いてスカウトに行った。初めて彼女たちの声を聞いたのは、名古屋のクラブ「フェルナンデス」。時代はロカビリー全盛で、若い人たちが興奮状態だったから、彼女たちの清潔な歌声は一服の清涼剤になるのでは、と考えた。それで急いでスカウトして上京してもらった。

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渡邊美佐さん(渡辺プロダクショングループ会長)

『ナベプロ出身の人』の話

 今だって、じれったくなるとカバンだって持つし、楽器だって動かす。たしかに付き人もいるけど、もたもたしているのを見ると体が動いてしまう。
 渡辺プロダクションができる前の音楽業界は、興行師と言われる人が取り仕切っていた。でも渡邊晋は近代的な仕事の仕組みの中で音楽産業を成り立たせたいと考えて、会社を作った。だから、ある時期から大卒の人たちを採用するようにした。その第一期が今の諸岡(義明/現渡辺プロダクション専務)さんなど。
 アミューズの大里(洋吉/会長)さん、ハンズオンの菊地(哲榮/社長)さん、スペースシャワーの中井(猛/社長)さんなどもナベプロ出身。それだけ渡邊晋は“人を育てる”ということに一生懸命だった。
 ジャニーズ事務所のジャニー喜多川さんも、一時期ナベプロに居たことがある。当時はウチでよく楽しく一緒に遊んだけど、あの人は本当に才能がある。帝劇でやっているミュージカル『SHOCK』はジャニーさん直々の電話で招待してくれたんだけど、大スペクタクルな構成、上手な役者、どれも驚かされた。そして何より、それが興行として成功しているのが嬉しい。
 昔も一生懸命作っていたけど、どうしても実を付けるのに必死な部分がどうしてもあった。張り子の虎にはしなかったけど、ある時期、張り子の虎が揃ったこともあった。
 売れっ子のスターになると、朝から晩まで1日が24時間じゃ足りないくらい忙しくなる時期がある。その時期をどう乗り越えるかで、10年選手になれるかどうかが決まる。言ってみれば、売れっ子のスターになるというのは1つの通過点に過ぎない。
 無名だった頃は誰も見向きもしなかったのに、売れっ子になるといろんな人が群がってくる。そうやって寄ってきた人はチヤホヤするだけで、悪いことは何も言わない。最初は「よろしくお願いします」と頭を下げていたタレントも、いつしか鼻が高くなってしまう。これは誰にでもあることだから、仕方がないのだけれど、この時期をどう乗り越えるかが一番大事。
 こんな話は、今の青木さやかさんとか波田陽区クンみたいに、一番売れている時期に言ってもピンと来ないと思う。でもあの人たちならちゃんと乗り越えられると思うし、乗り越えて欲しいと期待している。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
10'39" 可愛いベイビー 中尾ミエ VICTOR VICL-40113〜4
19'29" 大冒険マーチ クレイジーキャッツ 東芝EMI TOCT-6030-31
30'26" セプテンバー・イン・ザ・レイン 渡辺晋とシックス・ジョーズ VICTOR VCS-1051
36'49" 恋のバカンス ザ・ピーナッツ バンダイ APCA-1079
45'57" ロコモーション 伊東ゆかり VICTOR VICL-40113〜4


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