「落語」
昭和の名人、志ん生の十八番『黄金餅』に、こんな一節がある。
「ワァワァ言いながら下谷の山崎町を出まして……(東京の地名がズラッと並ぶ)……坂を上がって飯倉片町、そのころおかめ団子という団子屋をまっすぐに麻布の永坂を下りまして、十番へ出まして、大黒坂を上がって一本松から麻布絶江釜無しの村の木蓮寺へ来たときには、ずいぶんみんなくたびれた…。私もくたびれた…。」
どうやら『黄金餅』の主人公、金兵衛さんは、このAVANTIの目の前を通っていったようだ。
金兵衛さんが連れてきたわけではないだろうが、今日のAVANTIには落語家の人が、グラス片手に楽しげに話し込んでいる姿が見受けられる。
我々も、「また夢になるといけねぇ」なんて言わず、一杯やりながらその話に聞き耳を立てるとしよう。
林家たい平さん(落語家)の
「真打」の話
落語界は、前座・二ツ目・真打の3つの階級に分かれている。
前座というのは、みなさんご存知の通り、座布団をひっくり返したり楽屋でお茶を入れたりと、下働きをしながら修行をしている人たちのこと。これを4〜5年続けると、今度は二ツ目と呼ばれるようになる。
そしてさらに、二ツ目になってから10年ぐらい経つと、やっと真打の声が掛かる。この真打への昇進、今は年功序列的に決まっていて、いくつ噺を覚えなきゃいけない、なんて決まりはない。だけど昔は「真打昇進試験」を受けて合格しなきゃいけなかった時代があって、池袋演芸場で落語協会の理事10人を前に落語を一席やらされていた。落語協会の理事と言えば、名人と呼ばれる人がズラッと並ぶわけで、これはもう針のムシロ。さすがに「おかしいんじゃないか」という声が上がって、今はなくなってしまったけど。
そんなこんなで真打なると、寄席で一番最後に出ることが許されるようになる。これは昔、ロウソクで明かりを取っていた時代に、最後に高座に上がった人がロウソクの芯を打って明かりを消し、興行を締めくくったという習慣があって、そこから「しんうち」の名が生まれたとされるくらい重い立場。
そして何より、真打になって変わると言えば、「師匠」と呼ばれるようになること。でも私の場合は、「たい平」という軽い名前に似合わなくて困っている。ちなみに私は、最初「林家チャイニーズたい平(タイペイ)」になるはずだった。だけどおかみさんが「もし焼き肉屋でこの子を叱るようなことになったら、お店の人が自分の国をバカ呼ばわりされてるように思って気を悪くするから」と師匠を説得してくれて、無事「たい平」に落ち着いた。名前がまともになった事を喜びつつも、心の中では「焼き肉は韓国じゃないか?」と思ってはいたけど。
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落語検索エンジン「ご隠居」
林家たい平・柳家喬太郎の真打決定(「鈴本演芸場HP」のニュース)
立川キウイさん(落語家)と
立川志加吾さん(落語家)の
「前座」の話
弟子になったばかりの頃、師匠(立川談志)にこんなことを言われた。「おめぇに芸人としての生き方を教えてやる。まず最初に、人にたかれ。それが出来なかったら、女を騙せ。その2つとも出来なかったら…」しょうがないから働けと言うのかと思ったら「しようがねぇから泥棒しろ。」とんでもないところに来ちゃったなと思った。
前座は本当にお金がなくて、弟弟子にはYシャツを1枚しか持ってない、なんて奴もいる。コイツの衣替えはわかりやすくて、裾を上げる・下ろす、の2パターンだけ。
僕たち前座に来る仕事も本当にたいしたことなくて、例えばこの間、銭湯の2階に行って10人ぐらいのお爺ちゃんお婆ちゃんを相手に一席やって、もらえたギャラがビール券5枚。テレホンカードだったこともあるし、ギャラがお金じゃないことなんてしょっちゅう。
場所も酷いことが多い。お台場のゲームセンターの真ん中で落語をやらされたり。もちろん誰も落語なんか聞いちゃいなかった。学校の体育館で「学校寄席」をやった時も、体育館を全部締め切ってたせいで、生徒が酸欠になってバタバタと倒れちゃって。それでも兄弟子は、舞台袖から「バカヤロウ!うまいこといって笑わせろ!」って言うし。政治家の応援で落語をやりに行った時は、なんと動いている選挙カーからの一席。フリを聞いた人は絶対にオチが聞けないので、聞いてる方も意味不明だったと思う。
僕らペーペーの前座の落語家はきっと、予算がない、でも格好はつけたい、という状況で使いやすいのだろう。この間もどっかの組合の忘年会でこんな紹介のされ方をした。
「今年もいろいろありました。みなさんの慰労を兼ねて、今日は東京から芸人さんを呼んでおります。今年も不況ということで、まぁ、あんまりお金がなかった、予算がなかったということで、いい芸人さんは呼べませんでしたが、ま、一つ、温かい目で見守って下さい。ではキウイさん!お願いします!」
そんな紹介で舞台に出ていって、オレにどうしろって言うんだ!
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志加吾君とその愉快な仲間たち(志加吾さんのHP)
MORNING ON LINE ENTER(講談社・週刊モーニングにて志加吾さんが『風とマンダラ』を連載中)
立川談志 地球も最後 ナムアミダブツ(オフィシャル)
柳家花緑さん(落語家)の
「偉大な先輩」の話
僕は「野暮」が好き。
ドラマで言えば、11回の連続もので、ずっと気持ちを打ち明けられなくて、最終回にやっと心が通じ合うもの。そのもどかしさが「粋」なんだと思うんだけど、僕が主人公だったら第1回で全部打ち明けちゃうから、ドラマになりゃしない。良く言えば素直。うちの師匠の教育でそういう風に育てられたので、何でも思ったことを言ってしまう。親しくなった友達でも恋人でも、まず全部自分をさらけ出すことから始める。そういうのは基本的に「野暮」だと思う。そして「芸は人なり」の言葉の通り、僕の落語も野暮だと思う。
僕が23で真打になった時に、志ん朝師匠にこうアドバイスされた。
「今、お前は23なんだから、23のお前の落語で良いじゃないか。30になったら30の落語、40になったら40、50になったら50の花緑の落語をやれればいい」
志ん朝師匠のこの言葉で、僕は初めて「芸は人なり」という言葉の意味を理解した。そしてそれ以来、肩の力が抜け等身大の落語が出来るようになった。
それから談志師匠には、やっぱり真打になったときにこんな言葉をもらった。
「落語がダメだと思うな、お前。お前がダメだと思え。落語って言うものは、これからの時代に合っていく。もし古典落語がダメだと思うんなら、お前がダメなんだ、お前がバカだと思え、お前が出来ないと思え。もっと落語っていうのは奥深くって凄いものなんだ。それを操れる噺家が今、少ないんだ。だから自分がおろかなのに、落語を切るな、愚かだと思うな。落語を操れないお前が愚かなんだぞ。」
この言葉にはインパクトがあった。今まで自分は何をやってきたんだろうと。
こう言っては失礼に当たるかもしれないけど、「この商売、バカじゃ続かない」っていう落語界の格言通り、この世界の先輩には凄い人がいる。もっともこの格言、「利口じゃ、なおやらない」って続くんだけど。
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花緑のShun(旬)(閉鎖?)
東京落語案内
春風亭昇太さん(落語家)の
「落研」の話
大学時代、落語研究部、通称「おちけん」に入っていた。
本当は「ラテンアメリカ研究会」に入ろうと思っていた。ラテンアメリカ研究会、陽気で楽しそうな感じでしょ? 情熱的な上級生のお姉さんがいたりして、飲み会ではテキーラ飲んでサンバ踊っちゃったりして、そんなイメージを膨らませながら、ラテンアメリカ研究会の部室に行った。
ところが部室のドアをノックしても、誰も出てこない。ラテンアメリカ研究会なんだから、パーッと陽気に迎え出てくれそうじゃない?ところが誰も出てこない。どうしたんだろう? と思っていたら、隣の部室のドアが開いて、「今、ラテンアメリカ研究会の人はご飯食べにいってるよ。30分くらいしたら帰ってくると思うから、それまでうちで待ってたら?」って声を掛けてくれた。
大学に入ったばかりで、友達もまだいない頃。そんな時期にこんな優しい言葉をかけてもらったから感動しちゃって、「なんていい人たちなんだろう」と思いつつその部室にお邪魔することにした。
するとその部室には、なぜか畳がひいてあって、奥の方には火鉢がある。三味線や太鼓がおいてあって、なんのクラブなんだろうと思ったら、そこが落語研究部だった。そして、そこで部長の話を聞いているうちに楽しそうに思えてきて、「うちのクラブは音楽がやりたければ三味線班もあるから」なんて言葉にも騙されて、結局そのまま落研に入ってしまった。
落研では落語の稽古の以外にも、例えば発声練習もした。そういえば、この発声練習は凄かった。「はっせいれんしゅう〜」って大声で叫ぶ練習。要するに、大声を出す訓練だったんだけど、ハタから見てたらその様は相当変だっただろう。
そんなきっかけから、今や落語家になってしまった。
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東京大学落語研究会「松岡邸」
慶應大学落語研究会
学習院大学落語研究会
橘屋円蔵さん(落語家)の
「文楽師匠」の話
落語というのは描写じゃない。本質は絵。「大川端に屋形が通って…」そう言ってる時に、自分の頭の中にその絵が浮かんでいることが重要。その絵を、どんどんめくっていく。それを聞いた客が、絵をどう想像しても構わない。絵を提示しているので、肝心な部分は違わないから。
そして、文楽師匠の噺は、その絵がもの凄く細かかった。その細かさは、聞いていて震えがきたものだった。
そして落語は、体調が良くないとダメ。体調が悪いと絵がグラついてしまうし、次の絵が出てこない。
あの文楽師匠だって、年間500席ぐらい落語をやるうち、今日は良くできたと思えるのは5席ないと言っていた。客にはウケている。でも自分じゃちっとも満足できない。客を引っ張り込んで、手玉に乗せて、引きずり回さなきゃダメ。一人でも手の平から落っこちちゃったら、それだけでスーッと絵が出なくなってしまう。うまく行っている時は、客の一人一人が何を考えているかさえ分かる。そんなのはやっぱり年間5席もない。
ところで、文楽師匠は噺の時間が正確なことでも有名だった。一方、志ん生師匠は、逆に時間がまったく読めない人だった。だから三平師匠が司会に回った、と言われている。つまりラジオの生放送の時、きっちり時間通りに終わらせる文楽師匠がいて、5分でも平気のつなげる志ん生師匠もいて、そして1秒しかないときに「それではごきげんよう!」とアドリブで終わらせられる三平師匠がいた。この3人のバランスで、番組は成り立っていたらしい。
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APP WEB PAGE(「落語長屋」コーナーにて、志ん生の特集)
落語のバーチャルワールド(「特集:「文楽と志ん生を語る」」など)
放送曲目リスト
| Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
| 8'33" |
It Might As Well Be Spring |
Peggy Lee |
Capitol |
7243 4 93065 23 |
| 21'04" |
Too Young For The Blues |
Hi-Lo's |
MCA |
MVCM-276 |
| 30'26" |
I Cried For You |
Freda Paynce |
MCAビクター |
MVCZ-82 |
| 42'01" |
I Want To Be Happy |
June Christy |
Capitol |
CDP 7243 4 85446 26 |
| 48'15" |
As Long As I Live |
Mark Murphy |
Capitol |
CDP 7243 8 33147 20 |
|