SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2002年9月21日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「さよなら名車」

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 常連のお客さまに教えていただいたのですが、「シルビア」「スープラ」「RX-7」といった日本の名車が、相次いで生産中止になったそうですね。「スカイライン」も車種としては残ったものの、日本のスポーツカーのフラッグシップ的存在だった「GT-R」はなくなってしまったとか。
 なんでも、2000年に決められた排ガス規制によって、こういったスポーツカーの生産が困難になってしまい、猶予の2年間が終わった今年の8月いっぱいで、後継車の発表もないまま、生産が終わってしまったんだそうです。
 時代の流れとはいえ、トヨタ2000GTやスカイラインといった名車の系譜を継ぐ車がなくなってしまうのは寂しい限りですね。今日のAVANTIでは、そんな名車たちとの別れを惜しむ会話が、そこここでなされているようです。


image ■ 松任谷正隆さん(ミュージシャン)の

『車の想い出』の話

 昔は、日本車のことしか頭になかった。だって輸入車なんて絶対に手に入らない、手の届かないモノだったから。
 憧れていたのは、スカイラインGT。プリンスが日産になったばかりの頃の「スカG」だった。それから、ブルーバードの「SSS」。あれも良かった。ウチのカミサンは「ベレG」(いすゞベレットGT)がイイって言ってたけど、あれは格好だけで言ってただけだろう。
 車というのは、想い出とリンクしているもの。そういった意味では、僕にとって思い出深いのは「マークII」。スカGを買おうとディーラーに行ったところ、買う寸前でオヤジがお店の対応の腹を立てて、むりやりトヨタにさせられた。ちょうどマークIIのモデルチェンジ直前で、「今だったらお安くできます」と言われて、まったく欲しくない色のマークIIを買うハメになった。でも結局、そのマークIIが一番思い出に残った。結婚前だったからデートにもさんざん使ったし、その頃の想い出は、すべてそのマークIIとともにある。
 よく覚えているのが、「納豆スパゲッティ事件」。ウチのカミサンが「納豆スパゲッティを食べさせてあげる」と言ってくれて、当時は「壁の穴」とかができた頃で、僕も1度食べてみたいと思っていたので、ぜひ、という話になった。そこで高尾山のあたりの見晴らしのいい丘までマークIIでドライブして、夜景を見ながら納豆スパゲッティを食べようとした。彼女は2つのタッパーに、納豆とスパゲッティを別々に入れて持ってきていて、さあ混ぜて食べようか、と思ったその瞬間、彼女が手を滑らせて、納豆の入ったタッパーを落としてしまった。
 しかも運の悪いことに、シートとシートの間のコンソールの奥に、納豆が入り込んでしまった。2人ともショックで、慰めたり慰められたりしながら、しばらく呆然としていたんだけど、10分ほどして、仕方なく帰るために車のエンジンをかけたら、納豆の落ちたところにヒーターの吹き出し口があって、大変なことになった。あのニオイだけは一生忘れられないだろう。
 でもその後、「あの時食べられなかった納豆スパゲッティって、どんな味なんだろう」って興味を持って、納豆スパゲッティは好きな料理になったけど。

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image ■ 夏木陽介さん(俳優)の

『僕が乗った日本車』の話

 最初に乗った日本車は、スカイランGTB。ある日、家のドアの叩くヤツがいて、誰かと思ったら日産のセールスマンだった。「実は今度、こんな車が発売になりまして……」とセールスをするんだけど、その時ウチには、ロールスロイスだのベンツの300SLだのジャガーの410だの、もう6台くらい車があって、「こういう状況なんだけど」と説明したら納得して帰ってくれた。
 ところが翌日、そのセールスマンがまたやってきて、「やっぱり買ってくれませんか」と言う。仕方がなく「この6台の車に、スカイラインは並べられないだろう?」って言ったら、「そうですよねぇ」って納得して帰っていった。
 それでも翌日、またそのセールスマンが来て、「自衛隊の吹奏楽部から日産のセールスマンに転職して、まだ1台も売れないんです!お願いします!買って下さい!」と言われて、つい「よし、買った!」と言ってしまった。その人とは今でも友達付き合いがあるから知ってるんだけど、結局そいつがセールスマンをやっている間に売った車は、それ1台きりだったらしい。
 トヨタ2000GTにも乗っていたことがある。出てすぐに買ったんだけど、ジャガーのEタイプよりも乗りやすくて、しばらく乗っていた。
 それから時代はずっと下って、本田のNSXに乗っていたこともある。本当はフェラーリを買おうと思って、手付け金を持って知り合いのセールスマンのところへ行こうとしたら、ドイツにベンツの買い付けで1週間ほど出張するので、帰ってきてからにしてくれ、と言われた。急ぐ話でもないので、じゃあ帰ってきてから、と思っていたら、その1週間の間にエンツォ・フェラーリが死ぬわ、フェラーリの工場が焼けるわで、急にフェラーリが値上がりしてしまった。
 それでフェラーリが買えなくなってしまって、その代わりにNSXを買おうと思い立った。ところが当時はNSXもすごい人気で、ディーラーに電話したら2年待ちと言われた。仕方がなくホンダの知り合いに電話して、無理を言って納車してもらって、しばらくはそのNSXに乗っていた。
 僕が乗った日本車は、大筋その3台……と、ヴィッツ。ヨーロッパで大ヒットしていると聞いて興味を持って、3年の月賦で買ったんだけど、シートを倒して平らにすると、飼い犬を乗せるのに便利なので、今でも乗っている。





image ■ 徳大寺有恒さん(自動車評論家)の

『古い日本車、新しい日本車』の話

 国産車で一番大切な車は、トヨタが戦後初期に作った「ハイエース」というトラック。これと「ダットサン」のトラック。この2つが、日本のモータリゼーションの大元と言っていい。
 「ハイエース」はその昔「トヨエース」という名前だったんだけど、「トラックの国民車」と呼ばれて大いに売れた。おもしろいのは、シトロエンのシートをちょっとマネしていたこと。パイプでフレームを組んで、それにハンモック状にシートを置いていた。
 純国産の乗用車という意味では、ルノー、オースチン、ヒルマンとの提携車の時代の後に出てきた、いすゞの「ベレット」や、日野の「コンテッサ」あたりが最初。
 ホンダはそれからだいぶ遅れて、「S500」というスポーツカーからスタートした。でもあまり売れなくて、実際に売れるようになったのは軽自動車の「N360」から。ここから四輪メーカーとして大きくなっていった。
 そういう古い車の復刻版が欲しい、という声もあるみたいだけど、絶対に無理。だってコストはかかる癖に、性能は悪いから。日本の自動車産業では、1つの車種を作ったら、最低でも月に2000〜3000台は売らなきゃならない。そうすると年間で2万〜3万台以上だけど、桁違いに性能が上がった現代の車の中で、そんなに売れるはずがない。「どうしても欲しい!」という人も10人くらいはいるかもしれないけど、そういう人たちで400億円くらい出せば何とかなるかもしれない、という話。
 一方、新しい車の中では、日産の「フェアレディ」はまあまあだと思った。ダイハツの「コペン」はマーケティングがうまい。軽のオープンなんて、日本には本来マーケットがないのに、よく頑張っていると思う。

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image ■ 夏樹陽子さん(女優)の

『サーキットを走る女優』の話

 レースに出るのを止めてから、もう10年が経つ。日産のザウルスカップ、それも1500ccの「親ザウルス」に2年間乗っていた。
 本当は、車好きの島田陽子さんと「一緒にパリ-北京ラリーに出ようか」なんて話をしていたんだけど、社会情勢が悪くなって、大会自体が中止になってしまった。その夢が破れた時に、「ザウルスやってみたら?」と勧めてくれる人がいて、サーキットに通うようになった。
 ザウルスというのは、フォーミュラカーの一種。カウルが付いていて、タイヤが表に出ていないタイプなので、比較的安全で、当時はかなりの人気があった。まさにフォーミュラレースの登竜門で、「子ザウルス」の方には女性も大勢参加していたんだけど、どうせなら、というコトで、親ザウルスのレースに参加した。
 レースでは当然、ぶつけたしぶつけられたし、でもそれが快感で止められなかった。快感と恐怖は紙一重。公道ではできないような危険なことこそ、サーキットでやる価値がある。
 みんな、私が誰だか知っていても、遠慮なんか全然しない。その代わり、強い人、速い人というのは、弱者に等しく優しかった。「ここでブレーキングすると速いよ」なんて教えてくれたり。逆に、5位くらいの人は弱者に厳しかった。「邪魔だ!」みたいな。余裕がないからかも。
 でも、レースをやっていて「やっぱり私は女優だな」と思った瞬間はあった。それはクラッシュした時。本当はさっさと車を降りて、ヘルメットをとって「私は大丈夫です」って周りにアピールしなきゃいけないのに、私は悔しくてなかなか車を降りられなかった。そうしたらみんなが飛んできて、「大丈夫?」と心配してくれた。それでも私はどうしても、砂ぼこりだらけの悔しい顔を見せたくなくて、ヘルメットを取れなかった。レースの最中は女優だなんて思ってないけど、コースアウトして自分のレースが終わった瞬間に、どうしても女優に戻ってしまうみたい。

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image ■ 江原達怡さん(俳優)の

『日本のカーレース黎明期』の話

 大昔の話だけど、日産のワークスマシンに乗っていたことがある。その時に厳命されたのが「メインスタンドで決して止まってはいけない」という事だった。
 レースだから、故障で止まってしまうことはある。でも、お客さんが見ているまで止まってしまい、その横をトヨタの車が走り抜けていく、なんてことだけは絶対に許されなかった。だから何があってもとにかくお客さんがいないところまでなんとかたどり着いて止めろ、というのが至上命令だった。
 他のメーカーは知らないけど、日産はああいうマジメな会社だったので、クラウンのタクシーに乗っただけで怒られたし。「君、トヨタのクラウンというのは日産のライバルですよ」って言われて、こっちもビックリしたけど。
 もともとはラリーをやりたくて選考会を受けたんだけど、「出ても良いよ」って言われて、鈴鹿サーキットや船橋サーキットでも走った。当時はまだ日産とプリンスが一緒になっていなくて、スカイラインGTなんて憎き敵だった。ちなみにスカイラインと相対したのはセドリックなんだけど、向こうは3連のウェーバーが付いているのに、こっちはシングルのキャブレター。そんなの勝てるワケがなかった。
 船橋で初めてスカイラインがスポーツカー・カテゴリーからツーリングカーに変わったときに、僕がセドリックで出たら、予選はドンケツ。船橋の一番後ろはシグナルが見えなくて、「どうも前が動いたらしい」という雰囲気でスタートした。4〜5周走ったら後ろからパッシングのライトが見えて、それがスカイライン。大体そのレースに出ていたのが、日産のセドリック、トヨタのクラウン、いすゞのベレル、それからコルチナ・ロータスに、スカイライン。そんなもん、うまいヘタに関係なく、スカイラインが勝つに決まってる。
 何年か後になって、日産とプリンスが一緒になったときに、僕らもスカイラインに乗せてもらって、「なんだ、こんな車に乗っているのか、じゃあ徹ちゃん(生沢徹さん)も大したことないな〜」なんて散々からかった。徹ちゃんが素晴らしいドライバーだったのは間違いないんだけど、車にもそれくらい差があったというのも事実。もっとも、レーシング・チームというのは「速い人が速い車に乗る」というのが大原則なので、本当は文句を言える筋合いじゃないんだけど。
 当時のサーキットというのは、その時の「いい女」がみんな来ていて、モデルというのはレーサーの彼女にならないと、モデルとして一流じゃない、みたいな雰囲気があった。だって式場くんとか浮谷くんとか、みんな格好良いヤツばかりだったし。でも20年くらい前に、久しぶりにサーキットに行ったら、女の人なんか誰もいない。それが悔しくて僕は、いすゞと東洋ゴムに掛け合って「フィット・レディースカップ」という女性だけのワンメイクレースを作った。ところが誤算だったのが、18歳で免許を取って、サーキットで走れるようになる頃には、子連れになってしまう女性が多かったこと。レーサーがけっこう子連れで、こればっかりは計算外だった。







放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
11'48" Love Is Just Around The Corner Four Freshmen Capitol 72438-19175-2-7
22'04" On Green Dolphin Street Nancy Wilson Capitol Jazz CDP 7 991902
32'10" The Surry With The Fringe On Top Gordon Macrae & Ray Anthony Capitol CDP 72438 28107 2 8
40'59" My Shining Hour June Cristy Capitol Jazz 7243 8 55455 2 8
47'28" You're Driving Me Crazy Dinah Shore RCA 66023-2


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