「師匠」
人類は、個人の技術や経験を後の世代へ継承することによって、文明を進歩させてきた。その継承の最も代表的な形式が、師弟という関係である。
面識もないのに「師」と仰いでいる場合も多い。いわゆる「心の師」というヤツである。実業家にとっての松下幸之助、喜劇人にとってのチャップリン、野球選手ならベーブルース、と言ったところがポピュラーだ。
「師匠」が何人もいる人もいるかも知れない。酒飲みの師匠、スキーの師匠、パソコンの師匠、中には、女声の口説き方の師匠をお持ちの方もいることだろう。
師は尊ぶべし。されども、師は乗り越えるべし。今日はそんな「師匠」の話に、聞き耳を立ててみよう。
米長邦雄さん(棋士)の
「将棋」の話
将棋の棋士には必ず師匠がいるけれど、その師弟関係のきっかけになる縁は様々。最近は親が熱心で、「ウチの子供を弟子入りさせて欲しい」と言ってくるケースが多い。でも大抵の場合は、プロになる素質がないので、まず連れて来させないようにするのが師匠としての仕事のようなもの。
プロになれるほど強い子供なら、向こうから来る前にこちらに情報が伝わってくる。その子がプロになりたいという気持ちを持っていれば、周りの大人が放っておかない。そういう大人の紹介があって、初めて「会ってみようか」という話になる。
プロを目指す子供は沢山いるけど、小学生の頃は自分で天才だと思っていても、20歳くらいになったら「やっぱり向いてないんじゃないか」と思うケースが一番多い。将棋のプロになるとは、それくらい厳しい事。
逆に言えば、小学生の時に「この子は15年後に名人になる」と言われた本当の天才は、ほとんどその通りになる。谷川浩司、羽生善治など、歴代の名人は皆、小学生の時から日本一になるコースが決まっていた。
どこが違うのかと聞かれても困るんだけど、プロの目から見ると、やっぱりどこか違う。例えば、誰が見ても「負けだろう」と思う局面になったとする。すると、何故か相手が「まさか」という見落としをして、勝ちを拾う。周りから見ていると、ただ単にツイていただけのように見える。けれど、それがプロの将棋の世界で「天才」と言われる人たち。
そもそも将棋の世界は、努力をするようではダメ。努力というのは、嫌なことを一生懸命やること。好きな事を一生懸命やるのは遊びと言う。将棋が好きで、放っておいても将棋しかやらないような人間でなくては、プロになれない。
羽生善治の場合は、お母さんから「ウチの子はご飯を食べる時とお風呂に入る時以外はずっと将棋しかしていないんですが、体に悪いんじゃないでしょうか?」と相談されたくらい。今にして思えば、あの時に「そりゃあ体に悪いから、止めさせなさい」って言っておけば良かった。
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米長邦雄ホームページ
第58期名人戦(「Mainichi Interactive」内)
梶谷景美さん(ビリヤードプロ)の
「ビリヤード」の話
私の場合は、ビリヤードを教えてくれた「師匠」がいた。
その人は、夫婦でビリヤードのプロをやっている、島崎さんという人。島崎さんのお店で働きながらビリヤードの指導をしてもらったんだけど、かなり厳しい師匠だった。
1週間くらい口を利いてくれない、なんて事はザラだった。「こういう突き方と、こういう突き方と、こういう突き方があるから、自分で練習して、自分に合う突き方を探しなさい」と言われて練習していたら、全然口を利いてくれなくて。その1週間後に、やっと口を利いてくれたと思ったら、「全然言ったことやってないね」と言われたり。
師匠と練習試合をしてもらったこともあるけど、10分か15分くらいで「もうやめ」と打ち切られる事がほとんど。で、また1週間くらい口を利いてくれない。11年そのお店にいたけれど、練習試合をしてくれたのは7〜8回。その内、一番長く続いた試合で20分。7ポイント先取で2対1ぐらいだったと思う。
結局、同じ事を何度も注意するのが腹立たしかったみたい。「何で止め言うたかわかるか?なんべん言っても分からへん。毎日、紙に書いて読め!」と言われたこともある。歳が離れていたので、親子のような感じでキツイ言い方もしやすかったのかも。
でも、そんな師匠も、試合に勝つと「おう、やったな」と必ず誉めてくれた。弟子って、特に女の子の場合、そういう所で「また頑張ろう」と思えてしまう。
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Pocket Billiards Homepage(梶谷プロと宗田プロによるビリヤード講座など)
JPBA名鑑 梶谷 景美プロ
国本武春さん(浪曲師)の
「浪曲」の話
ウチの師匠は東屋コウラクって言って、垢抜けた人というか、偉い人だった。
ま、私がどんな浪曲をやってるかなんて、見に来ないから知らなかったんだけど。「お前、今、なにやってんだ」「ロックで浪曲やってるんですよ」「おう、ロックか、昔ロックは流行ってたんだよな」って、浅草のロック座と勘違いしてたし。
そうしたら、師匠が87歳の時に「一度見に行くから」と言われてしまった。どうせ忘れるだろうと思って放っておいたら、私に黙って、渋谷のエッグマンのライブに来てしまった。ところが、エッグマンは地下のライブハウスなので、師匠は場所が分からなかったらしく、「そういうのをやるんだったら、ノボリでも立てなきゃ」と言われてしまった。
そして私のライブを見た師匠は、変なことで誉めてくれた。「アンタは大したものだ。親戚でもないのに、客が立ち上がってくれる。ああいうのは、戦前に東屋ラクエン先生が、乃木将軍の『おい、コラコラ』という台詞を言って、客が気を付けをした時以来だ」だって。要するに、伝統にはこだわらず、お客さんが来て喜んでくれていることを評価してくれたんだけど。
いくら柔和な師匠でも、腹にいろいろあるんじゃないかと思って聞いた時も、「いいんだいいんだ、もっとやれ」と応援された。結局、昔の浪曲は、探偵モノで「悪漢待て〜」と追い掛けながら舞台から引っ込む人とか、下から手品の道具を出す人とか、いろんな人が居たらしい。ところが最近はすっかり偉ぶって、同じ事しかやらない。その現状を憂いていた人だった。
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浪曲 国本武春 よっ!日本一(ファンサイト)
引田天功さん(マジシャン)の
「先代・引田天功」の話
私が初めて先代に会ったのは、13歳の時だった。その頃、私の出身地・新潟ではマジシャンという職業は認知されていなかったし、テレビでもやっていなかったので、引田天功と聞いても誰だか分からなかった。アシスタントととして働くことが決まって初めて先代に会った時も、金縁の眼鏡にパンチパーマのオジサンが出てきて、いきなり「ちょっと催眠術かけるからね」と言われて引いてしまった記憶がある。
そして、その数年後、これを最後に先代は脱出モノから引退、という番組が行われることになった。ところがその脱出劇の舞台は、富士山の中腹。当時、心臓を悪くしていた先代は、気圧の関係でそこまで登ることが出来ない。じゃあ誰か代わりの人を、という事で私に白羽の矢が立った。
私の他にもベテランの弟子はたくさん居たのに私が指名されたのは、「若い女性の方が視聴率が取れるから」という、番組の話題作りの為だった。他の弟子のみんなの反発も大きかったけど、番組のプロデューサーと先代の意向で決まってしまった。そしてその時、ヘリコプターの乗り方とか、時間の数え方とか、基本的な技術を教えてもらった。
その後、私が二代目を名乗った時、すでに二代目・引田天功を名乗っていた弟子は他にも何人か居た。中には、整形手術で先代そっくりの顔にしていた人も居たほど。でも、後援会の人達が「このままでは引田天功という名前がメチャクチャになってしまう」と考え、私が正式に二代目を名乗ることになった。
そんな事情で私が二代目になったけど、たぶん先代は、弟子を取ってはいても、二代目を名乗れる人がいるとは思っていなかったと思う。
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引田天功(インタビュー記事)
プリンセス・テンコー「魔法の絵本」
「インスタント・マジック」(「奇術入門マニアックス」内・初代引田天功の本の紹介)
橘屋円蔵さん(落語家)の
「先代・桂文楽」の話
僕は小学校5年生の時から、この商売をやることを決めていた。でも、お喋りだったわけじゃない。むしろ無口な方。でも、お喋りな奴は落語家にはなれない。
弟子にして欲しいと頼みに来る奴も、ボソボソと「あの…噺家やりたいんですけど…好きなんです…」と言う奴は見込みがある。陽気に「もう、私は師匠のファンなんですよ!お願いしますよ!」なんて行って来る奴はダメ。そういう奴は大抵バカ。バカは礼儀を知らない。礼儀第一のこの世界で、それじゃ通用しない。
僕が入門したのは、先代円蔵、当時の月の屋円鏡師匠の元だった。円鏡を選んだのは、他に弟子がいなかったから。他に弟子がいなければ、いじめられることもないだろうと考えた。
そして人の紹介で入門が決まって、何時何時においで、と言ってもらって。そうしたら、その日はおこわまで蒸かしてまで歓迎してくれた。こんな人情味のある人はいない、円鏡師匠を選んで本当に良かったと思っていたら、「これがお前の兄弟子だ」と紹介されたのが林家三平だった。
それはともかく、その時、円鏡師匠に「これからオレの師匠の所へ連れていく」と言われて連れて行かれた先が、桂文楽師匠の所だった。文楽の弟子と言えば、三木助、梅助、小さん、そしてウチの師匠と、まさに落語会の四天王。こんな錚々たる人達が、雑巾掛けなんかするワケない。だから僕のような孫弟子が、1週間ぐらい派遣されて、掃除をするというのが決まりだった。
「1週間でも文楽の家に泊まれるなんて、なんてツイてるんだ!」そう思った僕は、一生懸命働いた。「そんなこといいから」「いえいえ、やらせて下さい」そう言って、おかみさんの腰巻きもパーッと洗った。そうしたら、おかみさんがウチの師匠の所に電話して「この子、ウチで預かるから。」それで僕は、文楽師匠の家に3年、お世話になった。だから僕は、文楽師匠のことはよく知っている。
文楽師匠も若い頃は、先輩に厳しく教えられたらしくて、こんな話がある。先輩の前で一席やると、おはじきが飛んでくる。噺が終わってそのおはじきを数えると、90個以上あったとか。そのおはじきは、文楽師匠が「え〜」と言う度に投げられていて、「30までは、間として認めてやるが、それ以上は無駄、聞きづらい!」という事だったそうな。落語家の「え〜」というのは、それくらい重要なもの。
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落語のバーチャルワールド(「特集:「文楽と志ん生を語る」など)
RAKUGO.COM / 見世物文化研究所
APP WEB PAGE(古今東西噺家紳士録、落語長屋など)
落語検索エンジン ご隠居
放送曲目リスト
| Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
| 7'18" |
You're The Top |
Anita O'day |
verve |
POCJ-1815 |
| 16'30" |
A Man And His Dream |
Abb Lance |
RCA |
74321 386 282 |
| 23'06" |
Teacher's Ret |
Doris Day |
CBS/SONY |
25DP-5318 |
| 32'05" |
Exactly Like You |
Abby Lincoln |
Riverside |
OJCCD-205-2 |
| 45'02" |
I didn't Know What Time It Was |
Joni James |
DIW |
R-410246 |
|