SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2001年1月20日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「芸談」

 当店 "AVANTI" は、芸能関係者のお客様が多くいらっしゃいます。
 1960年代、この店が進駐軍向けの将校クラブから普通のレストランにリニューアルした頃は、六本木や麻布界隈のイタリアンレストランと言えば、芸能関係者などばかりが訪れる最先端のスポットだったそうですね。
 あちらのカウンター席にいらっしゃる、いかりや長介さんや山城新伍さん、橘屋円蔵さんは、その頃からの常連さんだとか。そういった方々の芸談は、この店一番の宝物でもあります。その話し声に、聞き耳を立ててみませんか?




  • いかりや長介さん(俳優)の

    「荒井注」の話

     ドリフターズのメンバーで、一番最初に決まったのは、確か高木ブーだった。それから荒井注で、その次が仲本工事。
     一番可笑しかったのは、荒井注。「誰かピアノはいないか」って探してたら、オーナーから「こういうのがいる」って紹介されたのが荒井注だった。「ウチはコメディやるけど、それでも良い?」って聞いたら、「良いよ」って言うし、明日にでもピアノが欲しい時だったから、その場で即決した。でも、「じゃあ飲みに行こうか」と言って立ち上がったら、やけに小さい。座っているときは顔が大きいから気が付かなかった。
     当時、バンブルブギという音楽が流行っていて、ジャズメンなら誰でもやっていた。そいつで何かネタを考えようと思い、荒井注に「バンブルブギやってくれよ」と言ったら、「冗談いうんじゃねぇよ」。それじゃあと考えて、今度は「乙女の祈りやってくれよ」と言ったら、「ふざけんじゃねぇよ」。確認しなかったこっちもうかつだったんだけど、ピアノで出来るのは、なんと三連符で一定のリズムを刻むことだけだった。ねこ踏んじゃったすら弾けない。でも、あの調子で「できるわけねぇだろ」と言うので、腹が立つより先に笑ってしまった。
     映画の時も可笑しかった。バンドマンなんて夜の商売なのに、映画の撮影は大船で朝9時から撮影だったりする。それで、朝早く大船の駅でタクシーを待っていたら、荒井注が不機嫌そうな顔をしていた。年長者に気を使って「寒いねぇ」って言ったら、「オレのせいじゃねぇよ」。「眠いねぇ」と言ったら、「だからどうしたい」。荒井注はマジギレしてて、本気で言ってるんだけど、絶妙の間で返ってくるから、可笑しいったらなかった。

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  • THE DRIFTERS(ファンサイト)
  • 我が青春のドリフターズ(ファンサイト)
  • ドリフターズの世界(ファンサイト)
  • 追悼 荒井注「なんだバカヤローでさようなら」
    (「むさしのワンダーランド」)



  • 山城新伍さん(俳優)の

    「勝新太郎」の話

     若山富三郎さんと勝新太郎さんの兄弟とは、かなり親しくさせてもらっていて、その二人の話を「おこりんぼさびしんぼ」という本にさせてもらった。
     勝さんにとって永遠のライバルは、三船敏郎さんでも鶴田浩二さんでもなく、若山さんだった。若山さんにとっても、ライバルは勝さん。だから相手がいい仕事をした時は、もの凄く仲が悪くなった。これは本物の役者ならではの感情で、歌舞伎役者の兄弟にも時々ある。
     津川雅彦が勝さんの葬式で、「これからオレ達は、自分が良い芝居をしたと思ったときに、誰に誉めてもらえばいいんだ」って言ったけど、これは本当にその通りだと思った。役者が誉めてもらいたいのは、評論家でも監督でもない。勝新太郎に誉めてもらいたかった。勝さんはあらゆる芸事を見て、どんな芝居でも冷静に批評する人だったから、勝さんに「あそこの芝居は良かったね」と誉めてもらえることが一番嬉しかった。
     映画監督としての勝さんは、15分間の演出だったら日本一だと思う。気持ちが持続しなかったり飽きちゃったりするので、生意気を言わせてもらえれば、勝さんの映画は必ずしも良いとは言えないんだけど、凝って押すところの演出は最高。
     僕が実際に勝さんの映画に出演したときも、こんなことがあった。僕の役はちょっとグレてる米問屋の若旦那。賭場でスッカラカンに負けて、「女房を置いて行け」という話になってしまう。そこで、「女房には手を付けないでくれ、必ず金を持って帰ってくるから」と趣旨のセリフを、勝さんはアドリブで言えという。しかも、高木均というヤクザ役の俳優に「新伍のセリフが信用できなかったら、その場で斬ってくれ」と言う。この後、夫婦のよりが戻って、二人で旅立っていくという筋なのに、どうするつもりなのかと思ったら「それは何とかなるから」だって。こっちも面倒くさくなって、「高木さん、勝さんには内緒だけど、お願いだから斬って」って言ったんだけど、高木さんはさすがに「じゃあ待ってるぞ、三日だぞ」と言った。後になって、勝さんは「殺してくれって言ったんだって」って笑ってたけど。
     そういう現場は、すごく楽しかった。「なんで台本通り覚えて、その手順で動くんだよ、つまんねぇよ」なんて勝さんは言ってたけど、ひょっとして、黒澤さんにそんな意見を言ったとしたら、そりゃ揉めるだろうと思う。黒澤さんは絵コンテの1枚1枚と変わらないように演出する人だったから、才能がどうこうというというより、タイプが合わなかったのだろう。

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  • 勝新太郎(「日本映画データベース」)
  • CinemaScape/勝新太郎(「CinemaScape−映画批評空間−」)



  • 首藤康之さんと
     斎藤友佳理さん(バレエダンサー)の

    「ジゼル」の話

    (斎藤さん)舞台に出た瞬間に、お客さんの圧力を感じる。でもその圧力は、その日のお客さんによって、後ろに押されるような圧力だったり、暖かく引っ張っていってくれる圧力だったり、いろいろ。言葉では言い表せない不思議な感覚だけど、その圧力は確実に存在する。
    (首藤さん)自分の精神状態も影響しているかも知れない。自分に自信がないときは当然重圧を感じるし、つい「1万円以上するのか…」なんてチケットの値段とかも考えちゃう事もある。500円以上取るならプロだと思ってるので、もちろんそれで演技を変えるワケじゃないけど、多少のプレッシャーは感じてしまう。
    (首藤さん)「ジゼル」の時は凄かった。斎藤さんが、イタリアのダンサーの代役で舞台に立ったんだけど、そのイタリアのダンサーがわざわざイタリアから来て、舞台が始まる前に「今日は病気で出られなくてゴメンナサイ」って挨拶をした。僕はたまたま客席で見ていたんだけど、お客さんも「あんなに痩せこけちゃって、病気なのに、わざわざ日本まで来て…」って涙ぐんでしまって。その1分後に舞台に出ていったら、そんなに人間、気持ちを「切り替えられるものじゃないから、もう大変。
    (斎藤さん)私は「来て下さった方たちに、私の踊りを見て良かったと思ってもらえるようにしよう」と、私の持つエネルギーを全部ぶつけたのに、まるで鉄の板に跳ね返されるように、まったく歯が立たなかった。とにかく恐かった。
    (首藤さん)でも、客席から見てても、時間が経つに連れて空気が変わっていくのが分かった。そして2幕が終わる時には、完全に彼女の世界に魅了されていた。あれは不思議な体験だった。
    (斎藤さん)本当にそうなっていたかどうかは、実は分からない。というのは、あの時私の中では、ただ曲だけが耳に入ってきて、それに合わせて踊れていたから。でも、終わったときは、客席から暖かい空気を感じる事が出来た。恐かった舞台だったけど、嬉しかった舞台でもあった。

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  • THE TOKYO BALLET(公式サイト)
  • 首藤 康之(「東京バレエ団」)
  • 斎藤 友佳理(「東京バレエ団」)



  • 橘家円蔵さん(落語家)の

    「桂文楽」の話

     落語の稽古は、基本的に師匠と1対1の差し向かい。でも、最近はもったいないって事で、「いついつに稽古してやるから、みんな呼んでこい」となる。そうなると、もう大変。みんな押し掛けて、録音のためのカセットが並び、ちょっとした記者会見みたいになる。
     私が習った師匠の中にはずぼらな人もいて、稽古に行ったらまだご飯を食べていた事もあった。食べ終わって「じゃあ、やろうか」と言うや否や、いきなり「昔はってぇと…」なんて噺を始める。手拭いも扇子もなしで、さっきまで使っていた箸を持ってやるんだから、これには参った。
     その点、文楽師匠はキチッとしていた。振り子時計を止めさせて、ちゃんと着物を着てピシッと帯を締めて。しかも当時、お座敷で一席やれば5万円、今なら50万円の人が、ただで教えてくれるってんだから、これは恐縮してしまう。「あぁ…和泉屋のクッキーだけじゃ悪かった、せめて福神漬けも一緒に入れてやれば良かった」なんて考えたり。
     落語の稽古で、師匠がやって見せてくれるのは1回だけ。その1回で覚えなくちゃならない。でも、全部が全部覚えられるわけじゃないからか、寄席で文楽師匠がやる時は、「今日は『寝床』やるよ」なんて教えてくれた事もあった。
     これはコックさんに聞いた話なんだけど、普段コックさんは、使ったフライパンをすぐに流しの水に漬けてしまう。ところが、そこに気に入った弟子がいれば、スッとそのフライパンを弟子に渡す。そうすると、弟子はフライパンに残ったソースを指ですくってなめて、味を覚えることが出来る。
     文楽師匠が「今日は『寝床』をやるよ」と教えてくれたのは、そのコックのフライパンと同じ。「ちゃんと聞いて覚えなさい」という意味。

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  • 落語のバーチャルワールド
  • 落語検索エンジン「ご隠居」



  • 片岡孝太郎さん(歌舞伎役者)の

    「女形」の話

     どんな歌舞伎役者でも、一度は「女形」を経験する。それは「立ち役(男性役)」をやる上で、男の色気を出すために一度は女を学んでから、という趣旨。で、「やっぱり女形の方が向いてるかな」という話になると、そのままずっと女形をやり続ける。
     中村歌右衛門さんや中村芝翫さんの「成駒屋」は、代々女形の家系。でも、中村芝翫(しかん)さんの息子、橋之助さんは立ち役だし、人によっての向き不向きがある。
     実は、女形というのは歌舞伎では損な役回り。歌舞伎の作品は、途中でどんなに女形が活躍しても、最後に必ず立ち役に持って行かれてしまう。日本の古い世界だからしょうがないけど、中村雀右衛門という、人間国宝までになった80過ぎの女形の人が、56歳の私の父の相手役をする時に、「宜しくお願いします」と挨拶してたり、「ココはこれで良いですか?」なんて聞いているのを見ると、やっぱり歌舞伎は立ち役を立てるモノなんだ、と実感する。大先輩なんだから、「私は好きなようにやるから、アンタがついてらっしゃい」で通りそうなモノなのに、そうならないのが歌舞伎。
     歌舞伎にも著作権みたいなものがあって、例えば「助六」という作品なら市川団十郎さんの成田屋のもの。だからウチが助六をやる時は、一言お断りをする。何代か前に「当たり役」と言われる人がいると、その作品はその家のものみたいな感じになる。
     ちなみに、「屋号」と言うのは、昔は本当に物を売っていたから。裏通りにしか住めなくて、表通りに住むために、物を売る商人になったらしい。今で言えば、関連グッズ。世が世なら、ウチも原宿にお店を出していたかも知れない。

    【Hot Link !!】

  • 片岡仁左衛門家:松嶋屋(「ざ★しろ〜と歌舞伎」)
  • 中村歌右衛門家:成駒屋(「ざ★しろ〜と歌舞伎」)
  • 雀右衛門(ファンサイト)





    放送曲目リスト

    Time Title Artist Label Number
    9'56" C'est Magnifique Kay Strarr Capitol CDP 7243 8 29392 2-1
    20'55" A Lot Of Livin' To Do Annie Ross センチュリーレコード CECC-00672
    30'35" I Could Have Danced All Night Peggy Lee Capitol 7243 8 56056 28
    38'04" Blue Turning Gray Over You Andrey Morirs Bethlehem COCY-9934
    45'30" Gotta Feelin' Doris Day Columbia 477593 2

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