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2004年5月8日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「パソコン・クロニクル」

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 常連のお客さまから教えていただいたんですが、NECが日本で最初の8ビットパソコン「PC-8001」を発表したのが、今日からちょうど25年前の1979年5月8日だったそうですね。
 ちなみにそのPC-8001、CPUは4MHz、メモリは16KB(メガではなくキロ!)、ハードディスクはなし!だったそうですから、ギガヘルツのCPUのギガバイトのメモリやハードディスクを搭載した現在のパソコンからは想像もできません。
 いったいどんな過程を経てパソコンが進化してきたのか、お客さまのお話をご紹介させていただくことで“パソコンのクロニクル(年代記)”となれば幸いです。


image ■ 古川亨さん(米マイクロソフト副社長)の

『パソコン黎明期』の話

 77〜78年にアメリカへ遊学していた。古賀代議士の一件で話題になったCSULAだったからドッキリしたけど。
 当時そこは新設の大学で、まだ卒業生も出ていないくらいだった。そこで図書館に入ったら、コンピュータを自由に使って良いとのこと。ところがそのコンピュータを使ってみたら、カルフォルニア中の大学のコンピュータにハッキング出来てしまうことに気が付いた。
 その頃はまだハッカーなんて言葉はなかったから、それが普通だったのかもしれない。でも「マジメに大学へ行かなくても、ここから自由に大学のコンピュータへ入れば、どんな勉強でもできるな」と。当時はそういう時代だった。
 そんな風に大学のコンピュータが自由に使えた一方で、自分でコンピュータを作るのも流行りだった。“包丁一本さらしに巻いて”じゃないけど、僕もはんだごてを持っていって、自分のパソコンを組み立てていた。ところがちょうどその時に向こうで「Apple II」や「TRS-80」といったパーソナル・コンピュータと呼ばれる“製品”が出てきて、「あ、これからは自分で組み立てなくてもいいのか」と。そして「これは日本でもそういう時代が来るに違いない」と思って、79年の1月にパソコンをかついで東京へ帰ってきた。
 そして同年の5月。NECから「PC-8001」が発表される。そこでアスキーの西さんが「コイツはパーソナル・コンピュータの事をよく知ってますから!」と僕を紹介してくれて、PC-8001の試作機を見たのが、日本に帰ってきてから最初の仕事だった。
 その時に見たPC-8001は、何よりもまず白に赤というすごい色の組み合わせだった。「これはいくら何でも恥ずかしいから、もうちょっと地味な色の方が……」と言ったら、クリーム色と茶色になってしまったのは、何か勘違いされたとしか思えないけど。それからキーボードの右端に付いているテンキーには、16進数のキーが並んでいた。しかも場所がなくて、割り算のキーだけキーボードの左端。今から考えると何かとすごいマシンだった。
 その試作機を見せてもらった時に、NECの技術者からトップの人までがズラッと並ぶ前で「ちょっと貸して下さい、パフォーマンス(性能)を見たいので」と言ってPC-8001に触りだした。すると周りからドッとどよめきが起きる。何が起きたのかと思ったら、開発者ですら「両手でキーボードを叩ける」ということに驚いていた。僕はたまたまタイプライターの経験があったし、アメリカじゃ当たり前のことだったので、これに驚かれるとは思わなかった。
 でも、ビル・ゲイツは今でも両手の人差し指だけでキーボードを打っている。ただし、もの凄いスピードで。だからキーボードを両手で打てない人も、別に気にする必要はない。
 79年あたりは、そんなパソコン黎明期だった。

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image ■ 古川亨さん(米マイクロソフト副社長)の

『パソコンの道程』の話

 79年頃と言えばインターネットどころか、ARPAnet(アルパネット)も大学間のネットワークもまだなかった時代。ところが南カルフォルニアの大学間を繋いだ「サイバーネット」だけは生まれていて、USC、UCLA、バークレー、スタンフォードといった大学が接続され、その中で自由にメールのやりとりをしたり、各研究室の仕事を見せ合うのがポピュラーになっていた。それを見ていて「これは日本でも来るに違いない」と思った。
 僕はもともと、コンピュータは計算したり清書するためだけに使うのではなく、人間の思考回路やモノを考える気持ちを増幅する“アンプ”なんじゃないかと思っていた。過去に生まれた道具はすべて人間の手足や耳の延長だった。電話は耳の機能の延長だし、テレビは目の機能の延長、それから自転車や自動車は足の機能を拡張したもの。そういった人間の機能や能力を増幅させる道具は爆発的にヒットしてきたんだけど、コンピュータは人間の“感情”を増幅させるものかもしれない、そう思った。
 今までは“記録”する道具としてテープや映画があったけれど、それ以外の個人史だとか個人のメッセージを増幅して、発信するための道具になるだろう、と。従来のラジオ、放送、出版、新聞といったマスメディアは、送り出す人と受け取る人が決まっていたけど、これからは「受け手が何を掴みたいか?」が基本になるだろう、と。1年前の情報が欲しければ瞬時に掴むこともできるし、送り手と受け手が逆転することもある。そんなことができるようになるのが、未来のコンピュータの姿だろうと考えた。
 この業界に25年いるけど、その道程はまだ半分も来ていないかな、と思う。というのは、まだコンピュータに映っているものを見て、本気で泣いたり笑ったことはないから。ちょっと笑ってしまうことぐらいはあるけど、テレビのドキュメンタリーや映画、小説のように“人生を変えてしまう”ほどの力はない。コンピュータで動いているゲーム、アプリケーション、ホームページ、それぞれメディアとしての表現力は増しているけど、コンテンツ、もっと踏み込んでコンテクストは、人の心を動かすまでには至っていない。
 それは、道具を使うのが嬉しい段階や、道具が目の前でチャラチャラ見えているようではダメ。自然な生活の中にとけ込んで、使う側はあまり道具の機能を意識せず、表現する時はそのメディアの特性を意識しないでコンテクストに集中する、そんな状況にならないと人の気持ちを動かすようなものは作れない。
 コンピュータやインターネットがそんな風になるには、まだまだ時間が掛かりそう。

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image ■ 林信行さん(コンピュータ・ジャーナリスト)の

『Macintosh』の話

 Appleのパソコン「Macintosh」が出たのが84年。僕はちょうど高校生で、発売の3年後くらいに初めて手に入れた。
 実はそのMacの前にAppleが出した「Lisa」というパソコンがあって、それがマウスが付いた最初のパソコンみたいな感じで、かなり衝撃的だった。だから雑誌で見て「MacintoshはLisaの小型版なのかな?」くらいに思っていたんだけど、実際に間近で見ると「……すごいかも」と。
 当時の値段で80〜90万円。車を買うかMacを買うか、じゃないけど、ダンディなお医者さんの家にしかないパソコン、というイメージだった。
 ノートパソコンにトラックボールやトラックパッドを付けるのも、Appleは早かった。と言うより、他のメーカーはWindowsの前だったので、そんなものは必要なかったから。88年に「Macintosh Portable」が出て、1Mの増設メモリが10万円なんて、とにかく高価だった。4〜5時間もバッテリーで動くのはすごかったけど、バッテリーが重くて「膝に置いたら膝が潰れる」とまで言われた。
 その反省を踏まえて、軽いノートパソコンとして発表されたのが91年の「PowerBook」。COMDEXという展示会で初めて発表された時は、東芝などの他のノートパソコンは必ずキーボードが手前にある。それに対してPowerBookはキーボードよりも手前にバッテリーが配置されていて、当時としては革命的なデザインに感心させられた。今ではどこでも当たり前になったけど。
 トラックパッドが出た時も、どこかの会社が展示会で「当社は静電気パッドを開発しました!」と誇らしげに展示しているそのすぐ先で、すでにパソコンに搭載してしまったPowerBookが展示されていて、ちょっと可哀相な感じだった。
 「iMac」はカラフルなスタイルもそうだけど、フロッピーディスクを無くしてしまったのがすごい。3.5インチのフロッピーディスクを最初に採用したメジャーなパソコンもMacだったんだけど、それを最初に見切ったのもMacだった。もっともその見切りちょっと早すぎて、外付けのフロッピーディスクドライブが飛ぶように売れたけど。それでも、誰かがどこかで止めないと、いつまで経ってもパソコンが進歩しないから、英断ではあった。
 1980年代はメーカーごとにOSが違っていて、NECのパソコン向けのソフトはNECでしか動かなかったし、YAMAHAは音楽に強いパソコン、SONYはエンターテイメント性を強めたパソコンといった風に、みんなが個性を出したパソコンを出していた。それがWindowsが出てきてインターネットが広がってきた頃から、「ウチも儲けなきゃ」とばかりに「速い」か「安い」のパソコンしか出てこなくなった。
 そんな風潮の中で出てきた「iMac」のカラフルなスタイルは、ベージュ色のパソコンの中でひときわ異彩を放っていた。

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image ■ 小野澤忠仁さん(Yahoo! JAPAN)の

『インターネット』の話

 僕が中学校の頃には、友達が「PC-6001」なんてパソコンを持っていたけど、その頃はまだインターネットなんて想像もしていなかった。
 それが大学で初めて自分のパソコンを買ってきて「モデムを買ってきて繋げるとすごいことになるらしい」と。これが実際にやってみると、今まで自分の部屋のただの箱が、世界に繋がって本当に感動したのをよく覚えている。
 それがこの2〜3年でADSLなども普及して、「電話で繋ぐ」という感覚ともまったく違うモノになってきた。会社とか学校は以前からどこもそれなりに常時接続だったけど、僕も自宅に導入して、いつでも自宅で気兼ねなく使えるというのは違うなと。
 最近は、お店などのホームページが検索で見つけてもらうための工夫をすごく意識している。自分が発信している情報を、いかにユーザーに探してもらうかが重要になっている。
 僕たちもいろんな仕組みを考えていて、たとえば普通、検索で見つかるのはサーバ上の情報だけ。でも「人に聞く」というのも情報源としては貴重なので、そのための場所を作った。その名も『Yahoo! 知恵袋』。そこに自分がわからないことを投稿すると、誰かが答えてくれる、という掲示板のようなシステム。
 そのシステムでは、解答を書くと別にお金がもらえるワケじゃなくて、良い解答にポイントが付くだけ。そのポイントはただの自己満足なんだけど、これが意外と嬉しい。昔のパソコン通信の雰囲気に相通ずるものがあるかもしれない。
 もともと個人のホームページは多かったんだけど、ここ2〜3年で「Blog」など開発ツールが整ってきて、本当に誰でも個人のホームページを作れるようになってきた。特にBlogが優れているのは、単なる日記ではなく、他の人の記事とリンクが張れるような機能が良くできている。それによってコミュニティも生まれる。
 アクセス数なんか気にしないで、まずはやってみること。三日坊主でも良いから、やってみると意外とおもしろい。

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image ■ 本田雅一さん(ジャーナリスト)の

『マイコン時代』の話

 79年に「PC-8001」が出た頃は、僕は「ナイコン」だった。パソコンは好きなんだけど、持ってないから「ナイコン」。当時はパソコンを「マイコン」と呼んでいたことに引っかけて、そんな言葉も使われていた。
 当時はまだパソコンが高くて誰でも買えるものじゃなかったけど、家電屋さんには必ず置いてあった。そこでパソコンを買うお金のない子供や学生は、家電屋さんに行ってプログラムしたりしていた。聞いた話によると、秋葉原あたりのそんなナイコン君の中には天才がいて、オリジナルのゲームを家電屋さんで作ってしまうこともあったとか。
 そういうナイコン君たちを秋葉原でつかまえてアルバイトとして雇って、プログラムを作らせて売る会社もあった。今でも秋葉原に大きな店を出している『ツクモ電機』。あそこが大昔に「ツクモの4人麻雀」なんてゲームを流行らせたけど。それはやっぱり常連のお客さんが作ったプログラムだったらしい。
 ちなみに僕の最初のパソコンは、意外にもSONY製だった。3.5インチのフロッピーディスクを内蔵した「SMC-777」というパソコンで、松田聖子がCMをやっていたのをよく覚えている。ちなみに当時、三菱電機の「MULTI8」は林葉直子だったし、東芝の「パソピア7」は横山やすし&木村一八の親子、富士通の「FM-7」はタモリだった。そして驚くべき事に、日本IBMは森進一。
 80年に15万とか20万というのは大した金額のようだけど、よく考えると他の家電もそれくらいしていた。ビデオデッキは25万円くらいしていたし、パソコンが飛び抜けて高かったというわけではない。
 でもその15万円のパソコンを買って何をしていたのかというと……プログラム。我ながら何がおもしろかったのかと疑問には思う。ただ、自分でプログラムを組んで、それがちゃんと動いた時の快感は、他の機械では得られなかった。近いところで言えば『電子ブロック』とか『エレキット』などの、組み立てモノのおもちゃ。
 当時はプログラムの互換性がなかったから、ソニーのパソコンを買った人はソニーと心中だし、NECを買った人はずっとNEC。そして新しいパソコンが発売されて機能が追加されると、上位互換と言って古いプログラムは新しいパソコンで動くけど、その新機能を使ったプログラムは古いパソコンでは動かない。だからどんどんパソコンを買い換えないと、新しい機能が使えない……という今では考えられない仕組みだった。
 その仕組みの中でNECが勝ったのは、単に「互換性がなかった」から。あるパソコンを買って、たとえば会計ソフトを作ったとする。するとその会計ソフトはそのパソコンか上位互換のパソコンでしか動かないから、少々古くても我慢して使うか、上位互換の機種に買い換える。その繰り返しで、昔はNECは日本のパソコン市場を独占していた。
 その時代から考えると、パソコンもずいぶん進化したもの。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
8'25" It's A Good Day Perry Como BMG COL-CD-2764
16'47" Oh! Look At Me Now Lurlean Hunter RCA BVCJ-2034
26'56" Linger Awhile Vic Damone Capitol 7243 8 59957 2 9
38'51" Opus I Four Freshmen See For Miles SEECD 721
45'56" I Cried For You Sarah Vaughan Emarcy 314 514 072-2


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