SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2003年9月6日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「世界の喜劇人」

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 AFI(アメリカン・フィルム・インスティテュート)が、映画関係者1500人の投票によって選定した「アメリカ映画史上 喜劇映画トップ100」の1位はビリー・ワイルダーの『お熱いのがお好き』だったそうですね。
 その他、 チャールズ・チャップリンやバスター・キートンなど、おなじみの映画もランクインしていました。楽しい映画は、いつの時代になっても楽しいのでしょうね。
 あちらのお客さまも、そんな「喜劇」のお話で大いに盛り上がっておられます。今日はそのお話の一部を、ここでご紹介いたしましょう。


image ■ 品田雄吉さん(映画評論家)の

『戦後の喜劇映画』の話

 戦後すぐに来たコメディは、2人組が多かった。ローレル&ハーディの「極楽」コンビとか、アボット&コステロの「凸凹」コンビとか。
 構図的には漫才と同じで、ボケとツッコミ。一方がこすっからくて、もう一方がボーっとしている。それから、痩せとデブとか、対照的な組み合わせになっている。
 その流れは、後にちょっとだけ姿形を変えて、ジェリー・ルイスとディーン・マーティンの「底抜け」コンビや、ボブ・ホープとビング・クロスビーのコンビなどに引き継がれた。
 実をいえば、ボブ・ホープとビング・クロスビーのコンビだけはちょっと別格で、2人ともお互いに騙し騙されの、抜け目ないタイプのコンビ。しかもドタバタではなく、喋ったり歌ったりしながら笑わせていく、という技術があった。
 好きな喜劇人は人によってさまざまだけど、世の中で「すごい」と評価されているのはチャールズ・チャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイドの3人。しかしこの3人は、トーキーの時代に対応しきれず、没落している。
 チャップリンなどは、トーキーに逆らってサイレント映画を作り続けた人だった。『黄金狂時代』が1930年、そろそろトーキーになろうかという頃なので、『モダン・タイムス』の頃にはかなり映画のトーキー化が進んでいた。だから『モダン・タイムス』の中でも、工場の社長の声ぐらいは付いていたけど、やっぱりチャップリン本人は喋らなかった。どこまで行ってもチャップリンは「パントマイム」の人だったのだろう。
 それでも、トーキーの時代もチャップリンは映画を作り続けることができたのに対して、バスター・キートンやハロルド・ロイドはそのまま没落してしまった。これは政治力の違いというか、処世能力の違いが大きな理由の1つだろう。バスター・キートンは、ひたすら身体を使ったスラップ・スティックしかできない人で、『ライムライト』でチャップリンがバスター・キートンを救った時も、やっぱり2人のシーンはスラップ・スティックだった。
 トーキーになってから、スラップ・スティックのコメディアンは出てこなくなった。ボードビルから出てきた人は、そういうニオイをどこかに残していたけど、時代がボードビルからスタンドアップ・コメディに移っていくにしたがって、そういうニオイもなくなっていった。

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image ■ 筒井康隆さん(作家)の

『マルクス・ブラザーズ』の話

 『不良少年の映画史』には、小学生の頃から始まって、中学生のぐらいまでに観た映画のことを書いた。
 観ていたのは主に喜劇で、マルクス・ブラザーズなんて好きだった。僕が観ていたのは後期の作品で、3人しか出てこなかったけど、グルーチョはセリフで、ハーポはシュールなパントマイムで、といった具合に、三者三様の芸で笑わせてくれた。
 一番最初に観たのは『マルクス捕物帖』(なぜか原題は『カサブランカの夜』)。でも実は、この作品はマルクスが面白くなくなりつつある頃の作品で、今一つ。次が『デパート騒動』で、さらにその次が『ニ挺拳銃』。この頃になると、マルクスそのものの笑いというよりは、キートンの亜流という感じだったけど、これには笑わせてもらった。あんまりにも面白いものだから、劇場で3回立て続けに観てしまったくらい。
 次に好きだったのがハロルド・ロイド。動きのギャグが面白いだけじゃなくて、都会的なセンスが格好良かった。戦後すぐに観た『巨人征服』が面白くて、その後なかなか観る機会はなかったけど、大好きだった。
 実はチャップリンみたいな、人情がらみで「涙と笑い」みたいなのは、あまり好きじゃない。たしかに感動するんだけど、それは喜劇映画の感動じゃない。喜劇映画で気が狂うんじゃないかというほど笑わせられた後は、ある種の感動を覚える。その感覚はシュール・レアリズムというか、悪夢に近いかもしれない。ちなみに僕の小説も、そういう感覚を狙っている。

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image ■ 谷啓さん(俳優)の

『ダニー・ケイ』の話

 僕の名前は、ダニー・ケイから取った。
 昭和26〜27年、僕がまだシャープス&フラットにいた頃、『虹を掴む男』という映画があった。それがダニー・ケイを見た最初だった。いつも空想ばかりしていて、ついその気になってしまう男の話なんだけど、自分自身がそういう人間だったので、気に入ってしまった。
 僕の空想なんてくだらないものばかりで、たとえば舞台は西部劇。50人ばかりの軍隊が取手に取り残されて、インディアンの攻撃を受けている。そこに僕が助けに行く、なんて筋書きとか。西部劇だから、向こうの武器はその時代なりのものなのに、僕が持っていくのはなぜか近代兵器。機関銃やヘリまで持ち出したりして、もうムチャクチャ。
 『虹を掴む男』のダニー・ケイもそんな人間だった。ギャングに取り囲まれたところで空想が始まる。空想の中で強い男になっちゃって、本人もその気になっちゃうところなんか、かなりいい感じだった。
 ダニー・ケイの晩年、彼がニューヨーク・フィルを指揮する、という舞台公演があった。これがコメディだったというのスゴイ。ダニー・ケイが出てきて、「さあ、やるぞ」と指揮棒をオーケストラに向ける。そして徐々に指揮棒を上げていくと、ストリング・セクションがそれに釣られてだんだん立ち上がっていく……みたいな、ギャグ満載。
 僕たちもクレイジーで音楽ギャグは大事にしていたし、いろいろ考えたりもしたから、「あ、音楽ギャグは似ちゃうところがあるな」とは思った。ただ、ダニー・ケイとニューヨーク・フィルは、演技力の桁が違った。
 冒頭、ニューヨーク・フィルがスタンバイしているところに、ダニー・ケイが登場する。センターで立ち止まって、ふと指揮台を見ると、その指揮台がやけに高い。「この高い指揮台にワシはどうやって登ればいいのだろう……」とダニー・ケイは困惑するんだけど、それを顔の表情だけで表現してしまうのには感心させられた。アイデアだけなら、僕たちも似たようなことをやったかもしれないけど、あの顔だけで大きなホールのお客から笑いを引き出せる演技力はとてつもない。
 メンバーに支えられて乗っかったり、なぜか指揮棒を50本くらい抱えてきたり、ニューヨーク・フィルの人たちも一緒になってちゃんとギャグをやっているのもエライと思った。普通、クラシックのオーケストラの人にはそれなりの自負があって、なかなか細かいギャグがうまくいかないもの。それをちゃんとやっているのにも感心させられた。
 一部、二部、と来て、最後に『星条旗よ永遠なれ』を演奏する。この演奏がまた素晴らしい。コントラバスは途中でビューンと回すし、派手で派手で、もう最高。

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image ■ 新野敏也さん(喜劇映画研究会)の

『バスター・キートン』の話

 バスター・キートンの映画デビューは1917年。もともと旅芸人というか、ステージではかなり人気のある人だった。
 動きが軽くて猫のような感じがウケて、すぐに人気者に。「猫のフェリックス」のことは本人も好きだったみたいだけど、その動きを意識していた、なんて伝説もある。
 けっこうイケメン風の顔立ちで、「笑わない」ということをトレードマークのようにしていた。「笑わぬ喜劇王」なんて呼び名もあったらしい。
 あの年代のコメディの常として、アクロバットというか、サーカスのような曲芸をしていた。たとえ転んでも落っこちても絶対に痛がる素振りを見せず、観客に同情させない。でもそれはキートンだけじゃなくて、何千人はいたであろうコメディアンが、全員そうだった。誰かが何かをやると、自分はもっと上を、と考えて、レーシングカーから列車に飛び移った人がいれば、飛行機から飛行機へ飛び移る人が出るとか、そんなことを生身でやっていた時代だった。
 さすがにそこまでやる人は、基本的に一発屋で、後が続かない。キートンはその辺の作戦がうまくて、ストーリーと絡めて、うまくやっていた。ロマンスの最後のクライマックス、女の子が川を流されて、滝壺に落ちる寸前、自分の身体をロープで縛って空中ブランコのようにキャッチする、みたいな見せ場を作ったり。もちろん映画だから、作り方に工夫はあるけど、基本的には生身のアクション。
 パントマイムをやっている人に聞いた話だと、キートンの転び方は「フォール」という名前でテクニックとして残っているらしい。アスファルトの上で転ぶときに、自分の頭よりも両足を上に上げて、背中で受け身を取るように転ぶやり方。当時の人はその転び方をやる人が多かったんだけど、キートンは特にフォームが綺麗だった。下手に転ぶと痛そうに見えるから、そこは綺麗な方がエライ。
 棒を投げたみたいにありえない姿勢で転んだりとか、当たり前のようにすごい芸を持って昔の人はギャグをやっていた。今のリアクション芸人が、花火を持って「アチ!アチ!」なんて叫んでいるのとは、ちょっとレベルが違う。
 その背景には、経済恐慌という時代もあったのだろう。世の中的にフラストレーションがたまっていたので、みんなおもしろいものを見て発散したいと思っていたし、逆につまらなかった時は怖かっただろうし。その危機感とか、くぐってきた修羅場の数が違うから、人を惹きつける力が違うのだと思う。

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image ■ 柳沢真一さん(ジャズシンガー・俳優)の

『ボブ・ホープ』の話

 ボブ・ホープの吹き替えはたくさんやった。『珍道中』と『腰抜け二挺拳銃』、2時間の長尺ものを、6時間で一気に録り上げた、なんて想い出もある。何の自慢にもならないけど、この記録はこの先、破られることはないと思う。
 『奥さまは魔女』のダーリン役をやって以来、早口のコメディは片っ端から僕のところに来るようになってしまった。ダニー・ケイ、ジーン・ケリー、まあジーン・ケリーは途中で踊ってくれるから、そこで息抜きができるけど。
 そしてボブ・ホープ。この人の吹き替えは大変。原台本にもないことをアドリブで喋っちゃうから、吹き替え台本にも書ききれない。アウトサイド・プロットと言って、パッと本筋から外れて、ビング・クロスビーをけなしてみたり、ドロシー・ラムーアに色目を使ったりする。原台本にもないから、翻訳する人も書きようがなくて、「ここはヨロシク」みたいな感じになってしまう。しかもスゴイ早口でパパッと言って本題に戻っちゃうから、いつも本当に苦労した。
 そもそもボブ・ホープは、ラジオ・スターとして売れた人なので、スピーチで客を笑わせ度肝を抜くというのはお手の物だった。その彼もつい最近、100歳で大往生。白菜(ひゃくさい?)を毎日食べて、見習いたい。
 ちなみにボブ・ホープの相方、ビング・クロスビーの吹き替えは、勝田久さんがやっていた。「勝久(かつきゅう)さん」という呼び名で親しまれた人で、「幻の芸能学校」と言われた鎌倉アカデミー出身。
 本当は僕はビング・クロスビーのファンだったので、そっちをやりたかったんだけど、早口のボブ・ホープの方をやらされた。ビング・クロスビーはどちらかと言えば、ちょっと飄々した感じ。そして最後は必ずビング・クロスビーがおいしいところをかっさらっていく。ビング・クロスビーとドロシー・ラムーアが肩を組んでいる画をバックに、カメラに向かってボブ・ホープが「いつでもこれだもん」と言うのがお約束だった。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
9'38" Carolina In The Morning Dean Martin Capitol CDP 0777 7 98409 2 2
19'19" Something Makes Me Want To Dance Nat King Cole Capitol CDP 0777 89545 2 1
29'49" Why Do I Love You Louis Prima & Keely Smith Jasmine JASCD 326
41'34" There's No Such Thing Jack Lemmon Sony Music CCM-205-2
48'06" Thanks For The Memory Bing Crosby MCA MCAD4-10887


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