■ はなわさん(タレント)の
- 『コミック・ソングを始めたきっかけ』の話
ベースギターで歌っているのは「世界初なんじゃ?」と言われることもある。それしかできないから、やっているだけなんだけど。
もともとは、普通に一人コントをやっていた。お笑い芸人として東京に出てきて、コンビを組んで、自分の番組を持つようになって、お茶の間の人気者になって、高額納税者になって、麻布のデッカイ家に住んで……なんてことを夢見る、普通のお笑い芸人だった。
だからお笑いコンビを組むつもりだったのに、事務所の社長が「遊びでいいから、コミック・バンドをやってみないか?」なんてことを言ってきた。僕は「コミック・バンド」という言葉がすごく古くさく聞こえて、本音を言えば嫌だったんだけど、相手は社長なので、「社長、さすがっすね!」と一応、話に乗ってみた。
そうしたら社長が「そうだろう〜、平成の『ドリフターズ』だよ!」なんて、ノリノリになっちゃって。で、高校の時にちょっとだけ遊びで触ったベースを買ってもらって、メンバーで集まって練習を始めた。そうしたら、みんな下手なこと下手なこと。これは8年は掛かる、と思ってメンバーを抜けた。
ところがその後、1人でネタを考えたりしていると、部屋の片隅に置いてある、買ってもらったベースが妙に気になる。それでふと「これで歌ったら面白いかもしれないな」と思って始めたのが、今の芸の始まりだった。
そして今では、いつでもベースを持ち歩くようになってしまった。最初はネタに詰まって偶然手にしただけだったのに。
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■ 嘉門達夫さん(シンガーソングライター)の
- 『デビューまでの道のり』の話
13歳の時から自分で曲を作ってカセットに録音したりしてたけど、落語家を目指して、破門になって、スキー場でバイトをするまでは、特に変わったことはやっていなかった。
ところがそのスキー場で「落語をやっていたヤツがいる」ということが噂になって、ことあるごとに「なんかやってくれ」と頼まれるようになってしまった。でも「破門になったのになんでオレは落語をやっているんだろう?」という矛盾を感じて、自分にできることを考えた。
そこで思いついたのが音楽。音楽と笑いの融合、しかも「あのねのね」よりももうちょっと深いヤツ……なんてイメージで、今のスタンスでやるようになった。
中学の頃に作った曲で『蚊取り線香』という曲がある。これは明らかに吉田拓郎さんの『線香花火』に影響されて作った曲で、自分の中では「夏の風物詩を実に叙情的に歌った曲だ」と自負していた。「♪ひょろひょろ煙、夏になれば蚊取り線香、ずっと見ていると目が回りそうになる蚊取り線香、いつだって丸くて緑色、蚊取り線香……」こんな歌だった。僕は大真面目に作ったのに、親戚のオバチャンに聞かせたら、オバチャンはのたうち回って大笑い。その時に、僕の人生は決まっていたのかもしれない。
バイトしていたスキー場から大阪に帰って、面倒をみてくれていたプロデューサーに「今度は歌手になります!」と宣言したら、「ちょっと落ち着け、まだ破門になって半年しか経っていないんだから、今度は南の方にでも行ってみたらどうだ?」と勧められた。そこで与論島へ行って、また曲作り。大阪に帰ったら、また「まだ22歳なんだから、外国にでも行ってみたらどうだ?」と勧められて、バイトに明け暮れる日々が続いた。
そんなある日、スキー場で歌った僕の歌を録音したテープが、サザンの所属するアミューズ事務所の社長の耳に入った。そこで「これはおもしろい!」と気に入ってもらえて、アミューズの大阪支社にバイトとして雇ってもらった。
昼は有線へサザンの営業、夜はライブハウス巡りで自分の曲を歌って、ライブでは圧倒的にウケた。ところが僕の曲は1曲1分52秒しかない。どんなにウケても、「レコードにしよう」という話はまったくなかった。
仕方がなく、自主制作で200枚のレコードを作って、有線へ今度は自分の営業のために売り込みに行った。向こうも営業の兄ちゃんが、いきなり歌手になって来たのには驚いただろうと思う。
その有線で火がついて、やっとメジャーデビューに漕ぎ着けた。その曲が僕のデビュー曲『ヤンキーの兄ちゃんのうた』。
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■ 加藤茶さん(タレント)の
- 『ドリフターズのコミック・ソング』の話
『みよちゃん』とか『いい湯だな』とか、いろんなコミック・ソングをドリフで歌ったけど、ウチの曲にはほどんどオリジナルのものなんてない。
クレイジー・キャッツなら、もともと植木等さんがジャズ喫茶時代から歌っていた。ところがドリフターズの本来のボーカルは仲本工事で、僕はドラム担当。それなのにコミック・ソングを出すにあたって、社長にむりやり「お前が作って、歌ってみろ」と言われて、仕方なくやることになった。
その時、銀座のミニ・クラブ(ミニスカートをはいた女性がいるクラブ)へ行ったら、妙にノリのいい歌で女の子たちが盛り上がっている。「よし、これパクろう!」と言って出したのが『いい湯だな』だった。「♪ビバノンノン」って掛け声も、女の子たちの掛け声そのまんま。
レコーディングして、大ヒットして、しばらくしてからデューク・エイセスのオリジナルを聞いたら、「あれ?全然違うじゃん!」って驚いたのなんの。それくらいアバウトだった。
『ズンドコ節』は、社長が持ち込んできたネタ。特に理由もなく「おい、今度は『ズンドコ』だぞ!これは当たるぞ!」って言い出すので、『全員集合!』で歌ってみた。ただし、小林旭さんなんかは、けっこうしんみりした感じで歌っていた曲を、僕らはまた『いい湯だな』のノリでやっちゃった。
結局、クレイジーはジャズ世代だけど、ウチらはロック世代なので、どうしても8ビートの速いテンポになってしまう。それがウチの特徴かも。
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■ 堺すすむさん(タレント)の
- 『なぞなぞソング』の話
最近、僕の人生は挫折の人生だという気がしてきた。一生懸命、新しいモノマネを考えてきたのに、後の人たちが簡単に同じネタをやってしまう。それをステージでやっても「あ、コロッケのマネだ!」と言われると、悲しくなってしまう。
それで「モノマネはもう止めよう」と思って始めたのがコミック・ソング。僕の視線は基本的に子供に向かっているので、まず子供が楽しめて、大人が楽しめるもの……と考えて、「なぞなぞ」を思いついた。それでできたのが「♪な〜んでか?」。
当時、僕のやっていた番組のスタッフが学生のバイトばかりだったので、彼らに「みんなでなぞなぞを作ろう」と呼びかけて、お昼ご飯の時に「♪な〜んでか?」と問題を出し合った。誰も答えられないような問題だと、その問題を作った人はお昼ご飯抜き。そんな遊びの中から、いろんなネタを作った。
たとえば「あんパンとジャムパンと食パンがあるいていた。後ろからメロンパンが『おーい!』と声を掛けたら、振り向いたのは食パンだけだった。な〜んでか?」とか。コレ、答えは「食パンにはミミがあるから」。いまだにこの類の問題を作り続けている。
曲調をフラメンコにしたのは、旋律が自由だから。4〜5個のキーさえ憶えれば、誰でも歌える。長さも自由自在。これはなぞなぞをやるのに便利。
それじゃ、ちょっと触りだけ……「♪2月に梅の木の下で彼女にプロポーズをしたら断られた。今度は4月に桜の木の下でプロポーズしたら、愛を受け入れてくれた。な〜んでか?な〜んでか?それはね、『き』が変わったから」「♪港で船を見送る家族、五色のテープがヒラヒラと舞う、『あなた、元気で行ってらっしゃい!』と言っている家族の目の前で、船がボコボコ沈んでしまった。な〜んでか?な〜んでか?それはね、潜水艦だったから」
こんなのをやるつもりでギターを持ったワケじゃないけど、ギターを持ったからこそこういうことができた。
で、最初の「挫折」の話だけど、このネタは絶対にマネをされることはないだろうと思っていた。ところが最近、「今日はもう1人いないんですか?」と聞かれるようになってしまった。1人で歌っていると、僕の前に来て手をクネクネさせて踊る子供もいるし。いっそ黄色いジャージでも着ようかと思うくらい。
それからこの曲の一番最初は、フラメンコっぽく「オレ〜、オレ〜、あんた誰?オレ〜」なんてネタだったのに、「オレオレ詐欺」まで流行っちゃって。なんだかオレのやっていること、全部持って行かれているみたい。
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■ 青島幸男さん(作家)の
- 『クレイジー・キャッツ』の話
「シャボン玉ホリデーはミュージカル番組なんだから、人の曲ばっか歌ってないで、オリジナルの歌を作りたいね〜」と言い出したのはハナちゃん(ハナ肇 )だった。それで僕が書いたのが『スーダラ節』。でも実はこの曲はB面の曲で、A面は『こりゃシャクだった』という曲なんだけど。これは本当にシャクだった。
「わかっちゃいるけどやめられない」というのはオフクロの口癖。それをそのまんま歌詞にしちゃった。それからラジオで評論家が「この曲は飲む・打つ・買うという人間の業を歌い込んでいて、コレを歌えば悟りが開ける、という歌だ。『スーダラダッタスイスイ』というのは、梵語で『煩悩が避けられれば悟りが開ける』という意味なんだ」なんてことを言っていたけど、これには書いた自分の方が驚かされた。
そもそも「スイスイスーダラダッタ」というのは、植木屋(植木等)の口癖。当時は停電が多くて、植木の家でも一家団欒で食事中に停電したことがあったらしい。植木が「よし、オレが直してやる」とヒューズボックスに顔を突っ込んで、あちこちいじってもどうにも直らない。「餅は餅屋だから、電気屋を呼ぼう」ということになって電気屋を呼んだら、若い兄ちゃんが来てあっという間に直してしまった。子供や奥さんが「さすが〜」「すごいわね〜」なんて感心していたら、その兄ちゃんが「♪スイスイスーダラダッター」と歌いながら帰っていったらしい。それ以来、麻雀で満貫を上がった時とか、得意然として何かをやる時は「♪スイスイスーダラダッター」と言うようになった。
作曲家の萩原哲晶さんは、ナベプロの社長の渡辺晋さんが連れてきた。萩原さんは音楽的な素養がある、ちゃんとした教育を受けた人だったのに、フルバンドのチンドン屋みたいな曲を作るのはスゴイと思った。
『スーダラ節』以降、ずっと萩原さんと一緒に歌を作ってたけど、いつも僕の歌詞が先で、そこに萩原さんの曲をつけてもらっていた。映画のたびにテーマソングが必要になるので、まずは僕が歌詞を書いて、萩原さんに電話で伝える。すると萩原さんがA、B、Cぐらいの案を作ってくれるので、渡辺晋さんの家にみんなで集まって、ピアノで弾いて歌ってみる。するとクッククック笑いながら植木屋が「Aの頭とBの真ん中とCのケツをつないでみて」なんてムチャな注文をだして、みんなで大笑いしながら酒を飲んでたら、いつのまにか曲は出来上がっていた。
もっとも、冗談の方が多いから、いつも朝までかかっていたけど、その会議は本当に楽しかった。「頭の出だしはAの方がいいな、派手で」なんて要求にいつも応えていた萩原さんも、音楽家らしからぬ人だったし。どうも「売れればいいや」と思っていたみたい。
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放送曲目リスト
| Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
| 7'52" |
佐賀県 |
はなわ |
Live |
|
| 17'29" |
Zip-A-Dee-Doo-Dah |
The Modernaires With Paula Kelly |
Legacy |
CK 4864 |
| 29'07" |
Back In Your Own Backyard |
Jerry Leuis |
MCA |
MSD-35830 |
| 37'19" |
なんでかフラメンコ |
堺すすむ |
Live |
|
| 47'48" |
スーダラ節 |
クレイジーキャッツ |
東芝EMI |
TOCT 8637 |
|