■ 岩崎宏美さん(歌手)の
- 『妹・良美』の話
妹の良美は、私の3年あとにデビューしている。きっかけは「家族対抗歌合戦」だったみたい。でも家族は「一家に2人もいらない」って反対していた。それを聞いて私は「そんなことで止める権利はない!」って怒って、「すぐに入りなさい!」と妹に勧めた。
子供の頃は喧嘩もした……というより、私がいじめていただけかも。上の姉は私よりもさらに4つ上なので、さすがに良美とは喧嘩にならなかったけど。深川の家から世田谷の小学校まで1時間半掛けて通う時に、「あなた、たまには隣の車両に乗ってよ」とか。すると彼女はあの大きな目でジッと見つめて「宏美ちゃん、私のこと嫌いになったの?」って。今にして思えばそんなこと言わなくてもいいのに……ちょっとかわいそうだったかも。
もちろん遊んであげたこともある。夏にプールへ行ったら、まだ泳げなかった妹を背中にしょって「浦島太郎ごっこ」をしたこともあった。ただ、「はい、潜ります〜」なんてやってたから、泳げない妹にとってはイジメに近かったかも。そんなことがあっても、妹はおもしろがってくっついて来てたし、やっぱり可愛かった。
2人が芸能界に入ってからは、私の方は特に意識する部分はなかったけど、妹の方はいろいろあったみたい。あまりに私に似ているから、「お姉さんの歌は聴かせないで」「同じ部屋にしないで」なんて事務所から言われていたらしい。私と違って根が生真面目な妹は、素直にその言いつけを守っていた。
生真面目と言えば、昔、私が「ビートたけしさんが大好き!」と言ったら、妹が「え〜?ビートたけしさんって意地悪じゃない?」と言うのに驚いたことがあった。事情を聞いてみると、たけしさん流の洒落で「本当はお姉ちゃんよりカワイイと思ってんだろ?」って言われたのが原因だったみたい。それに対して妹は「いえ、私は姉を心から尊敬しています」なんて生真面目な、でもチグハグな答えを返していたとか。私はお笑いの人と仲良くしていたけど、当時の彼女はまったく受け付けなかった。さすがに今はずいぶんさばけて、「あの当時の自分は何をしてたんだろう」と笑って振り返っている。
一緒に仕事をするチャンスがなかなかなくて、デビューから何年か経ってから、やっと2人で対談する機会があった。私は「結婚したら?う〜ん、家事とかは、そういうことが得意な人に、お家に来てもらおうかな〜?」なんて適当なことを言ってたら、妹は「いや、でも自分が出来ないと指示はできないでしょう」だって。そんな久しぶりに会った妹を見て「あぁ、私の手を放れてこんなに大人になったのか」と大いに感心した。別に私が産んだわけでも何でもないんだけど。
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■ 向田和子さん(エッセイスト)の
- 『姉・邦子』の話
姉は長女的で世話を焼いてくれる反面、意外と要領が良くて、家の手伝いも文句を言われない程度に適当にこなす人だった。姉は9つ上だったので、小さい頃はあまり一緒に遊ぶ機会がなかったけど、小学校2〜3年になると私の視線で遊んでくれたので、とても楽しかった記憶がある。
でも、まさかその姉が作家になるとは、誰も思わなかった。運動が得意だったら、体操の先生なんかになるかと思っていた。スキーも大好きで、中学生の私も連れて行ってもらったし。
姉は徹夜で仕事を片付けて、毎週のようにスキーをしに行っていた。行き先は草津あたり。当時は週休1日だったから、土曜日の夜に出掛けて、帰ってくるのは月曜日の朝。よく体力が続くものだと感心するくらい、熱心にスキーをやっていた。
私のスキー道具まで調達してくれていた。向こうで借りるとお金が掛かるから、その日は行かない人の道具をどこからか借りてきて「和子、ちょっと長いけどこれ使いな」なんて。靴もヤッケも借り物で、当時はそんな時代だった。
もっとも、スキーに連れて行ってはくれても、教えてはくれなかったけど。「見て覚えな」という感じ。ただ、そういう時代だったみたいで、姉もそうやってスキーを覚えたんだと思う。とにかく最初は「滑ることの楽しさ」だけを知って、止まれるようになったらみんなで喜んで、また1つ上手くなったらそれで喜んで、という感じだった。だから私は、今でも上手く滑ることはできないけれど、貴重な体験をさせてもらったと思っている。
ある時、姉は「これが最後のスキーになる」と宣言してスキーに行った。忙しくなってきて、骨折などしようものなら大変なことになる、という事情だったらしい。その時は私も一緒に行ったけど、「あぁ、そういう責任のある重要な仕事をしているんだ」と漠然と感じていただけだった。そしてそれ以降、姉はあれほど好きだったスキーをスッパリとやめた。
そういえば、その最後のスキーの時は、すでに私も働いていたんだけど、リフト代とか一切のお金を姉が払ってくれた。そういう時にモタモタしたりしない、本当に「男前」な姉だった。
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■ コシノジュンコさん(ファッションデザイナー)の
- 『コシノ三姉妹』の話
姉妹というのは小さな時からライバルのようなもの。特にウチは女系だから。母は四姉妹、祖母は(二)姉妹、私たちが三姉妹、姉の子供は(二)姉妹といった具合。ウチに生まれた男の子が100年ぶりか?!というほどの女系家族。
母の代は洋装店、祖母の代は呉服屋を営んでいた。祖母はちょっといいところのお嬢さんで、本当は桂小五郎のひ孫のところへお嫁に行くことが決まっていたらしい。ところが、その嫁入り道具の支度をしていた最中に、その支度の用を聞いていた呉服商と駆け落ちしてしまったのだとか。
そんな事情で呉服屋だった小篠家も、母の代から時代の流れで洋装店になった。でも、私が小さい時には、家に反物が転がっていた記憶がある。やんちゃだった私はその反物を蹴飛ばして、厳格だった祖父に鯨差(くじらざし)で叩かれたものだった。
姉は最初から養子をとって家を継ぐことが決まっていたけど、私は自由で何をしてもいいはずだった。だから最初は画家になるつもりで、ベレー帽をかぶって天王寺の美術館に通っていた。ところがある時、高校の先生にしみじみ「なんでお母さんと同じ方向に行かないの?」と言われて、「ちょっといいかな?」と思ってしまって。それで美大じゃなくて、文化服装学院へ進学した。
たぶん、姉に言われたら文化には行かなかったと思うし、母も娘の進路に関しては何も言わない人だった。文化にはいる時も、お金は出してくれたけど、それっきり。それでも母の影響を受けた部分があるとすれば、ずっと忙しく働く母の背中を見続けてきたことだと思う。そのおかげで、子供の時から女性が仕事をするのは当たり前だと思っていた。
妹のミチコは、姉2人が同じ道に進んでいたから、自分だけは違う道に進もうと思っていたみたい。私が高校へ入った時に、それまで使っていたテニスラケットを「もういらないからあげるわ」とあげたんだけど、それがきっかけで始めたテニスで、学生チャンピオンにまでなったし。
姉と私は、文化で同じデザイン科の同じコース。ところが姉は「装苑賞」が取れないまま大阪へ帰ったのに、私はスラスラと取ってしまった。その時、初めて私の中で何かが吹っ切れた。結局、姉と較べられるのが嫌だったのだろう。高校も一緒、文化に行っても一緒、どこでも「お姉さんは……」と言われるのがすごく嫌だった。
ちなみに、姉、私、妹の3人は、きれいに3つずつ歳が離れている。入学式も卒業式も重なりまくるから、親は大変だったのでは。
母はもう90歳になるけど、あの人がいる限り、それと「だんじり祭り」がある限り、一家が必ず集まる機会がある。やっぱりそれくらい「母」の存在は偉大。そうじゃなくても、さすがにお互いのショーくらいは顔を出す。その辺は同業者というよりは、やっぱり姉妹。
一度、パリで3人ともショーをやったことがあった。もちろん母も見に来てくれたけど、みんな「コシノ」だし、忙しい上にややこしかったみたい。でもそうやって母がみんなをまとめているのは、女系の典型なのかなと思う。
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■ 二階堂瑠美さんと亜樹さん(麻雀プロ)の
- 『麻雀プロ姉妹』の話
麻雀を始めたのは妹が先だった。きっかけは父。昔からずっと麻雀をやっていたし、雀荘もやっていたし、そんな父を見ていて、お父さん子だった妹が15歳の時に「私もやりたい」と。
最初は「リーチをかければ上がれる」くらいの知識しかなかった。どこから牌を取るのか、ドラはどこをめくるのか、なんことすら分からなかった。手役も3〜4個しか覚えていないのに、雀荘へ行って、やりながら覚えた。
姉は、妹が麻雀プロになるための試験を受けるべく雀荘で勉強している時に、同じ雀荘でウエイトレスのアルバイトをしていたのがきっかけだった。1日12時間も働いていると、皿洗いや掃除の仕事なんかも終わって暇になってしまう。妹が「麻雀は面白いよ」なんて勧めるし、それで始めた。だから妹とは逆に、一からルールをちゃんと覚えて、麻雀を始めた。
その影響か、2人の麻雀のスタイルは正反対。姉は手役派というか、じっくり役を作るんだけど、妹はとにかくスピード麻雀。リーチをしてツモって裏が乗れば満貫でしょう、みたいな。昔からずっと性格も考え方も一緒だった2人だったけど、麻雀を始めて、ちょっと違いを意識するようになった。
プロの対局で対戦することもある。そういう時は、相手が調子良いのか悪いのかはすぐに分かってしまう。それは顔とか仕草じゃなくて、もう雰囲気。プロとしてはそれでは困るんだけど、20年以上一緒に育ってしまうと、どうしようもない。普通の姉妹よりもかなり仲が良い方だと思うし。
2人でテレビを見ていても、笑うところも突っ込むところも一緒。思考回路が完全に一緒なんだと思う。違うのは麻雀と男の趣味くらいなもの。妹は合コンとかしたことがなくて、麻雀をしない男の人と付き合ったこともあまりないし。出会いが麻雀だったりするから。「コレ上がれるんだ、カッコイイ!」なんて麻雀で男の人を好きになっちゃったりして。
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■ チサトさんとココロさん(OL)の
- 『三姉妹』の話
2人とも三姉妹の真ん中。三姉妹に関してはいろいろ言いたい事がある。
一番上は、のんびりとしてみんなの面倒をみている……と思わせておいて、一番良いところを持っていく。けっこう自分勝手というか、自分の道を貫く。
一番下は、甘え上手でマイペース。結局、一番カワイイのは一番下で、自分もその事はちゃんとわかっている。
そして真ん中は、気を使いまくり、良い子になりたくて努力をして、それでもあまり報われない。時には姉の役割を求められ、時には妹の役割を求められ、様子をうかがって自分を変えることが要求される。だから女社会での立ち回りは上手いし、仕切るのも得意だったりするけど。
三姉妹の父親は、話し相手がいないのがちょっとかわいそうかも。男親としては「成長した息子と酒を飲む」なんて夢があるのかな、と思うけど、それもかなわないウチの父は、土日はゴルフばかりだった。家に「全国のゴルフ場1000」みたいな地図を貼って、それを塗りつぶすのが趣味だった。車の趣味に走る三姉妹パパもいるみたい。書斎とかは、娘たちの洗濯物で占領されていたりして。
学生の頃、親に洋服を買ってもらう時は「3人で着るから」が三姉妹の殺し文句。親はつい「3人で着るならいいか」と思ってしまう。でも、実際に3人で使おうとすると「今日は私が着ようと思ったのに!」と必ず喧嘩になる。朝の姉妹のその戦いは、けっこう見物だと思う。私が使おうと思って用意した端から持っていかれるし。
三姉妹の姉妹喧嘩は、2ランドも3ラウンドも続く。最初に原因となる事件があって、2対1の対決になる。すると1人の方が不利なので、どうにかして別の2対1に持ち込んだり。さらに3ラウンド目になると、もう最初の原因なんてわからなくなってしまう。「それって何年前のこと?」みたいな話まで飛びだして、延々と続く。姉妹喧嘩は口喧嘩なので、口喧嘩はとにかく強い。
子供の頃、学校から帰る時は、深呼吸してから家のドアを開けたものだった。学校でもいろいろ人間関係はあるけれど、三姉妹の人間関係の方が気合いが必要だったから。ドアを開けたら、どんな争いが起こっているかわからない。私のものがなくなっているかもしれないし、チャンネル争いに参入しなきゃいけないかもしれない。私だけのおやつが無くなっているかもしれない。そんな毎日を送っていた。
男の兄弟だと年齢で上下関係が決まっているのかもしれないけど、女の姉妹は基本的に平等。そして三姉妹の真ん中は屁理屈が得意。
放送曲目リスト
| Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
| 9'13" |
Hey Look Me Over |
Peggy Lee |
Capitol |
7243 493065 2 3 |
| 17'59" |
When I Take My Sugaar To Tea |
The Clark Sister |
Jasmine |
JASCD 603 |
| 29'40" |
Charade |
Blossom Dearie |
Daffodil |
CDL-57336 |
| 40'53" |
Muskrat Ramble |
McGuire Sisters |
MCA |
MCAP-31341 |
| 46'57" |
Johnny One Note |
Anita O'day |
Verve |
314 527 653-2 |
|