SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2003年12月6日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「AVANTI40周年」

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 今週は当店AVANTIの40周年記念パーティーです。進駐軍の将校クラブとして造られた建物が民間に払い下げられ、イタリアンレストランとして営業を開始したのが、いまからちょうど40年前の、1963年でした。
 そしてこのおめでたい日に、当店を30年以上に渡って支え続けたジェイクさんも、アメリカからわざわざ駆け付けてくださる予定になっております。スタンも特別なスパークリング・ワインを取り寄せて、久しぶりの再会を心待ちにしているようです。
 それでは、本日はそのパーティーで聞こえてきた常連のみなさまのお話を、少しだけここでご紹介させていただくことに致しましょう。


image ■ 永六輔さん(放送タレント)の

『1950年代』の話

 先日亡くなった秋山庄太郎さんには、学生時代にずいぶん可愛がってもらった。当時、僕は時事通信社でアルバイトをしていて、その時に担当していたのが秋山庄太郎さん、大竹省二さん、土門拳さん、木村伊兵衛さんの4人だった。
 僕は小間使いのアルバイトで、その4人の写真家のところへフイルムを持っていったり、焼き上がった写真を持っていって選んでもらったり、なんてことをしていた。そんな感じの縁で、僕はいろんな世界の人々との知人には本当に恵まれていると思う。
 たとえばジャズの世界なら笈田敏夫さん。笈田さんとは、朝鮮戦争の直後、乃木坂にあった「テキサスハウス」という変な名前のアパートで知り合った。そのアパートは木造2階建てのアメリカ風で、元々はオンリーさん向けの建物だった。ところが米軍将校が少なくなっていき、空室ができて、そこに最初に入ったのが大竹省二さんだった。
 大竹さんの後には、草笛光子さん、笈田敏夫さん、三木鮎郎さん、キノ・トールさん、ドクトル・チエコさんといった面々が入って、そこに我々が遊びに行き、もうメチャクチャな事をしていた。さらに後には、加賀まりこや田辺靖雄といった「六本木野獣会」の不良少年・少女なんかも遊びに来ていた。
 ついこの間、安部譲二に「そういえば昔、テキサスハウスにいたよなぁ?」と聞いてみたら「いや、いませんよ」と言われた。「だって、加賀まりことかと友達じゃなかった?」「アイツらは私の餌食ですから、友達じゃありません」だって。
 その安部譲二と知り合ったのは、野球が縁。キノ・トールさんの元に集まって、「東京ライターズ」という放送作家協会の元になった野球チームを作っていた。そのチームのベストナインは、ピッチャーが笈田さん、キャッチャーが僕、ファーストがロイ・ジェーン、セカンドが神吉拓郎、なぜかショートがプロの佐々木信也で、サードが安倍譲二というメンバーだった。安倍譲二はずいぶん乱暴なサードで、タッチする振りしてランナーを殴っていたけど。
 大竹省二さんは、アニパイル(現・東京宝塚劇場)にも連れて行ってくれた。そこには米軍のためにアメリカで最新のショーがどんどん来るから、ずいぶん勉強になった。
 そんな風に、メチャクチャな事をしていた「テキサス・アパート」の面々の中では、僕が一番若かった。それはすごく幸せなことだったと思う。

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image ■ 岡田眞澄さん(俳優)の

『1960年代』の話

 僕はつるんで飲むのがあまり好きじゃないので、よく1人で飲みに行っていた。フラッと1人で店に入ると、米兵相手に「春を売る」女性たちがいて、「ファンファン、彼氏からの手紙を読んでくれない?」なんて頼まれたりしていた。返事の代筆を頼まれたら、たどたどしく書くために左手を使ったりして。
 そんな風に、代筆屋としてはずいぶんモテたけど、それ以外はサッパリだった。当時、映画俳優は各撮影所に専属で、会社の中でくっついたり離れたりしていた。その証拠に日活の連中は、長門裕之さんは南田洋子さんと、石原裕次郎さんは北原三枝さんと結婚している。ところが私は相手がいなくて、1人で飲みに行っていた。
 英語とフランス語が喋れるから「外国人タレントと食事に行ってくれ」なんて頼まれることも多かった。ピーター・ポール&マリーと食事に行ったら、ピーターとポールはどこかに行っちゃって、仕方がなくマリーさんのお相手をしていたのに、「マリーさんを口説いてた」と言われてしまうし。
 ドイツからケスラー姉妹という双子が来た時も、呼び屋さんに頼まれて東京を案内していたのに「また違う金髪を連れてた」と言われちゃうし。もう、他人にそう思われているのなら仕方がない、と諦めていた。
 飲むのならカウンターが好き。当時あったクラブでも、「コパカバーナ」とか「ラテンクォーター」とかへ良い外国のタレントさんが来ると、カウンターへ行って聴いたものだった。ちなみに「ラテンクォーター」で司会をしていたのは兄貴だったんだけど。
 エラ・フィッツジェラルドが来た時にも、カウンターで聴いていた。彼女は舞台の袖に引っ込むたびに、マネージャーに「どうだった?どうだった?」と聞いていた。するとマネージャーが「今までで最高のステージだ!」と答える。それで「あぁ、良かった……」と安心するエラ・フィッツジェラルドを見て、マネージャーはそのためにいるんだなと感心した。
 ビートルズの武道館公演の時も、兄貴が司会をしていたので、その付き人という言い訳をして、裏で見せてもらった。「さぁ、おまちどおさまでした、みなさまお待ちかねの、ザ・……」と、ここまで兄貴が言ったら、会場はブァーッと盛り上がった。そして「……ドリフターズ!」で会場中がこけたのには、かなり笑わせてもらった。
 思い起こせば、シャンソン歌手のマルセル・アモン、ジャクリーヌ・フランソワーズ、シルビー・バルタン、いろんな来日アーチストの接待を頼まれた。たしかに「いつも違う金髪女性を連れて歩いている」と言われても、仕方がないかも。

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image ■ 石川次郎さん(エディトリアル・ディレクター)

『1970年代』の話

 『ポパイ』の創刊号は、西海岸特集。実はアレ、大した理由があってやったワケじゃなくて、ロサンゼルスは5月を過ぎるとほとんど毎日天気がいいので、ロケがやりやすいんじゃないか……と考えただけだった。ロスに着いてから理由を考えて、その流れで西海岸っぽい雑誌になっていった。
 1977年創刊の『ポパイ』、1980年創刊の『ブルータス』、いろんな雑誌を手掛けてきたけど、振り返ってみると、新しい雑誌を創刊する時は必ずどこかの「街」をテーマにしていた。『ポパイ』も繰り返しロサンゼルスへ行って、「サーフボーイ」「テニスボーイ」なんて特集を組んだ。街の雰囲気を借りて雑誌のイメージを作る、1つの街にこだわりながら雑誌を作る、というのは非常に面白い。
 そういう雑誌を作る時には、いきなり「取材」なんて事はしない。とにかく編集部のみんなで街の情報を集めるところから始める。友達を作ったり、映画を観たり、雑誌を集めたり、イエローページを片っ端から見たり、どんな方法でもいいから情報を集める。最初はみんな手探りなんだけど、情報集めを数日やると、どことなくその街に対する思い入れみたいなものが出てくる。それを吐き出させて、そこから組み立てていく、というやり方が、結果的に効率が良かった。
 『ポパイ』創刊号の時なら、1ヶ月くらいロサンゼルスに滞在した。安いモーテルの部屋を4つくらい借りて、8人とか10人とかで泊まり込んだ。とにかく地元の連中と知り合いになると、芋蔓式に話が出てくる。そうやって雑誌は作られていった。

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image ■ 糸井重里さん(コピーライター)の

『1980年代』の話

 80年代初頭の「おいしい生活」というコピーは、それまでの「より良い生活」というスローガンに対するアンチテーゼだった。
 世の中には、フォアグラが美味しいという人もいれば、タクアンが美味しいという人もいる。それまでは値段だったり大きさだったりが「より良い」ものを目指していたけど、そうじゃなくて、ロールスロイスよりもミニ・クーパーが好きなら、それはその人にとってミニ・クーパーが「おいしい」んだ、と。
 ところがその後にバブルが来て、また「より良い」の方向に行ってしまった。やっぱり「考え」が世の中を引っ張るんじゃなくて、「事実」が世の中を引っ張っているのだろう。その現実はちょっと切ないけど。でも、高さじゃなくて、平らなところの横を見る、みたいな価値観が芽生えだしたのは、あの頃だったと思う。
 80年代には、たとえば「スパゲッティ専門店」みたいなものが出てきて、「行った?」なんて会話がなされるようになった。「スパゲッティだけの店があるんだよ」「和風スパゲッティなんてものがあるんだよ」なんて噂がオシャレ系のイラストレーターあたりの間で飛び交って、「そこではワインを飲んでいるらしい」なんて噂になったりして。
 スパゲッティ専門店の次は、どこそこで何かを売っていたとか、1つずつ新しいものが登場して、みんなそれに飛び付いていった。しかも飛び付く人間は同じだから、まるで回遊魚。新しい場所があったら、みんな一斉にそっちに移ってしまう。
 僕らの前の世代は、六本木で「ハンバーガー・イン」にたまっていたらしい。でも、そこで出してたハンバーガーなんて、今にして思えばただのハンバーガー。それくらい店もモノもなかった。僕らも物珍しげにスパゲッティ専門店に行っていたから、出だしは大して変わらない。でも、グラフの斜面が急に傾くように、80年代には一気に店やモノが増えていった。
 チェリー・コーク、ルートビア、そんなモノが珍しくて、わざわざ買いに行ったりした。洋モクを吸っているだけで珍しかったり、そんな時代から流れはずっと続いている。

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image ■ 西田善太さん(マガジンハウス)の

『1990年代』の話

 この店に来るようになって、ちょうど10年。お酒を飲めるようになってからも約10年。編集者に転職して10数年。そして、11/29が僕の40歳の誕生日だった。AVANTIも40歳、僕も40歳、ということで、ちょっと人生の節目かもしれない。
 20代の頃に考えた40代は、「世の中の中核をなす人たち」だった。つまりこれからは、僕らの言葉がそのまま世の中の動きになる……はず。
 そこで、私が90年代に命を懸けてAVANTIで磨いてきた珠玉の言葉の数々を、40代でも言い続けるという決意の元に、ここで改めて発表しておきましょう。

 題して、「気合いの入るシリーズ」!

  気合いの入る動物は?    ウシッ!
  気合いの入る魚は?     エイッ!
  気合いの入る調味料は?   オスッ!
  気合いの入る食べ物は?   カツッ!
  気合いの入る運転手は?   ハイヤー!
  気合いの入る商売は?    コリャー!(氷屋)
  気合いの入る野球監督は?  オウッ!
  気合いの入るアルファベットは? オウッ!
               (あ、エイッ!でも良いです。)
  気合いの入るお婿さんは?  ヨウシ!
  気合いの入るガススタンで入れるものは? ウォッシャー!
  気合いの入る内臓は?    イチョー!
  気合いの入る水たまりは?  イケー!

 他にも、気合いの入らないシリーズ(気合いの入らない食べ頃は?…シュン)とか、重たい街シリーズ(ズシッ)とか、家の中シリーズ(すごく寒いところは?ゲンカン)とか、いろいろ考えてきた。
 今後も、こんなくだらないことを言い続ける40代になることを宣言しつつ、今日はちょっと飲みたい気分。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
9'50" Heart Peggy Lee Capitol TOCP-50457
19'34" It's A Lovely Day Today Ella Fitzgerald Verve POCJ-2146
27'23" Come By Sunday Diana Dors Rhino R21-18567
37'12" Someday Sweetheart Caterina Valente Polydor 065 104-2
43'05" Are You Havin' Any Fun Count Basis & Tony Bennett Rhino R2 72239


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