SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2001年6月23日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「マラドーナ」

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 1981年、少年ジャンプで『キャプテン翼』の連載が始まり、小学生の間で一大サッカーブームが起こりました。私もその例に漏れず、それからのお昼休みや放課後は、サッカーに明け暮れる毎日でした。そして迎えた1986年。中学生になった私は、多少の夜更かしも出来るようになり、生まれて初めて「サッカーW杯」の中継を見たのです。
 そこは、プラティニ、ジーコ、リネカー、ルムメニゲなど、数々の名選手が素晴らしいプレーを披露する、まさに「夢の世界」でした。しかし、その大会に参加したあらゆる名選手も、たった1人の天才の前に霞んでしまったのです。その天才とは、言うまでもないでしょう、「マラドーナ」です。
 誰にも止められないドリブル、ピンポイントで送られるパス、完璧なボディバランス。小さな体から繰り出される数々のスーパープレーに、私たちは眠気も忘れてテレビに釘付けになりました。決勝戦のキックオフ直前にマラドーナがセンターサークルで見せた華麗なリフティングなどは、マネをしたくてずいぶん練習したものです。
 とまぁ、私もマラドーナに関しては一言も二言もある世代なのですが、せっかくですから、あちらにいらっしゃる専門家の方々のお話に耳を傾けてみませんか?いえ、私もぜひ聞いてみたいので……



image ■ 白石美帆さん(タレント)の

「コンフェデレーションズ杯」の話

 コンフェデレーションズ杯が始まる前に「日本はどこまで行くと思いますか?」というアンケートを採ったら、一番多かった答えが「良くて予選2位通過」だった。ところがまさかの準優勝。あそこまで日本代表がやると思っていた人は、ほとんどいなかったハズ。
 でも、今回は新潟と横浜でやった試合を会場で見たんだけど、スタジアムの熱気は凄かった。特に、中山選手が途中交代で出てきた瞬間は、「待ってたよ、ゴンちゃん!」みたいな空気で、一気にスタジアム中が盛り上がった。
 初戦を見ていて思ったのが、選手には何かプレッシャーのようなものが掛かっているな、ということ。ところがそれが、小野選手のフリーキックが決まって、プチンと切れたような感じがして。それからの選手たちのパフォーマンスは素晴らしかった。
 ブラジルと引き分けたのもスゴイと思う。残念ながら鹿島スタジアムへは行けなかったんだけど、W杯に向けた改装後のこけら落としの試合を見に行ったら、素晴らしいスタジアムだった。2階席から海は見えるし、何よりスタンドからピッチまでわずか14mという近さ。しかもスタンドの傾斜が急なので、その臨場感は最高だと思った。

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image ■ 金子達仁さん(スポーツライター)の

「マラドーナ」の話

 マラドーナが初めてアルゼンチン代表に入ったのは、マラドーナがまだ17歳の時だった。その時はW杯へ向けた最終合宿まで残ったものの、最後の選考でマラドーナは落とされてしまう。それは当時、まだ軍事政権下だったアルゼンチンの代表チームには「絶対に勝たなくてはならない」という圧力が掛かっており、マラドーナという素晴らしい才能を持つ選手の将来を考えた上で、メノッティ監督が下した決断だった。
 そしてその翌年、日本でワールドユース選手権が開かれる。ここではマラドーナは堂々アルゼンチン・ユース代表のキャプテンとしてピッチに現れた。その大会の準々決勝、アルゼンチンが大差を付けてリードした場面で、やはりユース代表チームを率いていたメノッティ監督は、マラドーナを休ませるべく途中交代の指示を出した。ところがマラドーナは、ベンチに下がってから号泣したらしい。それは前年のW杯に出られなかったマラドーナの「今度は全試合にフル出場して、アルゼンチンを優勝に導く」という決意が流させた涙だった。マラドーナという選手は、それほど負けず嫌いな、勝つためには全てを犠牲にする選手だった。
 そのマラドーナが初めてW杯の舞台に登場したのは、1982年のスペイン大会だった。しかし、「これからはマラドーナの時代」と言われながら、マラドーナは反則の海に沈んでしまう。ユニフォームを引き裂かれ、後ろから蹴られ、倒され、そしてついにチームの敗北が決まった瞬間、マラドーナは相手の反則に激高し、相手の腹部にスパイクの裏で蹴りを入れてしまった。当時のアルゼンチン代表は「マラドーナさえ潰せば何とかなる」というような弱いチームではなかったのだが、それでも「とにかくマラドーナは潰さないと、どうしようもない」という状況が生んだ反則は、信じられないくらい悪質だった。現在のレフェリングの基準なら、最後となったイタリア戦は4人以上の退場者が出ていたはず。というより、むしろ、そのレフェリングの基準を変えたのがあの試合であり、マラドーナだったと言えるかもしれない。
 マラドーナが変えたもの、と言えばもう1つ。「ファールを受けたふりをする」選手というのもマラドーナが最初だった。それは悪質なファールを受け続ける内に、自分の身を守るために身につけた技術だったのかも知れないが、世界中の子供たちがマラドーナを見て育った結果、世界中に「演技をする」選手が生まれてしまった。
 1982年のW杯以降、悪質なファールを受け続けたマラドーナは、骨折などの怪我もあって、徐々にその輝きを失っていく。たとえ1986年のメキシコW杯で、伝説の「5人抜き」を披露し、念願のW杯優勝を果たしても、サッカーボールを無邪気に追い、その天才を余すところ無く見せてくれるマラドーナは、2度と帰ってこなかった。

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image ■ 水沼貴史さん(サッカー解説者)の

「1979年ワールド・ユース大会」の話

 1979年のワールド・ユースでは、僕も選手として参加した。日本で開催される大会ということで、2年前から強化プログラムが組まれ、本当に死ぬかと思うくらいキツイ合宿を行ったりした。
 その大会で日本に来たのが、アルゼンチン・ユース代表のキャプテン、マラドーナ。噂ですごい選手だ、という話は聞いていたんだけど、実物を見たのはその時が初めてだった。ホテルで見掛けて、気軽に「だぁ!」なんて手をあげて挨拶してみたんだけど、短パンの下に見える足を見た瞬間、「違う」と思った。その太股の異様な盛り上がりと言ったら、2年間強化を重ねた僕たちの太股が貧弱に見えるほど。「コイツの筋肉は付けたんじゃなくて、最初っから付いてんだろうな」と思うしかなかった。
 ユースというのは17〜19歳くらいの選手の事なんだけど、アルゼンチンのユース代表はその歳でみんなプロだった。それで、ヤツらは秋葉原へ行ってステレオを買ってきて、ホテルでガンガン音楽を掛けるから、うるさいのなんの。「やっぱプロになって、お金を持つと違うな」なんて高校生としては考えていたけど。
 僕たち日本ユース代表が戦った相手は、スペイン、アルジェリア、メキシコの3カ国。スペインに1-0で負けたんだけど、スコア以上に「違い」みたいなものを感じた。そしてアルジェリア戦は0-0、メキシコ戦は1-1。その最初で最後の1点を僕が入れたときは、チームのみんなで喜んだのなんの。シュートが決まって、アシストをした選手のところへ駆け寄って、抱き合って喜んで、その時にはもうキーパーがそこまで来ていた。ツラかった合宿とか、強い相手とか、それでも応援してくれたサポーターとか、いろんな事が頭の中を駆けめぐって、みんな涙目になってしまった。
 その後、マラドーナはどんどん有名になっていったけど、最初に感じた「すごい選手だな」という印象は、最後まで変わらなかった。

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image ■ アレックスさん(サッカー選手)の

「ブラジル人が見たマラドーナ」の話

 1990年のW杯、決勝トーナメントの1回戦で、ブラジルとアルゼンチンが激突した。0-0でブラジルが押しまくっていた後半、突如その存在を示したのがマラドーナだった。それまで、まったく試合から消えていたマラドーナが、必殺のスルーパスをカニージャに通した。ブラジル人としては、アルゼンチンというチームにやられたというよりは、マラドーナ個人にやられたという感じだった。
 その時、マラドーナをマークしていたのはアレモーンという選手だったんだけど、実はこの選手、セリエAのナポリではマラドーナとチームメイトだった。だからファールで止められなかったんじゃないか、なんて言われて、ちょっと可哀想だった。
 ブラジルとアルゼンチンは南米でライバルのように言われていて、やっぱり対戦するときはお互いに絶対に負けたくない相手だけど、個人としてのマラドーナという選手は凄いと思ったし、好きな選手だった。左足が得意というのは僕と同じだし。
 W杯というのは、世界中のスターが集まる大会。その中で活躍できる選手は、本当に凄い。

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image ■ 釜本邦茂さん(日本サッカー協会副会長)の

「ストライカー」の話

 ストライカーを育てようとしたら、教えられることはせいぜい半分。ストライカーは、先天的な才能に依る部分が、他のポジションに較べて非常に大きい。
 ストライカーと言っても、いろいろなタイプがいる。たとえばマラドーナやペレ、クライフのような2列目から出ていくストライカーもいる。ここで問題にしているのは、そういうタイプじゃなくて、前線に張っているタイプのストライカー。ゴールを背にして、敵のディフェンダーを背負って、ボールを受ける。その時に、いかに素早く反転するか、これが難しい。
 もちろん、ポストプレーと言って、背中のディフェンダーと押しくら饅頭をして、ボールを1度後ろに下げ、他のヤツにシュートを打たせる場合もある。でも、それだけじゃダメ。何よりもまず、前を向くことを考えなくては。ポストプレーの時だって、次の瞬間には反転してゴールへ向かっていかなくてはいけない。
 ストライカーの仕事は、点を取ること。人に点を入れさせることじゃない。今の選手は、みんなゴール前でシュートを打たず、人にパスをしてしまう。それでは点は入らない。
 ゴールの右斜め前からドリブルしてきて、キーパーと1対1になったとする。さらに中央には、フリーの選手がいたとする。僕が30歳の時だったら、パスをしたかもしれないけど、24歳の時だったら、まず間違いなくシュートを打っていた。ストライカーには、そういう気持ちが必要。
 だから僕はよく言っているんだけど、ストライカーには特別な訓練が必要だと思う。ゴールキーパーと同じで、最初のウォーミングアップは一緒でも、その後は別メニューでトレーニングをする。周りも「お前が点を入れるんだ」という態度で接して、「今日は勝った、けどお前は点を取っていないからダメだ」と言い続ける。
 その上で、その選手が点を取るためにどんな練習をするか。それくらいやらないと、本物のストライカーは生まれない。

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放送曲目リスト

Time Title Artist Label Number
7'15" This Dream Nancy Wilson Capitol 0777 7 80409 2 7
19'38" That Certain Feeling Jo Ann Greer Capitol CDP 7 96792 2
31'58" Deed I Do Bing Crosby Verve POCJ-2666
35'52" Lobo Bobo Joao Gilberto EMI 364 792848 2
47'00" Love Is Just Around The Corner Frank Sinatra Reprise WPCP-5793


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