ティン・パン・アレーがパイオニアと呼ばれるのは、日本にちゃんとしたロックがなかった時代に、その精神性も含めて、ロックというものを作れたバンドだったから。
実は、それまでも似たような音楽はたくさんあっって、例えば50年代半ばにエルビス・プレスリーが出てきて、日本でもロックンロールが流行った時代があった。それで、平尾昌晃さんとか、ミッキー・カーチスさんとか、内田裕也さんなんかがロックンロールをやっていたんだけど、どうも当時は方法論が分からなかったらしい。それで、ジャズやカントリーの方法論でやってはみたけれど、ミュージシャン自身がついて行けなかった。
その後、グループサウンズが出てきて、ライブでは海外の曲をコピーしたりはしていたけれど、結局レコードとして出すのは、すぎやまこういちさんや浜口庫之介さんの曲。どうしても歌謡ポップスの域を脱却できなかった。
そんな中で登場したのが、ティン・パン・アレーの母体となった「はっぴいえんど」。自作の曲を、日本語で、というスタイルが、新しい時代の始まりを告げるバンドだった。
1960年代、アメリカではバンドが多かったのだが、70年代に入り、シンガーソングライターの時代になった。すると、今までアルバムにはバンドのメンバーの名前しか入っていなかったのが、バックミュージシャンの名前が載るようになる。そこで、コアなファンの間ではバックミュージシャンブームが起こり、みんなレコードの裏をジッと眺めるようになった。
それが日本のアーチストにも当てはまるようになったのも、やっぱりティン・パン・アレーというミュージシャン集団が現れてから。「細野さんがベースで入っているなら、ちょっと買ってみようか」みたいな。
細野さんと言えば、ベースの地位を確立したのもあの人。昔はバンドをやるって言ったら、3人がギターで、その中で一番下手なヤツがベースをやるって感じだった。でも、細野さんがベースを格好良く弾いたお陰で、「ベースをやりたい」っていうヤツが出てくるようになった。
普通ベースは、音を出すところでビートを刻むのだけど、細野さんは音を切るところでグルーブ感を出せる。そんな人は他にいなかった。