SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2003年7月12日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「コミック・ソング」

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 先ほどから、あちらのお客さまがコミック・ソングのお話をされているようですが、私の世代だと伝説の放送禁止ソング『金太の大冒険』を思い出しますね。ちょっと品がないので関連サイトへのリンクは控えさせていただきますが、子供の頃にお腹が痛くなるくらい笑わせてもらった記憶がございます。
 放送禁止とまではいかなくても、クレイジーやドリフでも「くだらない」という批判の声は少なくなかったようです。世界が歌と笑いで包まれれば、こんなに素晴らしいことはないと私は思うのですが。
 今日は当店AVANTIを訪れた、そんな素敵な歌を作ってきた方々のお話を、少しだけご紹介いたしましょう。


image ■ はなわさん(タレント)の

『コミック・ソングを始めたきっかけ』の話

 ベースギターで歌っているのは「世界初なんじゃ?」と言われることもある。それしかできないから、やっているだけなんだけど。
 もともとは、普通に一人コントをやっていた。お笑い芸人として東京に出てきて、コンビを組んで、自分の番組を持つようになって、お茶の間の人気者になって、高額納税者になって、麻布のデッカイ家に住んで……なんてことを夢見る、普通のお笑い芸人だった。
 だからお笑いコンビを組むつもりだったのに、事務所の社長が「遊びでいいから、コミック・バンドをやってみないか?」なんてことを言ってきた。僕は「コミック・バンド」という言葉がすごく古くさく聞こえて、本音を言えば嫌だったんだけど、相手は社長なので、「社長、さすがっすね!」と一応、話に乗ってみた。
 そうしたら社長が「そうだろう〜、平成の『ドリフターズ』だよ!」なんて、ノリノリになっちゃって。で、高校の時にちょっとだけ遊びで触ったベースを買ってもらって、メンバーで集まって練習を始めた。そうしたら、みんな下手なこと下手なこと。これは8年は掛かる、と思ってメンバーを抜けた。
 ところがその後、1人でネタを考えたりしていると、部屋の片隅に置いてある、買ってもらったベースが妙に気になる。それでふと「これで歌ったら面白いかもしれないな」と思って始めたのが、今の芸の始まりだった。
 そして今では、いつでもベースを持ち歩くようになってしまった。最初はネタに詰まって偶然手にしただけだったのに。

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image ■ 嘉門達夫さん(シンガーソングライター)の

『デビューまでの道のり』の話

 13歳の時から自分で曲を作ってカセットに録音したりしてたけど、落語家を目指して、破門になって、スキー場でバイトをするまでは、特に変わったことはやっていなかった。
 ところがそのスキー場で「落語をやっていたヤツがいる」ということが噂になって、ことあるごとに「なんかやってくれ」と頼まれるようになってしまった。でも「破門になったのになんでオレは落語をやっているんだろう?」という矛盾を感じて、自分にできることを考えた。
 そこで思いついたのが音楽。音楽と笑いの融合、しかも「あのねのね」よりももうちょっと深いヤツ……なんてイメージで、今のスタンスでやるようになった。
 中学の頃に作った曲で『蚊取り線香』という曲がある。これは明らかに吉田拓郎さんの『線香花火』に影響されて作った曲で、自分の中では「夏の風物詩を実に叙情的に歌った曲だ」と自負していた。「♪ひょろひょろ煙、夏になれば蚊取り線香、ずっと見ていると目が回りそうになる蚊取り線香、いつだって丸くて緑色、蚊取り線香……」こんな歌だった。僕は大真面目に作ったのに、親戚のオバチャンに聞かせたら、オバチャンはのたうち回って大笑い。その時に、僕の人生は決まっていたのかもしれない。
 バイトしていたスキー場から大阪に帰って、面倒をみてくれていたプロデューサーに「今度は歌手になります!」と宣言したら、「ちょっと落ち着け、まだ破門になって半年しか経っていないんだから、今度は南の方にでも行ってみたらどうだ?」と勧められた。そこで与論島へ行って、また曲作り。大阪に帰ったら、また「まだ22歳なんだから、外国にでも行ってみたらどうだ?」と勧められて、バイトに明け暮れる日々が続いた。
 そんなある日、スキー場で歌った僕の歌を録音したテープが、サザンの所属するアミューズ事務所の社長の耳に入った。そこで「これはおもしろい!」と気に入ってもらえて、アミューズの大阪支社にバイトとして雇ってもらった。
 昼は有線へサザンの営業、夜はライブハウス巡りで自分の曲を歌って、ライブでは圧倒的にウケた。ところが僕の曲は1曲1分52秒しかない。どんなにウケても、「レコードにしよう」という話はまったくなかった。
 仕方がなく、自主制作で200枚のレコードを作って、有線へ今度は自分の営業のために売り込みに行った。向こうも営業の兄ちゃんが、いきなり歌手になって来たのには驚いただろうと思う。
 その有線で火がついて、やっとメジャーデビューに漕ぎ着けた。その曲が僕のデビュー曲『ヤンキーの兄ちゃんのうた』。

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image ■ 加藤茶さん(タレント)の

『ドリフターズのコミック・ソング』の話

 『みよちゃん』とか『いい湯だな』とか、いろんなコミック・ソングをドリフで歌ったけど、ウチの曲にはほどんどオリジナルのものなんてない。
 クレイジー・キャッツなら、もともと植木等さんがジャズ喫茶時代から歌っていた。ところがドリフターズの本来のボーカルは仲本工事で、僕はドラム担当。それなのにコミック・ソングを出すにあたって、社長にむりやり「お前が作って、歌ってみろ」と言われて、仕方なくやることになった。
 その時、銀座のミニ・クラブ(ミニスカートをはいた女性がいるクラブ)へ行ったら、妙にノリのいい歌で女の子たちが盛り上がっている。「よし、これパクろう!」と言って出したのが『いい湯だな』だった。「♪ビバノンノン」って掛け声も、女の子たちの掛け声そのまんま。
 レコーディングして、大ヒットして、しばらくしてからデューク・エイセスのオリジナルを聞いたら、「あれ?全然違うじゃん!」って驚いたのなんの。それくらいアバウトだった。
 『ズンドコ節』は、社長が持ち込んできたネタ。特に理由もなく「おい、今度は『ズンドコ』だぞ!これは当たるぞ!」って言い出すので、『全員集合!』で歌ってみた。ただし、小林旭さんなんかは、けっこうしんみりした感じで歌っていた曲を、僕らはまた『いい湯だな』のノリでやっちゃった。
 結局、クレイジーはジャズ世代だけど、ウチらはロック世代なので、どうしても8ビートの速いテンポになってしまう。それがウチの特徴かも。

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image ■ 堺すすむさん(タレント)の

『なぞなぞソング』の話

 最近、僕の人生は挫折の人生だという気がしてきた。一生懸命、新しいモノマネを考えてきたのに、後の人たちが簡単に同じネタをやってしまう。それをステージでやっても「あ、コロッケのマネだ!」と言われると、悲しくなってしまう。
 それで「モノマネはもう止めよう」と思って始めたのがコミック・ソング。僕の視線は基本的に子供に向かっているので、まず子供が楽しめて、大人が楽しめるもの……と考えて、「なぞなぞ」を思いついた。それでできたのが「♪な〜んでか?」。
 当時、僕のやっていた番組のスタッフが学生のバイトばかりだったので、彼らに「みんなでなぞなぞを作ろう」と呼びかけて、お昼ご飯の時に「♪な〜んでか?」と問題を出し合った。誰も答えられないような問題だと、その問題を作った人はお昼ご飯抜き。そんな遊びの中から、いろんなネタを作った。
 たとえば「あんパンとジャムパンと食パンがあるいていた。後ろからメロンパンが『おーい!』と声を掛けたら、振り向いたのは食パンだけだった。な〜んでか?」とか。コレ、答えは「食パンにはミミがあるから」。いまだにこの類の問題を作り続けている。
 曲調をフラメンコにしたのは、旋律が自由だから。4〜5個のキーさえ憶えれば、誰でも歌える。長さも自由自在。これはなぞなぞをやるのに便利。
 それじゃ、ちょっと触りだけ……「♪2月に梅の木の下で彼女にプロポーズをしたら断られた。今度は4月に桜の木の下でプロポーズしたら、愛を受け入れてくれた。な〜んでか?な〜んでか?それはね、『き』が変わったから」「♪港で船を見送る家族、五色のテープがヒラヒラと舞う、『あなた、元気で行ってらっしゃい!』と言っている家族の目の前で、船がボコボコ沈んでしまった。な〜んでか?な〜んでか?それはね、潜水艦だったから」
 こんなのをやるつもりでギターを持ったワケじゃないけど、ギターを持ったからこそこういうことができた。
 で、最初の「挫折」の話だけど、このネタは絶対にマネをされることはないだろうと思っていた。ところが最近、「今日はもう1人いないんですか?」と聞かれるようになってしまった。1人で歌っていると、僕の前に来て手をクネクネさせて踊る子供もいるし。いっそ黄色いジャージでも着ようかと思うくらい。
 それからこの曲の一番最初は、フラメンコっぽく「オレ〜、オレ〜、あんた誰?オレ〜」なんてネタだったのに、「オレオレ詐欺」まで流行っちゃって。なんだかオレのやっていること、全部持って行かれているみたい。

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image ■ 青島幸男さん(作家)の

『クレイジー・キャッツ』の話

 「シャボン玉ホリデーはミュージカル番組なんだから、人の曲ばっか歌ってないで、オリジナルの歌を作りたいね〜」と言い出したのはハナちゃん(ハナ肇 )だった。それで僕が書いたのが『スーダラ節』。でも実はこの曲はB面の曲で、A面は『こりゃシャクだった』という曲なんだけど。これは本当にシャクだった。
 「わかっちゃいるけどやめられない」というのはオフクロの口癖。それをそのまんま歌詞にしちゃった。それからラジオで評論家が「この曲は飲む・打つ・買うという人間の業を歌い込んでいて、コレを歌えば悟りが開ける、という歌だ。『スーダラダッタスイスイ』というのは、梵語で『煩悩が避けられれば悟りが開ける』という意味なんだ」なんてことを言っていたけど、これには書いた自分の方が驚かされた。
 そもそも「スイスイスーダラダッタ」というのは、植木屋(植木等)の口癖。当時は停電が多くて、植木の家でも一家団欒で食事中に停電したことがあったらしい。植木が「よし、オレが直してやる」とヒューズボックスに顔を突っ込んで、あちこちいじってもどうにも直らない。「餅は餅屋だから、電気屋を呼ぼう」ということになって電気屋を呼んだら、若い兄ちゃんが来てあっという間に直してしまった。子供や奥さんが「さすが〜」「すごいわね〜」なんて感心していたら、その兄ちゃんが「♪スイスイスーダラダッター」と歌いながら帰っていったらしい。それ以来、麻雀で満貫を上がった時とか、得意然として何かをやる時は「♪スイスイスーダラダッター」と言うようになった。
 作曲家の萩原哲晶さんは、ナベプロの社長の渡辺晋さんが連れてきた。萩原さんは音楽的な素養がある、ちゃんとした教育を受けた人だったのに、フルバンドのチンドン屋みたいな曲を作るのはスゴイと思った。
 『スーダラ節』以降、ずっと萩原さんと一緒に歌を作ってたけど、いつも僕の歌詞が先で、そこに萩原さんの曲をつけてもらっていた。映画のたびにテーマソングが必要になるので、まずは僕が歌詞を書いて、萩原さんに電話で伝える。すると萩原さんがA、B、Cぐらいの案を作ってくれるので、渡辺晋さんの家にみんなで集まって、ピアノで弾いて歌ってみる。するとクッククック笑いながら植木屋が「Aの頭とBの真ん中とCのケツをつないでみて」なんてムチャな注文をだして、みんなで大笑いしながら酒を飲んでたら、いつのまにか曲は出来上がっていた。
 もっとも、冗談の方が多いから、いつも朝までかかっていたけど、その会議は本当に楽しかった。「頭の出だしはAの方がいいな、派手で」なんて要求にいつも応えていた萩原さんも、音楽家らしからぬ人だったし。どうも「売れればいいや」と思っていたみたい。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
7'52" 佐賀県 はなわ Live
17'29" Zip-A-Dee-Doo-Dah The Modernaires With Paula Kelly Legacy CK 4864
29'07" Back In Your Own Backyard Jerry Leuis MCA MSD-35830
37'19" なんでかフラメンコ 堺すすむ Live
47'48" スーダラ節 クレイジーキャッツ 東芝EMI TOCT 8637


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