■ 石川直さん(ドラム・パフォーマー)の
- 『テネシーのジャック・ダニエル』の話
テネシー大学は2つあって、1つはノックスビル、もう1つはチャタヌガという街にある。僕はチャタヌガの方のテネシー大学に留学していた。
チャタヌガは八方を山に囲まれた盆地で、どこから来るにも2時間くらいかけて山を越える必要があった。ひと言でいえば田舎。アメリカでは“一番美しい街”とも言われていて、空気も水も綺麗だし、紅葉も凄かった。アトランタなら車で高速を飛ばせば2時間くらいなので、もし行く機会があったら秋がオススメ。
僕たち学生は夜にバーへ行って、ちょっとビリヤードをやって、お酒を飲んで帰る、なんてのが定番の遊びだった。みんなお酒に興味を持ち始めた時期でもあり、みんなでジャック・ダニエルのボトルを回してショットして、そのままどこかへ遊びに行ったものだった。
テネシー州は横に長くて、チャタヌガはその右下、ジョージア州との州境にある。テネシー州の上のケンタッキー州あたりから“南部”と言われ始めるので、テネシー州は完全に南部。テネシーと言えば南部訛り、とも言われる。
たとえば“Name”は「ネーム」じゃなくて「ナイム」、“Take”は「テイク」じゃなくて「タイク」。これが典型的な南部訛り。もちろん僕も“南部訛りの英語を話す日本人”になってしまって、ずいぶんからかわれた。
アメリカ人がバーで飲む時は、ウイスキーを飲む人も多いけど、やっぱり一番多いのはビール。でも、ジャック・ダニエルならアメリカ中どこのバーでも置いてあった。それくらい向こうでは馴染みのあるお酒。
僕もジャック・ダニエルのボトルを日本で見掛けると、ついいろんな想い出が頭に浮かんでしまう。
- 【Hot Link !!】
■ リカヤ・スプナーさん(タレント)の
- 『タイのウイスキー』の話
タイでもウイスキーは作られているけど、厳密な意味でウイスキーと言えるかどうか。というのは、タイでは“茶色いお酒”を全部ひっくるめて「ウイスキー」と呼んでしまっているから。
だからタイで作られるブランデーやラム酒なんかも全部「ウイスキー」に分類される。そして実は、その中にちゃんとしたウイスキーは1つもない。たとえばタイの有名なウイスキーに「メコン・ウイスキー」があるけど、これは本当はラム酒。それから「サンソン・ウイスキー」も有名だけど、やっぱりラム酒。
この“ウイスキー”をタイの人は本当によく飲む。ビールよりもよく飲んでいる。屋台に行って、向こうでは持ち込みが当たり前なので、持ち込んでみんなで回し飲みしたり。そんな感じでみんなウイスキーを楽しんでいる。
むしろビールは水に近い感覚なんだと思う。だから昼間に暑くてどうしようもない時はビールを飲む。でも、そうじゃなければウイスキー。暑いので、ウイスキーにもクラッシュド・アイスを入れたり。あんまり美味しい飲み方とは言えないけど、タイに冷蔵庫が普及していなかった頃の風習だったみたいで、今でもそんな飲み方が1つのスタイルとして残っている。日本でそんな飲み方をしても美味しいとは思わないけど、赤道近くのタイでこその飲み方。
料理にもメコン・ウイスキーは使われている。むしろ「何にでも入れる」と言ってもいいくらい。日本料理に日本酒を入れる感覚と同じ。甘いので隠し味になるのだろう。
タイの神様は“ロー・ハー”と言う。“ロー”は国王、“ハー”は5、つまり「国王5世」という意味。日本だと神様仏様に御神酒やご飯を捧げる習慣があるけど、タイではロー・ハーが好きだったウイスキーとペプシ・コーラを捧げる。その影響か、タイではコーラの中でペプシ・コーラが圧倒的に売れている。
どこの家にもウイスキーとペプシ・コーラは必ずある。それがタイの特徴。
- 【Hot Link !!】
■ 葉千栄さん(東海大学助教授)の
- 『中国のウイスキー』の話
上海は中国の中で唯一の“かつてウイスキーを飲んだことがある街”。上海出身の私の独断と偏見だけど、ほぼ間違いないと思う。
中国四千年の歴史と言われるけど、上海の歴史は意外と浅くて、アヘン戦争以後の街。しかもアヘン戦争では中国はイギリスに負け、“租界地”つまり外国人居留地が作られて、大量の外国人が上海にやってきた。そして彼らのナイト・ライフのためにバーやダンスホールが造られ、そこにウイスキーが持ち込まれた。
その後、中国は社会主義の時代に入り、ウイスキーは一般市民の手の届かない贅沢品になってしまう。また冷戦時代はアメリカの共産圏に対する経済封鎖もあって、輸入ウイスキーもまったく入ってこなくなった。
ただこの時、実は中国国内でわずかながらウイスキーの生産が行われていた。私も子供の頃に「威士忌」というラベルの張ってあるボトルを見て「なんだろう?」と思った記憶がある。これが中国語で綴った“ウイスキー”。
と言っても、中国ではみんな焼酎と紹興酒しか飲まないので、作られたのは本当に少量だった思う。それから中国には水の綺麗なところが少ないので、ウイスキーが作りづらいという側面もある。
今でも中国ではほとんど国産のウイスキーは作っていなくて、輸入ウイスキーが圧倒的なシェアを占めている。スコットランドのマッカランもつい最近、アジア本部を香港から上海に移した。香港と言えばイギリス文化の街。そこから本部を移してしまうくらい、マッカランは中国で人気になっている。
中国であるアンケートが行われた。「どんな飲み物を口にしたら格好良く見えると思いますか?」選択肢はウイスキー、焼酎、ビール、ヨーグルト、牛乳。かなり謎な選択肢だけど、女性の答えのNo.1はウイスキーだった。どうもこれはハリウッド映画の影響らしい。「紹興酒を飲むような中国的男性は格好悪い」という意味だとしたら、ちょっとショック……今度上海に帰ったら、ポーズだけでもウイスキーにしようかと。
- 【Hot Link !!】
■ アンジェロ・コッツォリーノさん (自由が丘『バッボ・アンジェロ』)の
- 『イタリアのウイスキー』の話
イタリアにだってウイスキーはある。ウイスキーとは呼ばずに「ストラヴェッキオ」と言う。この名前は“かなり古い飲み物”という意味。古いというか「寝かせて熟成させてある」というニュアンス。
それから「ヴェッキャロ・マッニャ」というお酒もある。これはボローニャやパルマのあるエミリア・ロマーニャ州の蒸留酒。どちらもブランデーにやや近いんだけど、そこはイタリア人。ただの蒸留酒ではない。
そもそも蒸留酒という製法を考えたのはイタリア人。厳密に言えばイタリア人とギリシャ人とエジプト人なんだけど、それがローマ時代のお話で、その2000年前からイタリアでは蒸留酒を造っていた。
今のイタリアには“ウイスキー・クラブ”ができて、8000人以上のコレクターが入っているらしい。葉巻を吸いながらウイスキーっていう楽しみ方は、イギリス人だけのものじゃない。その話を聞いた時は正直、僕もビックリしたけど、50歳60歳になったらそんな楽しみもいいと思う。
そのイタリア人が飲むウイスキー「ストラヴェッキオ」は、70〜80歳のおじいちゃん達がこだわって飲んでいる。特に北イタリアではそう。
僕は15〜16歳の頃、母の料理を勉強しながら、ペンキを塗る仕事をしていた。朝8時に仕事場へ行くと、とっくに職人さんたちが梯子の一番上まで登っている。上から「アンジェロ〜、早くおいで〜」と呼ぶから上がってみると、みんなウイスキーを飲んでいた。
危ないように聞こえるかもしれないけど、別にガブガブ飲んでいたワケじゃないし、みんなお酒に強いからそれで落ちたという話は聞かない。むしろ問題は冬の寒さの方で、一杯飲んで暖まってからじゃないと仕事にならない。
それくらい北イタリアは寒いので、ストラヴェッキオみたいなお酒を大事にしている。
- 【Hot Link !!】
■ G・M・ナイルさん(銀座『ナイルレストラン』)の
- 『インドのウイスキー』の話
インドは暑い国だから、ビールばかりでウイスキーなんか飲まない?そんなことはない。
1602年にイギリスはインドに「東インド会社」を作った。何のためか。それはインドを植民地にするため。ではなぜインドを植民地にしたかったのか。それはスパイスを求めて。スパイスには3つの効用がある。それは薬品、食品、化粧品の3つ。イギリスはそのスパイスを求めてインドへ来て、すべてのものをインドから持ち去っていった。ところがイギリスはインドに持ってきたものもあった。それがウイスキー文化だった。
だからインドのウイスキー文化はけっこう古い。まず最初はイギリス人が飲む分を持ち込んできたけど、そのうちにウイスキー工場ごと持ってきてしまった。
日本人がけっこう勘違いしているけど、インドは暑いところばかりじゃなくて、デリーあたりなら冬は東京と同じくらい寒い。
話は逸れるけど、日本人はインドに関して3つの大きな勘違いをしていて、「インドは1年中暑い」「インド料理は辛いモノばかり」「インドでは牛を神様だと思っている」なんて思ってるけど、これは全部間違い。
インドはたしかに暑いところもあるけど、カシミールあたりの冬は雪に閉ざされる。それくらい寒いところもある。それからインド料理は「辛い」のではなくて「スパイシー」。タイやインドネシアの「辛い」料理とは違う。あれはインド人だって辛いと思う。そしてインドで牛を食べないのは、牛乳が貴重なタンパク源だから。その牛乳を出す牛を潰しちゃうと困るから食べなくなっただけ。牛が神様だったのは3000年も前の話。
話は戻って、イギリス人がインドにウイスキー工場を持ってきたら、かなりいいウイスキーが作れた。デカン高原の上あたりは良い季候だし、インドは大農業国だから大麦もいっぱいあって、ピートすらある。ちなみにインドがどれくらい大農業国かというと、どんな飢饉が起こっても食糧難で人が死んだことはない、と言われるほど。
さらにヒマラヤから流れてくる岩清水もある。この水でウイスキーの水割りを作ると「なんて素敵な人生なんだ!ウイスキー万歳!!」と心から思える。もちろんインドの北だけじゃなくて、南も高地なのでウイスキーの名産地。
そんな背景があって、インド人はカレーも好きだけど、ウイスキーも大好き。インド人はウイスキーをソーダ割りか水割りで飲む。日本とちょっと違うのは、水割りの場合は氷を入れないこと。
冷たいソーダに冷たい氷。これで割ったウイスキーを飲むと五臓六腑に染み渡る。そしてインドの夕日を眺めながらカレーを食べれば、心が空に飛んでいってしまうくらい嬉しい。
たかが飲み物、たかが食べ物。でも、その飲み物や食べ物には、歴史と人の努力が込められている。
- 【Hot Link !!】
■ 土屋守さん(スコッチ文化研究所代表)の
- 『日本のウイスキー』の話
「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ」というコンペティションが行われていて、今年で9回目。世界中のメーカーから600品目のスピリッツ(蒸留酒)が出品され、ブラインド・テストで評価を下される。今年は『響』の30年が最高の栄誉である“トロフィー”を受賞した。これは日本のスピリッツとしては初めての快挙。
そもそも「ウイスキー」という言葉はゲール語の“uisce beatha(ウシク・ベーハー)”から来ている。ケルト民族の1つであるゲール族。アイルランドやスコットランドの祖先となったこの民族の元に、地中海で生まれた“お酒を蒸留する技術”がイタリア、スペインを経由して伝わる。しかし彼らには地中海のようにワインがあるわけではない。そこで彼らはビールを蒸留してお酒を造った。
地中海で蒸留技術が生まれたのは、錬金術士たちが不老長寿の薬を作ろうとしていろんなモノを入れた挙げ句、最後にワインをぶち込んだらとんでもなく強い酒ができてしまった、という偶然の産物だったらしい。これを称して彼らは「アクア・ビテ(命の水)」と呼んだ。ラテン語で「アクア」が水、「ビテ」が命、という意味。
この言葉をゲール語に置き換えると「ウシク・ベーハー」となる。そして時とともにアイルランドやスコットランドがイギリス化していく中で、「ウシク・ベーハー」を「ウシク」と略すようになり、いつしか「ウイスキー」となった。ただ、文献的にさかのぼれる一番古い「ウイスキー」という言葉は1715年。それくらいウイスキーという言葉は新しい。
アイルランドやスコットランドでずっと受け継がれてきたお家芸は、新大陸でも受け継がれることになる。ハイランドを追い出された農民や、ポテト飢饉でアイルランドを追われた農民、こういった何世紀にも渡って「蒸留する」という技術を受け継いできた人たちがアメリカに渡り、南部の方でライ麦などを使って蒸留酒を作り始めた。そしてしばらくして彼らは課税に追われるように、アパラチア山脈を越えて内陸部へと移動したのだった。
こういった事情で、アメリカにお酒の蒸留技術を伝えたのはケルトの末裔たちだった。その証拠にバーボンやカナディアンの創業者は、先祖をたどっていくとアイルランドやスコットランドの移民であることが多い。世界の5大ウイスキーの内、実に4つまでがケルトの血筋。
一方、日本のウイスキーは「ウイスキーを作りたい!」という思いを抱いた人間から始まった。もともと日本には焼酎などでお酒の蒸留技術は持っていたけど、ウイスキーの面白さ、美味しさに目覚めた人が、本場スコットランドへ行って学んできた。だから日本のウイスキーはスコッチの直系ということになる。
ただ、1920年頃のスコッチといえば、今から考えればもの凄くヘビーでスモーキー。だから直系とは言っても、そのままではなかなか日本人の味覚に受け入れられない。そして本格的なスコッチを目指してはいても、日本で作る以上、どこまで行ってもスコッチではなく日本のウイスキー。そう考えて、京都に山崎蒸留所を作ったのがサントリーの鳥井信治郎さんだった。
実はこの間、スコットランドのアイラ島へ蒸留所のツアーに行ってきた。ウイスキーファンにとって聖地のような場所だけど、一歩引いて考えればアイラ島なんて本当に辺境の島。そこのマクリーホテルに泊まってバーのカウンターをふと見れば、『山崎』の12年が置いてある。「あ、そうなんだ……」と思ってエジンバラのパブへ行ったら、こちらにも同じモノが。
きっと彼らも、日本のウイスキーに気付かされた部分があるのだろう。だから向こうのパブでも最近は、日本のウイスキーを置くようになっている。
- 【Hot Link !!】
放送曲目リスト
| Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
| 8'30" |
Bolinha De Papel |
Joao Girberto |
World Pacific |
CDP 7 93891 2 |
| 16'34" |
Linda Em Noite Linda |
Os Tres Brasileiros |
Capitol |
TOCP-8266 |
| 22'06" |
Canoeiro |
Astrud Girberto |
Verve |
314 519 801-2 |
| 29'59" |
Amor De Nada |
Marcos Valle |
EMI |
8293702 |
| 37'24" |
Errinho A Toa |
Maysa |
EPIC |
ESCA 7784 |
| 48'36" |
Brigas, Nuncas Mais |
Antonio Carlos Jobim & Elis Regina |
Verve |
824 418-2 |
|