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「Latin」
ラテン。中南米で生まれた民族音楽の総称。キューバのルンバやマンボ、ブラジルのサンバやボサノバ、アルゼンチンのタンゴなど、時には激しい情熱を、時には暖かな静けさを演出する、南国の香りを漂わせた音楽である。今から約30年前、折しもAVANTIがイタリアンレストランとして営業を始めた頃、世は一大ラテンブームだった。今日はその時代に思いを馳せながら、隣の席の話に耳を傾けてみよう。
ナイトクラブの発祥は横浜です。ナイトクラブは、歌を聴くショータイムとダンスタイムがはっきり別れていて、さらに昔は食事が出来るところでした。だから本当はサパークラブというんです。アメリカでは女性を同伴していく所ですが、日本ではホステスを置いていましたね。当時のホステスさんはお店から給料をもらうのではなく、自らお金を払って置いてもらい、お客のチップで稼いでいたんです。
アポロが去年の6月に閉まって、その後にビブロスカフェがオープンしました。ウチの店は普通のクラブとは逆に、お客に長くいてもらうことを重視しているので、すぐに帰ってしまうお客がいると反省しています。その為にDJが工夫するのは、お客の雰囲気を見て曲の流れを考えること。基本的にDJ自身が疲れを感じ始めたときは、お客も疲れているので、会話しやすい音楽を流します。その時の適切な音量を調べるために客席で独り言を言っているDAIMONさんを見て、初めはお祈りでもしているのかと思いました。
メキシコではレストランによく弾き語りのオジサンがやってきます。それも必ず3人組。その人たちに、マリアッチのスタンダードな曲をリクエストするという習慣があったりして、メキシコの日常には音楽が流れています。例えばその他にも、セレナータといって、女性に愛を告白するとき、バルコニーの下で愛の歌を歌うという習慣があります。ちなみに女性の方は、あまり好きじゃない男性だとバルコニーに出ません。最近はさすがに減ったようですが、実はうちの父もセレナータで母に愛の告白をしたそうです。
横浜にバンドホテルができたのが135年前で、シェルルームはホテルを建て替えた40年前にできたんです。アメリカ駐留軍がいた頃は、芸人の査定がありました。今の宝塚劇場、当時のアニパイル劇場でオーディションがあり、そこでAからCの評価が決まってギャラが決定されました。進駐軍相手に演奏していると、兵隊がみんな俺にも歌わせろと来るんですが、その中に、背が小さいんだけどマイクが無くても響くいい声の奴がいて、それが後に有名になったエディー・フィッシャーだった、なんてコトもありました。
最近「ラウンジ」なんて言葉がよく出ますが、僕の中でラウンジとは、海辺のカクテルラウンジに楽団が入っていて、ラテンニュアンスのジャズっぽい曲が流れているイメージですね。夜に向けてなんだかいい予感がするような感じなんです。ラテンがブームといっても本物のラテンというより、ラテンのフレーバーが入ったジャズや軽音楽が好まれている気がします。密室空間のようなクラブとは違って、ラウンジはアームチェアトラベルというか、イージーリスニングをソファーで聞いている感じ。これからの季節は最高ですね。
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