
|
「バラエティ今昔物語」
昭和28年2月1日、NHKと日本テレビが開局し、日本にテレビというメディアが誕生した。そして早くもその年の番組表には、「ミュージカル・バラエティ」「ジェスチャー・クイズ」など、バラエティ番組の名前が並んでいる。その後「夢で逢いましょう」「巨泉・前武ゲバゲバ90分」「8時だヨ!全員集合」「笑っていいとも」などの大ヒット番組が生まれ続け、いまやバラエティ番組はニュース・ドラマをも凌ぐ、テレビの「顔」とさえ呼べるようになった。 ところで、ここAVANTIは元麻布という土地柄か、昔から放送関係の客も多い。昔のバラエティ番組の様子を伝える人や、最前線で活躍する人。それぞれの話が入り交じっているのは、長く続いた店だけの特権とも言うべきか。 今日は後ろのテーブル席から聞こえる、愉快なバラエティ番組の話に、耳を傾けてみよう。
最近のバラエティ番組は、観察モノが主流。これからはドキュメント・バラエティと、メチャクチャ作り込んだモノのどちらかになると思う。ドキュメント・バラエティの代表と言えば『進ぬ!電波少年』であり、作り込んだ番組なら『特命リサーチ2000X』や『万物創世記』。なぜ観察モノのバラエティ番組が多いかというと、視聴者の興味を引く画を撮れるから。チャンネルを回していたときに、「なすび」の画なら手が止まる。今のテレビは一秒が勝負なので、「アレ?一体コレ何やってるんだろう」と思わせることが大事になっている。そのためのアイデアを出すのが放送作家であり、そのアイデアを出し合うのが制作会議。面白いもので、当たっている番組の会議ほど短いのに、数字の悪い番組に限って会議が長い。でも全盛期のドリフの会議の長さというのは、テレビ界でも一つの伝説になっている。
日本のテレビ黎明期は本当に何から何まで手探り、というよりは好き勝手にやっていた。その頃は、視聴率というものはあったけど全然問題になっていなかったせいもある。TVを持っている人の数が、ロールスロイスを持っている人の数とそんなに変わらなかった時代の話だけど。植木等の「およびでない」も、リハーサル中に本当に間違えて関係ないシーンに出てきてしまったのを、面白いから本番でも採用してしまったもの。12月に討ち入りモノの番組を考えていた時にも、「大石蔵之介!」「大石主税!」「…板垣退助?」「板垣退助は関係ないだろう」って馬鹿話をそのまま使った。実はその板垣退助役をやったのが、テレビに出るようになったきっかけ。それ以来自分の台本には必ず一カ所だけ、自分が登場するところを作るようになった。
『ゲバゲバ90分』は、やっている方も楽しい番組だった。あの番組は雨傘番組と言ってナイターのないときにやる番組で、野球の始まるシーズンになるとお休みになる。それでも足掛け2年くらいは続いた。自分が『夜のヒットスタジオ』などでフジテレビをホームグラウンドにしていて、巨泉が『11PM』などでテレビ朝日を中心に活躍していたときに、日本テレビの井原さんが「ご両所、一緒にやって貰えないかね」と言って『ゲバゲバ90分』が生まれた。スタッフも楽しみながら作った番組で、ある時期は巨泉と二人でホモの恋人同士だと思わせようと熱中したこともあった。ところがどうにもうまく行かなくて本職の人に相談してみたら、「二人とも女役をやってるからじゃないの?」だって。そういえば二人とも「巨泉ちゃ〜ん」「な〜に?」なんて喋っていた。
ドリフターズのコントは、稽古に次ぐ稽古で大変だった。でもハプニングが起こると急に観客のような感覚で「どうなっちゃうんだろう、コレ?」って楽しんでいた。ある時などは、いかりやさんが「8時だよ!全…」って言いかけた瞬間にプスンと停電になってしまったこともある。仕方がないので懐中電灯で長さんの顔を下から照らしたら、その顔の恐いこと恐いこと。いかりやさんはリーダーだから全体の進行をを考えて一生懸命なんだけど、メンバーはみんな笑い転げていた。あの頃のドリフは本当に忙しくて、『8時だよ!全員集合』の他にも舞台に映画、特番と寝る暇もなかった。だからコンクリートの上で寝られるようになったのもその頃。それから新聞紙の暖かさを知ったのも、あの時代だった。
62年頃に坂本九の『マイマイショー』というバラエティ番組があって、坂本九とパラダイスキングというグループが和訳ポップスを歌い、合間にコントが入る番組だった。番組の最後に坂本九が「上を向いて歩こう」を歌うのがお約束だったのだが、ある時、坂本九が交通事故を起こして番組を休んだときに、パラダイスキングが「上を…」を歌って格好良かったのを良く覚えている。それがバラティー番組に関する最も古い記憶。70年代の後半、大学生の頃は伊東四郎、小松政夫、キャンディーズの『見頃食べ頃笑い頃』がすごく好きだった。伊東四郎がお母さん役で、キャンディーズの面々がお母さんに怒られるというのがお約束。アイドルが汚れ役というか、ボケをやるようになった最初の番組だったと思う。
|