SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2003年3月8日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「007は二度死ぬ」

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 007シリーズの最新作『007/ダイ・アナザー・デイ』が封切られました。今日は早くもその最新作を観てきたのか、ジェームズ・ボンド気分で「ウォッカ・マティーニをシェイクで」と注文される方もいらっしゃいます。
『007』といえば今から36年前、1967年に公開された、日本が舞台のシリーズ5作目『007は二度死ぬ』をご覧になったことがあるでしょうか。「間違った日本像」がクローズアップされることも多い映画ですが、今でも思い出深い映画として懐かしむ方が大勢いらっしゃいます。
 今日はやはり最新作をご覧になってきたのか、『007は二度死ぬ』の制作に関わった方がいらっしゃって、思い出話に花を咲かせておられます。当時はいったいどんな様子だったのでしょうか。


image ■ 松岡きっこさん(タレント)の

『撮影現場』の話

 オーディションで選ばれて『007は二度死ぬ』に出演したんだけど、出来上がった映画を見てビックリ。「なんでオーディションなんかしたの?」と思うくらい、出番が少なかった。もうちょっとイロイロ撮ったと思ったんだけど、使われたのは「あ、何かが飛んでる!」と言って1回だけアップになったところくらい。大勢の海女さんの中の1人だった。ロケが行われたのは鹿児島だったけど、鹿児島に10日から2週間くらい泊まって、「あ、何かが飛んでる!」だけを撮ったようなもの。
 でも、今にして思えば凄かったのが、カメラが5台もあったこと。日本の映画はカメラ1台で撮るのが普通だけど、向こうだと最低3台、多い時は5台もカメラを使う。しかも「アクション!(撮影開始)」の掛け声の後、日本ならフィルムを無駄にしないよう助監督がダッシュで隠れるんだけど、向こうの助監督はのんびりしてる。だから俳優も、助監督が隠れるまでの時間を考えて、「アクション!」からかなり間をおいて演技をはじめていた。
 1日の撮影は、9時に始まって、10時には「ティー・タイム!」の合図があった。それもワゴンが出てきて「レモンか?ライムか?ミルクか?」と聞いてくるくらい本格的なティータイム。小1時間ほどくつろいで、やっと本格的に撮影が始まるか…と思ったら、12時には「ランチ・タイム!」。しっかり1時間かけてお昼を食べて、3時にはまたティー・タイムがあって、5時きっかりにその日の撮影は終了。ショーン・コネリーはティー・タイムを利用して、海で泳いでいたりした。
 このノンビリさ加減には、日本人スタッフはイライラしっぱなしだった。向こうの映画で「撮影期間1年の超大作!」とか言ってるけど、あの調子ならどんな凡作だって1年かかると思う。

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image ■ 和田孝一さん(ホテルニューオータニ)の

『撮影隊の厨房』の話

 ホテルニューオータニの創業は1964年9月1日。それと同時に私はホテルニューオータニに入社して、宴会場のホット(温かい料理)を担当していた。
 そして1966年に『007は二度死ぬ』のロケ隊がやってきた。ニューオータニは映画の中の「大里化学」の建物としても使われたし、ロケ隊の宿泊先としても使われた。そして私はニューオータニの料理人として、キッチン・カーに乗ってすべてのロケに帯同して、ロケ隊の食事を作った。
 キッチン・カーというのは、大きなトレーラーで、映画のロケ隊が日本に持ち込んだものだった。プロパンガスがちゃんと使えるキッチンで、コンロも4つある。振り向くと盛りつけ台になっていて、4人くらいが働ける大きさの、そこら辺のレストランの厨房にも負けない設備だった。
 作る料理は決まっているワケじゃなくて、オーダーを聞いて作っていた。ステーキが一番良く出たけど、魚料理とか、スープ付きとか、アラカルトの中から選べるようになっていた。もう完全にレストラン。
 基本的に、味にはそれほど注文がつかなかった。幸い、口にあったのだろう。実はステーキに日本酒と醤油を使ったり、けっこう工夫したけど、そのステーキが一番人気だったから報われた。魚が人気になっていたら、手間が大変だったと思うけど。
 とにかく1時間の食事の時間内ですべてを終わらさなければいけなかったので、厨房は戦場だった。だからショーン・コネリーが食べているところを、ちゃんと見たことがない。いつかまたショーン・コネリーが日本に来ることがあったら、あの時の料理をもう1度振る舞いたい。

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image ■ 大坪善男さん(元トヨタ・レーサー)の

『ボンドカー、トヨタ2000GT』の話

 トヨタ2000GTは、ヤマハが作った車だった。噂では、ヤマハは最初に日産へ売り込んだらしい。ところが日産がプリンスとの合併話でガタガタしていた頃だったので話がまとまらず、トヨタに持ち込まれた、なんて聞いている。
 なにせ当時の値段で270万円の車。クラウンだって、せいぜい100万ちょっとだった。その車を370台生産したんだけど、実は1台につき1000万円くらいのコストが掛かっていた。1台作るごとに600万円以上の赤字を出しても、「会社のイメージ商品が必要」という事情でトヨタ2000GTは生産されていた。ちなみに日産のフェアレディZは1台につき60万円ぐらいの赤字だったらしい。でもフェアレディZは月産300台くらい作っていたので、赤字の大きさから言えば向こうが上だった。
 このトヨタ2000GTが『007は二度死ぬ』でボンドカーに選ばれた。映画で使ったのは、あれ1台しかない特別仕様車。あの車以外にオープン・タイプのトヨタ2000GTは存在しない。ボンドカーの決まり事として、オープンカーでなければならなかったので、わざわざトヨタが映画のために、特別なトヨタ2000GTを作った。
 で、その車を役者の代わりに運転しろ、という話が僕のところに来た。正直な話、レーサーのプライドとしてはカツラをかぶったエキストラなんてやりたくなかったんだけど、日当が良かったものでつい引き受けてしまった。現場に行ったら「悪役のクラウンも運転してくれ」と言われて、公道でも、ニューオータニの前でも、あちこちで撮影した。
 一番最後に富士スピードウェイで、ギャングの車をヘリコプターで釣り上げるシーンの撮影があって、この時だけはレースの都合で小林クンという人にお願いした。この人が後に『11PM』で「悪役」として有名になった人。
 僕らはレーサーだったから妙にプライドがあって「『007』でエキストラをやりました」なんて一切言わなかったけど、最近歳をとって丸くなったのか、ボチボチとそんな昔話もするようになった。

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今も元気にイベント等で活躍する
「TOYOTA 2000GT OPEN」

大坪さんも久しぶりの再会を
存分に楽しまれたそうです。




image ■ 浜美枝さん(女優)の

『ボンドガール』の話

 突然、東宝の人に「何月何日、ちょっと空けておいて」と言われて、ワケもわからずニューオータニへ連れて行かれた。スイートへ通されて、そこには外人がズラッと並んでいて、その外人たちと片言の英語で少し話しをして、帰ってしばらくしたら『007』に出ることが決まっていた。
 私は『007』を見たこともなかったし、「ちょっと困ったな〜」ぐらいに思っていた。ただ「言葉をしっかり勉強すること」という条件が付いていたので、「この機会に英語を勉強できるならいいか」ぐらいの軽い気持ちで引き受けた。後でどれだけ大変なことになるかも知らずに……
 私は英語の勉強のために、ロンドンの超名門ホテル、ドージャスタ・ホテルへ行かされた。軽い気持ちでスーツケース1個を持って行ったら、まず最初に向こうのプロダクションの女性にスーツケースを開けられて、「これだけしか服を持ってこなかったの?」と驚かれた。そして彼女は私をジ〜ッと見つめ、翌々日、6〜7枚の洋服を抱えてきて、こう言った。「あなたはここに来た瞬間からボンドガールなんだから、お化粧も服装も常にちゃんとしていてね。」
 英語の先生は年輩の舞台女優で、まさに「イギリス英語」を喋る人だった。そして先生のこの授業がまた、どうしようもなくつまらない。なんとか1ヶ月は我慢したけど、ずっとパリッとした格好をして、つまらない授業を受けるのは、気が変になりそうだった。  そこで「もう限界です!」と訴えたら、ホテルから出してもらって、先生も変えてもらって、向こうが指定した一等地のフラットにその先生と一緒に住んで、それでやっと落ち着いて英語の勉強できるようになったけど、最初の1ヶ月は本当に地獄だった。
 3ヶ月の勉強の後、日本へ帰ったら、いよいよ撮影が始まった。この撮影では、とにかくスケールが大きいのに驚いた。スタッフは200人以上、宿泊地と撮影現場の往復はいつもヘリコプター、控え室は1人に1台キャンピング・カーが与えられ、お昼はシェフがちゃんと料理を作ってくれる。このスケールの大きさには圧倒された。
 そしてギャラも、信じられないような額だった。もう1人のボンドガール、若林映子さんはこの映画で引退することが決まっていたので、ちゃんとそのギャラを管理して、後にマンションを買ったらしい。それくらいの額だった。ちなみに私は、週末ごとにパリへ行き、ニューヨークへ行き、美術館や音楽会に行って、食べて飲んで、それでほとんど使ってしまったけど。

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image ■ 浜美枝さん(女優)の

『ショーン・コネリー』の話

 日本での撮影が終わったら、次はロンドンに戻って撮影が続いた。私は勉強のために住んでいたフラットで、仲良くなった先生とまた一緒に住んでいた。
 ある晩、もう11時も過ぎた頃に、玄関のチャイムが鳴った。「こんな時間に誰だろう?」と、のぞき窓から見ても、男性の胸のあたりだけしか見えない。どうやら背の高い男性らしい、ということはわかったんだけど。
 ダイアナ(先生)に相談したら、彼女が玄関で話をしてくれて、「あら!」なんて言ってドアを開けた。するとそこには、ショーン・コネリーが立っていた。なんでもダイアナは、彼の無名時代から友達付き合いがあったらしい。
 それにしても突然なんだろう?と思っていたら、彼は「犬を預かってくれないか?」と言う。彼女も気軽に「いいわよ」と返事をして、大きなシェパードを預かった。さらに「犬にはこれを食べさせて」と、肉の塊を置いていった。
 ショーン・コネリーが来たことにも驚いたけど、もっと驚いたのはそのお肉。「こんな良い肉を犬に食べさせるの?!」というくらい良い肉だった。だから翌日、友達を呼んで、その肉でシチュー・パーティーを開いてしまった。「犬なんて安い肉で十分でしょ」と思って肉屋で買ってきた一番安い肉を与えたら、ぜんぜん食べようとしないのには閉口したけど。
 それはさておき、ショーン・コネリーは人間的に本当に尊敬できる人だった。いつもその大きな手を私の肩にかけて「大丈夫?心配事はない?」って優しく声を掛けてくれた。当時の私は精神年齢がまだ幼くて、ただ子供扱い的に優しくしてもらっただけだったけど、私が今くらい大人だったら、もっといろんな事が楽しめただろうと思う。色恋沙汰は無理にしても、大人の会話や遊びを教えてもらえただろうに……と思うと、残念でならない。
 私にとってショーン・コネリーは、映画に出てくる華麗なジェームズ・ボンドではなく、物静かで包容力のある苦労人として記憶に残っている。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
10'49" You Can't Hurry Love Supremes Motown DCI-3061
20'28" Strangers In The Night Frank Sinatra Reprise 9 26501-2
29'28" Monday, Monday The Mamas & The Papas Universal MVCM-32049
49'15" You Only Live Twice Nancy Sinatra 東芝EMI TOCP-8806


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