■ 新田隆男さん(映画ライター)の
- 『手塚治虫が与えた影響』の話
最初のアニメ版『鉄腕アトム』は、モノクロで193話が作られて、そのうち187話が現存している。廃棄されてしまったり、米国に売りに行ったら戻ってこなくなってしまったり、いろいろな事情で6話が失われてしまった。
その残された187話を全部見たんだけど、最近のハリウッド映画の元ネタになっている部分をたくさん見つけた。「地球に巨大な惑星が近づいてきて、その惑星を破壊するために爆破のプロが必要だということで、過去に爆弾事件をおこした囚人が送り込まれる」なんて話は、そのまんま『アルマゲドン』。あるいは、「誰かの命を救うために、アトムを小型化して体内に潜り込ませる」という話は、『ミクロの決死圏』。スピルバーグの『A.I.』も、サーカスに売りに出されるシーンはアトムに似ているし、「見ていないとは言わせないぞ」と思う映画がいっぱいある。
アニメ『アトム』の第1話は、天馬博士の息子、飛雄(とびお)が、エアカーで事故を起こして亡くなるところから始まる。天馬博士がアトムを作り、そのアトムがサーカスに売り出され、お茶の水博士と出会い、ロボット人権宣言が行われ、アトムがお茶の水博士のところにやってくる……、とココまでが第1話。第2話のオープニングでは、鹿かヤギの親子の姿を見て、アトムが「僕にはどうしてお父さんもお母さんもいないの?」と聞き、お茶の水博士がアトムの両親を作るお話。このあたりは、『A.I.』とダブる部分がかなりある。
キューブリックが『2001年宇宙の旅』を作るときに、手塚治虫さんに美術監督の依頼をしたけど、『アトム』の制作の真っ最中だったため断った、という話があるくらいだから、そのキューブリックから『A.I.』を受け継いだスピルバーグが、『アトム』をまったく知らないということは考えられない。そういえば『アトム』に「タイムマシンに乗って西部劇の時代に戻ってしまう」という話とか、「タイムマシンで恐竜を連れてきて、アミューズメントパークを作ろうとする」なんて話もあったっけ。
今、20話ぐらいづつ順々にDVD化されているので、見る価値は絶対にある。
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■ 白井康介さん(小学館)の
- 『手塚治虫の担当編集者』の話
小学館に入社して早々に、手塚治虫先生の担当をやらせてもらった。
実は当時、ビッグコミックの習慣として、新入社員が手塚先生の担当をする決まりになっていた。そのワケは、手塚先生から原稿をいただくのが大変で、とにかく体力が必要だったから。しかも家族がいたりすると可哀想だということで、とにかく若いヤツ、特に新入社員にその仕事が振られていた。
僕が担当として手塚先生のところへ行った時には、もう手塚先生は漫画界の「神様」だった。でもその神様は、新入社員の僕にも「こう書いたんだけど、もしかしたらこう直した方がいいんじゃないかとも思っているんだけど、どう思う?」なんて聞いてくれた。正直な話、締め切りのことだけを考えたら「いや、直さない方がイイです」って言いたくなるところなんだけど、長い付き合いだからと思って真剣に自分の感じたことを答えていたら、手塚先生は新入社員の僕でもちゃんと信用してくれるようになった。
だから手塚先生のスタジオで待っていると、チャンピオンで連載していた『ブラックジャック』の原稿を見せられて、意見を求められることもあった。他社の連載ではあったけど、『ブラックジャック』が終わって、『ブッダ』が終わって、やっとウチの順番が回ってくるという状態だったので、各社の手塚先生の担当者は、他社の連載でもみんなでできるだけ手伝っていた。
だからというワケじゃないけど、他社の編集者にむちゃくちゃ怒られたことがある。まだ手塚先生の担当になって間もない頃、手塚先生にネームを見せられて、わけもわからず「あんまりおもしろくないです」って言ってしまった。ネームというのは漫画の「脚本」にあたる部分で、まだ絵もないから、新入社員が読んでおもしろいハズもない。それなのに手塚先生、僕のその言葉を聞いて、淡々と「そうですか」と言って奥に引っ込み、ネームを全面的に直し始めてしまった。その間、控え室で、手塚プロのマネージャーをはじめ、他社の編集者に怒られたのなんの。
でも、新入社員に「おもしろくない」と言われて、淡々と直し始めた手塚先生は凄い。そしてもっと凄かったのは、数時間後に見せられた新しいネームが「おもしろかった」ことだった。
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■ 石坂啓さん(漫画家)の
- 『手塚治虫のアシスタント』の話
手塚プロで手塚先生のアシスタントをしていたことがある。ベタとかラインとか消しゴムとかから始めて、上手くなってくると背景を手伝ったりするんだけど、人物だけは全部手塚先生が書いていた。
手塚先生は厳しい人で、かなり書き込んでしまった背景でも、気に入らないときは「誰だ、これを書いたのは!ひでぇことしやがる!」って言って、全部書き直させていた。編集の人は締め切りを気にして一生懸命とりなそうとするんだけど、絶対に妥協しないし。対外的には腰の低い人格者として通っていたけど、仕事に関しては厳しい人だった。
その割に、ハタから見ていて「先生、違うんじゃないですか?」という絵もけっこう描くし。私が手塚プロに入ったのは80年代で、竹の子族の時代だったんだけど、先生が描くディスコのシーンは、そこにいる「悪そうなヤツ」がどう見ても70年代のヒッピー。でも、こわくて誰も「先生、これ違いますよ」とは言えなかった。
ところが、先生はアシスタントと違う階の部屋で仕事をしているハズなのに、アシスタントの「これ違うよね〜」なんて悪口は、なぜか筒抜けだった。さっきのヒッピーの件だって、アシスタントが「いまどきこんな格好はしてないよ〜」って言ってたら、突然電話が鳴って「原稿もう1回上げて下さい」って言われて、描き直し。先生、もしかして上で仕事してないで、そこの裏で聞いてるんじゃないですか?ってことが何回もあった。それはさておき、何か言われたら悔しくてしょうがないというか、すぐに「わかりました、描き直します」って言う謙虚さは、格好良かった。
ところで、手塚先生と言えば「ベレー帽」がトレードマークだけど、アシスタントをしていた私でも、ベレー帽をとったところは2回くらいしか見たことがない。「これは僕のカツラです」なんて言っていたけど、本当にベレー帽をとってしまうと、誰だかわからなかったし。特に徹夜明けで、ベレー帽を脱いで、手ぬぐいを首に巻き、眼鏡も取って入れ歯も外していると、翌日出てきたアシスタントが一瞬「どこのオッサンだ?」って思うくらい、わからなかった。
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■ 富野由悠季さん(アニメーション監督)の
- 『鉄腕アトムの制作現場』の話
僕が虫プロに入社した頃は、『鉄腕アトム』が地獄のスケジュールだった。もう何も考えずに作るしかないというか、迷った瞬間に放送に穴が開く、という状態だった。
ある時、どうしてもスケジュールが合わなくて、どうやっても穴が開く、という状態まで追い込まれた。そこで今までのフイルムをつなぎ合わせて、新作のように作り直そうということになり、そのお鉢が僕に回ってきた。もう「富野、できるか?」「やるしかないじゃないですか」って感じ。使えそうなエピソードがある回、使えそうな戦闘シーンがある回、もろもろ6話分くらいのフイルムを並べて、頭の中で話を作りながら、「このフイルムから何分何秒」みたいに尺を決めて、アフレコとダビングだけをやり直して、嘘でも「新作」を作り上げて放送した。ちなみにそういうことは1回だけじゃなくて、僕は2〜3回やっている。今、それがどういう風に扱われているかは知らないけど、「○○話」というのがあったハズなのに……っていうヤツは、多分僕がやったアレ。
当時、それをやっていて本当にありがたいと思ったのが、映像がモノクロだったこと。そのおかげで、背景の色味の違いに悩まされることだけはなかった。違うフイルムの会話シーンをつなげても、だいたい1つのシーンに見えるので、これには本当に助けられた。
ただ、そこまで追い詰められるということは、「アニメを週1回30分」というのが、当時はまだ無理だったということなのだろう。しかも僕が虫プロに入社した年、それは『アトム』の2年目だったんだけど、本邦初のカラーアニメ『ジャングル大帝』も始まって、虫プロの1期生がみんなそっちに引き抜かれてしまった。だから入社1年目の僕たちに、『アトム』の仕事が全部回されたんだけど、それはいくらなんでも無謀だったのでは。それでも4年続いたんだから、たいしたもの。
そのおかげで、フイルムのつぎはぎに関しては、僕はかなり鍛えられたけど。だからTV版のガンダムを全43話を、3部作の映画にまとめるなんて、もうお手のものだった。
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■ 手塚るみこさん(プロデューサー)の
- 『手塚治虫の妻』の話
この歳になって、手塚治虫という人間に嫁いだ母の苦労を思うようになった。離婚しようと考えた時期もあったらしいし、子供はきかん坊ばかりで、私のような反抗ばかりしている娘を持ったおかげで、いらない苦労もして、堪え忍ぶ人生だった。母に言わせれば、「手塚治虫という大木の木漏れ日を受けながらの人生」だったとか。
母はお嬢様育ちで、見合いで父と結婚したので、社会に出て働いた経験もなく、「昔は気の弱くて人見知りの激しい、怒ることすらできない女性だった」と聞いている。私にしてみれば、いつもガミガミ怒られていたので、にわかには信じがたいんだけど、それは母親になってから強くなったみたい。だから今は、「手塚治虫の妻」としてあちこちに呼ばれても、しっかりと自分の意見を言っている。
母が父と見合いをしたときには、すでに父は漫画家になっていた。だから漫画だけの苦労だったらともかく、アニメを始めてしまったときの苦労はひどかったらしい。一度、あまりに借金がかさんで、会社も家庭も危険な状態になったときに、一言苦言を呈したことがあったとか。ところがその時、普段は母に対して優しい父が、血相を変えて「口を出すな!お前は淀君か!」と怒った、という話は世間様でも有名になっているみたい。それ以来、母は仕事に関して一切口を挟まず、家庭を守るために一人で頑張っていた。
父が亡くなったあとに、父の日記を見る機会があったんだけど、そのほとんどは仕事のグチだった。編集の悪口とか、別の漫画家の悪口とか、評論家の悪口とか、悪口ばっかりなんだけど、その中に時々家庭の話が出てきた。晩年になればなるほど子供たちに関する苦労のグチが増えていて、その中では私がワースト1なんだけど、母に関しては感謝の言葉が多い。食事制限されたときに、夜食などでもわざわざ父が食べられるモノを作って仕事場まで持っていった母に対して、「良くできた女房だ」と綴られていた。そういう日記が残されていたことは、父を失った母にとって、ある種の喜びというか、救いだったのでは。
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放送曲目リスト
| Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
| 8'32" |
After You're Gone |
Four Freshmen |
Capitol |
72438-19175-2-7 |
| 20'23" |
No Such Things |
Jack Lemmon |
SONY MUSIC |
CCM-250-2 |
| 31'29" |
Fascinating Rhythm |
Mel Torme |
Bethlehem |
COCY-9937 |
| 40'19" |
I Seems Like Old Times |
Hi-Lo's |
MPS |
POCJ-2330 |
| 46'54" |
It's A Pity To Say Goodnight |
June Christy |
Capitol |
7243 5 35209 2 2 |
| 51'39" |
鉄腕アトム |
コロムビアゆりかご会 |
日本コロムビア |
COCC-10259 |
|