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「横浜 〜from Shell Room of the Bund Hotel」
横浜元町のはずれ、山下埠頭の付け根に位置するバンド・ホテルは、1863年創業の、日本でも屈指の歴史をもつホテル。その最上階のワンフロアを占める「シェルルーム」は、横浜でも有名なナイトクラブである。ナイトクラブは1950〜60年代には大人の夜遊びの中心的役割を果たしていた店。今も「ナイトクラブ」を名乗る店はいくつかあるが、ダンスフロアが常にピカピカに磨き上げられ、全てのテーブルにキャンドルが灯り、ウィークデーでも常時生バンドが入り、タバコをくわえただけでウェイターがさっと火をつけに現れる生きたナイトクラブは、東京・横浜を通じ、この「シェルルーム」だけである。ここには、かつて石原裕次郎や赤城圭一郎が活躍した日活映画の世界がそのまま息づいている。紳士が南さんを誘って、このバンドホテルに遊びに行ったのは9月23日(水)の秋分の日。なぜ二人が横浜に行くことになったのかは、9月5日放送の回をお聞きになった方ならおわかりのはず。 土曜日いつものようにAVANTIに現れた紳士は、カウンター席で南さんとのデートをジェイクに自慢している。今日は紳士が横浜で聞いてきたという、横浜のナイトクラブに集まる大人達の会話、それから、南さんと何があったのかとても気になる紳士の自慢話に耳を傾けてみよう。
今週の放送は、営業中のシェルルームにお邪魔しての収録だったため、お客様の写真を撮ることが出来ませんでした。あらかじめご了承下さい。
バンドホテルは昔は木造だった。中2階のラウンジにはピアノが置いてあって、赤城圭一朗の映画「霧笛が俺を呼んでいる」っていう映画の冒頭で使われたことで有名になった。もう40年も昔の話だが。私は横浜で育ったのだが、横浜で暮らしていると、変なものに慣れ親しんでしまうようだ。中学生の頃、東京の友達にピザを出したら、「このお好み焼き、チーズがかかってる」と気持ち悪がられた。今にして思えば、その頃東京にはピザを出す店なんか無かったのだ。横浜ではアメリカ人相手の店が多いので、ありふれた食べ物だったのだが。
昔は高速道路も無かったので、ここから目の前に海が見えたんです。しかし今でも、マリンタワーから、ランドマークタワー、クイーンズスクエア、氷川丸と、横浜の夜景が一望できます。このシェルルームは、だいたい40年前からあるのですが、ホテルそのものはもっと古くて、1800年代からある、日本でも最も古いホテルの一つです。よく「バンドが入っているからバンドホテル」と勘違いする人も多いのですが、バンドはドイツ語の「Bund」で、「波打ち際」という意味なんです。日本語に訳すなら「渚ホテル」と言ったところでしょうか。
このシェルルームは、実家から徒歩1分のところにあるので、本当によく来ていた。実は隣のシェルガーデンを作るときに、私にやらないかという話もあったのだが、色々あって断ってしまった。やっていたらまた別の人生になっていたかも知れない。東京の人にはよく「横浜は雰囲気がいい」と言われるが、残念ながらそこで生まれ育った人間には、その違いというのがいまひとつわからない。中華街も子供の頃から行き慣れているし、海なんて子供の頃は泳ぐところだった。でも、歌だけは影響を受けたところがあるかも知れない。中学生の頃に行った「ウエスタン・カーニバル」で、平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチスの歌を聴いて、ミュージシャンになろうと思ったから。
TVKの「HAMA大国」で中華街の取材を始めて、はや3年。食べ物ばかりだとネタは尽きてしまうけど、中華街の人達はあそこで暮らしているのだから、いわゆる中華料理屋のこと以外の部分を取材するのが、私には逆に楽しい。例えばある時、取材中に熱を出したことがある。そうしたら取材していた食材屋さんがスープを出してくれたのだけど、中華料理屋でも飲んだことのない変わった味だった。これはネタになると思って聞いたら、そのスープはクコの実とナツメとゆりの根を入れたスープとのこと。それらはいわゆる薬膳食材で、彼らは薬としてじゃなく、普段の食べ物の中に入れて食べることで健康に気を使うらしい。夏バテの時なんかも、中華料理屋で相談すると、それに合わせた薬膳食材を使ってくれるらしい。
横浜には年間7つのジャズ祭があって、7つ目が10月10日と11日に行われる「横浜ジャズプロムナード」。街中が舞台で、70カ所くらいのライブスポットで一斉にライブをやる。一枚のチケットをで、どのライブハウスでもフリーパス。800人ものミュージシャンが参加するので、日本のジャズミュージシャンは貸し切り状態になる。横浜にはジャズっていうイメージがついているのは、間違いなくミュージシャンのせい。渡辺貞夫さん、日野皓正さんとかが、戦後にモカンボっていう店でジャズセッションをやって、そのレベルと内容が日本人のやった初めてのモダンジャズのだったというのが、横浜の一つの武器になっている。
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