■ 三浦雄一郎さん(プロスキーヤー)の
- 『雪崩とクレバス』の話
南極で雪崩に巻き込まれて、時速300kmで1000mを転がり落ちた。我ながら「これは助からないな」と思ったけど、「これで助かったらこんな贅沢な人生はない」とも思った。落っこって行きながら「贅沢だ!」「贅沢だ!」と言っていたら、最後にポーンとはじき飛ばされて、雪崩の一番上に浮かんでいた。
実は小学校5年生の時にも、蔵王で雪崩に巻き込まれる経験をしている。その時に「スキーがどんどん下に吸い込まれていく」という感覚を学習していて、南極の時にその記憶が甦っていた。だから「それならスキーを上にしてしまえ」と頭を下にして、足を上へ上げて落ちていった。
雪崩はどんどんスピードが上がっていって、時速300kmに達する頃には10気圧もの圧力がかかる。その中で記憶を失って、気が付いたら小山ほどある雪崩の一番上で、スキーを履いたまま、あぐらをかいて座っていた。
さらにその雪崩に遭う30分前には、クレバスにも落っこちている。その時は誰も登っていない南極の山に登って、頂上まで30分もあれば着くというところで一休みしていた。紅茶を飲んで、ビスケットを食べて、さあ行こうかという時に僕が「せっかくカメラを回すんだから、ロープを持っていた方が格好良いだろう」と提案した。
別にロープでパーティを繋ぐ必要はない状況だったんだけど、ただそれだけの理由で僕、大滝勝、小倉君、その3人がロープで繋がれた。そして最初の一歩を僕が踏み出した瞬間、ストーン!と足下を踏み抜いた。
そこは深さ100mくらいの大きなクレバスで、その上に薄いスノーブリッジが吹雪で掛かった場所だった。僕は最初、落ちているということが全然わからなくて、テレビみたいな雪の固まりと一緒に呆然と落ちていた。その次の瞬間、ボーン!と強烈な衝撃が襲ってきて、気が付くと僕はロープにぶら下がりながら、氷壁にぶつかって振り子のように揺れていた。
上を見上げると大滝君も同じようにぶら下がっている。これは僕、大滝君が次々に消えるのを見た小倉君が、反対側に飛び降りてピッケルを突き刺して止めてくれたお陰だった。後で見せてもらったら小倉君の手袋は、ロープの摩擦で焼けこげて、小倉君も手を火傷していた。
その日は散々な1日だったけど、こういう商売をしているとこんな事は当たり前に起こる。
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■ 三浦雄一郎さんと 三浦豪太さん(プロスキーヤー)の
- 『エベレスト滑降』の話
【豪太さん】
この間、父が70歳と222日でエベレストに登ってきたのは、人類の最年長記録。医者、家族、そして自分自身、すべてが「やめた方が良い」と言ったはずなのに、行ってしまった。
僕はその時、一緒にエベレストを登った。やっぱりエベレストは三浦家のルーツというか、34年前に父が「エベレストを滑った」ということで有名になっている。同じスキーヤーとして、父がやったという「大それた事」がどんな事なのか、どんな場所を滑ったのかを確認したくて、一緒についていった。
で、実際にその場所を見て思ったのが「ここは人間が滑る場所じゃない」ということ。もうビックリしたというか、恐れ入りましたという感じ。あんな場所を、しかもターンもせずに真っ直ぐ下りるなんて信じられない。
ちなみにパラシュートで止めようとしたらしいんだけど、風が強いのと空気抵抗が少なすぎるせいで、何の役にも立たないばかりか、絡まって転ばせる役割しか果たさなかったらしい。
【雄一郎さん】
知らぬが仏というか、NASAの連中が人工衛星を回収するのに使うのにパラシュートを使うけど「高度6000m以下で開かなければ空気抵抗が少なすぎて効果がない」ということが実験でわかっているらしい。もちろんそんなのは後で知った事で、当時は何も知らないからパラシュートで止まるつもりだった。
【豪太さん】
パラシュートは開かないばかりか、横風で横に流されて邪魔なだけ。最後には「親子岩」という岩に激突して落っこちて、その後の新雪でやっと止まったらしい。本当によく助かったものだと思う。
その当時、僕はもうすでに生まれていて2〜3歳だったけど、そこで父が死んでいたらオリンピックのインタビューで「僕の父親はエベレストを滑って亡くなりましたが……」なんて答えていたかもしれない。
だいたい、アイゼンの刃が掛からないような場所をスキーで滑り下りるという事自体がおかしい。文字通りガラスでできた崖を下りてくるようなものだし。
【雄一郎さん】
エベレストをスキーで下りるという企画は「誰もやってないことを、世界でも最高の舞台でやってみよう」という意気込みで立てた。
石原慎太郎さんを「総隊長」なんて騙くらかして連れ出して、裕次郎さんには「お宅のスタッフを全部貸してくれ」とお願いして、当時のお金で3億円、今の金額にすれば15億円くらいのお金をかき集めて、映画にするためにエベレストへ向かった。
1000人のポーターを雇って、先頭になったり後ろをついていったりしながらエベレストを登る最中「俺はヒマラヤ史上最大の詐欺師かもしれない」とも思った。下見もできないから、やれるかどうかさえ分からないままエベレストを登っているわけだし。
もちろん、それなりの準備はしていった。富士山でトライしたり、防衛庁の航空研究所へ10年通って「直系5mのパラシュートで向かい風なら時速80kmには落ちる」という結論も出ていた。パラシュートが開かなければ時速300kmと言われていたけど。
【豪太さん】
今回のルート場にも、その親子岩はあったので、僕からも「ありがとうございました」とちゃんとお礼を言ってきた。
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■ 日下宏美さん(TBS『世界遺産』ディレクター)の
- 『グランドキャニオン撮影』の話
グランドキャニオンはとにかく広い。だから僕らの番組だとヘリコプターに乗って空からの撮影が必要だった。
パイロットは撮影慣れした人で、とても上手な人だった。特に低く飛ぶのが上手くて、実はコレは非常に難しい技術。他のパイロットではやりたがらないような高度でもバンバン飛べてしまうような人だった。
初老というか、おじいちゃんみたいなパイロットで、話を聞いてみるとベトナム経験者だとか。その人が普通ではあまり使わない大型のヘリコプターを用意してくれた。
その人は飛ぶ前にもいろいろレクチャーしてくれた。僕らの飛ぶルートに1カ所だけコロラド川の上に電線が通っている場所を飛ぶから、そこは高度を上げるので撮影の事はあまり考えないでほしいとか、夕方になると気流が谷に流れ込む状態になるので、そうなると事故の確率が高い、だからその前には終わらせて帰ろうとか。
レクチャーを聞いた後、いよいよヘリコプターに乗り込んで撮影が始まった。そのパイロットの腕は確かで、素晴らしい映像が次々に撮れていった。岩ギリギリを飛んでいるところから目の前がドーンと広がったり、空撮とは思えないほどコロラド川ギリギリの高度から撮影したり、スタッフ一同大いに盛り上がりながら、回しっぱなしで撮影は行われた。
そうこうしている内に、レクチャーで聞いた電線のポイントが近づいてきた。向こうに電線が見えてきて、ヘリコプターもけっこうなスピードで飛んでいるから、僕たちは「あ、これは急上昇するな」と身構えた。ところがその瞬間、ヘリは逆に機首を下げた。上昇に対して身構えているから「あ、これはダメかも」と覚悟した。川がどんどん近づいてきて、もう墜落する!と思ったその時、またフワッとヘリは浮かび上がって飛び続けた。ようするに15mほどの電線の下を潜ってしまったらしい。これにはみんな度肝を抜かれた。
その後、順調に撮影は続けられた。そして時間もいい頃になり、そろそろ帰ろうと谷底から上昇を始めた。ところが今度はヘリの中が完全に無重力状態に。そのまま一気に100mくらい落ちた。みんな「ああ、これが話に聞いた谷底へ流れ込む気流か」と完全に覚悟した。
僕もビデオ・エンジニアも通訳も、全員気持ちは同じで、みんな握手をしながら「天国で会おう!」「大変なロケに連れ出して悪かったな!」なんて言い合っていた。でもパイロットだけはひと言も喋らず、非常にクールだった。機体を立て直して、ゆっくりゆっくり上がって、最後には無事帰還できた。
ちなみに僕はその時「これで生きて帰れたら、何でも好きな事をしよう」と考えた。それで日本に帰ったら真っ先に、アルファ・ロメオのスパイダーを買ってしまった。だから「なんでその車を買ったの?」と聞かれると、このグランドキャニオンの長いお話が始まる。
最近聞いた話だと、そのパイロットはスペースシャトル・コロンビア号の破片を回収する作業に加わっている最中に、突風に煽られて墜落して亡くなってしまったとか。とても残念だった同時に、その訃報を聞いたのがニュージーランドの氷河で「グランドキャニオンの時みたいに格好良く撮ろう!」なんて準備していた時だったから、ちょっと怖くなった。
それでも撮影が始まってしまえば、また僕たちは熱くなって氷河にどんどん突っ込んでいく。僕たちの仕事はそんな毎日。だから次は何を買うことになるのやら。
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■ 武藤敬司さん(全日本プロレス)の
- 『アメリカ武者修行時代』の話
若い頃、修行でアメリカに出された。生まれて初めてのアメリカ、しかも英語も話せないのに、たった一人で行かされた。最初はフロリダに1年、一度日本に帰ってプエルトリコで8ヶ月、さらにテキサスへも行かされて、そのテキサスでメジャー団体のWCWにスカウトされた。
WCWには当時、バリー・ウィンダムというベビー・フェイスがいて、ケンドー・ナガサキがその人に突っかかっていく。まだベビーフェイスだった俺が乱入して、竹刀でケンドーを殴るふりをして、いきなりバリーを殴った。そうしたらケチャップとかがむちゃくちゃ客席から飛んできて、それ以降は完全にヒール。これはエキサイティングだった。
向こうで感じたけど、アメリカのプロレス・ファンは本気だから怖いこともある……というか、アメリカという国が自体がけっこう怖い。
マイアミにいた時、ホテルのラウンジで一杯引っかけている時、カウンターの中には女性のバーテンダー、カウンターのこちら側には男性のお客さんがいた。最初は仲良く喋っていたのに、いつの間にか喧嘩になり、いきなり男性の方がピストルを出してバンバン撃ち始めるし。あえて当たらないように撃っていたみたいだったけど、僕たちプロレスラーがビビってテーブルの下に隠れるほどだった。
大体、レスラーだって自分の車の中に必ずピストルを持っているし。さっき話に出たバリー・ウィンダムの車に乗っていたら、何もない原っぱにポツンと立っている標識の前で止まって「ムタ、ちょっとこれ撃ってみろ」とショットガンを渡された。撃ってみたらスゴイ衝撃で勉強になったけど、標識には10個ぐらい穴があいちゃった。
フロリダでは「アリゲーター・アリー」という誰も通らない道を通ったら、4〜5mはありそうなワニが車に轢かれたのかピクピクしていた。「あのワニ、ハンドバッグにしたら良いんじゃないか?」と思ってUターンしたら、もういなくなってたけど。それくらいフロリダではワニはよく見掛ける。
アメリカでは車が動物にぶつかって事故になるケースがすごく多い。中でも一番困るのがスカンク。これは本当にくさい。車に臭いがべっとり付いて、この臭いがなかなか取れない。プロレスラーはみんな車での移動が多いので、みんな大なり小なりその手の体験をしている。
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■ 林雄司さん(『Webやぎの目』製作者)の
- 『死ぬかと思った』話
「死ぬかと思った」を始めたのは99年3月。もともと酒飲み話としてこの手の話題が好きで、「子供の頃、短パン履かないで運動会行っちゃってさぁ〜」なんて自分の話もよくしていた。そういう話をすると「実はオレも……」なんて話が盛り上がる。
中にはちょっと引いちゃうくらいの話をする人もいる。そういう話はだいたい下ネタ系。しかも翌日、メールで「もう1個、思い出しました」なんて送ってきたりする。仕事モードの時にまた強烈な下ネタを見るのはけっこう可笑しい。
そんな人間だったので、その趣味をWebサイトのコーナーにしてしまった。今でも1日4〜5通の投稿が寄せられている。投稿のルールは簡単で、文章の最後を「死ぬかと思った」で終わらせれば、どんな内容でもOK。
ある男性はパンツ一枚で洗濯物を干していて、ちょっと玄関を出た時にオートロックで閉め出されてしまったとか。パンツ1枚で革靴。その格好のまま、駐車場の車まで鍵を取りに行った時に「死ぬかと思った」らしい。
別の人は、近所に魚を獲りに行ったら、沼にはまって「死ぬかと思った」とか。その人は自力では脱出できなくて、釣りに来た近所のオジサンに助けてもらったらしい。こんな「死ぬかと思った」話は、他人事だと楽しい。
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放送曲目リスト
| Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
| 9'41" |
Between The Devil And The Deep Blue Sea |
Matt Demmis |
BMGファンハウス |
BVCJ-37241 |
| 19'04" |
I Want To Be Happy |
Debbie Reynolds |
Universal Victor |
MVCJ-19233 |
| 32'13" |
Come Fly With Me |
Frank Sinatra |
Capitol |
TOCJ-5361 |
| 42'33" |
You're Got Your Troubles |
Nancy Wilson |
Capitol |
7243 8 56060 2 1 |
| 47'53" |
Just One Of Those Things |
Lena Horne |
RCA |
R25J-1035 |
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