SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2004年10月30日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「禁じ手」

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 “やろうと思えばできなくはないけど、やらない方が良い、やらないという決まりになっている”ことを「禁じ手」と言います。
 どんな事にも禁じ手はあるもので、将棋や囲碁などのゲームでは明快にルールで定められていますし、映画や小説では「やらない方がいい」と言われている禁じ手がいくつかあるそうです。
 禁じられているが故に、その“手”に妖しい魅力を感じてしまうのは私だけでしょうか? 今日は当店のお客さまが話して下さった「禁じ手」のお話を、ここで少しだけご紹介させていただきます。


image ■ 島朗さん(プロ棋士)の

『将棋の禁じ手』の話

 将棋でよく知られている禁じ手と言えば「二歩」。同じ縦の筋に2枚の歩を打ってはいけないルールがある。もうちょっと難しいルールだと「打ち歩詰め」とか。最後に歩を打って王様を詰みにしてはいけないことになっている。
 プロの世界でも二歩は2〜3年に1度くらいの頻度で起こる。実際、私自身、対戦相手に二歩を打たれたことがある。そういうアクシデントは、得てして手に惚れてしまった時に起こる。私も二歩を打たれて「こんないい手があったのか!」と驚いた。でもよく見たら二歩。反則だと思うから読み筋になく、指されて一瞬驚く。
 子供の頃は八段なんて神様のように見えたけど、自分がなってみると、ミスもたくさんする平凡な人間だった。アマチュアの方よりちょっと詳しい、という程度。ちなみにある名医は講演で「私の誤診率は40%です」と言ったらしい。聴衆は「えぇ?!この先生が40%もミスをするの?」と驚いたけど、インターンの医者や看護士に言わせると「さすが○○先生!40%しかミスをしないのか!」となる。やっぱり専門家でも、すべてを知っているわけではない。でもアマチュアよりも多少は知っている。そしてミスをして、そこから学んで、また前に進む。それが専門家というもの。
 ただ、禁じ手のミスはケアレスミス。たとえば私は子供の頃、奨励会というプロの登竜門で将棋を指していて、珍しい禁じ手「二手指し」で負けた事がある。これは単純に2手連続で指してしまう反則で、あまりに珍しくて、それをやったら負けということすら当時はよくわかっていなかった。よく考えたら負けに決まっているんだけど。
 「もう絶対にこんな反則をするものか」そう心に誓って臨んだ次の対局。僕がちょっと横を向いていた時に、なにやら相手が指したような音が聞こえたので、次の手を指したらまた二手指しだった。さすがにその日は悔しくて、13歳にして泣きながら帰った。
 そんな経験があったお陰か、その後は禁じ手とは無縁でずっと過ごしてきた。ところが3年ほど前、ついにマニアな禁じ手をやってしまった。その禁じ手とは「裏打ち」。これは持ち駒を裏で打ってしまう反則。
 言い訳をさせてもらえば、普通の対局で使う駒には「金将」「銀将」などと書かれている。ところがその対局はCATV向けの収録対局だったので、視聴者にわかりやすいように「金」「銀」としか書かれていなかった。そして「銀」の裏には「全」と書かれていて、非常に「金」に似ている。何を言っても言い訳でしかないんだけど、とにかくそんな事情で間違えてしまった。勝ってた将棋なら悔しくて寝られなかったと思うけど、負けていた将棋だったので、まあしょうがないか、と。
 その「全」を打った瞬間、相手は「うっ」とうめいて、手が止まった。「そんなにいい手だったかな?」なんて思っていたら、記録係もそわそわしている。なんだろう?と30秒ほど経ったところで「島先生、それ裏です……」。
 その対局は非公式戦だったので、一応、公式戦での反則負けはゼロ。でも駒の裏打ちをしたプロは私くらいなのでは。

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image ■ 北上次郎さん(文芸評論家)の

『ミステリー小説の禁じ手』の話

 ミステリーの一番の禁じ手は「語り手が嘘をついちゃいけない」ということ。「妻が死んでいるのを発見した亭主」がその物語の語り手だとする。家に帰ってきて、妻が死んでいて、語り手としての心理描写が書かれる。そこに「ビックリした」と書かれていたら、その人はもう犯人ではありえない。ところが本を読み進めていったら、その亭主が犯人だった……とすると、これはもうルール違反。
 ただ、心理描写はダメだけど、会話ならセーフ。警察官に「お前が殺したのか」と聞かれて「私は殺してません」と答えるのは当然だから。それを地の文で書かれた心理描写になるとアウト。
 ミステリーに限らず、視点が固定された小説の場合は、その視点が非常に大きな問題になる。たとえば主人公の女の子がファッションに詳しくないという設定だったとする。その子が赤坂あたりを歩いていて、向こうから綺麗な洋服を着た人が歩いてきた。主人公の視点なら「花柄のワンピースが綺麗だった」とは書けるけど、そのワンピースがどこのブランドだ、とは書けない。そういう描写を積み重ねる事で「この主人公はファッションには詳しくないんだ」「株には詳しくないんだ」と性格を作っていくのが小説。その不自由な制約の中からどうやって物語を作っていくかが勝負になる。
 ベテランの作家になると何年も修行をしてきているので、そういう約束事に関してミスをする事はないけど、デビューしたての新人だと時々「あれ?」と思う事がある。たとえば小説の中で視点を変える時に、普通は章を変えたり行を変えたりするもの。それを怠る事を「視点が乱れている」と表現しする。もっとも中には「あえて改行もしないで視点を変える」というけっこう有名な小説があって、視点の混乱を1つのトリックに使っている。どの作品かを言ってしまうとつまらなくなってしまうので、残念ながらタイトルは言えない。
 「犯人は物語の初期の段階から登場していなくてはならない、しかしまた、その心の動きが読者に読みとられていた者であってはいけない」というのは基本的な原則ではある。けれど、必ずしも全部のミステリーがその要件を満たしているとは言えない。「推理小説に超自然的な魔力を導入すべきではない」というのも、今や禁じ手とは言えなくなっている。
 ちなみに以前「探偵が物語に登場してから、物語の結末までに被害者が何人出たか」を調べた事がある。つまり、本当に名探偵なら、登場してからの被害は防げよ、と。ところが何人も何人も死んでから、最後に「コイツが犯人だ!」と言う名探偵がたくさんいる。そのワーストは金田一耕助だった。こういう名探偵は困りもの。

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image ■ 小林カツ代さん(料理研究家)の

『料理の禁じ手』の話

 家庭でもお店でも、料理は味の似通ったモノを続けて出してはダメ。最初にフォアグラのムースが出てきて口の中がウンザリしている時に、またクリーム系の何か。さらに魚にはクリームソースがかかっていて、やっとお肉かと思ったら付け合わせのポテトがクリームで煮て焼いてある。とどめのデザートもムースだったりしたら、本当に口の中がウンザリしてしまう。料理の連続性を考える事がとても重要。
 最近はだいぶマシになってきたけど、学校給食が代表的な悪い例だった。切り干し大根があって、春巻きがあって、まだ栄養的に足りないから何かを……と、どう考えても美味しくない組み合わせを平気で出していた。子供や若い人を指して「“ばっかり食べ”は良くない」なんて言う人もいるけど、和食のおかずを食べて、牛乳を飲んで、パンを食べて……なんて“三角食べ”をしてたら気持ちが悪くなるに決まってる。“ばっかり食べ”は子ども達の工夫。
 一方、パスタは1秒ごとに味が落ちていくものだから、本質的に“ばっかり食べ”の方が合っている。サラダなんかは先でも後でも、ゆっくり食べればいい。それを勘違いして一緒に食べろ、なんて。パスタだけじゃなくて、餃子も同じような食べ物。
 「淡」があったら「濃」、「酸」があったら「苦」、そういう組み合わせを考えるのが献立。とろろだったら麦ご飯が合う。麦ご飯には青魚が合うからサバやサンマ。その魚にはお味噌が合う。だからみそ汁でもいいし、秋ナスの味噌炒めが付いてもいい。もちろんサバを味噌で煮てもいい。こんな組み合わせの幸福感といったらない。トンカツに刻みキャベツ、青みが足りないなと思ったらほうれん草のおひたし、すだちをちょっとかけて、なんて完璧なメニュー。
 逆に削いでいく事を考える時もある。丼モノの時だったら、おつけものと、せいぜいおひたしとお吸い物ぐらい、とか。親子丼に入れるのは鶏肉と卵、タマネギを入れる事もある。でもそれ以上のモノは要らない。そのルールは守らないと。それがどうも最近、料理が変わって来ているような気がする。
 全部の料理を食卓に並べるのは日本だけ。季節を合わせれば献立になる。鯖の味噌煮、マイタケやキノコのお吸い物、大根やカブはゆずと塩でちょっと揉んで。そんな風にして今の季節を合わせていくだけでいい。

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image ■ 平野弘幸さん(講道館道場指導部)の

『柔道の禁じ手』の話

 柔道の技術体系には「投げ技」「固め技」「当て身技」の3つがある。投げ技、固め技はお馴染みの柔道の技。つまり柔道には、柔術からの流れである当て身技が残されている。ただ体育的な見地から、試合や練習ではやらないことになっている。だから当て身技は“型”としてだけ残っている。
 講道館柔道には7つの型があって、その内の1つに「殴って極める」という型がある。これが当て身技。もちろん試合では禁じ技だし、練習もしない。
 それから、講道館柔道のルールと国際柔道連盟のルールは微妙に違うところがある。有名なところでは「蟹挟み」。両足をハサミのように使って相手の下半身を掴み、相手を後ろに倒す技。これが国際柔道連盟の方では禁止技になったけど、講道館ではOK。「ちゃんと掛ければ危なくないだろう」「あまりに技術を削ってしまうのも良くないのでは」などの意見があって残されている。
 山下泰裕先生も現役時代に蟹挟みを掛けられて怪我をしたしけど、たしかにちゃんと掛けないと足首が極まってしまい、怪我をしやすい。だから講道館でも全日本選手権クラスの大会では使えるけど、小さい大会では申し合わせ事項として「蟹挟みは止めましょう」としていることもある。もちろん小学生の大会などは最初から禁止。そう考えると、ほぼ禁止の技と言っていいかもしれない。
 それからジャイアント馬場さんや相撲で有名な「河津掛け」。これも柔道では禁止。相撲ではOKで柔道ではダメなことはけっこうあって、たとえば関節を極めながらの投げ技は、柔道ではやってはいけないことになっている。脇固めを極めて倒れていくと反則負けだし、腕を極めて相手を転がしても技のポイントにはならない。こういう禁止技は、ほとんどが怪我の防止のために決められている。
 小学生になるともっと厳しくて、「諸手刈り」も禁止されている。これは危険ぼうしというより、子供にこれを許してしまうとすぐに足を取りにいって、柔道にならないから。

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image ■ 津崎昭子さん(映画スクリプター)の

『映画の禁じ手』の話

 映画には、やっちゃいけない事があるようでないようで、ないようである。つまりセオリーがあって、知ってて崩す人と、知らずに最初からバラバラの人がいる、ということ。
 映画や映像で一番やってはいけないのは、顔の表情が繋がらないこと。ほんのちょっとの口の開き方の違いで全然違う表情になってしまい、それを一連の映像として繋げていくのは、私には耐えられない。
 役者さんも、ベテランの方になるとそういう事はちゃんとわかっているけど、中には前のカットがどんな顔をしていたか忘れてしまったりする人もいる。右手と左手を間違えてもお客さんは意外と気がつかないものだけど、その顔の違いはどんなお客さんでも絶対にわかる。直前までニコッと笑っていたのに、次のカットで普通の表情になっていたりするとかなりビックリすると思う。
 それから目線も重要。どこかを見ていて、カットが変わった時にその視線がちょっとでも変わると、お客さんは「この人はどころ見ているんだろう?」と混乱してしまう。一番怖いのが、たとえば倒れた人を3人で見る時。「ここを見る」という指示を出さないと、3人がバラバラの方向を見ているように受け取られてしまう。
 「カットバック」の撮り方にもルールがある。お客さんは映画を見ていても、舞台を見ているような感覚を持っていて、その舞台の枠とも言うべき「イマジナリー・ライン」を無意識に感じている。だから急に「舞台の裏側からの映像」を見せられると、感情が途切れるような感覚を覚えてしまう。逆にそのことを利用して、喧嘩をしているカップルを描く時にあえてイマジナリー・ラインを越えて、そういう雰囲気を演出する人もいる。
 そういう事をちゃんとわかってやる監督はいいけど、知らずに「おもしろいからやってみよう」と言われると、「監督さん、ちょっとそれは勘弁して下さい……」と止める。
 お客さんは映画の中に登場する人物がどうするかを見に来ている。別に演出する人たちの気持ちを探りに来ているわけじゃない。そこで作り手側の顔が見えてしまったら、それでアウト。小難しい理屈を並べて「いいんだよ!わかんない客なんか頭悪いんだからいいんだよ!」なんて言う人もいるけど、私はそれだけは許せない。
 とは言っても、そんな人たちだって不安は持っているので、「津崎さん、大丈夫だよね?」と小声で聞いてきたりする。そういう時は「うーん、100人の内1人くらいしかわからないと思いますよ」と言う。そういえば解ってくれる人もいるし。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
8'34" Don't Be The Way Frank Sinatra Reprise WPCP-4681
20'42" Yes, I Can Sammy Davis Jr. Reprise WPCR-884
32'28" Ain't We Got Fun Peggy Lee 東芝EMI TOCJ-5349
48'21" Something Makes Me Want To Dance Nat King Cole Capitol CDP 0777 7 89545 2 1
47'55" I'd Know You Anywhere Irene Kral 東芝EMI TOCJ-6076


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