SUNTORY SATURDAY WAITING BAR
2000年12月9日の放送

この日の放送曲目リスト/過去の放送内容リスト

「ティン・パン・アレー」

 え? 今掛かっている曲ですか? 少々お待ち下さい……この曲は、ティン・パン・アレーの「月にてらされて」だそうです。
 ティン・パン・アレーは、細野晴臣さん、林立夫さん、鈴木茂さんの3人から成る、1970年代の初め頃に活躍したバンドで、日本で最初に自作自演のスタイルを確立した、画期的な存在でした。松任谷由実さんや山下達郎さんのアルバムにも参加して、大きな影響を与えたんです……なんて、これ全部ジェイクの受け売りなんですが。
 実は、その後ソロ活動などを続けていたティン・パン・アレーの皆さんが、つい最近、「Tin Pan」として再結成してアルバムを出したんです。それで、ティン・パン・アレー時代によく通っていたこの店に、久しぶりに3人揃っていらっしゃるそうなんです。だからジェイクは、さっきからティン・パン・アレーの曲を掛けているんでしょうね。
 あ、いらっしゃいませ……っと、細野晴臣さんがいらっしゃいましたね。ということは、後から入って来たお二人が、林立夫さんと鈴木茂さんでしょうか。それでは、私はちょっと奥で仕事をしてきますので、ごゆっくりどうぞ。




  • 萩原健太さん(音楽評論家)の

    「時代とティン・パン・アレー」の話

     ティン・パン・アレーがパイオニアと呼ばれるのは、日本にちゃんとしたロックがなかった時代に、その精神性も含めて、ロックというものを作れたバンドだったから。
     実は、それまでも似たような音楽はたくさんあっって、例えば50年代半ばにエルビス・プレスリーが出てきて、日本でもロックンロールが流行った時代があった。それで、平尾昌晃さんとか、ミッキー・カーチスさんとか、内田裕也さんなんかがロックンロールをやっていたんだけど、どうも当時は方法論が分からなかったらしい。それで、ジャズやカントリーの方法論でやってはみたけれど、ミュージシャン自身がついて行けなかった。
     その後、グループサウンズが出てきて、ライブでは海外の曲をコピーしたりはしていたけれど、結局レコードとして出すのは、すぎやまこういちさんや浜口庫之介さんの曲。どうしても歌謡ポップスの域を脱却できなかった。
     そんな中で登場したのが、ティン・パン・アレーの母体となった「はっぴいえんど」。自作の曲を、日本語で、というスタイルが、新しい時代の始まりを告げるバンドだった。
     1960年代、アメリカではバンドが多かったのだが、70年代に入り、シンガーソングライターの時代になった。すると、今までアルバムにはバンドのメンバーの名前しか入っていなかったのが、バックミュージシャンの名前が載るようになる。そこで、コアなファンの間ではバックミュージシャンブームが起こり、みんなレコードの裏をジッと眺めるようになった。
     それが日本のアーチストにも当てはまるようになったのも、やっぱりティン・パン・アレーというミュージシャン集団が現れてから。「細野さんがベースで入っているなら、ちょっと買ってみようか」みたいな。
     細野さんと言えば、ベースの地位を確立したのもあの人。昔はバンドをやるって言ったら、3人がギターで、その中で一番下手なヤツがベースをやるって感じだった。でも、細野さんがベースを格好良く弾いたお陰で、「ベースをやりたい」っていうヤツが出てくるようになった。
     普通ベースは、音を出すところでビートを刻むのだけど、細野さんは音を切るところでグルーブ感を出せる。そんな人は他にいなかった。

    【Hot Link !!】

  • はっぴいえんど・もくじ(「Media Max すみや」内)
  • TIN PAN ALLEY DISCOGRAPHY(「...oouchi's...」内)
  • Kenta's(萩原さんの公式サイト)



  • 長門芳郎さん(音楽プロデューサー)の

    「ティン・パン・アレーの全国ツアー」の話

     ティン・パン・アレーは、当時の日本の中ではずば抜けた存在で、世界に通用する音楽を作っていた。ところが、いかんせんマネージャーが経験不足だった。そのマネージャーというのが僕だったんだけど。
     ティン・パン・アレーの中でも、僕はほとんど細野さんと一緒だったので、いつもスタジオの行き帰りの車の中で、カセットを聴かせてもらっていた。それがエキゾチック・ミュージックだったり、ハリウッドの昔の映画音楽だったりして、そういう部分はかなり影響を受けた。
     普通、コンサートが終わると、みんな遊びに行くものだけど、ティン・パン・アレーの面々はホテルの部屋に戻って、本を読んだりするようなマジメな人達だった。
     ツアーで全国を回った時は、本当に小さな町まで回った。北海道の歌登(うたのぼり)という町の事をよく憶えているんだけど、小さな公民館に町の人達が約100人、ほとんど全員が集まって、その前で手抜きは一切なしのライブをやる。もちろん、ティン・パン・アレーの事なんか見たことも聞いたこともない人ばかりだったけど、みんな感動してくれて。そこのお母さん達がみんなでおにぎりを作ってくれたのが、すごく印象に残っている。
     この歌登のライブには、さらに後日談があって、そのライブを見た娘さん、けっこう可愛い娘だったので憶えているんだけど、その娘が「お見合い写真」をクラウンレコード宛てに「鈴木茂さんに渡して下さい」って送ってきた。一目惚れだったらしい。惜しくも、その恋が実ることはなかったんだけれど、東京ではなかなか聞けない良い話だと思う。

    【Hot Link !!】

  • 歌登町(「わっかない観光ガイド」内)



  • 伊藤銀次さん(ミュージシャン)の

    「僕の見たティン・パン・アレー」の話

     あの頃、僕たちは本当に生活できなくて、スタジオのギターワークで何とかしのいでいた。そんな時に、よく使ってくれたのが松任谷正隆クンと矢野誠さん。そういう所で、ティン・パンの人と一緒になったり、サディスティック・ミカ・バンドの高橋幸宏クンも居たりと、みんなひとかたまりで動いていた感じがする。
     昔からやっているベテランのスタジオ・ミュージシャンもいたんだけど、松任谷クンや矢野さんのような新しいクリエーターは、僕みたいな新しい人を好んで使っていた。松任谷クンに呼ばれて行ってみたら、コードが書いてある譜面しかなくて、「銀次、なにかパターン考えてよ」なんて感じで、結構好きにやらせてもらっていた。ベテランのスタジオ・ミュージシャンだと、みんな上手いんだけど、基本的にジャズ上がりで、譜面はびっしり書き込んでいるのが当たり前だったから、やりにくかったのかも。僕なんか、もともと譜面は読めなかったし。
     そうやって仕事をしていく内に、レコードにコーディネーターとして名前が載るようになって、別の所からも仕事の依頼が来るようになった。スライド・ギターの仕事だ、と言われて喜んで行ったら、ジョージ・ハリスンのようなフレーズをダブルで真っ黒になるまで書き込んである譜面を渡されたりして。最後は居残りで「すみません、口で言って下さい」なんて言ってた時代だった。
     ティン・パン・ファミリーと仕事をしていて驚いたのは、仕事が早い!という事。松任谷クンが最初に「今日はニューオリンズで行くから」と言うと、ドラムを叩き初めて、そこに細野さんがベースを付けて、ギターがついてくる。最初に決めておくのは大まかなリズムとコード進行ぐらいで、その場その場でアイデアを出し合って、どんどん作っていく。自分のバンドと較べて、そのスピードには本当に驚かされた。

    【Hot Link !!】

  • History Of Ginji(ファンサイト)



  • 大貫妙子さん(シンガー)の

    「私の見たティン・パン・アレー」の話

     「シュガー・ベイブ」というバンドが、1枚アルバムを作っただけで解散してしまい、もう1枚のアルバムのためにそれぞれのメンバーが作った楽曲が残された。その曲を、自分でアルバムにしてソロデビューしたのが私や山下達郎クン。その時に、私と山下クンの音楽の趣味があまり重ならない事もあって、私がサポートをお願いしたのが、ティン・パン・アレーだった。
     実際、ティン・パン・アレーの面々と一緒に仕事をしてみると、とにかく「うまい」という事に驚かされた。私をはじめとしてシュガー・ベイブのメンバーはテクニックがなかったので、とにかくリハーサルだけは必死にやった。ところがティン・パン・アレーは、細野さんのキーボードも松任谷さんのキーボードも、そんな必要がないくらい上手い。しかも、自分の中で思い描いていた以上の演奏をしてくれるし、音楽に関する知識も非常に豊富なので、「こうすればこんな音が出てくる」みたいな引き出しも多かった。
     そうやって、細野さんや松任谷さんに助けてもらいながら、いろいろ試すことが出来た。ティン・パン・アレーは、自分が作りたかった音楽の1つ目の扉を開けてくれた人達だった。

    【Hot Link !!】

  • TAEKO ONUKI(公式サイト)
  • 大貫妙子 Excellent Step(ファンサイト)



  • 細野晴臣さん(左)
     林立夫さん(中)
     鈴木茂さん(右)
      (Tin Pan)の

    「ティン・パン・アレー」の話

     ティン・パン・アレーや他のミュージシャンを指して、「昔はいいミュージシャンが集まっていた」なんて言う人がいるけど、今と昔では状況が違う。
     今はプロダクションだの何だのと、音楽関係のビジネスをしている人がいっぱいいて、たくみに唾を付けて抱え込んで、場所によっては自分の抱えているタレントを色々分解して新しいバンドを作ったり、いろんなやり方をしている。
     昔はみんな一匹狼で、自由に動いていた。だからやる気のある人は自然に集まっていたし、いつの間にかいたりした。歌謡曲とは一線を引いていたというか、最初から違うフィールドだったし。ミュージシャンという意識はあったけど、いわゆる「芸能界」に所属しているつもりは全くなかった。親戚に説明するのには困ったけど。
     音楽が好きで、ただただそれだけをやっていた。有名になりたいとか、モテたいという人はいなかった。いたのかも知れないけど、「あれ?ココは違う?」って気付いて、いつの間にかいなくなっていたんだろう。
     結果として、集団でいろんな事をやってきたという風に見えるかも知れないけど、本当のところはすごく少数の、マイノリティの集団に過ぎなかったと思う。今になってティン・パン・アレーが輝かしく見えるかも知れないけど、当時は思いっきり地味だった。全然ビジネスにもなっていなかったし。でも、その事には疑問を持たなかった。レコーディングスタジオに入って、レコーディングするっていうだけで嬉しくってしょうがなかった。
     今になって、「自分はティン・パンの一派だ」って言ってくれる人がいっぱい出てきて、それが「オイオイ、スタジオで会ったことないよ」みたいな人だったりするんだけど、そういった意味ではティン・パンって流動的だったから、誰がいたって構わない。坂本龍一がいても良いし、矢野顕子、浜口モトヤ、斎藤ノブ、佐藤ヒロシ、最近では高野クンが手伝ってくれたり、いろんな人が出たり入ったりしていた。
     いっその事、会員証でも作って、会費取ってビジネスにしてみる?

    【Hot Link !!】

  • DWWW(音楽レーベル「daisyworld」の公式サイト)
  • Tin Pan / Tin Pan(「DWWW」内・real palayerで最新盤の試聴も)
  • Tin Pan インフォメーション(「DWWW」内)
  • quiet lodge(「DWWW」内・細野さんの公式サイト)





    放送曲目リスト

    Time Title Artist Label Number
    9'05" 月にてらされて ティン・パン・アレー 日本クラウン CRCP-134
    19'16" ひとつだけ片想い 荒井由実 Alfa 32XA-125
    26'12" 北京ダック 細野晴臣 日本クラウン CRCp28076
    30'45" ダンシング いしだあゆみ 日本コロムビア CA-4478
    37'29" 大貫妙子 日本クラウン CRCP-188
    46'05" ソバカスのある少女 ティン・パン・アレー 日本クラウン CRCP-134
    50'41" ボン・トン・ルーレー ティン・パン Re-Wind RWCL-2009

  •  Back