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「陶器」
始まりは、ただの粘土の塊である。その粘土をこねて、形を作り、釉薬を塗り、かまどで焼くと、陶器という道具に生まれ変わる。陶器は我々の生活に欠かせない道具であり、そしてまた、ただの道具と呼ぶのが躊躇われるほど美しい芸術品でもある。 陶器の美しさは、宝石のそれとは意味が違う。使われるための道具として生を受け、いつかはその形を失い土に帰ることを約束されている陶器。その儚さが、人の手によって作り出された、どこかいびつな陶器を、愛すべきモノと感じさせるのではないだろうか。 今日はそんな素敵な陶器の話に、耳を傾けてみよう。
最初に始めたのは大学生の頃。友達の彼女が陶芸教室の先生をやっていて、彼女の家に遊びに行ったときに、やらせてもらったのがきっかけだった。最初に思ったのが、子供の粘土遊びに近いノリで楽しいっていうこと。始めの頃は、自分で使う食器を全部自分で作ろうと思っていたのだけど、出来上がる度に友達にプレゼントしたりしているので、結局作りきれていない。ろくろを回している時に、最初に作ろうと思っていたイメージから、段々変わっていってしまうこともあって、それも陶芸の楽しさの一つ。
縄文時代や弥生時代は、土を高い温度で焼けなかったので、割ともろいモノだった。これが土器。それが時代を経て、高い温度で焼けるようになると、固く締まって丈夫になった。これが陶器。磁器の場合は土ではなくて、石を砕いた粉を使う。そして焼く温度ももっと高いので、最も固い。焼く温度が高くなればなるほど、焼き締まって固くなる。例えば「有田焼」は磁器。元々は中国で生まれた磁器が、豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に伝わり、さらに日本で洗練されてヨーロッパに伝わった。そうやって生まれたヨーロッパ最初の磁器が、かの有名なマイセン。
陶芸を始めてから丸7年くらい経つ。絵とか釣りとか、いろいろ趣味はあったんだけど、暖炉のある別荘に招待されて、焚き火の面白さを知ったのが最初だった。火を見ていると酒の肴がいらない、というところが気に入って、火と絵を両方出来るのは、陶芸ではないか、と。それですぐに家から一番近い教室で習い始めた。最初に作ったのは手捻りの湯呑み。そして次の週にお願いして、ろくろをやらせてもらったら、ソレではまった。まず、土の塊を乗せて両側から押さえつけ、中心を取るのが出来ない。その練習を2〜3時間やったんだけど、あのヌルッとした手の感触が気持ちよくて、止められなくなった。
ウチで扱っている陶器は、基本的には私が気に入った物で、デザイン・機能・価格の三拍子が揃った物を選ぶようにしている。でも実は値段が一番重要で、なるべく高くなくて、なるべく良い物、というコトを大切にしている。良い悪いの判断がつくようになるには、ひたすら数を見るしかない。それと、美術館や展覧会で本物の良い物を見ること。興味があったら、青山の根津美術館や世田谷の大原美術館なんかに行くといいと思う。本物は、手に触れなくても伝わってくるモノがある。個人的な趣味で言えば、シンプルで無駄のないものが好き。やっぱり陶器は使ってこその物だと思う。
天目というのは、鎌倉時代、お坊さんが眠け覚ましでお茶を飲むのに使ったと言われている。お坊さんが、中国の天目山にある禅寺に行って勉強をしてきたときに、そこで使われていたお茶碗を持ち帰ったのが最初らしい。その後、室町時代まで、日本ではあまり良い焼き物を作れなかったので、中国からの舶来物(唐物)でお茶を点てていた。そこへ千利休などが出てきて、朝鮮半島から輸入された物の中から、お茶に使えそうな物を選んだ。それで、それまでは低く見られていた朝鮮半島の焼き物も見直され、数多くの陶工が朝鮮から日本へやってきた。その人たちが日本中に広まって、日本でも良質の焼き物が作られるようになっていった。
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