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「ボーリング」
老若男女を問わず楽しめる、大衆のスポーツ「ボーリング」。その歴史は意外にも古く、一説によればその起源は紀元前のエジプトまで遡れるという。最も確実な文献でも、1366年に英国の国王・エドワード8世がボーリングを楽しむ様子が描かれていて、その歴史は少なくとも600年以上はあると言われている。その歴史あるスポーツ・ボーリングが日本へ伝えられたのも、これまた意外なくらい古く、なんと江戸時代末期の1861年。長崎の出島にボーリングサロンが作られ、その様子は当時の英字新聞に写真入りで残されている。そしてその出島のボーリングサロンがオープンした6月22日は、「ボーリングの日」として現在にその名を残している。 日本に伝えられてからもはや100年以上がたち、大衆娯楽の定番となったボーリング。ここAVANTIには、そんなボーリング文化を支える人達も数多く訪れている。今日はその人達の話に、耳を傾けてみよう。
ボーリングは割と自由なフォームでやっている中にも、基本というモノはある。でもそれは人によって違うので、その人なりのフォームになる。例えばマイボールを作るだけで、9ゲームは投げれるようになる。指にぴったり合うように作ったマイボールだと、腕を振っても落ちないので、握力でボールを押さえる必要もないし、無理に腕を振り回す必要もなくなる。これがハウスボールになった途端、普段14ポンドのボールで12ゲーム以上投げている私でも、5ゲームくらいが限界。スコアも全然違ってくる。総じて下手な人は力が入りすぎ。力を抜いて、レーン上にある三角の目印「スパット」を狙って投げるのがコツ。
最近のプロボーラーは、ボーリング場に5個も6個もボールを持ち込んで、レーンコンディションによって使い分けている。あまり曲がらないレーンでは曲がりやすい柔らかいボール、よく曲がるレーンでは曲がりにくい固いボールと言った具合。狙う位置によってもボールを替えるので、1投目と2投目のボールが違うということさえある。ボールをたくさん持っていくのも大変で、品川駅で転んでしまったこともある。私の人気も一番絶頂だった頃で、よせばいいのに高いヒールを履いて、両手いっぱいに道具を抱えて階段を下りようとしたら、案の定つまづいて階段の一番上から下まで滑り落ちた。その場では「大丈夫です」なんてすました顔で取り繕ったのだが、実は大会を休むほど向こうずねを打っていた。
映画『ビッグ・リボウスキ』は『ファーゴ』と同じコーエン兄弟の新作。リボウスキというオジサンが、彼の家に「女房の借金を返せ」とチンピラが怒鳴り込んで来たことから、思わぬ事件に巻き込まれていくという筋のお話で、リボウスキはボーリングを一生懸命やっているという設定なので、ボーリングがストーリー上とても重要なアイテムになっている。スポーツとは全く縁のないような僕にできるのはボーリングだけだ、みたいなセリフもあって、スポーツとも娯楽ともつかないボーリングの雰囲気がよく出ている。この映画のプロモーションのためにボーリング協会やプロボーラーの方々にコメントを頂いたら、「ボーリングは永遠に不滅です」というコメントがあった。確かに、いつでも、気取らずに楽しめるという意味では、真実かも。
ヨットの後で、ボーリングに夢中になった。青山の神宮外苑にあったボーリング場が草分け的な存在で、最高のボーリング場とも言われていた。当時はものすごく混んでいて、何時間も待つのは当たり前。巨泉もボーリングは大嫌いって言っていたはずなのに、いつの間にかプロはだしの腕前になっていて、ついにはボーリングの番組さえやるようになっていた。東京タワーの下にあるタワーボウルでは、300点を出したら差し上げますと書かれた日産のフェアレディZが飾られていたこともあった。ところが今と違って全部手で記録を付けていたものだから、本当に300点を出したかどうかを確認するために、最初にターキーを出したところで係員を呼ぶ決まりになっていた。これがプレッシャーになっていたのか、パーフェクトでその車をもらったという話はついぞ聞いていない。
関東ボウリング場協会の理事なんて肩書を貰っているが、本職は恵比寿駅のすぐ隣にある恵比寿グランドボウルというボウリング場の経営。昔はけっこう駅前にボウリング場があったものだが、最近はずいぶん減ってしまった。ボウリング場は構造的に柱がないので、普通のビルよりも建築費が安い。土地も安かった頃は、平屋でやたら広いボウリング場なんてのも多かった。メンテナンスで一番重要なのは、レーンに油を引くこと。レーンに引く油は、ボールの転がりを良くするのと同時に、木で作られているレーンを保護する役割も果たしている。それでも投げる度に少しずつへこみができるので、2年に1回くらいレーン全面を3ミリほど削って、常にレーンが平らで水平になるようにしている。
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