■ 上重聡さん(立教大学野球部)の
「横浜vsPL」の話
横浜戦の前日、僕は1試合完投していたので、あらかじめ監督から横浜戦ではリリーフで使うと伝えられていた。そして迎えた7回。PL1点リードの場面でマウンドに上がった。性格的に試合の途中からでも大丈夫なタイプなので、そのこと自体は気にならなかったけど、同点に追い付かれて、松坂の調子も上がってきていて、ヤバイなとは感じていた。
5対5のまま延長に入り、10回の裏。松坂の投げたボールを腕に受けた。その球がカーブだった割には、かなり痛くて。絶対に折れてる、と思いつつも、とりあえずそのまま投げ続けたら、11回の表、横浜に1点取られてしまった。痛みのせいというよりは、7回から投げてきて、球筋を覚えられたのが原因だったと思う。
11回の裏。PLの4番バッターが三振してツーアウトになった時は、正直、もうダメかと思った。ところが5番のヒットをキッカケに、同点に追い付いたんだけど、その瞬間に感じたのは、なぜか「まだ投げさせてもらえる」という喜びだった。これまでずっと野球をやってきて、そんな風に考えたことは1度もなかった。「勝ちたい」ではなく「このまま続けたい」という感覚。疲れも感じず、宙に浮いているような、まるで夢の中の世界のような感じだった。
延長17回に入る頃、本部からベンチに連絡が入った。もし、このまま延長18回までで決着が付かなかった場合、翌日1時から再試合、との事だった。でも、そうなったら、きっともう松坂は投げられない。だから出来るなら、その日の内に、松坂の投げている横浜を倒したいと思った。
17回の表。簡単にツーアウトを取り、横浜3人目のバッターが打った当たりも、平凡なショートゴロだった。そこまでランナーを出しながらなんとか押さえて来ていたので、初めて三者凡退でイニングを終われる、と思った矢先、ショートが悪送球。でも「まさか」というよりは「やっぱり3人じゃ終わらなかった」と妙に納得してる自分がいた。そして次のバッターに決勝となる一打を打たれてしまう。そのボールが、狙いよりも少し中に入ったストレートだったのは覚えているけど、その前後のことは何も覚えていない。
17回の裏。PLは2点のビハインドを返せず、ついにゲームセット。負けはしたけど、悔いは何一つ残さなかったし、3年間やってきたことが間違いじゃなかったと思えたので、胸を張って笑顔でいられた。チームのみんなも同じ気持ちだったと思う。試合が終わった後に心斎橋のあたりを歩いていたら、街頭テレビが僕たちの試合をニュースで流していて、それを見ながらみんなで笑っていた。
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■ 絵面さんと土谷さんと(会社員)の
「高校生クイズ」の話
今から15年くらい前、高校の夏休みに「高校生クイズ」の全国大会に出場した。名越と絵面と土谷の3人1組で、名越が知恵袋。彼は専門的なことをよく知っていた。土谷は一般常識担当で、絵面は芸能専門。だから3人で意見が割れることもなくて、問題の系統によって答える人間が決まっていた。
全国大会1回戦は、「知力・体力・時の運」がテーマ。1チーム3人いるので、それぞれの部門を1人ずつが担当することになった。ウチのチームでは、名越が知力、絵面が体力、土谷が運を担当した。
「体力」部門の絵面はラッキーだった。運動して500g痩せれば課題クリアなんだけど、絵面は準備運動の段階で470gくらい汗をかいてた。なんといっても「動けるデブ」だし。「知力」の名越も問題なし。そして「運」も、本当についていた。浅草寺の前の自動販売機で「当たり」が出るまで買い続ける、というゲームで、土谷はなんと1回目で当たりを出してしまった。
1回戦は、それぞれ課題をクリアして、新宿に3人が集合できたチームから勝ち抜けだったんだけど、まず最初に帰ってきたのが「運」担当の土谷。「運」部門でぶっちぎりのトップなんだから、ゆっくり歩いて新宿に向かえば良さそうなモノなのに、一生懸命走ったら、当然集合場所には他に誰も居ない。汗だくになって「あれ?体力担当?」みたいな状態だった。
結局、ウチのチームはみんなかなり早く帰ってきたので、トップで1回戦を突破。この結果には、自分たちが一番驚いた。だって僕たちは「テレビに映れて目立てるな」くらいのノリだったから。他の高校はかなり入れ込んでいて、プロジェクトチームを組んで、学内の成績上位3名を、友達でもないのにチームを組ませて大会に送り込んでいたりしていた。だから移動中にちゃんとクイズの勉強もするし、早押しの練習をしているヤツも居た。逆に、僕たちの場合は無欲が運を引き寄せたのかもしれない。あの暑い夏に、一生涯分の運を使い果たしたとも言えるけど。
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■ 比嘉栄昇さん・島袋優さん 上地等さん(BEGIN)の
「初ライブ」の話
高校2年の時、バンド仲間で会館を借りて、初めてのライブをやった。当時、ウチの高校は1学年300人ちょっとしかいないのに、各学年に10ぐらいはバンドがあったので、やたらとバンドが流行っていたんだけど、石垣島にある3つの高校の壁を取っ払って、みんなで合同ライブをやろうという話になった。その名も『ロックしましょう』。今にして思うとかなり恥ずかしい名前だけど。
それで石垣島にある「岡崎会館」に集まった人数は、実に800人以上。ところが、みんなで前日に準備をしていたら、学校にばれて、生活指導の先生が来てしまった。先生が言うには、チケットを売ってお金を発生させるなら学校の許可が必要で、その許可を取って無い以上ただちに中止しろ、との事だった。もちろん素直に聞くはずもなく、僕たちと先生が押し問答をしていたら、PAを用意してくれた楽器屋さんの社長が「大人の話をするから、お前らちょっと向こうに行ってろ」と間に割って入ってくれた。僕らも社長の言うことは素直に聞くので、すごすごと引き下がって遠巻きに見ていたら、意外なくらいあっさり「やってもいい」という話になって、ついに『ロックしましょう』は開催された。
それが、驚くぐらいチケットは売れるわ、麦茶も売れるわで、かなりの利益が上がってしまった。その利益は、社長の「貯金しておいて、お前らもう1回やれ」のアドバイスに従って、貯めておいたんだけど。
後で校長室に呼び出されて、説教されたり始末書を書かされたり、いろいろ大変だった。だから生活指導の先生をすごく憎んでいたんだけど、つい最近、その先生と会う機会があった。そうしたらその先生は、こう言った。「お前らには言わなかったけど、本当は嬉しかったんだ。今どきこんなバカな高校生がいるのかって。心の中ではガンバレって言いたかったんだけど、立場上どうしても言えなかった。だからお前らの演奏を聴いて、実は泣いてたんだ。」
この言葉を聞いて、あの夏の僕たちはやっぱり子供だったんだと痛感した。
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■ 安田賀一さん(自動車エンジニア)の
「鳥人間コンテスト」の話
『鳥人間コンテスト』は、土曜日の朝6時くらいから始まる。
本当は前日に1度、機体チェックが行われるので、金曜日の夕方くらいに機体を組まなければいけない。という事で、木曜日の夜に出発、金曜日いっぱいで作り上げて、土曜日の本番を待つ、というのがおおよそのスケジュール。
機体チェックというのは、主に安全性のチェック。人が乗るところの周りに危険なものがないかどうか、怪我するようなものがないかどうかをチェックする。中には、離陸直前の最終チェックで跳ねられて、プラットフォームの上から落としなさいと言われるチームもある。というのは、プラットフォームまで上がってしまうと、後ろに他のチームの機体が列を作っていて、バックは出来ないから。
だから最初は、あの台の上に登るだけでもエライと思った。というか、一番最初は「どうやって機体をあの台の上まで運んだらいいんだ?」ってところで悩んだ。見てる人は離陸してすぐ落ちちゃうような機体を笑うけど、実はあそこまで行くだけでも立派。ウチなんかあっちこっちが弱かったりするので、あっちを押さえこっちを押さえ、とにかく途中で壊れないように必死になって台の上まで持っていく。
しかも台の上はけっこう風も強くて、順番を待っている間に飛ばされそうになる。そこで飛ばされてしまったら、ここまでの苦労は水の泡。だから機体にしがみついて押さえるんだけど、そういう時に限って前に飛ぶ人がスゴイ距離を飛んでしまったりして、その状態でずいぶん待たされることもある。
これらの艱難辛苦を乗り越えて、いよいよ離陸……なんだけど、最初の挑戦の時はここからが酷かった。まず、「さぁ、自分たちの順番だ!」というその瞬間、風で飛ばないように押さえていた胴体がポキンと折れた。それでも諦めきれずに、手持ちの材料で応急処置、といってもテープでグルグル巻きにしただけなんだけど、とにかくそれで助走を始めた。すると、走っていく先に変なポールが立っている。どうも放送用のマイクかスピーカーに使うポールらしいんだけど、それが複葉機の下の翼にどう見てもぶち当たる。普通の機体なら翼はポールの上を通り抜けられるんだけど、複葉機だけに下の翼は地面スレスレ。「絶対に当たる!」という事が分かっていながら、もう走り始めた機体を止めることは不可能だった。そのままポールに突っ込んで、まず翼がパキバキと折れ、その拍子にさっき応急処置した胴体も折れ、機体は丸まりながら真下に落ちていった。
ちなみに記録は「計測不能」。僕たちの『鳥人間コンテスト』初挑戦の夏は、こんな具合に散々だった。
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■ 加山雄三さん(俳優)の
「永遠のギターキッズ」の話
毎年夏にやっている『永遠のギターキッズ』シリーズは、元ベンチャーズのノーキー・エドワーズと久しぶりに再会したことがきっかけで始めた。彼が気の毒な立場に追いやられているような気がして、たまたま僕たちも、もう一度エレキを弾いてみたいな、と思うところはあったので、「ハイパー・ランチャーズ」を始めた。それで、そこそこ弾けるような状態になったときに、じゃあライブでも…という話で、小さなライブハウスでやったら、山下達郎君なんかも来てくれて。
それが始まりで、だんだんやる場所も大きくなっていって、去年は名古屋の市民会館がいっぱいになった。最後にみんなが「ノーキー!」と叫びながら立ち上がって、客席の前の方へ来てノーキーの握手を求めたんだけど、その様子を見たジュディさん(ノーキーの奥さん)は、涙をポロポロ流しながら「ありがとう、アナタは本当に素晴らしい幸せを与えて下さった」と言ってくれた。それを聞いたら、こっちも涙が出てきたけど。
で、今年は名古屋からお声が掛からなくて、仕方がなくウチのスキー場で野外コンサートでもやろうか、という話になった。ところが、その話が本決まりになったのが、常識から考えると圧倒的に遅い。普通、この手のイベントは半年、1年前から準備をしてお客さんにアピールしないと、集まる客も集まらない。それでも、どうしても1度はやっておきたかったので、大物ゲストを呼んで告知不足を補うことにした。
そこで白羽の矢を立てたのが、さだまさし君。聞いてみたら、8月15・16日ならスケジュールが空いていると言う。じゃあ君に合わせるから、といって、その日にやることになった。さらに、南こうせつ君、森山良子サン、ブレッド・アンド・バターなど、錚々たるメンツが来てくれることになった。
最初は1日だけのつもりだったけど、結局、両方やりましょうという話になった。そうしたらサーフコースターズ、ドクターKプロジェクト、ついにはベンチャーズまで来てくれることになってしまった。
イベント名は『第1回 湯沢フィールド音楽祭』。これから湯沢町のイベントとして定着してくれれば、と思っている。ちょうど湯沢の町のお祭りとも重なるので、夜は花火大会もある。全部、みんなのポケットマネーを少しずつ集めて作った、手作りのお祭り。みんなで楽しめれば、それで最高なんだけど。
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放送曲目リスト
| Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
| 10'49" |
Summer Wind |
Frank Sinatra |
Reprise |
1017-2 |
| 21'20" |
Just You, Just Me |
Thelma Gracen |
Mercury |
EJD-3069 |
| 33'18" |
Of Thee I Sing |
Chris Connor |
Atlantic Jazz |
AMCY-1051 |
| 41'27" |
Lazy, Crazy Days Of Summer |
Blossom Dearie |
DIW |
32 DIW 311 CD |
| 47'55" |
Vivo Sonhando |
Astrud Gilberto |
Verve |
314 519 824-2 |
|