SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2003年11月1日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「ベスト・コニサー」

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 おかげさまで本日も、当店AVANTIは大勢のお客様で賑わっております。俳優の中井貴一さまや落語家の林家木久蔵さまのような著名な方から、普通のOLのお客さままで、さまざまなお客さまがグラスを傾け、お喋りを楽しんでおられます。
 そういったお客様たちのお話こそが、当店の自慢です。映画、音楽といった柔らかい話から、政治、科学のような堅い話、珍談奇談に、怪しげな噂話、いろんな話が飛び交います。誰が言い始めたのかは分かりませんが、常連のお客さまの間では、そんな面白い話をする方々を、敬意を込めて「コニサー」と呼んでいるとか。なんでもフランス語で「目利き、玄人」という意味らしいのですが。
 お時間がございましたら、その「コニサー」のお話を聞きながら、一杯飲んでいかれませんか?今日は取手さんがずいぶん上機嫌ではしゃいでいらっしゃるので、ちょっと騒がしいのですが、その辺りはご勘弁下さい。


■ 井上和香さん(タレント)の

『芸能界への道』の話

 デビューのきっかけは自薦。コンビニで履歴書を買って書いて、普通に切手を貼って、事務所に送った。志望動機には、素直に「芸能人になりたいです」と書いた。
 写真は友達の知り合いに頼んで、ちゃんとした写真を撮ってもらった。わざわざその撮影のために、代々木公園まで行った。いま考えると、かなり恥ずかしいけど……
 もともと芸能界に入りたいとは思っていたけど、18歳の時に「10代も終わりだから……」と1度は諦めた。でも、バイト先で出会った同い年の友達が、まだ芸能界を目指していて、「諦めるのはおかしい」と諭してくれた。「諦めるのなら、1度自分で応募して、それでダメだったら諦めなよ」と。それが21歳の時だった。
 それまで、自分から応募したことはなかったし、中学校の頃にスカウトされても、事務所の社長さんってやけに怖そうな顔をしているから、全部断っていた。
 そもそも、すごく小さい頃から「芸能人になりたい」と思っていた。というよりは、母親がちょっとだけ芸能界に関わりを持っていたこともあって、自然に「芸能界に入れるモノだ」と思っていた。その思いこみは小学校4年生まで続いていた。
 それで結局、冒頭の「履歴書」まで辿り着いたのは、忘れもしない去年の5月6日。5月13日の誕生日が目前に迫っていて、「満21歳で通じるのはあと少ししかない」と焦って出した。半ば諦めるために出す履歴書のくせに、微妙に頑張っている自分がいた。
 そして事務所から連絡が来たのは7日で、面接が10日。まさにギリギリ。後で社長に「思えば面接って10日だったよね?たった3日で22歳とは気付かなかった……」と冗談交じりに言われたけど。

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image ■ 林家木久蔵さん(落語家)の

『ラーメン党と田中角栄』の話

 ラーメンでおもしろく遊んでしまおうと考えて、「ラーメン党」を作った。党大会・発会式では、新宿の「クッキング・アカデミー」を借りた。そのラーメン党も、いつの間にか27店舗のチェーン展開をするまでに大きくなった。
 最初は大袈裟に取り上げてくれたマスコミも、いつしか「また?よくやるね」ぐらいの扱い方しかしてくれなくなってしまった。そこで「これはなんとかしなくちゃ」と、党員でアイデアを絞り出した。ちょうど中国残留孤児の問題をテレビでやっているのを見て、「北京にラーメン屋を出そう!」と。
 お題目は「ラーメンの里帰り」。「日中友好はラーメンの割り箸から。割り箸は、割ると2本(日本)、折るとペキン(北京)」なんて売り文句も考えた。
 北京といえば、日中国交正常化の立て役者、田中角栄さん。この人に橋渡しをしてもらえれば話題になるだろうと思って、根気よく電話をかけ続けた。そしてついに、今は政治評論家としておなじみの早坂茂三さんが応対してくれて、田中角栄さんに会えることになった。
 時は昭和60年2月7日。朝の9時に田中邸を訪れると、僕の順番は24番。ずいぶん朝早くからいろんな人と面接をしているものだ……などと感心しながら、順番を待った。順番が回ってきて、通されたのは広い応接間。朝の光がさんさんと差し込む部屋の中、田中さんが座っている場所は遠くて、その表情はよく見えなかった。
 「はじめてお目に掛かります、私はラーメン党というものをやっております林家木久蔵でございます、実はカクカクシカジカで……」と挨拶したところ、田中さんは例の濁声で「こっちに来なさい!」と言った後、手元のメモをジッと見ていた。
 ウケるだろうと思って、「割り箸」のギャグも言ってみたけど、どうも田中さんのご機嫌が芳しくない。どうやら「この忙しいのに、コイツはラーメン屋開店の相談に来やがった」と腹を立てていたらしい。
 「日中国交正常化、あの頃は、毛沢東が元気で、周恩来もおって、ウチの大蔵・外務大臣の大平君、それから私で調印して、いい雰囲気の中で無事に終わりました。いまの事は、新聞等でご存知かとは思いますが……私が中国まで行ったのは、ラーメン食べに行ったんじゃないの!帰れ!!」と怒鳴られてしまった。
 ところが私が「ラーメン党は党員が1万名おります」と言ったら、「そういうことは早く言いなさい」と、途端に機嫌が直ってしまった。そうやって、記念写真と紹介状をいただいて、北京でお店を開いたら、向こうで新聞に載るくらいのニュースになった。
 我ながら、タダの宣伝にしては上手くやった方だと思う。

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image ■ 加藤茶さん(タレント)の

『ジェリー・ルイス』の話

 僕が目標としたのはジェリー・ルイスだった。
 高校の頃、アルバイトで映写技師の見習いをやっていて、ジェリー・ルイスやボブ・ホープといった一連の外国コメディ映画をたくさん見ることができた。その中でもジェリー・ルイスは特に格好良かった。二枚目なのにバカをやっていて、とてもカワイイ。その感じが羨ましかった。
 ジェリー・ルイスは音楽コントもけっこうやっていた。音楽コントといえばダニー・ケイだけど、どちらかといえばダニー・ケイはクラシックやジャズの、本格的な音楽の路線だけど、ジェリー・ルイスはポピュラーだった。
 今のコメディアンなら、ジム・キャリーがジェリー・ルイスに近い。身近にいそうな感じで、つい応援したくなってしまう雰囲気が似ている。ディーン・マーティンとの『底抜け』兵隊コントでも、いつもドジばかりしているのに、どこか憎めない。
 ラスベガスで生のジェリー・ルイスを見たことがある。ショーのステージに立って、歌を歌ったり、音楽コントをやったりしていた。当時で70歳を過ぎていたはずだから、驚いたのなんの。1時間40分くらいの舞台を1人で仕切っている姿は圧巻だった。ちゃんと得意の「タイプライター」ネタも披露していた。
 客席は満席で、ネタを披露するたびに爆笑の渦。文句のつけようのない「現役」ぶりには頭が下がった。静かに歌うシーンでは、相変わらずの二枚目だし。
 それが8年くらい前の話。それ以来、「自分も生涯バカで行こう」と確信が持てるようになった。ジェリー・ルイスにはなれないけれど、その道で生きていこうと思う。

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■ サエさんとカズミさん(OL)の

『銀座の父』の話

(カズミさん)
 友達に教えてもらって、銀座で占いをしてもらった。
 その人は「銀座の父」みたいに言われている男性で、路上に立って占いをやっている。その人が来る時間の15分前には行列ができてしまうほど、人気になっている人。
 占ってもらえるのは、特定の人との相性か、仕事・恋愛など全般かのどちらか。私は全般を見てもらった。一応、「バツイチです」と伝えたら、「じゃあもう1度結婚できるかどうか見ましょう」と。そして「もう1度結婚できますが、その相手とは4〜5年前に出会っている人で、これから出会う人ではありません」と言われた。
 もう1度結婚できるというのは嬉しいけど、「これから出会う人じゃない」と言われると、なにか未来を絶たれたような気分になってしまった。合コンとか飲み会に行ってもムダだし。

(サエさん)
 私もカズミに教えてもらって、その人に占ってもらった。私が占ってもらったのも全般。
 仕事のこと、恋愛のこと、いろいろ教えてくれたけど、結婚の話では「今まで知り合った人と結婚する可能性は10〜20%、非常に低い」と言われた。「なんでですか?」と聞いたら「すでに君を知っている男の人は、君のワガママに辟易としているからだ」だって。
 カズミとは正反対の占いの結果を聞いて、私はとりあえず携帯に入っていた男の人の番号を、片っ端から消そうと思った。さすがに「この人たちが新しい男の人を紹介してくれるかもしれないし」と思いとどまったけど。

(カズミさん)
 その「銀座の父」は、名前と生年月日、手相、筮竹、それから奇妙な文字の書かれたサイコロで占ってくれる。路上で「ハッ!」と声を上げながらサイコロを振る光景は、かなり変。
 場所はプランタン裏の通りで、平日は雨が降らなければ毎日いるはず。

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image ■ 中井貴一さん(俳優)の

『中国ロケ』の話

 映画『天地英雄』のロケのため、2001年9月から2002年1月まで、中国へ行っていた。僕は遣唐使の役。中国の映画なので、日本人は僕1人だし、セリフもぜんぶ中国語だった。
 新疆ウイグル地区での生活は、驚きの連続だった。自分が意外とタフだということに気がついてしまったくらい。
 たとえば料理は基本的にイスラム系で、食べるお肉は羊だけ。それで、向こうに着いて最初の晩に出てきた料理が「羊の丸茹で」だった。これは日本の常識ではちょっと想像できないと思う。頭も足もついた状態で、「伏せ」をしているような姿勢の羊が丸ごと出てきた。「中井(チョンチン)、ここが上手いから食え」と言われて出された部分は、ぜんぶ脂だし。そんなの普通は食べられないと思う。それでも食べてみたら、おいしかったけど。
 毎日羊の肉で、その横には必ず皮をむいた生のニンニクが置いてあった。「これ何?」と聞くと「それをかじりながら、羊を食べると解毒剤になる」と言う。ちょっと待てと。どこに解毒剤を飲みながら食事をする国があるのかと。ところが、慣れるとそれがクセになってしまうから怖い。もともとニンニク好きだったこともあって、いつしか1回の食事で4つくらいのニンニクを消費するようになっていた。4ヶ月もそういう生活をしていると、羊とニンニクの匂いが体臭に染み込んでしまうらしく、撮影が終わって日本に帰ったら、女房に「帰ってきてくれたのは嬉しいんだけど……臭い」って言われてしまったほど。
 映画1本の撮影で4ヶ月というのは、日本の感覚からすればずいぶん長い。現場はノンビリしている……というよりも、ドヨ〜ンとしている。
 スタッフは総勢200人。監督も「中井(チョンチン)どうだ、こんなにスタッフがいる映画は、日本じゃないだろう?」なんて自慢げに言うけど、たしかにその通り。だけど現場に行ったら130人は寝てる。しかも自分のコートを敷き布団に、他人のコートを掛け布団にして、130人が堂々と寝てる。最初にその光景を見た時は「これから何かが始まるの?」と思ったほど。
 それを見て「何事も堂々とやるに限る」ということを学んだ。悪いことは、コッソリとやろうとするから見つかるのであって、堂々とやれば「これもありなの?」と勘違いしてくれる。そんなくだらないことを学んで帰ってきた。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
7'31" Ma Al Hirt・Ann Margret RCA BVCJ-7471
16'15" Four Or Five Times Peggy Lee Capitol 7243 8 54543 2 5
26'56" It All Depends On You Jerry Lewis MCA RE 2079
39'04" Gypsy In My Soul Eydie Gorme Taragon TARCD-1011
46'54" You And The Night And The Music Cathy Hayes DIW DIW 351


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