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「恐い人の話」
昔は怒る人が必ずいました。子供の頃は悪ふざけをしては近所のオヤジに怒られ、中学生の頃に生活指導の体育の先生に怒られ、大人になっても寿司屋で最初に玉子を頼んではオヤジに怒られ、とにかく「怒る」役割の人がいました。そして怒られることで社会のしきたりを覚えていったものです。 最近は怒る人が少なくなったお嘆きの方、まだまだ世の中にはすぐ怒る「恐い人」はたくさんいます。今日はそんな人の下で修行をした人たちの、恐くてためになる話に耳を傾けるとしましょう。
僕は明治大学の落後研究会にいたんです。卒業してから一度就職して、それから談志師匠にところに弟子入りしました。ウチの師匠は怒りっぽいですよ。師匠は常に頭が高速回転してるんで、その回転を止めるようなモノに対して苛立つんです。だから電話をかけたいと思ったらすぐ電話をかけたいしメモを取りたいと思ったらメモを取りたいのに、何もさせてくれない床屋が一番苦手。そんな師匠に一番言われたのが「状況判断をしろ」ということ。「なぜ山の手線が止まることが予想できない」って言われたこともありました。
蜷川カンパニーの一期生で、入ってからもう13年になる。さすがに蜷川さんも最近は丸くなったけど、昔は相当恐かった。灰皿を投げつける話は有名だけど、灰皿に限らず、そのとき手近にあるものなら何でも投げる。蜷川さんは学生時代野球部だったらしく「当てないように投げている」と言っている。たしかに投げた相手には当たらないんだけど、その後跳ね返った灰皿がドコに飛んでいくかが一番の問題。とばっちりで関係ない人に当たることがよくある。
全日本プロレスに入ってから4年間はずっとジャイアント馬場さんの付き人をやっていたんですが、馬場さんに教わったことで一番大事だったのは「ウソをつくな」ということ。一度、ホテルに馬場さんのズボンを全部忘れてしまったことがあったんですけど、正直に謝ったら馬場さん、何も言わずにその遠征中はずっとジャージのズボンをはいていてくれました。本当に生き方というものを知ってる人ですよ。
横浜トヨペットで車の営業をいしていたら、雑誌にクレイジーキャッツの運転手を募集していたのをみて応募した。後で植木さんに話をきくと「お前が役者志望だったとは知らなかった。」っていうから、採用されたのは本当に運が良かった。運転手になってからは、台本読みに来れない役者がいると植木さんが僕に代役をやらせてくれたり、そういう形でチャンスをいっぱい与えてくれた。
ハナ肇さんにいきなり「舞台の休憩時間が気にくわないからお前つなげ」って言われた。つなげって言われても2千人以上入るホールで、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのクレイジーの舞台を5分も持たせなきゃならないなんて、本当に七転八倒するほど苦しんだ。そこで考えたのが淀川長治さんのモノマネ。「はい、クレイジーキャッツのみなさん、ホントに面白いですねぇ。」というネタをやった。それが僕のデビュー。
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