■ 阿刀田高さん(作家)の
- 『小説家という仕事』の話
この頃「小説を書こう」という人が増えている。本の売れ行きは芳しくないみたいなのに、書きたい人だけは増えている。絵を描いたり音楽を作ったりというのに比べて、とりあえず取っつきやすそうに見えるからかもしれない。さすがに30歳を過ぎてクラシック音楽の道へは進めなさそうだし。
でも本当は、小説家になるのは画家や音楽家になるのと同じくらい難しい。ただ中には、ほとんどトウシロかなぁ?なんて人がひょんな弾みでうまく行ってしまうこともある。そんなところがチャーミングに見えるのだろう。ただ、これからはなかなか大変……だと思う。小説家のいい時代は終わった。もともとそんなに良いもんじゃなかったけど。
経済的なことで言えば、恵まれているのはランキングで20位に入れる人だけ。それは、それこそ赤川次郎さんや内田(康夫?)さんみたいな人。30〜40位なら、普通のサラリーマンと比べれば少し良いかな?くらい。50〜70で大卒サラリーマンと同じくらいで、100位より下は、ヒモかなにかをやっていないと食べていけない、という世界。
つまり世の中にこれだけ作家がいる中で、「サラリーマンより稼いでいる」なんて人は、数えるほどしかいない。だから「小説家になりたい」という人がいたら、即座に「やめなさい」と答えるようにしている。
とはいえ、小説を書くなら、まずは読むこと。そして(阿刀田さんが選考委員をしている)直木賞を取りたいと思うなら、30歳、あるいは35歳を過ぎて、この世の中の仕組み、自分以外の人間の心、そういうものについてある程度わかる人間になっていることが大切になる。若い人には「明日から小説を書くのに専念する!」なんて考えてしまう人がいるけど、それは一番悪い道。小説家になるには、サラリーマンでも商売でも、いろんなことを体験しておいた方が役に立つ。
以前、江戸川乱歩賞の選考委員をやった時は、最終選考まで残ったのは「医者が病院のことを書いた推理小説」「弁護士が法曹界のことを書いた小説」「コンピューター技師が書いたコンピューター関係の小説」みたいなものばかりだった。そもそも「Novel(ノベル=小説)」という言葉は「Nouvelle(ヌーベル=新しい)」という意味も含んでいて、人様の知らない面白い話を聞かせましょう、ということが1つの原点。その「人様の知らない話」は、「銀行員じゃないと分からない銀行の話」や「医者じゃなければ分からない話」と言った具合に、職業についてまわることが多い。
世の中の人が知らない「ヌーベル」なものを、小説の中に登場させることは非常に重要で、その「ヌーベル」なものは小説家にとっては財産となる。
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■ 阿刀田高さん(作家)の
- 『小説の技術』の話
レベルの高い技術論で言えば「読者の呼吸を計る」ことが、小説を書く上では非常に重要になってくる。
小泉八雲(ラフカディオ・ハ−ン)という人はストーリーの組み立てのうまい人だった。この人の有名な怪談で『雪女』という作品がある。雪山に爺さんと若い男が入り、山小屋で一夜を過ごす。そこに雪女が現れて、息を吹きかけて爺さんを殺してしまうが、若い男の方は見逃してもらう。そして季節が過ぎ、夏のある日、助かった若い男が畑で働いていると、旅の若い娘「お雪」が現れて、頼るところもなく江戸へ行く途中だと言う。「家に寄って行きなさい」と誘う若い男。そこまで書いて、ラフカディオ・ハ−ンは『当然の成り行きとして、お雪は江戸へ行かなかった』と書いた。これこそが読者の呼吸を計る術。
当然、読者はお雪が何者であるか分かり切っている。ところが下手なテレビドラマだと「この人は何でしょう?!」なんて煽ったりしてします。そんなことをしても興ざめするだけ。「当然の成り行きとして」という表現には「お雪が何者か、皆さまもご承知でしょうが……」というニュアンスが含まれていて、まさに読者がどこまで感じているか、ストーリーをどれくらい先読みしているかを、見事に計っている。
もちろん、あまり先走ってしまっても読者はついてこれない。だから「読者の呼吸を読む技術」の的確さが重要になる。
小説の冒頭は、また別の技術が必要になる。それは2〜3ページで「ここにどういう人物が登場して、どんな人間関係なのか」を読者にわからせること。当たり前のことのようだけど、新人の小説にはしばらく経たないと分からないことが往々にしてある。これは読者は辛い。
かと思えば、登場人物の履歴書を書いてしまう人もいる。2行目から「彼女は大学の3年生で、親元を離れて東京に出てきている」とか。たしかに分かり易いけど……いくらなんでもシラケてしまう。だから「登場人物のプレゼンテーション」は、さりげなく、わかりやすく。これは上手い人と下手な人がけっこう分かれる。
賞の選考の下読みをしていると、正直、最初の10枚を読んだところでだいたいわかってしまう。もちろん、それで弾くとは限らないんだけど……
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■ 篠田節子さん(作家)の
- 『小説を書くようになったきっかけ』の話
図書館勤めをしていた頃は、月曜日が休日だった。そうすると友人とは休みが会わなくて、遊びにも行けない。じゃあ月曜日のカルチャーセンターにでも……と思って選んだのが、文章の講座だった。
ちゃんと文章を書く勉強すれば、役所の公報を書くような仕事でもできるかな?タウン誌の記事なんか書けるようになったらすごくイイな……くらいの軽い気持ちだった。ところが講座に行ってみたら「ここは文章教室ではありません、小説の教室です」って。しかも何かを教えてくれるワケじゃなくて、生徒が書いてきた小説を先生が講評する、という形式の教室。「私、なにか間違った?!」と頭を抱えた。
でも月謝も3ヶ月分前払いしてしまったし、やめるのも勿体ない。そこで一念発起して小説を書き始めたら、これが妙にハマってしまい、現在に至る。
カルチャーセンター時代に書いた小説は、当時は短編で書いたけど、実は題材が長編だったりして、のちに書き直して発表したりもしている。それから「この作品の中でこれ以上手を広げてしまったら、収拾がつかなくなる」と思って泣く泣く切ったエピソードを、別の作品として発展させることもある。
天才肌の人はいきなり文章を書き始めて、1000枚の長編を仕上げるのかもしれないけど、私は普通の人間なので、まずは設計図を書くところから始める。ただ、そんなに何度も文章を練り直したりはしない。せいぜい間違いを直す程度。歩く時にイチイチ足の動きを意識しないのと同じで、自然な生理現象みたいな感覚で文章を書く。
それから、イマジネーションだけで小説が書ける人もいるのかもしれないけど、私は取材をする。取材と言ってもいろんな取材があって、本や古典を読むのも1つの取材だし、会社へ行って人と会ってみるのも取材。さすがに、まったく取材なしというのは厳しいのでは。
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■ 青島幸男さん(作家)の
- 『直木賞の獲り方』の話
私の先生は太宰治や谷崎潤一郎。というのは一時期、本ばかり読んでいたから。
谷啓を捕まえて、こんな話をしたことがある。「おい、『おとなの漫画』だの『シャボン玉ホリデー』だのは面白かったはずだよな、後から思えば、直木賞作家が書いていたんだもんな……って言われるようになるぞ!」そうしたら谷啓は「冗談じゃないよ!(笑)」だって。
そうこうする内に、野坂昭如さんだとか井上ひさしさんだとか、放送界の先輩が直木賞を獲るようになっていった。そうすると、一時期は小説家に憧れた青島さんとしては、心穏やかでない。
しかも野坂さん、井上さん、それからウチは、実はカミさん同士も知り合いで、ある時、3人がパーティーで顔を合わせたんだとか。そこでウチのカミさんが「よかったわね、あなた方のご主人は次々に直木賞をお取りになって」なんて余計なことを言ったら、向こうはパッと顔を見合わせて「そういえば青島さんのお宅はまだだったわね、早くお取りになればいいのに」なんて言ったとか言わないとか。
それで「よ〜し、俺も直木賞ぐらい獲ってやる!」と。でもそんなに何冊もは書けないから、この1冊で獲ってやる!と気合いを入れて書いたのが『人間万事塞翁が丙午』だった。
今でこそ橋田壽賀子さんとか山田太一さんとか、TV作家として一家をなしている人がいるけど、俺たちの時代、放送作家は「ガリ版作家」なんて呼ばれていた。関係者一同しか読まないから、運動会のお知らせじゃないけど、ガリ版で充分。そして作劇中はみんな一生懸命読んでくれるけど、終わったら捨てられてしまう。そんな感じで、ガリ版作家と活字の作家では格が違う、というイメージが僕の中ではあった。だからいつかは、放送作家じゃなくて作家になりたい、と思っていた。
で、その「この1本」な小説を書くにあたっては、井上ひさしさんに相談した。飲み屋で会って「カクカクシカジカで、小説を書こうと思うんだけど……」と言ったら、「そうですか、よかったら編集者なんか紹介しましょうか?」と。持つべき者は友達だと思った。ところが、2ヶ月経っても、3ヶ月経っても音沙汰がない。「酒の席の約束事なんてそんなものか……」「もしかして、井上さんは俺の才能を恐れている?……ワケがないか」とか、いろんなことを考えた。
そうしたらある時、「井上さんからお話を聞きまして……」と編集者が本当にやってきた。「本格的な小説に取り組む気はおありですか?」と聞くから、「ありますよ!その気は十分ですよ!」と答えて。それで書き始めた。
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■ 青島幸男さん(作家)の
- 『直木賞の獲り方』の話(続き)
そんな経緯で書き始めた『人間万事塞翁が丙午』は、隔月で100枚ずつ「小説新潮」に掲載された。母親に「あんたの話を小説新潮に書いてるんだけど読んでくれる?」と聞いたら、「あたしのことが書いてあるなら、あたしが一番よく知ってるんだから読まない」って言われながらも。
そうこうする内に枚数もたまってきて、じゃあ単行本にまとめましょうかという話になった。そして出版の時期を相談する時にちょっと聞いてみた。「ところで、直木賞とか芥川賞ってどういう仕組みになってるの?」編集者はいろいろ説明してくれたけど、どうも1月と7月に審査があって、前期と後期で年に2回、受賞者が出るらしい。
そこで「そうか、じゃあ俺の本は4月に出してくれ」とお願いした。「なんでですか?」と聞くから、「1月や2月じゃ7月には忘れられてるし、7月じゃせわしなくて審査員が読む暇がない」と答えたら、「先生、候補にもならない内から……」と呆れられてしまったけど、兎にも角にもその本は4月に出版されることに決まった。
そして4月。いよいよ本が出版された頃に、お袋がやってきた。「お母さん、例の小説が本になったけど読む?」と聞いたら「読まないけど、その本を持ってお寺さんへ行ってくれ」と言う。すっかり忘れていたけど、その日はなんと親父の命日だった。
本を持ってお寺に行き、仏壇に供えてお経を読んでもらった。そしてそのお経を聞きながら、小さくなったお袋の背中を見ていたら、ぼうだの涙が溢れてきた。そして「直木賞なんかどうでもいいじゃないか」と。
親父とお袋がいなければ俺という存在はなかったわけだし、「直木賞を獲る」なんていきがって書いたのは親父とお袋の話。考えてみたら、俺は親父とお袋の手のひらから一歩も出てないじゃないか、と。
そうやってスッキリした気分になって帰ってくると、友達から電話が掛かってくる。「青ちゃんの小説が直木賞候補になってるよ!」なんて言うから「そんなもの、くれるって言ったっていらないよ、親父にはできる限りの供養をしてきたんだから」って言ってやった。
ところが、日本文学振興会なんてところからも電話が掛かってくる。「本日、銀座のなんとかで選考会がありまして、あなたの作品が直木賞受賞と決まりました。お受けいただけますでしょうか?」この言い様は意外だったけど、歴史上3人くらい、直木賞を断った人もいるらしい。
そこで俺はハッキリ言ってやった。「下さい!もらいます!ちょうだい!」って。
放送曲目リスト
| Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
| 9'55" |
It's A Big Wide Wonderful World |
Peggy Lee |
Capitol |
7243 4 95450 2 1 |
| 20'35" |
This Can't Be Love |
Beverly Kenny |
東芝EMI |
TOCJ-5369 |
| 31'42" |
The First Thing You Know You're In Love |
June Chirsty |
Capitol |
TOCJ-5436 |
| 41'27" |
By Myself |
Patty McGovern |
Norma |
NPCP 5600 |
| 47'40" |
Tangerine |
Frank Sinatra |
Reprise |
WPCP-5793 |
|