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「浜口庫之助」
「愛して愛して愛しちゃったのよ」「バラが咲いた」「僕は泣いちっち」「夜霧よ今夜も有難う」等を作詞作曲し、戦後日本の音楽シーンを築いてきた浜口庫之助さんが亡くなられから7年が経つ。そしてそれは、AVANTIにあの素敵なギターの調べが二度と流れることのなくなった年月でもあった。ウイスキーと女性をこよなく愛し、誰もがうらやむ酒とバラの日々を送っていた浜口庫之助さんは、いつもAVANTIの壁際の椅子に座り、ギターを片手にジェイクやその他の常連と語らっていた。その光景と浜口さんのギターの響きは、今もみんなの脳裏に焼き付いている。 今日、11月1日は浜口庫之助さんが初めてAVANTIにやってきた日。店は浜口庫之助さんを懐かしむ人々で賑わっている。その思い出話に、ちょっと耳を傾けてみよう。
「愛しちゃったのよ」「バラが咲いた」「僕は泣いちっち」等々、浜口庫之助さんの曲はリアルタイムでは知らないのだが、母親が何気なく口ずさむのを聴いてるうちに、身体に染み着いてしまっている。二人とも別のバンドで活動していた頃、遊びで何かカバー曲をやろうと言うことになったとき、パッと戦後歌謡を思いついた。あの頃の曲はポジティブでわかりやすく、とても今の自分たちにフィットする。
昭和28〜30年頃はラテンブームで、特にマンボの人気があった。当時ハマクラさんも歌手としてラテンバンドをバックに、ナイトクラブなんかで歌っていた。しかし彼が40歳の時、もう歌手はいいやという感じで作曲家になると言いだした。その頃はシンガーソングライターなんていなくて、曲を作る人と歌う人は別だったというせいもあった。ハマクラさんは英語が上手で、歌手時代に米軍キャンプで歌うと必ずフィリピン人だと思われたらしい。それで得をしたこともあったとか。
若い頃、浜口庫之助先生の家にお邪魔して、作曲していただいた曲を教えてもらっていた。ギターを弾きながら「こんな感じだよ」と教えてもらったのだが、決してギターの技術が上手いわけではない。しかし味があって最高にいい歌だった。歌は上手いか下手かではなく、いいか悪いかだから、あの歌が自分にとっての究極の目標。しかし、歌の勉強だけではあの域には達しない。女性なのか、酒なのか。一体何を経験すれば、ああなれるのだろう。
今のCMはほとんど15秒だが、昔は3分近くの物もあったり、全体的に長かったので、曲として観賞に堪えうる物にしないといけなかった。それに番組が始まるというワクワク感も必要。その意味ではハマクラさんのラテン系音楽は、当時の最先端だったのだろう。今その雰囲気に一番近いのは小室哲哉。彼はCMのコンテを見てから曲を作るらしい。商品名こそ歌詞に入っていないが、曲の内容は完全に商品を意識した物になっている。それでいて客が求める曲を作るから、曲も売れるし商品も売れる。
いつも傍らにギターを置いて、話し掛けてもフンフンと返事をしながら、絶えず何かメロディーを弾いていました。飲みながら話をしているときでさえも、メロディーにのせて答えていたこともありました。朝方、夜が明ける頃、空が黒っぽい色から段々明るく白くなっていく、その瞬間が好きだといってジャズやボサノバを聴きながらお酒を飲む。そして夜が明けるとまたギターを弾き始める。それを私がラジカセで録音して置いて、後でちゃんとした曲にする。そんなロマンチックでセクシーな人でした。
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