SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2002年1月19日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「家族 Part3」

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 先週に引き続き、今週も「親子」でいらっしゃっているお客様がいらっしゃいます。常連の西田善太さんも、めずらしくお父様の西田善夫さんとご一緒のようですね。いつもは別々にいらしているんですが、お身内の新年会か何かの帰りでしょうか。ほろ酔い加減で楽しげに話しておられます。
 今日いらしている皆さんのお話を聞いていると、「家族」や「親子」についてイロイロと考えさせられますね。私も1度、お酒を飲みながら父親とゆっくり話をしてみたくなりました。



image ■ 夏目房之助さん(エッセイスト)の

「祖父・夏目漱石」の話

 ウチのオヤジが9歳の時に、オヤジの父、つまり僕の祖父にあたる「夏目漱石」は亡くなっている。だから当然、会った事もないし、「どんな人でしたか?」なんて聞かれても答えようがない。そもそも、僕自身だって「じいさん」とは呼ばずに「漱石」と呼んでいるくらい。
 そういえば、初めて顔を見たのも教科書だった。「これ、あなたのお祖父さんでしょ?」「……そうだよ」「お祖父さんはハンサムなのにねぇ……」なんて女の子に言われて傷ついた記憶もある。
 漱石の作品では、中学の頃は『硝子戸の中』というエッセイなんかがお気に入りだった。ところが30歳になるかならないかの頃に、『行人』みたいな暗いヤツを呼んだら「あちゃ〜、この人、オレと同じ事を考えてるよ!」と気付いてしまった。別に影響を受けた、とかいうワケじゃなくて、本当に偶然。でも、そんな事があってから、なんとなく漱石の孫である事を受け入れられるようになった。
 それまでは「漱石の孫」とか言われると、どうしてもナーバスになってしまう部分があった。同じような仕事をしているけど、どうやったってかないっこない。それなのに「『坊ちゃん』を漫画化しませんか?」なんて事を恥ずかしげもなく言ってくる人が多くて。そんな屋台に大店の金看板を乗せるようなマネをしたら、屋台の方が重みで潰れちゃうっていうのに。
 それを「もうそろそろ大丈夫かな?」と思えるようになったのは、漱石の1000円札が出た頃になってから。週刊朝日で連載の仕事もしたし、テレビにも出るようになったし、自分に多少は自信がもてるようになった。それでやろうと思ったのが、漱石のパロディ。「坊ちゃん」の格好をして松山に行ってやった。

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image ■ 西田善夫さん(元NHKアナウンサー)と
  西田善太さん(マガジンハウス)の

「アナウンサーとその息子」の話

【善太さん】
 父親がアナウンサーとしてテレビに出ている、という事を意識したのは小学校の高学年ぐらいだったと思う。でも、僕はドリフターズが見たかったのに、野球中継を見させられて、結構不満に思っていた。もし僕がスポーツ好きな少年だったら、こんな素晴らしい父親はいないんだろうけど、うまくできたもので、得てしてそういう父親を持つ子供は、そうはならないモノなんだと思う。
 そういえば、ウチのテレビがカラーになったときのことをよく覚えている。それをNHKの寮で誰かに自慢したら、その事がバレちゃって、めちゃくちゃ叱られた。

【善夫さん】
 それはNHKとカラー契約しなくちゃいけなくなるから怒ったんじゃないか?
 考えてみれば、君も夜遅い仕事をしているから、親子2代で夜の仕事をしている事になる。僕は午後から出社して、プロ野球の中継をやって、夜のスポーツニュースがあったから、いつも夜は遅かった。

【善太さん】
 そう。だから僕の中では、オン・シーズンとオフ・シーズンの区別があった。
 家にいる子供にとって、父親が家にいるなんてうるさいだけ。「お前はスポーツ選手にはなれないんだから、勉強するしかないんだ」って、オリンピッククラスの人と較べるなよって子供心に思っていた。
 で、野球シーズンが始まると、うるさい父親が家にいなくなるので、安心してテレビを見られる。これがオフ・シーズンだと、机に向かって勉強しているフリをしなきゃいけなかった。
 「アナウンサー養成ギプス」をはめさせられた事もあった。それは、壁に貼ってあった「あえいうえおあお」みたいな滑舌の練習表。だからその頃、僕は日本で唯一の「鼻濁音が言える小学生」だったと思う。「アナウンス読本」という本も与えられて、早口言葉もずいぶん練習した。ま、その甲斐もなく、僕は「おしゃべりが得意な編集者」になってしまったけど。

【善夫さん】
 まぁ、話ができる、という事は、文章にも通じる部分があるとは思う。ただ、喋る方は無駄が多い。文章は推敲ができるので、短くする事もできるし。
 でも、「無駄」が「意味がない」とは限らなくて、スポーツの実況でも、試合の肝心なポイントとは関係のない部分が印象に残るケースは多い。例えば、外野手が非常に深く守っているのを見て、「振り向けばフェンス」と表現したら、「とても良かった」という投書をもらった。僕の仲間も「ショート、ジャンプ!……しないで捕りました」なんて実況をして話題になったし。こういう「無駄」が、まさに「実況」なんだと思う。

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image ■ 坂口憲二さん(俳優)の

「プロレスラーの父親」の話

 子供の頃は、お父さん(プロレスラーの坂口征二さん)という感覚があまりなかった。というのは、昔のプロレスは地方の興行が多くて、2ヶ月に1回くらいしか会えなかったら。むしろテレビで見る機会の方が多くて、テレビの前で「頑張れー!」って応援してたから、どちらかというとファンだった。
 学生の頃は、僕がちょっとグレていたので、会っても目をそらすような感じで、あまり接点がなかった。父親に殴られるような事はあまりなくて、口論になって、ココ一番という時に何度か手が出たぐらい。むしろ母親の方が怖かった。
 スポーツ選手の家庭では、奥さんの方がしっかりしているケースが多いらしくて、ウチもその典型だった。ウチは父親と母親と兄貴と僕の4人家族で、女性は母親だけなんだけど、一番強いのがその母親。オヤジもしょっちゅう尻を叩かれている。
 ちなみに僕は身長185cmくらいあるんだけど、いまだにオヤジを見上げてる。なにせ僕より10cm以上も背が高い。来年にはもう60になるのに……。
 子供の頃のオヤジとの思い出といえば、プロレスを見に行った事くらい。それからパチンコに連れて行ってもらった事。麻雀を教えてくれたのもオヤジだったし、親子というよりは男同士の付き合いに近かったのかもしれない。
 僕は次男なので、比較的好き勝手にやらせてもらって、それで今の仕事に就けたようなもの。学生時代も、親が学校に呼び出されるような悪い事をしても、「お前の悪(ワル)は中途半端、どうせやるんだったら日本一の悪にならなきゃダメだ」という変な叱られ方をした。この世界に入る時も「礼儀をちゃんとしろ」「人に好かれるようになれ」とだけ注意された。一言でいえば、体育会系の家庭だった。

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image ■ 手塚眞さん(映画監督)の

「父・手塚治虫」の話

 よく「あの手塚治虫が父親である事で何かプレッシャーみたいなものはありましたか?」と聞かれるけど、実は何も感じたことはない。というのは、父親のことが好きだったから。
 尊敬している、という部分もモチロンあるんだけど、それ以前に父親として愛すべき人だった。忙しい人だったから、月に1度でも父親の顔を見て話すのが嬉しくてしょうがなかったし、自分も大きくなるにつれて映画とか共通の話題ができるようになるのもまた楽しかった。ただ、ウチの家族というのは、お互いに深く干渉しないという雰囲気があって、何よりも父親の忙しさは、子供の方が漫画やアニメでよく知っているので、「邪魔しちゃいけない」と兄弟みんなが思っていた。
 僕が高校の時に初めて映画を撮り、その映画が大島渚さんなんかに認められて賞をいただいた時に、真っ先に大喜びしてくれたのは父親だった。「ヤッター!」って言いながら飛び上がって喜んでくれたんだけど、そういうところはどこか友達のような感覚があった。だから僕にしてみれば、素晴らしい先輩が身近にいて親しくしてもらっている、みたいな感じがしていた。
 また向こうは向こうで、すごく気をつかっていてくれたみたい。「手塚治虫の息子」と言われ過ぎてプレッシャーにならないように、なるべく関わりを持たないようにしてくれていた。その実、影では映画会社に行った時に「ウチの息子をよろしくお願いします」と言って頭を下げてくれていたりしたらしい。
 『鉄腕アトム』の最終回で、手塚治虫自身が番組の冒頭で視聴者に挨拶する、みたいな企画が持ち上がった時に、「眞、監督をやってくれないか」と声を掛けてくれたこともあった。監督といってもカメラを据えて撮るだけなので、やることなんて無いに等しいんだけど、「ダメ出しだけはしてくれ」みたいな事でやらせてもらったのが、父親と一緒にやった初めての仕事だったと思う。
 それから『妖怪天国』というビデオを僕が作った時に、妖怪に関係のある人を片っ端から集めてみようと思ったんだけど、「そういえばウチの父さんも妖怪の漫画を描いていたな」と思い出して、出演を依頼したらOKしてくれた。そのお陰で水木しげる、楳図かずお、手塚治虫という妖怪界のオールスターが集まるシーンが撮れた。そういう風に、ポイントポイントで一緒に仕事をしたことが何度かある。
 今は父親の作品の全集が家にあるので、その仕事を見ようと思えばいつでも見られるんだけど、自分が仕事でやった事を先に父親がやっていた、という事に気が付かされる事が時々ある。映画『白痴』をDVDで発売した時に、劇場公開版でどうしても気に入らない部分があって、無理を言って直させてもらった。「普通は絶対にこんな事やらせないんだよ」って散々言われながらの撮り直しだったので、「いや〜、こんな事やったの僕が最初ですかね」って申し訳なさそうに言ったら、「いや、手塚治虫が前にやってるけどね」と言われてしまったり。
 言われてみれば父親はアニメだって作り直すし、漫画だって書き直す人だった。そのせいで『ジャングル大帝』はオリジナルの原稿が無くなってしまい、書き直したバージョンしか残っていない。

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image ■ 中村獅童さん(歌舞伎俳優)と
  小川洋子さん(獅童さんの母)の

「母と子の会話」の話

【獅童さん】
 高校の時、バンドをやっていたんだけど、ライブハウスに突然(洋子さんが)来たのには参った。どこで聞きつけてきたのはかは知らないけど、黒づくめの服にショールなんて怪しげな格好にサングラスを掛けて、最前列でノリノリで踊るし。あの瞬間は人生で一番恥ずかしかった。
 バンドのメンバーも最初は「誰だ?あのババァ」とか言ってたんだけど、よく見れば顔がオレと同じだから、すぐにバレた。そのライブのビデオが今でも残ってるんだけど、オレより映ってるし。どう考えてもそれはおかしいだろ!

【洋子さん】
 母さんにだって若い時はあって、その時はプレスリーが好きだったの。それが結婚して、お婆ちゃまは素晴らしいお姑さんだったから、古風に品よく振る舞うやり方を教えて下さったんだけど、時には暴れ回りたくなる時もあるじゃない。

【獅童さん】
 オレはその血を継いでるから、夜中に麻布で裸になったりしているのかも。
 実は、歌舞伎役者を子供の頃からやってきたんだけど、それでも一応大学まで行ったから、オヤジさんに「歌舞伎役者として生きていくのか、それとも普通に会社勤めをするのか、どっちを選んでもいいぞ」と言われた事がある。でも、オレの場合は学校で授業の一環として歌舞伎を見たりして、外の目から歌舞伎を見る機会が多かったので、歌舞伎って面白いなと思えた。それで歌舞伎役者としてやっていこうと決心できた。

【洋子さん】
 それを少しでも手伝ってあげたいという気持ちがあるので、下駄を揃えたりしてるんだけど……

【獅童さん】
 応援してくれるのは嬉しいし、ロビーでお客さんの接待をしてくれるのもありがたいんだけど、なんか「もっと働け、それでエルメスのバッグを私に買ってくれ」って心の声が聞こえてくるようなんだよね。
 インターネットでも「獅童のオフクロ張り切りすぎだ」って書かれてるし、それ見て泣いてたじゃん。

【洋子さん】
 そういえば、私この頃、あなたのお芝居のお手伝いをさせてもらえるようになったから、私の中学や高校の頃のお友達が京都から見に来て下さったの。それで私が「やっぱり人生は夢よね、感動よ!」と言うと、「あんたなぁ、中学の時から言うてること変わらへんわ」って言われてしまった。
 でも、夢を見て生きる事、感動し続ける事、それが商売になるなんて、こんな素晴らしいお仕事は他にないから、見てる人の気持ちが和むような役者にぜひなって欲しいと思ってます。

【獅童さん】
 わかりました……今の言葉は重いです。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
7'43" We Got Us Steve Lawrence & Eydie Gorme Jasmine JASCD 600
18'37" My Kind Of Town Frank Sinatra duet with Frank Sinatra Jr. Capitol 7243 8 31252 2 7
30'55" How's Chance Ella Fitzgerald Verve POCJ-2146
37'59" In The Name Of Love Peggy Lee Capitol 7243 5 21096 2 3
46'01" It All Depends On You The Four Freshmen Capitol 7243 4 95002 2 8


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