新しい時計を買うたびに「これで最後にしよう」と思うけど、それは無理な話。昔の人は時計を一つ買ったら「一生モノ」だったかもしれないけど、今は違う。古い時計、新しい時計、変わった時計…、時計の可能性が広がって、いろんな時計が手に入るので、つい違う時計が欲しくなる。いわば、怒られない浮気みたいなもの。
僕が好きなのは、クォーツよりも機械式の時計。一種のノスタルジーかもしれないけど、「人間が作っている」というところに面白みがあると思う。昔と較べて、機械でつくっている部分もかなり多くなっているけど、いまだに手作りを続けている人もいる。時計を人間の手で作るには、もの凄い忍耐力と視力、そして集中力が必要なんだけど、そうやって人間の手で作られた時計は本当に良い。1個の時計に入っている部品は100〜400個。その部品がバラバラになっている状態から、最後まで全部一人で組み立てる人もいる。横で見ていると、本当に大変な仕事だと思う。
時計のデザインも、これまでにいろんな技法が考えられてきた。文字盤やケースなんかは、一番外側で目立つ部分なので、やっぱり一番凝る部分。僕はメカ好きなので、つい先に中の機械の方を見ちゃうけど。18世紀の天才時計師プレゲーが作った時計なんか、本当に凄い。たぶん、時計のことだけじゃなくていろんな事を知っていた人だったんだと思う。スイスのルッツェルンにいたエクシン博士も凄い。その人が作った天文時計は、天体の動きが全部時計の中に入っていて、日食や月食のタイミングさえ時計が教えてくれる。
時計の精度というのは、実は偶然性のたまもの。もちろん、なるべく正確な時計を作ろうとしているんだけど、「姿勢差」と言って上下左右の時計の向きによって、どうしても微妙な誤差が生じてしまう。ところが、何年かに1度、姿勢度0の時計が生まれる。これは本当に偶然にしか生まれないので、気付かずに普通に売られている。かつてオメガで姿勢差0の時計が作られた時も、その検査記録だけが残されて、時計自体はスペインであっさり売られてしまった。今は記録紙だけが博物館に残されている。
でも、本当のことを言えば、時計というのは使っている人の体温や環境によって狂ったり合ったりするもの。だから買ってから調整していけば、その人にとって「正確な」時計になっていく。だから時計の精度というのは、大事ではあるけど、ナンセンスなものでもある。