SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2002年7月6日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「不良中年」

image

 若い頃はかなり無茶をした、という方はたくさんいらっしゃいますが、世間で「中年」と呼ばれる歳になっても、まだ無茶な事をしている方というのは、なかなか珍しいもので。当店のように様々なお客様がいらっしゃる店でも、そういうお客様はたまにしかいらっしゃいません。
 でも今日は、めずらしくそういうタイプのお客様が何人かいらっしゃるようで、私のような若い従業員は、やや緊張気味です。いわゆる「不良中年」と呼ばれる方のお話は、体育会の先輩の逸話を生で聞くようで、大変おもしろいとは思うのですが、時々、シャレにならないお話で飛び出るのが玉に瑕と言いますか……実際にお聞きになっていただければわかると思いますが。



image ■ 岩城滉一さん(俳優)の

『昔も今も』という話

 原宿でコーヒーか何かを飲んでいたら、プレイボーイと平凡パンチに写真を撮らせてくれと頼まれた。で、それからしばらくしたら、東映が来て「映画に出ないか」という話になった。
 当時23歳くらいだったんだけど、学生服を着て、学園モノの悪役をやったんだけど、それまでバイクのことしか知らなかったから、たった1行のセリフも言えないくらいで。でもその次から、いきなり主演だった。
 でも、何本か映画に主演した後も、全然責任感とかなくて、『人間の証明』という映画を見てもらうとわかるんだけど、演じているのは僕なのに、声は他人。これはアフレコの時に、某施設に入っていたせい。まぁ、昔の話だから、それで謹慎とかいう話にはならなかったけど。
 『フォーカス』にも、人をひっぱたいている写真が2回くらい載ってるし。1度はレース場で、あんまりにも酷いヤツに我慢ができなかった時なんだけど、ああいう雑誌というのはタチが悪いもので、わざわざCMスポンサーのところにいって「なんでこんな事をする人間を降ろさないんだ」って言ったらしいんだけど、スポンサーも「殴られた側が『自分が悪かった』と認めているのに、降ろす必要はない。というよりむしろ、そういう時にちゃんと怒って殴れる人だから起用しているんだ。」と言って庇ってくれた。撮影の時から、筋の通らないことには怒って、スタッフを蹴っ飛ばしたりしてたしね。

【Hot Link !!】





image ■ 崔洋一さん(映画監督)の/font>

『撮影現場の喧嘩』の話

 僕は映画少年でも映画青年でもなくて、映画は好きだったけど、こういう職業に就くとは夢にも思っていなかった。
 で、ある時プラプラしていたら、高校時代の先輩と偶然会って、「お前向きの仕事があるんだけど」と言われた。「なんですか?」と聞いたら「映画だ」と言う。あんまり深く考えずに「いいですよ」と安請け合いして、映画の撮影現場にいきなり連れて行かれたら、それが映画の照明の仕事だった。
 最初は右も左もわからなくて、「崔くん、この照明を向こうへ持っていって」って言われると、「なんで向こうに持っていくんですか?」と理由を片っ端から聞いていた。今考えるとムチャクチャ嫌なガキで、「黙って運べ!」って小突かれたりしていたんだけど、2〜3日するとようやく大雑把な仕組みもわかってきて、逆におもしろくてたまらなくなっていった。
 それでも周辺の人とは本当によく喧嘩をした。やっぱり理不尽なことが多い世界だから、言葉遣いは丁寧になっても、心の奥底で「なんでこの照明を向こうに持って行かなくてはならないのか、その理由を述べよ」と思っているのは変わらないワケで、どうしてもその雰囲気はにじみ出てしまうから、「お前、ちょっとスタジオの裏に来い」という話になってしまう。ちなみにそれは、一種の業界用語で「お前を締めてやる」という意味。でも僕は、スタジオの裏に呼び出されて負けたことはなかった。
 助監督の時に、上司に「スタジオの前に来い!」と言われたこともある。要するに、裏に行ってしまったらタイマンになってしまうので、いつでも助けを呼べる表で締めてやる、ということ。案の定、僕が優勢になったら、その上司はスタジオに駆け込んで、20人の仲間を連れてきて、後は大乱闘。その人数が、僕がいかに嫌われていたかを物語っているけど、当然の事ながらその日の内にクビになった。
 ところが世の中にはいろんな人がいるもので、その話を聞いて「ぜひ来てくれ」という人もいた。でも行ってみたら、もっと酷い現場で、腕っ節だけを買われた、ということだったんだけど。

【Hot Link !!】





image ■ 村上 "ポンタ" 秀一さん(ドラマー)の

『ミュージシャン』の話

 27、8年前、赤坂のクラブでドラムを叩いていた。そのお店にはタンタンという女性の名ボーカリストがいて、恩師の松木さんというギターリストが「タンタンと一緒にやりたいから、お前も来い」と言われて、毎晩そのお店で演奏していた。
 当時はスタジオ・ミュージシャンとしても忙しくなってきた時期で、そのお店に出ていた4ヶ月は本当に寝るヒマもなかった。Charが「一緒にやらないか」と誘いに来てくれたりもしたんだけど、物理的に不可能だったから断った。あの時その話を受けていたら、オレの今の動きは変わっていたと思う。
 スタジオミュージシャンになったのは、一言でいって成り行き。最初は何人かでやっていて、五輪真弓といっしょにやっていたりもした。そこから独立してトリオでやろうか、という話があったのに、いつの間にか立ち消えになってしまい、気がつけば1人になってしまった。その時に、松木さんが「日本で初めて16ビートができるドラマーが出てきた」っていろんな人に紹介してくれて、あっという間に仕事の依頼が殺到するようになった。
 それまではバンドで好きな音楽だけをやっていたんだけど、スタジオミュージシャンともなれば、要求された音楽をなんでもこなさなきゃならない。でも、その事に関しては意外と抵抗はなかった。だって、オレが好きな音楽は「ブラームス」だし。元々はクラシック好きで、指揮者になりたかった。だから意外と「ドラム」が合っているのかもしれない。
 スタジオミュージシャンは儲かる、というのが世間の評判で、たしかにずいぶん稼いだような気がするけど、やっぱり遊びに使ってしまうので、全然残っていない。古くさい言い方だけど、宵越しの金は持たない、というのが信条だから。奥さんには悪いことをしたかな、とは思うけど、それは今でも直っていない。
 悪いこともずいぶんしたけど……あ、今でもシャレになってないから、ちょっと言えないか。

【Hot Link !!】





image ■ 石田純一さん(俳優)の

『岩城滉一さん』の話

 フジテレビのドラマ・ディレクターでもあり、王子製紙の会長の息子でもある河毛俊作さんとは、元々は仕事じゃなくて遊びのつきあいだった。でも、河毛さんが「男同士というのは、きっちり利害関係があった方がいい」と言って、河毛さんのドラマ『抱きしめたい!』に起用されることになった。
 本当のことを言えば、僕は陣内孝則の代役だった。彼がたまたま他局の主演を選んだから、僕にお鉢が回ってきた。ところが共演する岩城滉一さんが、とにかく格好良くて、とてもじゃないけどかなわない。そこで「どうやって岩城さんを向こうに回して演技をしたらいいのか」を考えた。
 役者という仕事の醍醐味は、自分で自分の演出をすること。だから、自分の一番得意なところに引っ張り込む、という事を考えた。自分と岩城さんを較べた場合、岩城さんは本当に格好良くて、その部分ではかなわないんだけど、いかんせんセリフを覚えてこない。そのたどたどしさも岩城さんの魅力の一つではあるんだけど、たまには僕の得意な「スピード」で、てんてこ舞いしてもらってもいいんじゃないか、と考えた。
 今なら岩城さんも許してくれるんじゃないかと思うけど、あえてリハーサルでは向こうに合わせたりして。ところが本番でいきなりスピードを上げて、下手すりゃカメラもついて来れないようなスピードで演技をした。岩城さんは「なんだ、コイツ?」みたいな表情をしながらも、汗びっしょりになって、ついてきてくれた。
 岩城さんは僕らの兄貴分みたいなところがあって、「道を歩いているとキャーキャー言われんだろ、これ以上だとToo muchだけど、今が一番楽しい時だから楽しみな」みたいなアドバイスをしてくれた。
 「オレは本職はレーサーだから」が口癖で、「こんな仕事はオンナの仕事だ」なんて言っていた。だったらやんなきゃいいのに、なんて思わないでもなかったけど、それでも一生懸命やるのが岩城さんのいいところ。プロデューサーが台本を持って「この仕事をお願いしたいんですが…」と言ってくる時に、「台本なんてどうでもいいから、コレいくらだ?」って言うのも岩城さんっぽい。普通の役者なら「僕の役をもうちょっと格好良くしてよ」とか言いそうなものなのに、岩城さんは「200万じゃ銀座に一晩遊びに行ったら終わりじゃん。せめて二晩は遊びに行けなきゃ、なんのためにこんな仕事をやってるかわかんないだろ」って。このセリフには参った。

【Hot Link !!】





■ 小室正則さん(サーフショップ「マーボーロイヤル」)の

『中年サーファー』の話

 25、6歳で選手を引退して、『ボルト』を設立したら、毎年1億2億と売り上げが伸びていった。数字は苦手で字もろくに書けない人間だったのに、忙しさでサーフィンもできなくなって、60キロだった体も気がつけば80キロを超え、毎晩、銀座や赤坂で飲むようになり、いつしか以前の仲間を「この寒いのにサーフィンなんてバカじゃないか」なんて目で見るようになっていた。
 会社を経営していた7年間は、業績は常に右肩上がりで、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。金のネックレスを2〜3本つけて赤坂のクラブに飲みに行ったら、隣の席に座ったいい女がしばらく待ってもそばに来ない。それで大理石のトイレに行った時に、7千万円の貴金属をみせびらかして、「この人は『ボルト』の社長だから」って紹介してもらって、ママには「君も子供がいるだろう、秋には運動会があるし、水筒でも買ってよ」と100万円くらいをポーンと渡したりもした。
 そんなことをしていたから、会社は倒産してしまったんだけど、その時に昔の仲間が「サーフィンをやれよ」と誘ってくれた。ところが42歳で出た大会で、女性のプロサーファーに負けてしまった。自慢じゃないけど、かつて天才と呼ばれた自分が、たかだか2回戦で負けたのはあまりにショックで、まわりも「それはないだろう」と叱咤してくれた。
 その2年後、80キロの体が65キロまで落ちた頃に、ついに全日本チャンピオンに返り咲いた。その間、奥さんが「私は疲れました。あなたが世界一のサーファーになれるように、遠くからお祈りしています」というメッセージを請求書の裏に残して、大晦日に出ていってしまったのが、一番ショックな出来事だった。初めて泣いて、探しまくって、1月2日に友人の家で奥さんを見つけてからは、真剣にトレーニングを開始した。
 トレーニングをしても、一度衰えた体はなかなか元に戻らなくて、何度も試合に負けた。それでも必死で頑張ったのが、最後には報われた。今でも毎日3時間は、お客さんを放り出してでもストレッチを続けている。そうでなければ50歳を過ぎて、20歳やそこらのプロとは戦えない。

【Hot Link !!】







放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
8'58" Wild Is Love Nat King Cole Capitol CDP 7243 8 28511 2 7
18'19" Yes I Can Sammy Davis Jr. Reprise WPCR-884
26'58" Crazy Rhythm Tonny Bennett Columbia CGK 40424
33'46" They Can't Take That Away From Me Frank Sinatra Reprise WPCR-1215
47'17" Work Song Oscar Brown Jr. Jazz Line JLCD 61001


 Back