■ 中尊寺ゆつこさん(漫画家)の
- 『オヤジギャル』の話
『スイートスポット』は「OLの話」のようだけど、あれは実は「自分の話」だった。ただ、漫画を描くにあたって主人公を誰にするか考えると、漫画家とかアーティストではシンパシーが得られない。それで形だけでも主人公は「OL」にした。
あの頃はOLがパワーを持っていた時期だったので、「OLを主人公に」というのは新人賞の頃から狙っていたことでもあった。それに私は、丸の内OLになりそびれた女でもあったので、「ハイヒールでカツカツ歩く丸の内OL」に対する憧れもあった。
漫画を出版社に持ち込み始めた頃は、私の肩書きは「家事手伝い」。それでも「流行るに違いない」と思っていたので、すねかじりの身分ながらゴルフは始めていた。だから『スイートスポット』の主人公も、初回から傘を振っている。
『SPA!』で連載が始まったのが4月。9月ぐらいに木村和久の深夜番組に呼ばれて、ゴルフのクラブを「チャー・シュー・メン」って振る代わりに「エル・メスの・スカーフ」って言いながら振ったりして、「こういうのをオヤジ・ギャルっていうんでしょ?」なんて話をしていた。その頃までは普通だったんだけど、その辺りから急に取材の申し込みが増えてきて、アッという間に売れっ子になってしまった。
OLの友達なんて1人もいないのに「OLが主人公の漫画」を書いていたんだから、まるで詐欺。いろんな事を勉強するのは、もっぱらゴルフの時だった。いろんな人に誘われて一緒に回ったけど、会社の社長と回ることも多かったし、近所のゴルフ好きなオジサンと回ることもあった。それでその時に、「オヤジはおいしいし、おもしろい!」ということを知った。
当時は『Hanako』が全盛で「女の子は女の子の遊びをしてろ」みたいな時代だったけど、私はオヤジから教わって、競馬に行ったり、一杯飲み屋に行ったりしてみた。そうしたら案の定おもしろい。それを「私がやっておもしろかったんだから、みんなだってやってみればおもしろいに違いない」と思って、漫画にバンバン描いたら、やっぱりその通りだった。今やその文化も、スタンダード・カルチャー。新橋の一杯飲み屋で女の子がお酒を飲んでいても、誰も「オヤジギャル」なんて言ったりしない。
そういえば第1話で、主人公のOLがゴルフバッグを担いで出社するけど、描きながら無責任にも「さすがにこんな人いるわけないよ」と思っていた。だけど半年後には、そういう人をいっぱい見掛けるようになって、心の中でガッツポーズ。自分がそういう時代を作ったなんておこがましいことは思わないけど、やっぱりみんなもそういう時代を望んでいたんだと思う。
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■ 村瀬智一さん((株)フィスコ 株式担当アナリスト)の
- 『バブル経済』の話
日経平均株価のピークは、1989年の大納会。3万9千円台だった。当時、僕はまだ証券会社で働いていて、「年明けから急騰だ、4万円台だ!」なんて思っていた。とりあえず商社株を「8001」番の伊藤忠から全銘柄買ったんだけど、その後、買った時の値段に戻ることは2度となかった。
バブルと呼ばれる好景気が始まったのは、80年代初頭から。最初は米国の景気がよくなり出したことがきっかけだった。アメリカの消費が拡大して、まず日本の輸出産業が潤った。さらにその時、日本は産業の構造が変わりつつある時期で、省エネブームなどもあって輸入が減っていた。そういった事情で、日本が債権国に、アメリカが債務国になっていった。
それがおもしろくないアメリカは、日本に内需拡大を迫り、『プラザ合意』が結ばれた。円高になって、日本がアメリカの製品をもっと買えば、アメリカの貿易赤字が縮小する……という筋書きだった。とはいえこのプラザ合意、内需による円高メリットがあったので、マーケット的にはさほど悪いイメージはなかった。
その後、日本の低金利政策や、ファンダメンタルズ(基礎的条件)が良かったことで海外から資金が流入したりして、日本の株価はどんどん上がっていった。その結果「金余り」という現象が起きてしまった。
バブルがはじけるにあたって、株価の下げを加速させたのは、先物やデリバティブといった新商品だった。それらを主に手掛けていたのは、アメリカの投資家たち。結局、そういう強いところが最後においしいところを持っていく。
今年、株価が8千円から1万1千円まで上がったけど、それだって牽引したのは外国人。しかも彼らは、銀行の不良債権処理に便乗して、汐留などの土地を、「買い叩く」までもなく、とんでもなく安い値段で手にしてしまっている。
昔は「ハゲタカ・ファンド」なんて言葉も使われたけど、ボロボロになったモノ、たとえば会社を買って、悪いところを切って、良いところだけを残す。そうやって再建した会社を上場して、日本の投資家に売る。それが彼らのやり方。
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■ 泉麻人さん(コラムニスト)の
- 『バブルの思い出』の話
バブル時代を思わせる造りのお店がチラホラと出てきているけど、値段だけは時代に沿って安いのがおもしろい。
ただ、さすがにそういう店も、バブルの頃のような「無駄」が無くなっている。あの頃はけっこうとんでもない店が多くて、砂が敷いてあるディスコとか、風呂があるディスコとか、そういうモノを見物するのは楽しかった。
バブルがはじける前は、当然だけど「これがバブルだ」なんて思っていなかったし、「バブルがはじけたから……」なんて言っても、何がはじけたのかよくわかっていなかった。今でもけっこういい加減だなと思うのは、バブルを象徴するシーンで、ジュリアナの映像を流していたりするあたり。あれは92〜93年くらいだから、バブル以降の流行。
バブルがはじけた頃を象徴するモノとして真っ先に浮かぶのは、僕の場合は「モツ鍋」。バブルがはじけた1〜2年後は、どこでも誰でもモツ鍋を食べていた。「安くて美味いもの」の象徴のように言われていたけど、実はあの頃のモツ鍋より今のイタリア料理の方が安かったりする。それでも当時は、誰もが「安い」と思っていた。
それともう1つ、バブルがはじけた頃を象徴するモノとして思い浮かぶのが「カラオケ・ボックス」。やっぱりカラオケ・ボックスも「安上がりに遊べるモノ」だった。
この間、NHK教育で「バブル期に失敗した人たちが当時を反省する」みたいな番組をやっていたけど、西武の堤さんの話を聞いていて、「一番バブルっぽい企業は西武だったのか」と思った。北海道に地中海クラブを持ってきたりだとか、いろいろバブルっぽいことに手を出していたみたい。僕も当時『ナウの仕組み』という連載で、「西武が熊谷に海を作るらしい」なんて書いていたけど、あながち外れていなかったのかも。
あの頃は、堅い企業から僕のところに「柔らかい話をしてくれ」なんて講演の依頼も多かった。そういう会社に行くと、みんなで六本木の遊び場の学習、なんてこともしていた。そういうことを知らないと時代についていけない、と考えられていた時代だった。
遊休地の活用も盛んで、僕も汐留に作ったプレハブのディスコで1ヶ月くらいプロデューサーをやったことがある。あれは1988年だったから、本当にバブル真っ盛りの頃だった。
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■ 松井雅美さん(店舗プロデューサー)の
- 『バブル期のお店』の話
カフェバー『レッド・シューズ』は、「僕らが遊びに行きたくなるような店を作りたい」という発想から生まれた店だった。
ところが、最初の2〜3ヶ月は全然お客さんが入らなくて、身内の人間しか来なかった。それが雑誌の「カフェバー・ブーム」みたいな特集があってから、急に人が入り出した。夜中の3〜4時でも人が溢れるくらいになって、どんどん危ない店になっていった。中では不良たちが暴れていたり、それはそれでおもしろかったけど。
そんな風に、最初は身内だけで仕事をしていた僕も、次第に外部から仕事を依頼されることが多くなっていった。最盛期には、月に10軒とか、わけのわからない数字だったこともある。
カフェバーが流行った次は芝浦の倉庫街。僕が場所を見つけて、松山さん(『レッド・シューズ』のオーナー)を連れていった。「ここですよ」って言った場所は、何もない真っ暗な倉庫街だった。松山さんもさすがに「ここ?」と驚いていたけど、帰ったら留守番電話に「やろう!」と。それで誕生したのが『インクスティック芝浦』だった。ちなみに松山さんを連れて行ったのが9月で、オープンしたのは12月。それも『TANGO』と2軒同時オープンだった。
この2軒がオープンしたのが1986年。「場所」がすごく重要で、「その店までわざわざ行く」というのが僕らの価値観だった。だからあえて駅前じゃなくて、意外性のある裏切られるような場所を選んだ。
芝浦の次は、神楽坂の『ロトゥン』というクラブを作った。小さかったけれど、毎日DJが変わるというのが当時としては珍しく、すごく流行ったお店だった。神楽坂でクラブというのも意外性があったし。神楽坂と言えば『ツインスター』というディスコも作った。
最初は僕も、ちゃんと家賃とか保証金とか内装費とか、いろいろ考えながら仕事をしていたけど、いつしかそういうことは要求されなくなっていた。あの頃はモノに金銭的な価値があったということなのだろう。
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■ 川井潤さん(博報堂)の
- 『本当のバブル』の話
僕のイメージでは、「バブル」という時代は1987〜1991年まで。世間的には1990年に崩壊していることになっているけど、実は90年はまだまだおいしかった。
バブルの勢いを感じながら働くのは、とても楽しかった。バブルが来ることをわかってバック・トゥ・ザ・フューチャーしたら、80年に土地を買い占めて大金持ちに……なんて冗談を我々は言うけど、本当にそうだった人もいたわけだし。だいたいそういう人は、今はダメになっちゃってるけど。
知り合いに、1日1億円稼いでいた人がいるけど、今はヘロヘロ。その人は銀座のクラブで、お姉ちゃんに「電話番号教えて」と言うかわりに「口座番号教えて」と言っていた。そのお姉ちゃんの口座には、翌日500万円が振り込まれていたらしい。
そういうのが本当のバブル。僕らがバブルなんて言っても、株を持っていたわけじゃなし、大したことはない。ただ、その時代の空気がバブルだった。ワンレン、ボディコン、プアゾン、シャネル、ディスコ……。
当時、25歳から20代後半くらいの女の子たちは、ものすごくチヤホヤされていた。いまだにそれを引きずっていて、今でも結婚していない、というケースがすごく多い。あんなおいしい思いをしていたら、ちょっと収まりきらないだろうと思う。チヤホヤする方は、えてして既婚者だったりしたし。
バブルの象徴と言えば「タクシー・ダッシュ」。タクシーを捕まえられるかどうか、タクシーの裏の番号を知っていて、すぐに呼べるかどうかが、偉いか偉くないかの分かれ目だった。僕なんていまだに、携帯にタクシーの裏番が入っているけど、まったく役には立っていない。
当時、アッシーとかメッシーとかミツグくんなんて言葉も流行ったけど、一応、一通りやった。
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放送曲目リスト
| Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
| 10'05" |
Gotta Have We Go With You |
Debbie Reyolds |
UNIVERSAL |
MVCJ-19233 |
| 21'31" |
Miss Otis Regrets |
Francis Faye |
Capitol |
CDP 796362 |
| 24'10" |
Sunday |
Lurlean Hunter |
BMG |
BVCJ-7491 |
| 40'31" |
Dreams A Little Dream Of Me |
Ella Mae Morse |
Capitol |
TOCJ-5990 |
| 47'06" |
From Now On |
Peggy Lee |
Capitol |
CDP 796362 |
|