SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2002年1月26日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「家族 Part3」

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 今日も当店AVANTIでは、「家族」の話で盛り上がっている席がいくつかあるようです。大塚周夫さんと明夫さんのように親子で飲みながら話し込まれている方もいらっしゃいますし、入来祐作さんはお友達とお兄さんの話をされているようです。
 皆さんのお話を聞いていたら、昔読んだ小説のセリフを思い出しました。「恋人なら会わなきゃどうしようもないけど、姉弟なら会えなくても姉弟。」家族って、たとえお互いに離れていても、やっぱり心のどこかで繋がっているんですね。そんな絆を感じさせてくれる「家族」の話に、ちょっと聞き耳を立ててみませんか?



image ■ 大塚周夫さん(俳優)と
  大塚明夫さん(俳優)の

「役者の親子」の話

【周夫さん】
 この間、たまたま上のスタジオと下のスタジオでお互いに仕事をしていたので、ちょっと顔を見せたけど、こうやってゆっくり話すのは久しぶり。ま、会っても話すのは仕事の話だったりするんだけど。
 10年前なら、僕に言われせれば(明夫さんは)まだ駆け出しで、仕事の話をしても「あそこはああした方がいい」なんて言えたけど、もうさすがに(明夫さんが)40も過ぎたし、そんな子供扱いはできなくなった。

【明夫さん】
 師弟関係、なんて大層なモノじゃないんだけど、やっぱりオヤジの声を聞いて育っているので、オヤジのセリフ回しみたいなのがどこかで刷り込まれているのかもしれない。
 10年以上前の話なんだけど、飛行機の機内で放送するために『荒野の7人』のアフレコを取り直す仕事があった。ところがその昔『荒野の7人』の声を当てた人はみんな巨匠になってしまったので、もう一度その人たちを集めるのが難しい。そこで若いヤツにやらせよう、という話になって、僕にもお鉢が回ってきた。ようは「(かつて周夫さんが声を当てたチャールズ・ブロンソンを)息子がやるなら文句は言わないだろう」という事だったらしい。
 ところがやる方は大変で、セリフを喋っているとどこからともなくオヤジの「違うなぁ」という声が聞こえてくる。アレには参った。

【周夫さん】
 いや、ブロンソンというのは簡単なようで難しいから。低い声でボソボソ喋るだけだと一本調子になってしまうので、ブロンソン独特の微妙な間を研究しないと、うまくいかない。いくら息子でも、1回や2回であれができるハズがない。
 音楽にたとえるなら、ブロンソンのセリフを音符にしたら、3つの音階しか使わない人、という感じ。これをただ喋るだけだと棒読みになってしまうんだけど、独特の間にあわせてうまくシャープやフラットの音を使ってやれば、一本調子にはならない。これはブロンソンの吹き替えに限らず、あらゆるアフレコに通じる技術。
 例えば、私の場合なら、ブロンソンなら地声よりもちょっと下の音を使うし、リチャード・ウイドマークなら地声にもうちょっと近い感じで強張った声、それから自分のハイトーンだけで喋ると「鬼太郎さ〜ん」なんて「ねずみ男」になる。

【明夫さん】
 「ねずみ男」ってのはスゴイ仕事だったよね。オレは一番凄い仕事は「ねずみ男」だったと思う。
 というのは、漫画っていうのはセリフを入れ込む人によって役の立体感がまるっきり違ってくるんだけど、あれほど「ずるさ」「卑怯さ」「愛嬌」といった性格が、強力にかつ繊細に作り上げられたキャラクターというのも他になかなか無い。似たところで「ブラック魔王」というキャラクターもあったけど、「ねずみ男」あっての「ブラック魔王」だと思う。
 そういえば子供の頃に、「ねずみ男」でいじめられた事もあった。大人にとっては魅力的に映る「ねずみ男」なんだけど、やっぱり子供にとっては「悪いヤツ」だから。ま、「大塚ちかん」とか「ねずみ小僧」とか言ったヤツには、次の瞬間「言わなきゃよかった」と思うような目にあわせていたから、それほど実害はなかったけど。
 ちなみに子供の頃の作文を見ると「ボクはサラリーマンになって、日曜日には子供を必ず遊園地に連れて行く」と書いていたらしい。なにせ乳呑み児の僕を、「うるさい」と言って押入の中に放り込んで、セリフの練習をしていたと言うんだから。子供の頃は「なんて親なんだ」と思っていたんだけど、今、同じ仕事をするようになって、その気持ちがわかるようになった。なってしまったと言うべきかもしれないけど。

【周夫さん】
 どういうつもりだったのかは知らないけど、僕としては、僕と同じ「役者」という仕事を選んでくれた事は嬉しかった。僕の中にあるモノを引き継いでくれる、みたいな気持ちが何となくあるだろうし、僕の事もわかってくれるだろうし、そういう気持ちが嬉しかった。

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image ■ 小堺一機さん(タレント)の

「映画好きの家族」の話

 親に聞いた話なんだけど、僕は4歳の頃から親に連れられて映画館に通っていたらしい。字幕の映画も観ていたというから、その頃の方が頭が良かったのかも。『黒いオルフェ』なんか、親が途中で飽きて「もう帰ろうか」って言っているのに、「最後まで観る」って言ったらしい。今の僕の方が途中で飽きそう。
 僕らの親の世代は映画が一番の娯楽だったみたい。板前の父親は洋画が好き、母親は邦画が好き、という夫婦で、週末になると映画館に出掛けていたらしい。その両親に連れられて映画館に行っていたものだから、かえって『東映マンガ祭り』なんかには縁がなかった。だから学校の友達とも話題が合わなくて、噛み合うのは東映のチャンバラ映画ぐらいだった。小学生が「ウィリアム・ホールデンが……」とか言っても、「誰それ?」って言われて終わりだし。
 でも、親と一緒に映画を見に行った後で、「僕はこのシーンが良かった」なんて僕が言っても、子供扱いしないでちゃんと話を聞いてくれたのには感謝している。だからこそ僕は映画が好きになったのだろう。
 あの頃のプログラムもちゃんと取っておけば、今なら一財産になったかもしれないのに……。オヤジが持っていた山積みのプログラムの中には、日比谷劇場で最初に公開された時の『ローマの休日』のプログラムなんかもあった。
 『ローマの休日』と言えば、子供の時に初めてあの映画を観て、僕は「最後のシーンが長すぎてイヤだ、悲しいでもないし、寂しいでもないし……」なんて感想を言った。すると母親は「それは『せつない』と言うんですよ」と教えてくれた。「映画はいいところでエンドマークが出るけど、人生にはエンドマークは出ないのよ。このあと、記者の人は気が付くと、アン王女の事を考えない日がだんだん多くなるの。アン王女もだんだん記者の人の事を思い出さなくなって、ある日、1度も思い出さない日が来るのよ」なんて教わって、僕は子供心に「ふ〜ん、なるほど」なんて思っていたんだけど、思春期になる前の子供の頃に聞かされたから素直に聞けたのかもしれない。
 礼儀は小津安二郎の映画で教わった。「玄関を開けても『どうぞ』と言われるまで土間に入らない」とか「座布団は一回辞退して『お当て下さい』と言われてから」とか。僕は単に映画のマネをしていただけなんだけど、それを見て「まぁ〜キチンとした子ねぇ」と大人が感心してくれるのが可笑しかった。
 家で「小津安二郎ゴッコ」なんて遊びもよくやった。先に吹き出した方が負けなんだけど、「そと、雨」「え?」「どのくらい?」「ちょっと」「まぁ」「お父さんは?」「傘?」「お持ちでないわ」「やっぱり」なんて母親と言い合ってた。ちょっと原節子や笠智衆のマネをすると、母親が吹き出したりして。さすがにコレは、学校で「みんなでやろう」と言ったら総スカンをくったけど。

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image ■ 山下徹大さん(俳優)の

「オヤジ」の話

 友達はみんなオヤジ(加山雄三さん)の事を知っているわけだし、それでどうという事はなかったんだけど、その周囲の人たちがオヤジの事を知って目の色を変えるのがたまらなく嫌だった。だからある時期までは、オヤジの仕事を恨む、とまでは行かなくても、「ふざけんな」と思う部分があった。
 それを冷静に受け止められるようになったのは、高校生になったあたりから。下からずっと慶應で、小学校から大学まではエスカレーターだったんだけど、「大学を出たら何をするのか」という現実を突きつけられた時に、初めて親のやっている仕事に興味を持った。
 それまでは「親」としてしか見ていなかったけど、改めて「俳優」としての加山雄三を考えると、正直、息子の目から見ても格好良い。だからどこかで、それを目指す気持ちはあったと思う。ただ、親は親、自分は自分なので、何かを真似るとか参考にするという事は考えなかった。
 最初に「俳優になる」と打ち明けたのは、オヤジじゃなくてオフクロだったと思う。でも、その時はまだ大学1年。卒業してから俳優としてやっていくつもりだったので、特にオヤジに言わなくてもいいか、と思っていた。ところが大学2年の時に、偶然TV局からドラマの話が来た。その頃は、当然まずオヤジのところに話が行くので、「テレビ局からお前をドラマに使いたいと言っていているんだけど、どうする?」とオヤジに言われて、「やる」と答えたら、オヤジは相当驚いたらしい。
 それで「将来は俳優をやる」と伝えて、改めてオヤジと話し合った。オヤジは「見た目ほど楽しい世界じゃないぞ」と釘を刺されたけど、それ以外は「自分で見つけていくもんだ」と言って、何も教えてくれなかった。
 最初はちょこちょこオレの出ている作品を見てたらしいんだけど、最近は全然見てないみたい。見たとしても、「面白かった」「つまらなかった」みたいな作品に関する感想しか言ってくれなくて、「オレがどうだった」みたいな事は何も言わない。もしかしたら、照れ臭いだけなのかもしれないけど。

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image ■ 入来祐作さん(読売巨人軍)の

「兄弟」の話

 兄貴が先にプロ野球選手になった時に「よし、オレも」という気持ちは当然あった。僕も真剣に野球をやっていたし、どうやればプロになれるのか、という道筋が具体的に見えて、自分も後に続こうと思った。
 でも、兄貴から「こうしろ」みたいな話は特になかった。兄弟で話していても、なぜかそういう話題にはなりにくかった。まぁ、兄貴も理屈っぽい方じゃないから、なんて言っていいのか解らなかったのかも。
 今、巨人とヤクルトで、兄弟が敵味方に別れて戦う事もあるけど、戦う前に連絡を取った事は1度もない。やっぱりそこはお互いに仕事で野球をやっているワケだし、何かの弾みで口が滑ってチームに迷惑を掛けるわけにはいかないから。ただ、幸いにして「兄弟先発対決」は1度もなかった。兄貴が打たれる姿も見たくないし、自分が打たれる姿も兄貴に見せたくないし、やっぱりどう転んでも「兄弟対決」は良い結果に結びつきそうもない。
 今も2人で会った時は、野球の事は話さない。というか、別に何かの話で盛り上がる事もなく、ただ2人して黙々と食事をしていたりする。はた目にはちょっと暗い人間に見えるかもしれないけど、兄弟なんてそんなもの。
 もし今年、投げ合う機会があったとしたら、兄貴がバッターボックスに入ったときが困ると思う。変化球をガンガン投げてやろうかとも思うんだけど、兄貴にデッドボールを当てられたら嫌だし……。一番困るのが、乱闘になった時。兄貴がウチの選手にぶつけて乱闘になったら、本当にどうしようと今から考えてる。兄貴もああいう性格だから、止せばいいのに向かっていきそうだし、本当にそれだけは勘弁して欲しい。

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image ■ 松下義男さん(恵比寿『松栄』)
  松下義晴さん(ピューターズ)
  松下孝行さん(ピューターズ)の

「2代目3兄弟」の話

【義男さん】
 私が感心するのは、新しいアイデアを持って何軒もお店を出す中で、3人の兄弟が力を合わせて一生懸命やっている姿が世間様に認められていること。「みんないい子ですね」と言われるのが一番嬉しい。
 みんながどんどん実績を上げていくのを見ていると、やっぱり自分に無いものが若い者にはあると痛感している。だから任せて良かった、と心から思っている。ただ心配なのは、良い時は良いけど、一度つまづいたらガタガタと落ちていかないか、という事。まぁ、そんな事は心配しても仕方のない事なので、気にしないようにしているけど、お母さんは心配しているみたい。

【義晴さん】
 最近は心配させないように、あんまり母さんには仕事の話をしないようにはなった。
 3兄弟という意味では、3人とも趣味はバラバラなんだけど、仕事の話になると考え方が似ているので、喧嘩にはならない。孝行だけは歳が離れていて、まだ勉強している最中だけど、僕たちのやろうとしている事についてきてくれるし。

【義男さん】
 孝行もこの商売をやるようになって7年で、まだまだなんだろうけど、商売人の息子なんだから、これからが楽しみ。兄貴を見習って、自分で勉強して欲しい。そういった意味では、どんどん外へ行って遊んだ方がいい。
 お前たちには夢を持って仕事をしているから、これから先が楽しみ。もしこの先、つまづく時が来ても、3人の兄弟でスクラムを組んでやれば、きっと乗り越えられると信じている。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
12'12" I want to be Happy Debbie Reynolds Universal Victor MVCJ-19233
26'31" I've Got My Eyes On You Patti Page Universal UCCM-9037
36'05" What is a Man Abbe Lane RCA 7432138 6282
43'09" Strike Up The Band Chris Connor Atlantic Jazz AMCY-1051
48'16" My Heart Belong to Daddy Peggy Lee MCA MCAD 2-111122


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