SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2002年10月19日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「日本語ブームを考える」

image

 お客さまから教えていただいたのですが、『声に出して読みたい日本語』という本がベストセラーになって、書店で平積みになっているそうですね。私も仕事柄、言葉遣いには気を遣っているつもりですが、厳格なお客さまに間違いを指摘していただくこともあり、こうして文章を書いていても不安になってきます。
 アメリカ人のスタンの方が、発音はともかくとして、日本語としての正確さは上かもしれないというは、我ながら情けない限りです。せめて今日は、あちらにいらっしゃっる日本語がご専門の方に、正しい日本語をお教えられたく?教えられていただきたく?教えていただらりるれろ?スミマセン、もうわけが分からなくなってきました。出直してきます…
 


image ■ 糸井重里さん(コピーライター)の

『書き言葉と話し言葉』の話

 今の若い女の子がメールで使っている言葉は、新しい「書き言葉」だと思う。それは明らかに口語と違っていて、目で見るために発達した言葉。
 特にその傾向は、携帯のメールになってから激しくなった。漢字に変換するのも面倒だし、どの変換が正解か分からないからだろう。「意外」を「以外」と変換ミスしてしまう人も多いんだけど、逆に変換しないという手も使われる。
 それでも漢字は便利なので、完全になくなるということはないと思う。ただ、大きな流れとして「楽な方」、つまり漢字をあまり使わない方向に進んでしまうのは仕方がない。
 話し言葉も常に変わり続ける。男性の話し言葉を書き起こすと「〜なのよ」「〜じゃない?」なんて、まるで女性みたいになっている。
 女性の「〜だわ」という語尾は、「山の手の勤め人」だけが使っていた言葉。ドラマや漫画の中で「お嬢さん」を提示するのに使われていたので、世の中では「女性らしい語尾」として有名だけど、事実上はほとんど誰も使っていなかったのでは。一方、女性が自分を「俺」と呼ぶ文化は昔からあった。「俺んとこのスイカはウマイぞ〜」みたいな田舎のオバチャンがその典型。
 「奥さん」「女房」「細君」自分の妻のことを言う時に、いろんな言葉があるけれど、あれはほとんど戦後にできた言葉だと思う。じゃあ昔はなんて言っていたかというと、「(お)カミさん」。だって昔は商店だったら店の手伝い、職人の家だったらその手伝いと、女性も仕事をしていたから。それが戦後になって、武家風の「奥さん」に格上げされた。でもその格上げはアパートをマンションと呼ぶようになったようなもので、実質的な意味はないんだけど。

【Hot Link !!】





image ■ 大島史洋さん(小学館国語辞書編集部)の

『言葉と辞書』の話

 「若者言葉が乱れている」と騒がれるようになって、もう10年。ボチボチ沈静化の方向へ向かっていると思う。沈静化というより「誰も驚かなくなった」という方が正しいのかもしれないけど。
 「全然」を肯定の時に使うのも、実際問題、話し言葉の中でだったら、相手に伝わればいいわけで、たしかに仲間内で使う分には問題はない。でも、文章に書いたり公の場で話す時はやっぱりマズイわけで、そういったことの積み重ねで、普段は饒舌なおもしろい若者が、ちょっと場面が変わっただけで言葉が出なくなってしまう、という現象が起きているらしい。
 昔の人は、家庭的な身内の話題と、社会的な公式の場の言葉の使い方を切り分ける方法を、子供の頃から教わっていた。それが今は非常に曖昧になったので、「全部を身内にしてしまう」いわゆる「タメ口」が増えている、と言われている。
 辞書に収録される言葉は、版を重ねるに連れて、増える言葉もあれば減る言葉もあるんだけど、「どういう言葉を入れました」という事は広告で言っても、「どういう言葉を落としました」という事はあまり言わない。でも「落とした言葉を教えて欲しい」という要望は結構多いので、そのうち言うようになるかもしれない。
 ところが辞書にもいろいろあって、たとえば50万語も収録されるような大きな辞書だと、死語でも何でも入っている。ただ、その用例を見れば、古事記からの引用があったり大江健三郎からの引用があったりして、「あ、ずっと使われている言葉なんだな」と分かるようになっている。逆に引用が一部の時代しかなければ「一時の流行り言葉だったんだ」と分かる。

【Hot Link !!】





■ 篠田節子さん(作家)の

『小説と日本語』の話

 小説を書くのと、文章を書くというのは、まったくの別物。たしかに小説は文章を使って表現するものなんだけど、普通の文章を書くのとは勝手が違う。
 たとえば、地(セリフ以外)の文章の文体や言葉を選ぶ時は、正しくて古びない日本語を使うようにする。あまりに最先端の日本語を使ってしまうと、すぐに言葉が古びて読者に通じなくなってしまうから。外来語も、なるべく昔からある日本語を使うようにしたり。
 逆にセリフの方は、どんな言葉遣いをするかで、人物の特徴が決まってくるので、小説家はバイリンガルというか、「コギャル言葉」も「オバハン言葉」も自在に使いこなさなくてはならない。この辺が小説を書いていて、いつこ苦労するところ。
 実は、その人の言葉というものは、その人の発想でもあって、いくら字面だけをオヤジにしても、発想がオヤジでないと説得力がない。だからおじさん言葉で会話を書いていて「あ、この発想はオバサンだ」と思って直す事もしょっちゅう。
 小説の場合、地の文章は基本的に「〜だ」「〜である」という文体が多い。「〜です」「〜ます」は一人称の小説で時々使われるくらい。だからその辺で悩む事はあまりない。
 ただ、地の文章でなるべく正しい日本語を使うとは言っても、必ずしもそれが正しい使い方になっているか、と問われると、ちょっとクエスチョンマーク。「夜の底が白くなった」なんて文章は、普通の出版社の校閲だったら波線を引かれて「これはどういう意味?ご一考を」って戻されかねない。体言止めも、本来はあまりやらない方がいいんだけど、アクションの場面だと体言止めを連発することもある。
 結局、地の文章は物語の効果を最大限に上げるような形で書かれるので、「良い日本語」「美しい日本語」になるとは限らない。

【Hot Link !!】





image ■ 三遊亭楽太郎さん(落語家)の

『落語と日本語』の話

 落語は時代を共有するもの。古き良き時代を提示して、「ああ、そんな時代があったのか、良い時代だったな」と共感してもらい、その世界観の中で「友情」「軋轢」「兄弟」みたいなテーマのある話が繰り広げられ、人物を感じてもらう。
 僕は落語を「オーディオとビジュアルの芸」と呼んでいるんだけど、我々落語家が発信できるのは基本的にオーディオの部分しかない。でもそれが、お客さんの頭の中でビジュアルに変換されなければいけないわけで、その作業がスムーズに行えるよう、我々落語家は日本語を吟味しなければならない。
 よく若い人が使う「そんなもん絶対あるわけねぇ!」という言葉。でも江戸っ子が「絶対」なんて言うわけない。だから落語では「天地ひっくりけぇったって」になる。「スミマセン、ちょっと協力してください」は「ちょっと手助けしてくださいな」。こんな感じで、江戸のビジュアルを作り上げていく。
 基本的に、昔の言葉は「ひらがな」なんだと思う。大家の旦那や隠居、大家さんといった人は、多少は読み書きが出来る。だから「お前の店賃はどうなっている?滞っているじゃないか」なんて漢字が入ってもまだ許せる。でも「“取り立て”ですか?もうちょっと“猶予”を下さいよ」は、いくらなんでも変。「もうしばらく待ってくださいよ」が普通。
 武家は逆に漢字だらけの方がイイ。「貴公の前だがな、拙者、かような物を手に入れたが……拝見つかまつる」なんて。これが町人だったら「てめえんちの前だけどよ、おもしれぇもんが手に入ったんだよ……おぅ、見さしてもらおうじゃねぇか」となる。
 日本語を職業とする落語家としては、この整理だけはキチンとしておかなくてはならない。ほぐしちゃうのも日本語だし、堅くするのも日本語。落語においては、場面通りに使えているかどうかが重要になってくる。
 ちなみに、落語を覚える時は、もちろん最初の稽古ではセリフを一言一句覚えるんだけど、それが最終的な目標じゃない。たとえば童話の『桃太郎』なら、誰でもあらすじは言えるわけだけど、その画面を浮かべて、登場人物になって、セリフを言えるようにするのが落語。「じいさま、今日はどこへ行きなさる」「だいぶ冷え込んできたでなぁ、山いって柴でも刈ってくべぇと思ってるだ」「あぁ、そうですか、ついでにキノコかなにか出てたら採ってきてもらいてぇ、夕べの汁にでもしますでな、足腰弱っとるでな、坂道気をつけて…」「うるせぇ、ばばあ、おめぇこそどこ行くだ」「おれぁ川いって、洗い物たまってますから、洗いものしてきます」「あぁ洗濯かぁ、川こそすべるからなぁ、足場かためてな」なんて、桃太郎が流れてくるまで1時間くらい掛かったりして。
 こんな具合に、筋さえあればいくらでも話ができるようになる。これが落語。

【Hot Link !!】





image ■ 柴田元幸さん(東京大学文学部助教授)の

『翻訳と日本語』の話

 「He said」と「彼は言った」では重みが違う。「He said」が5回あっても鼻につかないけど、「彼は言った」は3回あっただけで鼻につく。これはリズムの問題だと思う。「He said」は発音すると非常に短いし、会話の中で何度も繰り返されるので、逆に気にしなくなるのだろう。
 翻訳の時も、朗読用の文章と黙読用の文章では、訳し方が変わってくる。朗読の時は、たとえば「彼は言った」は極力省略する。
 何よりも最初は、目で見て一番情報が入りやすいように訳す。特に考えるのが漢字の合わせ方。「私疲れた」みたいに、熟語に見えてそうでない文章は読みづらいので、「私、疲れた」と読点を打ったりする。それでも「朝起きた時」みたいに、いかんともしがたい事もあるんだけど。そういう時は「朝」が行末にきて、「起」が行頭にきてくれると嬉しい。
 そんな変な事に気をつかうのは僕ぐらいかと思ったら、意外とそうでもないみたい。この間、堀江敏幸さんと話をしたら、あの人は「〜だった」の最後の「た」だけが次の行になってしまう時は、どこかで1文字減らしてその行でセンテンスが終わるようにしているらしい。
 「I am」の「I」は、基本的に状況によりけりだけど、僕は比較的「僕」と訳すことが多い。『翻訳夜話』では、同じ作品を村上春樹さんが「僕」、僕が「私」で訳したけど。別に打ち合わせをしたわけじゃなくて、「無色な社会的にゼロの男」を表現するのに、僕は「私」が向いていると思った、ということ。

【Hot Link !!】







放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
9'32" Too Marvelous For Words Frank Sinatra Capitol CDP 0777 7 80326 2 5
18'53" Talk To Me Keely Smith Jasmin JAS CD 322
28'29" I Could Write A Book Dinah Washington Verve POCJ-2181
41'04" It's Too Good To Talk About Now Blossom Dearie Verve POCJ-2653
48'10" For You Dean Martin Capitol 7243 8 54546 2 2


 Back