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「コーチ」
個人競技のトップアスリート達は、しばしば「芸術品」と呼ばれることがある。
100mを10秒に満たない時間で駆け抜けるスプリンター。200km/hのサーブをオンラインに叩き込むテニスプレーヤー。人間の反射速度の限界に近いスピードでパンチをかわした上にカウンターを浴びせるボクサー。彼らは、その存在そのものが一級の芸術品を思い起こさせる。そして、彼らが「芸術品」であるなら、それを創り上げた「芸術家」と呼ばれるべき人たちが、コーチである。選手と巡り会い、鍛え、技術を教え込み、時には叱り、時には励まし、そうやってただの粘土だった素材は、いつしか芸術品へと象られてゆく。だから選手の勝ち得た栄冠は、本来コーチにも等しく与えられるべきモノなのである。 しかし、多くのコーチは栄光の陰にひっそりと身を隠し、時にスポットライトを浴びるようなことがあっても、「頑張ったのは選手」と言ってかわしてしまう。あたかも、そんな慎ましさが、芸術家の条件であるかのように。 シャイな芸術家達の本音を聞くのは、なかなか難しい。彼らに気付かれないように、コッソリとその話し声に聞き耳を立ててみよう。
良い選手になる要素というのは、まず第一に親からもらった肉体的・技術的な素質。第二にその人の素質に合った良い練習。そして、それをサポートできる人との出会い。さらに練習を続けられる勤勉さも必要。しかし面白いもので、コーチの言うことを何でもハイハイ聞けば良いかというと、そうでもない。むしろ頑固なくらいがちょうど良い。何故なら、自分が良いと思ったことを一途に続けるコトが大事だから。昔のイチローもフォームに関していろいろ言われたけど、ヒットを打ってるんだからとやかく言わないでくれ、とコーチとして言っていた。ブライアントやニールなどの外人にも、「三振することを恐れて当てに行くな。その代わり、いつも全力でスイングして、甘い球は必ずホームランにしろ。」と教えた。イチローのフォームにせよブライアントの三振にせよ、日本人はすぐにおかしい所を指摘する。しかし、欠点を直すよりは長所を伸ばしてやる方が、プロとして生きていくためには良い。そしてそれは子供の教育や人生においても同じだと思う。
僕の持論として、心理的に悪い状態で練習しても意味がないと考えている。だから、怪我をしたり不調だった選手が復活してきた時に、そのプロセスを覚え書きで持っておきなさいと言う。そして、またいつか調子が悪くなったときに、その通りにやれば良くなるんだと信じて練習しなさい、と教える。その方が、どうすれば良いのか手探りで練習するより、よっぽど効果がある。そういったメンタルな部分の指導が、コーチや監督の最も重要な仕事の一つ。だから勝っている間は何もしない。負けたときこそ、選手にどんな言葉をかけようか、どんな練習をさせようか、頭の中で思案を巡らせる。良い当たりが野手の正面をついてしまった選手は「ナイスバッティング!」と大いに誉め、悪い所があった選手はちゃんとその点を指摘する。それを続けて、初めて選手の信頼が得られるようになる。中には結果だけを求め、結果が出ないとヒステリックに怒る人もいるが、そうやって選手を萎縮させても、何も良いことはない。
新体操のコーチは、曲を選ぶところから始まって、演技を作り、それを煮詰めるところまで、一つの演技を仕上げるのに、約1年間は選手とつきっきりで共同作業をすることになる。そして、いざ試合の時も、一回きりの演技に万全な精神状態で臨めるよう、準備を手伝ったり、ウォーミングアップのタイミングを図ったりする。そうやって人と人との密接な関わり合いを持つ中で、コーチという教える側でありながらも、選手から教わることの方が多いような気がする。ある選手にはこういう表現で通じたけど、同じ表現では他の選手には全く通じないとか、二人三脚でいつも一緒にいるので、気の許せるようになる反面、わがままも言えるようになって、最後には喧嘩してしまったり、人間として勉強になるというか、本当に良い勉強させてもらっていると思う。
アイススケートの試合会場では、コーチはメンタル面のケアに全力を注ぐ。普段は跳べたジャンプを、本番直前の練習で緊張のあまり失敗してしまうような時は、「何で跳べないの!」とは絶対に言わない。「大丈夫、絶対跳べるから」と励まし、おだて、なだめて、その気にさせるのがコーチの仕事。私は大勢の子供を教えてきたけれど、試合会場の雰囲気に緊張してしまい、いつもの力が出せない子や、逆に緊張を力に変えられる子など、その子によって掛けてあげるべき言葉は全然違う。だから試合の時は、コーチの方も難しいし、本当に大変。
『子供を金メダリストにする本』という本を書いた。スケートの橋本聖子さんや柔道の山下泰裕さんに話を聞いて、子供の頃の環境がいかに大事かという内容なのだが、要は二人とも田舎育ち。川で遊んでいたら流されたり、木に登ったら落っこちたり、遊びがトレーニングの毎日だった。そういう環境で養われる感覚や勘は、いわゆるトレーニングで養うことはなかなか出来ない。
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