SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2004年6月26日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「幻の逸品」

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 今はイギリスにいるという麻理絵さんからエアメールが届きまして、なんでも向こうでマッカランの1937というウイスキーを飲む機会があったとか。麻理絵さんは知らないみたいですが、このウイスキー“幻の逸品”と言ってもいいくらい貴重で高価なウイスキーなんですが……いやはや、うらやましい限りです。
 今日はこちらで当店のお客さまが話題にしていた「幻の逸品」のお話をご紹介させていただきますので、幻のウイスキーの代わりにお楽しみ下さい。


image ■ 内記稔夫さん(現代マンガ図書館館長)の

『幻の漫画』の話

 手塚漫画に出会って貸し本業を始めたのが1955年。当時、手塚治虫はすでに大作家として売れっ子だったけど、それ以外に「コレは!」と目を付けた人が何人かいた。その人達はみんな今や大家になっているから、ちょっと自慢してもいいと思う。
 たとえば、つげ義春。当時『覆面夜叉』という漫画を描いていて、格好良いキャラクターが登場する娯楽作品を作っていた。個人的にはその頃の漫画の方が好き。それから永島慎二。後から知ったことだけど、つげ義春と永島慎二は同い年で、手塚漫画の影響を受けた世代だったらしい。
 『もも子探偵長』の鈴木光明も、当時は時代漫画を描いていた。戦後はGHQによって日本の武道が禁止されていたので、解禁を境に時代漫画の大ブームが起こった。『赤胴鈴之助』『イガグリくん』といったヒット作も生まれたのもその頃。
 でも実は、戦後すぐもチャンバラ漫画はあった。それはアメリカ・スミソニアン大学のプランゲ文庫に、戦後すぐからGHQが取り締まっていた期間の漫画がそっくり保存されているので詳細にわかる。
 そのGHQが検閲していた期間は7〜8年。GHQが持ってきたアメリカ映画やコミックによって、手塚治虫はディズニーに憧れ、松本零士も大きな影響を受けた。その一方で、福井英一が『イガグリくん』を描いたように、チャンバラ時代劇漫画も描かれていた。その時代を伝えるプランゲ博士の文庫は素晴らしい。
 日本は漫画文化全盛と言われながら、いまだに漫画を保存している場所がウチしかない。国会図書館も一応は残しているけど、お役所は中身しか興味がないのか、カバーを捨ててしまっている。それでは文化を残すということにはならない。
 一昨年、早稲田大学がプランゲ文庫の資料の一部を持ってきて展示会を開いた。その時、関係者が僕の所へ「どれを展示していいか選んでくれ」と言ってきたので見に行ったら、「これもあるのか!」「これもか!」と全部がお宝。全部を展示して欲しかったんだけど、さすがにそういうわけにもいかなかった。
 惜しむらくは、すべての漫画の表紙に検閲印が押されていたのが残念だった。でもこればかりは、そういう趣旨で集められた資料だから仕方がない。

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■ 鈴木正文さん(『ENGINE』編集長)の

『幻の車』の話

 スポーツカーはイギリスが創ったもの。
 最初は「ヒル・クライム」から始まった。ようするに「丘登り競争」で、アストン・マーチンの名前の元になった「アストン・クリントン」という丘があって、そこで競争をし始めたのが最初だった。
 アストン・マーチンの最初の車も、その競争のために作られたようなもの。オースチン・ヒーリーもそうだし、大概のイギリスのスポーツカーはそこにルーツがある。
 そういう事情だったから、どの車も大量生産はしていなかった。自分で作って、自分で走る。ところが中には速い車もあって、「お前の車いいなぁ、俺にも作ってよ」ということで手作りで生産していた。
 もちろんそれでは採算がとれない。だから年中倒産していた。ベントレーなんかW.O.ベントレーが創業して、あっという間に倒産してしまった。でもお金持ちなベントレーのお客さんが「自分の乗りたい車がなくなってしまう」と惜しんで、会社ごと買い取ってくれた。
 そのベントレーを買い取った実業家の1人がバーナートという人だった。彼はベントレーの社長になって、友人と食事をしながら「ベントレーとブルートレイン(特急列車)、どっちが速いか」という賭をした。その賭けは、カンヌからパリまで抜きつ抜かれつの競争をして、最後にはベントレーが勝った。この車はル・マンにも出たレーシングカーで、“ブルートレイン”というあだ名が付いている。
 このブルートレインが、去年の9月にパリで行われた『ルイ・ヴィトン・クラシック』で優勝した。一応、当時のままの車が出品されたことにはなっているけど、おそらく部分的には新しく作り直して当時の車を再現した物だと思う。
 ちなみにその列車と車のレース、南仏のスタートだから道中はろくに舗装路もなかったはず。それでも社長のバーナートはル・マンで優勝したレーサーだったから、すごい運転をして勝ったのだろう。1950年代くらいまでは「ジェントルマン・ドライバー」という言葉があって、F1でもスポーツカーのレースでも、レースに出るのは職業的なドライバーではなかった。
 イングリッド・バーグマンと結婚した映画監督のロベルト・ロッセリーニはジェントルマン・ドライバーでもあった。彼はフェラーリの大ファンで、ある時、バーグマンのためにフェラーリに「375ミッレミリア」という車を注文した。そしてさらに、彼女の瞳の色に合わせて車体をグレーに塗って欲しいという要望を出した。その色は今でもフェラーリに「グリジオ・イングリッド」という名前で残っている。

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image ■ 浜田哲夫さん(出版プロデューサー)の

『幻のビートルズ』の話

 実はビートルズには「幻の○○」という話は多い。それは偽物も含めて……というより、ほとんどがバッタ物。
 今回の話は、ビートルズがもうとっくに解散した後の1976年、彼らがひそかに集まって録音したテープが見つかった、というお話。しかもテープそのものは、中のデータが消去されしまっていたらしい。ただリールには曲名が書いてあって、そのテープが売りに出された、という次第。
 でも実は、ビートルズの会社「アップル」がその曲の音源をひそかに持っている、という噂は絶えない。当時、ロサンゼルスにメンバー4人が集まって、プロデューサーのジョージ・マーティンも立ち会って録音したんだとか。正直、かなり怪しい話だけど、構成的には良くできた話になっている。
 というのは、ビートルズを初めてアメリカに呼んだのはシド・バーンステインというプロモーターだったんだけど、この人が1976年9月20日にニューヨーク・タイムズ紙へ「ビートルズよ、もう1回コンサートをやろう」という意見広告を出している。この事実があるので、ファンはこの幻の音源の話に「もしかして……」という期待を抱いてしまう。
 でもちゃんと調べてみると、この時ポールはロンドンにいる。「ウイングス」というバンドを作って、そのバンドのライブ版を12月10日に発売しているので、そのマスタリング作業等でずっとロンドンにいた。
 一方、ジョン・レノンは何をしていたか。その年の前の年、ショーンが生まれているので、「主夫宣言」をして音楽活動から一切手を引いていた。
 もろもろの話を統合すると、その時期にビートルズが集まってレコーディングしたなんていうことはあり得ない話。アップルの代表に聞いても「そんな事実はない」という答えが返ってくるし、レコーディングしたと言われているスタジオのオーナーも「あり得ない」という声明を発表している。
 だからこれから期待できる本物の「ビートルズの幻」なら、映画『レット・イット・ビー』のDVD。あの映画はジョージ・ハリスンとポール・マッカートニーの諍いが赤裸々に描かれているので、ジョージが反対してこれまでほとんどビデオ等で発売されることはなかった、と言われている。この封印がジョージ・ハリスンが亡くなったことによって解け、DVDとして発売される可能性が高まっている。
 行方不明になっていた『レット・イット・ビー』の原盤も見つかって、ますます期待は高まっている。しかもあの映画は141時間もフィルムを回して、実際に使ったのはわずか90分。DVDのボーナス・トラックで、誰も見たことのない幻のビートルズが見られるかもしれない。

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image ■ 新関光二さん(生活文化研究家)の

『幻のグリコのおまけ』の話

 「グリコのおまけ」は新しいものも含めれば3000種類くらいある。コレクションでたくさん集めたけど、これだけ多いとさすがに持っていない「幻のおまけ」がいくつかある。
 たとえば戦前のアメリカのキャラクター「ベティ・ブープ」。それから「凸凹黒兵衛」は、やはり戦前の日本のキャラクター。この辺のキャラクターのおまけは持っていないので、常々欲しいと思っている。昔、持っている人にみせてもらったことはあるんだけど……
 そういうものを「幻の逸品」と呼んで良いのかどうかは、なかなか難しい。価格的な評価が付いていて、なおかつ非常に世の中で少ない物、というのが一般的の定義だと思う。でも自分にとっての「幻の逸品」は、想い出だったり、ずっと探しているのになぜか出会えないものだったりする。偶然、知り合いの家で3個見つけてショックを受けることもある。
 時には「究極の幻の逸品」に出会うこともある。その時は知り合いから電話が掛かってきた。「グリコのおまけがけっこう数がまとまってあるらしい」とのことで、とりあえずその骨董業者を教えてもらって、見に行くことにした。
 その業者は大阪の業者で、先に電話で問い合わせたら、ちょっとした値段になるという。その値段は、だいたい当時の給料で1ヶ月分くらい。でもカードというわけにもいかないし、そんなに珍しいと言われると気になって仕方がないし、売れちゃったら悔しいし……といろいろ考えて、なんとかお金を工面して京都から大阪へ向かった。
 見せてもらったら「スゴイ!」のひと言。それは戦前、中国のグリコの工場で作ったおまけを箱詰めにしたセットだった。鉛で作ったものや土で作ったものもあって、わりと中国っぽいデザインのおまけが多かった。それでもすべてのおまけに「グリコ」の刻印が入っていて、箱もちゃんとグリコ。40点くらいあったけど、キレイに標本箱のようなものに収められていた。おそらく向こうの工場へ来た来賓に贈ったものだと思う。
 「もうちょっと安くならない?」なんてことを関西弁で交渉して、なんとかお釣りが残って、それを帰りの電車賃に、「幻の一品」を大事に抱えて帰ってきた。

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image ■ 堀賢一さん(ワイン研究家)の

『幻のワイン』の話

 マデラというのは、大西洋に浮かぶポルトガル領の南の島。モロッコまで200kmくらいなので、ほとんどアフリカと言っていい。大航海時代には新大陸へ向かう船が水や食糧を補給する基地として栄えた。
 その島がポルトガル領になってからブドウが持ち込まれて、ワインが作られるようになった。アルコール度数が低く、薄っぺらで酸っぱいワインしか作れなかったけど、船員たちはそのワインを持ってアメリカへ渡っていった。
 その内、ブランデーを足してアルコール度数を19〜20度くらいにするようになり、そのワインが船倉の底で数ヶ月寝かされてアメリカへ着くと、茶色になってかなり劣化したような味になっていた。ところがコレが、飲み慣れると意外といける。
 この時代のワインが、今でも手に入る。今日持ってきたのは1880年の「ソレラ」というワイン。日本で買うとで10万円くらい。考えようによっては意外と安い。ただ、普通のワインだとこんなに古いと飲めなくなってしまう。100年以上経っても飲めるのはアルコール度数が高いおかげ。
 開けるときは、コルクがグチャグチャになっているので、ゆっくりと抜かないと折れてしまうので……。今は紅茶みたいな色をしてるけど、実はコレが白ワイン。ワインの中のフェノール成分が酸化して茶色くなってしまう。
 飲んでみると、甘くて、酸っぱくて、でも深みがあって、すごく不思議な味。この液体が、120年前に大西洋のマデラ島に降った雨がブドウに吸い上げられたものだと考えると、とても感慨深い。
 実はラベルに「1880」と書かれているのにはちょっと説明が必要になる。人形町あたりのおでん屋さんに行くと、江戸時代からダシが続いている、なんてお店もあるけど、このソレラというお酒も似たような方式で作られている。「1880」と書かれている場合は、大きなブレンド用の樽を1880年に作ったということ。その大きな樽がいっぱいになるには10年くらいかかるので、その間、毎年継ぎ足しをしている。だから「1880」と書かれている場合は1880〜1890年くらいのワインが入っている、という意味。
 個人的には、このお酒と葉巻がすごく合うと思う。六本木ヒルズのホテルのバーには良いマデラが置いてあって、葉巻も置いているので、あそこで葉巻を吸いながら飲むのがオススメ。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
8'22" Corrida de Jangadu Toots Thielemans & Elis Regina Philips 830 391-2
20'13" Nem Um Talvez Doris Monteiro Bomba Records BOM 557
30'16" In My Life Astrud Gilverto Verve POCJ-2560
40'02" Na Batncaca Da Vida Miucha & Antonio Carlos Jobin RCA BVCP-2082
47'58" VEM Marcos Valle EMI 829370 2


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